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04.小山内マモルとその母親

 おれの目の前には一つのボタンがある。それは、おれの母の切なる願い。それは、周囲の望みとは反発する願い。それは、『死者蘇生ボタン』と呼ばれている。




 おれこと小山内(オサナイ) マモルは、『あらゆる人間は報われるべきだ』という考えを持っている。


 生まれた赤ん坊は、虐待など受けずに健やかに育てられるのが当然だ。

 運動でも勉強でも、才能という物は厳然として存在するが、だからといって積み重ねた努力は無駄にならないだろう。

 生きていて、時に辛い事もあるだろう。そんな状況でも、周囲の支えや大切な人との触れ合いによって、乗り越える事ができると信じている。

 情けは人のためならず。人助けをしたら、いずれは巡り巡って手助けをした本人に幸福が訪れると思う。



「甘っちょろい考えだと思うか? だが、この考えはおれの半生を通して得た教訓と言っていい。無闇矢鱈に否定される謂れは無いぜ」




 ◇ ◇ ◇




 おれの家庭は、いわゆるシングルマザーって奴だった。

 女は学生、男はフリーター。そんな付き合いだったカップルが、避妊を誤って女が懐妊。男の方は早々に蒸発して、後に残されたのは二十歳に満たないお腹の大きい女だけ。

 その女こそがおれの母親。おれの原点にして、何よりも尊敬する人だ。



「マモル、アンタは生きてて恥ずかしくない人間になりなさい」

 


 母は口癖を2つ持っており、まず最初に出てくるのはその言葉で、おれへの教育の根底と言っても良かった。


 実際、自分を見捨てて逃げ出した男の事を考えれば、そうも言いたくなるだろうよ。母自身も、二十歳前に妊娠した事が知られて以来、周囲からは随分と冷遇を受けてきたらしい。

 だからこそ、母は己の行いを恥じる事がないような生き方をしていた。


 おれが赤ん坊の頃は、アルバイトをかけもちして必死に生計を立てていた。しかも、その傍らで小娘でも侮られないような、ハクの付いた国家資格の勉強をしていたらしい。

 シングルマザーへの支援を目的とした制度は躊躇なく利用したし、おれの育児に手が足りないと感じたら、僅かばかり残った情に厚い叔父――母の兄――を頼る事も厭わなかった。



「まぁ、行政や兄貴におんぶに抱っこだった事は認めるけどねぇ。でも、『一人でも立派に子育てをする良い母親』を押し付けてくる周囲なんて、クソくらえよ。

 若い身空で、青春全てを賭して自分の子供を健やかに育てるための行動に、恥ずかしい所なんて一片も無かったわ」



 おれが一人立ちした頃、第二の口癖である「若い身空で~」を喋りつつ、皮肉げに笑ってそんな風に回顧する母の表情は良く覚えている。


 そして、その努力は報われた。

 二度目の挑戦で、国家資格試験には見事に合格。更には、アルバイト時代に地道に培ったコネを使い、資格を持っている事もあり正社員として採用される。

 母の努力と想いは、確かに報われたのだ。



 そして、そんな母の背中を見て育ったおれ自身もそうだ。



 誰かがいじめられている所を見つけたら、即座に割り込んでいじめを止めさせる。からかい半分で聞き分けてくれる相手ならまだいいが、中には逆ギレしておれまでターゲットにする奴もいる。

 そんな時には暴力が物を言う。相手が「いじめを止める」と宣言するまで、徹底的に戦った。


 周囲の大人達からは「やりすぎだ!」と怒られたし、母にも余計な苦労を背負い込ませてしまった事は心苦しく思っていた。だが、おれはションボリとしつつも達成感があった。



「いじめに遭遇した場面で、見ないフリをするよりはよっぽどマシだ! 正しい事を正しいと主張しないなんて、それは決してやっちゃいけない事だ!」



 現に、母は実質的におれの行動を肯定していた。



「マモル、アンタは『暴力に訴える』っていう短絡的な事をした。でも、恥ずかしい事じゃなかった。これからもアンタは、何度だって同じ事を繰り返すだろう。

 でも、それは決して人としての矜持にもとる事じゃない。それを覚えておきなさい。それに、若い内はそれぐらい元気な方がいいんだよ」



 更には、いじめから助けた張本人にもこう言われた。



「マモル君、本当にありがとう!」



 ってな。この二人の言葉で、おれの行動は報われたんだ。


 その後も、反省や後悔すらせずに同じようにいじめを撲滅していったさ。各所からは非難轟々で、母が文句を言われる事も度々あった。それでも、おれはおれ自身に恥じない生き方を心がけたんだ。


