01.夜路戒理と夜路陽蘭紗(前編)
僕の目の前には一つのボタンがある。それは、今は亡き妻を蘇らせられる可能性。それは、僕に妻の後を追わせる可能性。それは、『死者蘇生ボタン』と呼ばれている。
この死者蘇生ボタンは、今から半年程前にいきなり全人類の手元に舞い降りた。ご丁寧な事に、頭の中に直接ルールや使用方法を響かせる形で、だ。その項目は大きく分けて8つ。
1.このボタンは、満15歳以上ならどんな人間でも一生につき一回だけ押せる。
2.ボタンを押す事自体は、明確な意識を持っている時に強く念じれば、いつでもどこでもすぐに可能。
3.押した瞬間、その人物が最も生き返らせたい対象の人間を、全盛期の姿ですぐそこに蘇らせる。
4.ただし、ボタンを押す者がその瞬間【死んだ対象を誰よりも愛している】事が蘇りの条件。
5.「4」の条件を満たさないままにボタンを押すと、押した者が死ぬ。当然蘇りも行われない。
6.対象が実は死んでいなかった場合も、ボタンを押した者は死ぬ。
7.ボタンの譲渡・放棄・売買・破壊・他人の使用は一切不可能。
8.死者蘇生ボタンが配られる以前に死んでいた者には、上記一切の権利がない。
独裁国や紛争中の国等、人の命が軽い国を皮切りに多くの『検証』が成された。結果、上記の条件は全て正しく、厳密に線引きが行われている事が判明。
ある者は神の祝福だと歓喜し、またある者は悪魔の誘いだと激昂した。法律や宗教の仕組みなども大幅に変化し、世界は今でも死者蘇生ボタンの扱いを巡って議論が絶えない。
様々な解釈がある死者蘇生ボタンだが、今の僕――夜路 戒理――には重要な事ではない。大事なのはただ一つ、このボタンが僕の妻を蘇らせる可能性を秘めているという点だ。
僕の妻――夜路 陽蘭紗――は美しく賢い女性だった。自分の能力を把握した上で、人間関係にも気を遣える淑女といえた。時には壁の花に徹し、時には自分の美貌を利用し、老若男女の分け隔てなく広大な人脈を築いていた。海を超え国境を超え、地球の裏側にまで繋がりを持つ程に。
対照的に僕は、会話の中に混ざると無意識に人を煽って、不安にさせたり怒らせたりするコミュ障だ。どんな言葉遣いや所作が悪いかも分からないから、本当に救いようがない。あえて長所を挙げるなら、才能のある他人を見抜き、その力を使ってもらう……コバンザメのような能力。
そんな、誰にでも愛される彼女と、誰からも愛されない僕。
だからこそ、僕が何一つ持ってない魅力に満ち満ちている彼女だからこそ、強烈に惹かれた。
男連中から陽蘭紗へのアプローチもひっきりなしだった。それを見た上で、密かに想いを寄せていた僕はヤキモキするばかりで。僕よりはるかに見目が良く、話術や運動にも優れていた根鳥も陽蘭紗に言い寄っていたが……しかし、どうした事か彼女が選んだのは僕だった。
これまで、異性から抜群にモテていたであろう根鳥なんかは、僕如きに負けた事にそれはもう悔しがっていた。
不思議でしょうがなかった。僕のアタックはダメ元、あるいは思い出作りと呼ばれるような、とうてい勝ち目のない物だったのだから。何故僕を受け入れたのかという、今にして思えば随分失礼な質問に対して彼女はこう答えた。
「戒理さん、あなたこそが誰よりも私を愛していると感じたからです。惚れた理由は、容姿でも頭脳でも話術でも何でもいいのです。私に想いを寄せた数ある人達の中から、最も強い気持ちを選びました」
陽蘭紗は、美しく賢いだけでなく敏感な女性でもあったらしい。数多くの人と関わる上で、他者の意思を察する能力に長けたのだろう。
そのおかげで僕は彼女を射止める事ができ、尚且つ彼女への想いも保証されたので、僕にとっては何よりも歓迎すべき事柄であった。
そして、陽蘭紗の「誰よりも私を愛してくれる」という言葉は、思いの外真摯……というよりは、融通の効かない物だったようだ。
◇ ◇ ◇
僕は陽蘭紗と付き合ってからしばらくして、彼女との初デートへとこぎつけた。ただ、そこで僕は色々とやらかしてしまった。