 そんなおれを、母はこう評した。



「子供っていうのは、色々と大きくなるもんだねぇ。産まれて、成長して、生きて……この先はどうなるんだろうね?」



 何となくだが褒められた事は伝わったため、その日のおれは上機嫌だった。


 そんないじめ撲滅キャンペーンを続けた結果として、悪質ないじめが露見したいじめっ子達は進学の推薦が取り消し。

 おれは中卒で工場勤務となったが、『武勇伝』が尾を引いてるのか、現場の上司にはやけに気に入られた。


 中卒工場勤務という、世間では底辺扱いなおれだったが、ここでの仕事は居心地が良かった。給料も食うに困る程度ではなく、少し切り詰めれば母にプレゼントをする事もできた。何より、周囲の人達から認められたというのが大きい。

 ここでもまた、おれは報われたんだ。




 ◇ ◇ ◇




 あらゆる人間は報われるべき。

 そう考えるおれの信念を形作るには十分な半生だったし、実際にその考えは今でも続いている。

 だが、しかし。



 今の世の中で、報われるべき「人間」がどれだけいるだろうか?



 きっかけは、「死者蘇生ボタン」なんていう得体の知れない物体だった。



1.このボタンは、満15歳以上ならどんな人間でも一生につき一回だけ押せる。


2.ボタンを押す事自体は、明確な意識を持っている時に強く念じれば、いつでもどこでもすぐに可能。


3.押した瞬間、その人物が最も生き返らせたい対象を、全盛期の姿ですぐそこに蘇らせる。


4.ただし、ボタンを押す者がその瞬間【死んだ対象を誰よりも愛している】事が蘇りの条件。


5.「4」の条件を満たさないままにボタンを押すと、押した者が死ぬ。当然蘇りも行われない。


6.対象が実は死んでいなかった場合も、ボタンを押した者は死ぬ。


7.ボタンの譲渡・放棄・売買・破壊・他人の使用は一切不可能。


8.死者蘇生ボタンが配られる以前に死んでいた者には、上記一切の権利がない。



 なんだこれは。

 馬鹿馬鹿しいにも程がある、折角の休日が台無しだ。まぁいい、明日は上司や同僚に夢で見た『コレ』の存在を語って、笑い話の種にでもしようじゃないか。


 そう思ったおれが次の日に職場で見たのは、愛人を蘇らせようとして亡くなった、想いを否定された上司の姿だった。



 その後の研究機関の発表によって、『死者蘇生ボタンの存在と効果は本物である』と確定した。

 怖気がするほど嫌な内容だが、疑う余地はなかった。おれの職場にも、ボタンを押して死んだ奴もいれば、大切な人の蘇りに成功して泣いて喜ぶ奴もいたからだ。


 訳の分からない事態だったが、ほどなくして職場自体は混乱を取り戻した。仕事のまとめ役となっていた上司が死んだり、取引先の相手が行方知れずとなっていたり。そんな中々に難儀な状況だったが、ギリギリで仕事そのものは回せていた。



 問題は、それ以外にある。



 死者蘇生ボタンが全人類に配られて以来、国内の死亡者数は爆発的に増えた。

 まぁ、ボタンを押しても『失敗』して死ぬ人がいる……というより、その割合の方が高いだろう。だから、死人が増える事はむしろ必然だ。しかし、そうした事例はまだマシな方だと言える。


2.ボタンを押す事自体は、明確な意識を持っている時に強く念じれば、いつでもどこでもすぐに可能。


 なにせ、ボタンは使用者が強く願わなければ押せないのだから。本人の意思の下で成された事なら、それ自体は悲劇ではあるが、まだ受け入れる事ができる。

 その結果に関連してのいさかいもあるだろうが、それは生き死にに関わる事だから、仕方のない事だと割り切るしかない。と言っても、中にはどうにも後味の悪い話もあるのだが。




 ◇ ◇ ◇




 最愛の夫を生き返らせたいと願う、美しく儚げな未亡人がいた。ルールを理解すると同時にボタンを躊躇なく押し、一度死んだはずの夫は見事に蘇った。

 事情が分からず困惑するばかりの夫、涙ながらに事情を説明する妻。本当に蘇りが行われた事に驚き戸惑い、何を言っていいのか分からない周囲の者達。



 次の瞬間、夫は獣のように妻に襲いかかって首を絞めた。



 力ずくで引き離した後に話を聞いた所、夫は妻との生活が嫌で嫌でしょうがなかったらしい。趣味・浪費・家事・育児・親戚づきあい……呪詛のように吐かれる言葉は、前後の状況と併せて説得力は十分で。

「何故、死なせたままにしてくれなかったんだ」と恨み言をぶつける夫に対して、妻は何も言えなかったようだ。




 20年以上前に生き別れ、戸籍上は死亡扱いになっている息子を生き返らせたいと願う、心労を背負い込んだ老婆がいた。息子を想う母の心をドキュメンタリーとして編集し、死者蘇生ボタンを押す瞬間を生放送しようとしたテレビの企画がそれに目にをつけた。

 20年以上行方不明の息子を愛しているのは、老婆だけだと誰もが思った。テレビ局側も、それを承知の上で感動の瞬間を撮影しようとして……そして、老婆は息絶えた。

 後の調査により、老婆の息子はホームレスとして細々と生き延びていた事が判明。



6.対象が実は死んでいなかった場合も、ボタンを押した者は死ぬ。



 のルールに引っかかった形となった。

 全国のお茶の間に哀れな老婆の死に様を提供し、その後の事情も知られてしまい、テレビ局には非難の電話が殺到。主要なスポンサーが軒並み手を引いた。




 生まれつきの不治の病で、塗炭の苦しみの中で死んだ弟を生き返らせたいと願う、家族愛にあふれた姉がいた。彼女の両親も亡くなった息子を愛しており、自分が死ぬリスクも十分にあったろうに、最後には決断して死者蘇生ボタンを押した。

 結果として、弟の蘇りには成功。一時は再会を喜びあった姉弟だったが、その幸せは長くは続かなかった。



3.押した瞬間、その人物が最も生き返らせたい対象を、全盛期の姿ですぐそこに蘇らせる。



 弟が患っていたのは、『生まれつきの不治の病』だ。全盛期の姿で蘇っても、病気の体である事に変わりはない。耐え難い苦悶に再度苛まれた弟を見て、姉は自分の浅はかさを心底後悔したらしい。

 それでも、弟の二度目の最期に「ありがとう、姉さん達とまた会えて良かった」と言われたのは、果たして姉にとって救いだったのだろうか。




 看板の落下事故から、自分を庇って死んだ友人を生き返らせたいと願う、友情に厚い男がいた。借りを返すんだ、あいつは自分の親友なんだと息巻き、周囲からは猛烈な反発を受けつつもボタンを押した。

 そして、男の想いは確かに通じた。友人は直ちに生き返り、キョトンとした様子を見せていたらしい。涙ぐみながら事情を伝えて、再度の友情を育もうとした男は……次の瞬間、蘇ったばかりの友人に突き飛ばされた。



 その直後、そこに飲酒運転のトラックが暴走してきた。



 全身を押し潰された友人は即死、突き飛ばされた男の方はかすり傷で済んだ。

 二度までも友人の命を代価にして、その身に事なきを得た男は泣きじゃくるしかなかった。しかし、どれだけ悔いようとも、彼に自殺のようなネガティブな行動は許されない。

 友人が願ったであろう、「生きていて欲しい」という想いを否定しないためにも。




 尊敬する大事な男性を生き返らせたいと願う、自身も死者蘇生ボタンで蘇った少女がいた。彼女は見事に男性を蘇らせる事に成功するが……ほどなくして、刑務所にブチ込まれた。



 罪状は殺人、捜査初期の段階で3人以上殺した事が発覚した。



 どうやら、生き返らせた男性は生前大分モテていたらしく、少女は自分が男性を『世界で一番愛している』か不安になったらしい。そこで、男性の近くにいた妙齢の女性を全て殺してしまったのだ。

 「一番だと思っていたのに、それが裏切られる事もあるって、アタシ達は自分自身で証明しちゃった」と供述したらしいが、おれにその言葉の意味はよく分からなかった。




 ◇ ◇ ◇




 こんな事例が各所で確認されたらしい。

 言っておくが、おれが新聞・テレビ・ネット等で得た情報だけで『コレ』だ。実際には、もっと数え切れないほどの悲劇があったんだろう。


 確かな愛情を持っていたのに、報われない人間がいる。これは、おれにとっては許しがたい事と言える。

 だが、死者蘇生ボタンに関わった全てが不幸になるかというと、そうでもない。中には、ちゃんと報われた例もあるのだ。




 ◇ ◇ ◇




 流産した自分の子供を生き返らせたいと願う、かつての妊婦がいた。『検証』が成されていない最初期にすぐさまボタンを押す事を決断するほどに、彼女は自分が産んであげられなかった我が子の死を悲しんでいた。