予約した店の時間を間違える・会計で小銭を床にブチ撒ける・プレゼントのアクセサリーは自宅に忘れてきた……壮絶なまでの大失敗を犯した僕は、色の無い表情をしていたと思う。それでも陽蘭紗は一切負の感情を見せず、僕が何をしようとにこやかなままだった。
一方、偶然にもその一部始終に出くわした根鳥が、僕の失態をあげつらった時なんかは烈火の如く怒った。愛する女とのデートでそんな無様を晒す僕を、「愛情不足なんじゃないのか?」と嗤う根鳥に対して、暴力に訴えんばかりの勢いでだ。
僕は分からなかった。根鳥の嘲笑は、褒められる物ではないにせよ筋の通った物だったはずだ。僕に対しては終始微笑み、根鳥に対しては何故あんなにも激高したのか? 僕は聞いた、彼女の真意が知りたくて。すると、こんな答えが返ってきた。
「ですから、私にとって何より重要なのは、『あなたこそが誰よりも私を愛している』事なのです。私を好いている人達の中で、最も強い気持ちを持っている事。それ以外には、大した価値はありません。だからこそ、あなたの愛情を疑った根鳥さんに対しては、私の矜持を汚されたという怒りも相まって食ってかかりました」
僕は胸が打たれたような気持ちだった。
それほどまでに、彼女は僕の愛情を信じてくれているのだ。多くの男に想いを寄せられ、人心に敏感な陽蘭紗だからこそ、その言葉には説得力があった。
「まぁ、あえて身も蓋もない言い方をするならば、今日の戒理さんの行動はプラスにもマイナスにもなりませんでした。私があなたに求めるのは、『私を誰よりも愛してくれる事』ですから。そこにあるのは想いだけで、行動は関係ないのです」
……信じてくれてはいるが、融通の効かない物だという事も実感した。
そんな一幕もあったけど、陽蘭紗と共にあった日々は夢のようだった。勉強も就職も、彼女と一緒になるための試練だと思えば何の苦にもならなかった。精神的に辛い事があっても、陽蘭紗を抱いていれば全てを前向きに考える事ができた。
根鳥を始めとして、「釣り合わない」と言われた事も一度や二度ではなかったが……互いに何より強い愛情で結ばれている者達は強い。
無事に結婚までこぎつけ、その後も妻の事を想うだけで公私全てが充実していた。
◇ ◇ ◇
しかし、そんな素晴らしい日常は突如として終わった。まぁ、よくある交通事故だ。霊安室で見た彼女の遺体が、所々欠損してグチャグチャなのに、尚も美しかった事だけは印象に残っている。
居眠り運転をしていた加害者は、こちらに相応の慰謝料を支払い交通刑務所に行ったが、だからと言って妻が帰ってくるわけでもない。
その時から僕は生きる屍になった。特に理由もないから死んでいないだけで、積極的に何か活動するわけではない。
失って初めて理解できる物事がある。僕にとって、妻はまさしく半身以上の存在だったのだ。
半身を失った人間の行き着く先など決まっているだろう。このまま心も体も腐って、特に何の意味もなくいつかどこかでポックリと亡くなる。
だが、そんな未来は死者蘇生ボタンによって覆された。頭に響いた『説明書』と目の前にある手の平大のボタンを見て、僕はとうとう気が触れたかと考えた。
しかし、ニュースを見るとこの現象は全世界で起きているという。『死者蘇生』の可能性。それは、今の僕には唯一にして絶対の希望だった。
即座にボタンを押したい衝動に駆られるが、そこで最後に残った理性が待ったをかける。このボタンが本物だという保証がどこにある? 『これ』はどう考えても異常だ、本当に何が起こるかわからない。
何も起こらないだけならまだしも、何かの間違いで妻の記憶すら失ってしまう可能性すらある。当時は使用例が殆どなかったため、一度疑心暗鬼になると中々ボタンを押す踏ん切りはつかなかった。僕は焦れる気持ちを必死に抑え、自分自身でも積極的に『検証』に関わっていった。
◇ ◇ ◇
それから半年。
死者蘇生ボタンは、人間社会に途方もなく大きな影響を与えた。
ボタンを押しても蘇らせる事ができず、ただ無為に人が死ぬ事は何度もあった。しかしそれと同時に、かつて失ったはずの、かけがえのない人を取り戻した事例も少なくはなかった。
功罪併せ持つ死者蘇生ボタン。しかし、今の僕にとっては大事ではない。先にも思った通り、大事なのはただ一つ。このボタンが僕の妻を蘇らせる可能性を秘めているという点だ。