 結果として、蘇りは成功。彼女は突然重たくなったお腹をかかえ、その場ですぐに体調不良に襲われた。しかし、「幸せな苦しみね」と終始笑顔だったという。

 この事実は、『検証』を行っていた学者様方には結構な大事件だったらしいが、低学歴のおれには詳しい理由は分からない。




 虐待によって死んだ子供を生き返らせたいと願う、役所の善良な福祉課職員がいた。彼は自分が仕事で関わった案件により、親が子供を虐待していた事実には薄々気づいていた。しかし、『役人と家庭』という立場が邪魔をして、最期まで虐待死を防ぐ事は叶わなかった。


 死者蘇生ボタンが現れた後に、彼は即座に子供を蘇らせた。その子供を『世界で一番愛している』という事実に加え、子供自身の証言により親の虐待が証明され、一切血縁のない職員が子供の親権を勝ち取った。




 世界的に有名な画家を生き返らせたいと願う、リスクの高すぎる賭けに出た画商がいた。しかし、その想いは本物であり蘇りに成功。

 『死んだ後に評価された』という皮肉な来歴を持つ画家自身も、現代では自分の絵が認められている事実に気を良くして、続々と意欲的な新作を描いているらしい。


 そうして出来上がった絵は全て、蘇らせた画商を通さないと買えないというのは……まぁ、当然の役得だろう。




 ◇ ◇ ◇




 そう、彼らは目的を達成した。死者蘇生ボタンを正しく使い、正しく報われた人達は間違いなく存在するのだ。だから問題は、死者蘇生ボタンよりもそれを使う人間の側にあるのだろう。その最たる物が、詐欺という犯罪だ。




 死者蘇生ボタンの成功率を上げる方法がある。

 ボタンを複数回使うやり方を知っていますか?

 実際に蘇った自分が真実の宗教を教えてやろう。




 何せ、事が『蘇り』という奇跡だ。大切な人を失った者が相手で、しかも生き返った実例がハッキリと存在するのなら、人心につけ込む余地はいくらでもある。

 そして、実際にそれで莫大な利益を得た者も多数いた。更には、そうした実例が報道されると、模倣犯も山のように現れるという始末。


 死者蘇生ボタンそのものには善悪などない。しかし、悪事を誘発する材料としては最適すぎた。



 坂道を転がり落ちるように悪化する治安、爆発的に増える犯罪、そこにつけこむ形で氾濫するカルト宗教。そして、ついにはカルトである『再臨教』を母体とする、『国家再生党』なんて物が単独与党となる始末。


 このカルト(もしくは党)は、元々の性質上から人を不安にさせたり煽ったりする事が抜群に得意だった。口では「日本を再生するのは~」とか言いつつも、実質的にやってる事は犯罪の誘発や暴力の扇動に他ならないように感じた。こいつらこそが、諸悪の根源だとさえ思えるほどに。


 国家再生党によって乱された人心は、犯罪や悪事という形で容易に現れた。更には、諸外国をやたらと挑発して、国際関係の緊張感まで高める始末。

 誰かが冗談交じりに、「政府は核戦争でも起こす気かよ」と言っていたが、それを笑える奴はいなかった。「奴らならやりかねない」という、妙な説得力があった。




 ◇ ◇ ◇




 そんな荒れた世の中でも、母やおれは真面目に働いた。他人から「バカ正直」と見下されようと、詐欺にかけられそうになろうと、ひたすら真面目に。

 世の中の流れに呑まれて、人として恥ずかしい行動を取るよりはと。悪事に誘われても、一度として首を縦に振らなかった。


 おれ達母子にとって幸いだったのは、死者蘇生ボタンの影響が少なかった事だろう。


 母もおれも人間関係はそれほど広くはなかった。関わる人が少なければ、蘇らせたいと思う相手も少ない。数少ない対象(おれの上司等)も、その人への想いの強さが世界一なんて自信はない。流石に、自分の命をベッドしてまで、分が悪すぎるギャンブルには出られなかった。


 おれ達の家庭にとって、母と子供だけの関係が確かな物であり、互い以外に死者蘇生ボタンを使う対象も理由もなかったのだ。



 そして、緊張感が激しい世間にもまれつつも数十年間働いて、母は定年退職した。おれも現場ではジジイ扱いであり、未熟ながらも将来性のあるクソガキ共を見守っている。

 こんなご時世でも、大真面目に仕事をして技術を得ようなんて連中だ。願わくば、こいつらが少しでも成長できるように手を貸してやりたいな。



 そうさ、『あらゆる人間は報われるべき』だからな。



 おれを悪事に誘った奴等は、分かる範囲では例外なく悲惨な死に方をした。昨今では銃撃戦なんて珍しくもなく、そりゃあもうあっけない終わり方だった。詐欺を行っていたグループは、再臨教に吸収されて下僕扱いか、あるいは抵抗して叩き潰された。


 結局、悪い連中は報われなかった。当然だ。何故なら……。




 あいつらは、『人間』じゃなかったんだから。




 世の中の混乱に乗じて、濡れ手で粟をつかもうとする。しかも、それが人の心を欺瞞するような方法でだ。こんな連中を、おれは人間とは認めない。畜生以下だ、報われるわけがない。




 ◇ ◇ ◇




 そう、だから……この混沌としたご時世の中、病院のベッドで笑顔で大往生した母は、人間と言える。笑いながら死ねるなんて贅沢、その人生が報われた者でなければ不可能だ。



「やぁマモル君、お母さんの事は実に残念だったね」



 同時に思う。コツコツ貯めた母の遺産を狙う、コイツらのような自称親族連中は、どう考えても人間じゃない。こいつらが報われるはずがない。

 張り付いたような笑みを浮かべて、喪服に身を包んだ優男の顔を見るだけで舌打ちしたくなる。

 唯一『親戚』と言われても納得できる、おれが子供の頃に面倒を見てくれた叔父だけがいないのが、むしろ笑いを誘う。



 そう、報われてはいけない。だからこそ、ここでおれが母に死者蘇生ボタンを使う価値がある。



 現行の法律では、一度死んだ者が死者蘇生ボタンで蘇った場合でも、本人が所有していた財産は『遺産』扱いとなって分配される。つまり、蘇ってもスカンピンである事が確定しているのだ。


 どうしてこんな法律ができたかというと、蘇った者が生活するために、自分の遺産の返還を求める事例が後を絶たなかったかららしい。元々は『自分の物』なんだから、正当な所有権だと言えなくもない。

 しかし、いちいち返還に応じていたらマトモな遺産の分配は滞る。あるいは、過去に領土や植民地を所有していた大人物が蘇った場合、再度の奴隷制度等が復活する可能性すらある。


 だから政府は、蘇った者には何一つ返還しない事にした。責任を負うべきは生き返らせた者で、蘇生した者は真の意味で『第二のスタートライン』から始めるしかないと。


 稀代の悪法とされ、今の政府の狂いっぷりを証明する制度だが……今のおれにとっては、この法律を利用した方が、母の遺産目当ての連中には一泡吹かせる事ができる。



 おれが母を生き返らせようが生き返らせまいが、遺産の分配が行われる事は変わりがない。しかし、母が蘇生した場合の『その後』を考えると、自称親族連中は怖くて仕方ないだろう。


 何も持たない者は、捨てる物がない。捨てる物がないなら、どんなハイリスクな行動だって取れる。


 実際、この『遺産を返還しない』法律ができてから、犯罪率は一気に上昇した。折角蘇ったのに、自分の物が全て奪われた上、法律で保護されて返ってくる見込みがないのだ。

 ヤケになる奴が続出するのも当然と言える。稀代の悪法の一端、と言った所だ。


 実際には、仮に母が蘇ってもそこまで無茶な事はしないだろうが……自称なだけで、本当は母の事など何も知らない親族連中には、そりゃあもう恐怖だろう。



 だから、自称親族達はおれが死者蘇生ボタンを押して、母が蘇るのを必死に止めようとする。あの手この手を使い、目をギラギラさせながら詭弁を垂れて、母を死んだままにしておけという。


 だが、おれは知っている。母が蘇りを望んでいた事を。いや、正確には失った過去を望んでいた事を。



3.押した瞬間、その人物が最も生き返らせたい対象を、全盛期の姿ですぐそこに蘇らせる。



 母は学生時代におれを出産し、その後はシングルマザーとして必死に働いてきた。だが、その心の奥には失った青春への憧れがあったのだろう。母の第二の口癖である、「若い身空で~」というのが良い例だ。


 働いて、資格を取って、子育てをして、気が付けばもう決して若くない。


 死者蘇生ボタンのルールである、『全盛期』に夢を見るのもむべなるかな。口にこそ出さなかったが、母はおれに死者蘇生ボタンを押しもらい、若返るという可能性を夢見ただろう。

 母を蘇らせられるのはおれだろうし、仮におれが死んだ場合は、おれを蘇らせられたのは母だろう。



 おれ達の家庭にとって、母と子供だけの関係が確かな物であり、互い以外に死者蘇生ボタンを使う対象も理由もなかったのだ。



 若返りという母の望み。そして、人間とは到底認められない自称親族達の望みを絶つ機会。こうして火葬場の控え室で思索にふけっている間も、監視役である自称親族の一人から強いプレッシャーを感じる。

 しかし、そんな物はそよ風同然。例えコイツらが暴力に訴えようとも、ボタンを押すのは一瞬だ。止められはしない。


 おれを監視している奴も、何か空気を感じ取ったのか慌てて他の連中を呼び出す。そんな滑稽な姿を目の端に捉えながら、おれは死者蘇生ボタンを出現させ――




 ――結局、ボタンを押さずに……何もせずにする事に決めた。




 おれがボタンを取り出した瞬間は、悲鳴を上げそうになってた自称親族。そいつは、汗だくになりながら気の抜けた声でおれに訪ねた。



「その……マモル君のお母さんの蘇りは、諦めたのかい?」


「諦めたわけじゃない、元々蘇らせる気はなかった」


「そ、そうか、こちらの説得が通じたのかい? それとも、生き返らせる自信が無い……グェッ!」



 思わずそいつの胸ぐらを掴んだら、怪鳥のようなケッタイな声を出した。



「馬鹿かお前は? お前らの言葉なんて馬耳東風だし、母を蘇らせる事に関しておれには自信しかない。おれ以外の一体誰が、母を蘇生させられるってんだ」


「ゲホッ……じゃ、じゃあ、どうしてボタンを使わなかったんだ!?」


「決まっている。おれ自身の矜持と、母の教えに基づいた考えからだ」


「……? ご、ごめん、ちょっと理解できないかな?」


「別にいいさ、お前に……人間じゃないお前らなんかに理解されなくたって」



 そう言い残して、おれはその場を離れる事にする。後には何かわめく連中が残されていたが、それは些細な事だろう。




 おれの矜持、「あらゆる人間は報われるべきだ」

 母の一つ目の口癖、「生きてて恥ずかしくない人間になりなさい」


 じゃあ、それをさっきの状況に当てはめたらどうなるか。

 そもそも、母は既に報われている。若さに対して若干の後悔を残しつつも、病院のベッドで笑顔のまま大往生だ。これ以上の死に方がどこにある。


 それなら、更に報われるために若くして蘇らせるのは? それはダメだ、ダメなんだ。

 おれが思い出したのは、小さい頃に母に褒められた言葉だった。



「子供っていうのは、色々と大きくなるもんだねぇ。産まれて、成長して、生きて……この先はどうなるんだろうね?」



 決まっている。子供に限らず、人間とは産まれて、成長して、生きて……そして、死ぬのだ。それが人間なのだ。そうあるべきなのだ。


 死者蘇生ボタンそのものには善悪などない。


 しかし、これは『ダメ』だ、善悪云々以前に『ダメ』なのだ。死ぬ事の否定は人間の否定だ。『あらゆる人間は報われるべきだ』というのなら、蘇った者はもう人間ではない。すなわち、報われるかどうかなど分かりはしない。



 母も、それは理解していたのだろう。だからこそ、若返りの望みは抱きつつも口には出さなかった。

 おれを泣き落とす事もできたろうに、最期まで恥ずかしくない生き方を貫いたのだ。



 その意思を汚す事など、おれにはできない。

 死者蘇生ボタンを押さない事こそ、おれにとって最後の親孝行だった。




 おれの目の前には一つのボタンがある。それは、おれの母の生き様とは無縁の代物。それは、周囲の望みとは無縁の代物。それは、『死者蘇生ボタン』と呼ばれている。

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