このボタンを押して、妻が蘇れば万々歳。しかし、もしも彼女が蘇らず僕が死ぬだけだと考えると……正直、怖気が走る。
僕が死ぬこと自体は怖くない。妻のいない人生に未練なんてないからだ。怖いのは、僕の持つ彼女への想いが否定される可能性がある、という事だ。それこそが、死者蘇生ボタンの条件の4つ目。
4.ただし、ボタンを押す者がその瞬間【死んだ対象を誰よりも愛している】事が蘇りの条件。
ここでいう【死んだ対象を誰よりも愛している】とは、自分が『生き返らせたい誰か』に向けている愛情が、この世に生きている他の誰よりも勝っている、という事を示す。
つまり、ボタンを押しても妻が蘇らなかったら、僕は彼女への想いでこの世界の『誰か』に負けている事になる。これは、今は亡き妻の思い出にすがって生きている僕にとって、トドメを刺されるに等しい恐怖だ。
無論、妻を愛しているという自信はある。しかし、死者蘇生ボタンの条件である『愛している』とは、男女間の愛だけではない。肉親への想い・友人同士の情・尊敬の念・崇拝の気持ち。
そうした愛も全て考慮されるという『検証』がなされた。まぁ、どういうわけか性欲だけはカウントされなかったようだが。
妻は男女問わず友人が多かったし、彼女のご両親(僕の義父母)も強く娘を愛している。あえて嫌な言い方をすれば、妻はいつ・どこで・誰から好意を寄せられていても不思議ではないのだ。いみじくも彼女自身が言っていた通り、「私を好いている人達の中で~」という事だ。
妻の人を引き付ける魅力が、この時ばかりはネックだった。彼女が死んで悲しんだ者は大勢いた。通夜においては、根鳥も人目をはばからず泣いていた。
彼は「失って初めて分かったんだ!」と、くしくも僕と同じ真理に到達したようだった。学生時代はチャラいだけかと思っていた彼も、妻へ向ける感情は真摯な物だったのだろう。
それだけに、今ここにある死者蘇生ボタンという奇跡の扱いは難しい。誰にでも愛された陽蘭紗、誰からも想われた妻、誰が一番愛していたのか判然としない彼女。
ここで死者蘇生ボタンの取り扱いを間違えれば、妻が生き返らないだけでは済まない。ボタンを押した者も死んでしまうのだ。妻への愛情を否定され、その上で何一つ報われず死ぬ。無駄死にここに極まれりだ。もしも『それ』が僕になってしまったら……僕は、そんな未来が途方もなく怖い。
しかし、いつまでもグズグズしてはいられない。妻を生き返らせたいのは勿論の事ながら、周囲からのプレッシャーが中々に無視できないのだ。
妻を失ってからは、周囲はむしろ僕を気にかけてくれていた。僕が彼女にベタ惚れだったのは周知の事実だったし、ショックのあまり人間とは思えない表情と声を絞り出した(らしい)僕は、それはもう大いに同情を集めた。
ただ、死者蘇生ボタンがあるとなれば話は別だ。『ベタ惚れだった』なら、僕が死者蘇生ボタンを押すのが筋というものだし、妻の親類・友人・仕事仲間といった、あらゆる人間が僕が彼女を蘇らせる事を期待した。
妻が死んだ後は全てがどうでも良くなっていたはずだが、生き返る可能性が出ると、途端に自分や周りの世間体が気になるから、現金なものだ。しかしそれもまた、妻が僕だけでなく周囲からも愛されていたという証左なのだろう。
とはいえ、前述の通りこのボタンは得体が知れない。『検証』が終わるまで何とか待ってもらい……ようやく今日、妻の生前の付き合いからの圧力。そして何より、僕自身の『妻を生き返らせたい』という気持ちが抑えきれず、僕が妻の蘇りを目的として死者蘇生ボタンを押すに至った。
彼女の実家に半ば強制的に連れて来られ、かつて妻が使っていたという部屋に通され、僕を一人きりに隔離した上でボタンを押させようという塩梅だ。
現状でもこの小部屋の下にあるリビングでは、僕がボタンを押す瞬間を、妻の縁者達が今か今かと待っているだろう。
正直、恐怖はある。僕は妻をこの世で一番愛していられるのか。その結論が、この手の平大のボタンを押す事で決まってしまうのだ。思わず気後れして、彼女との記憶を反芻する。
出会ってすぐの一目惚れ・僕のつたないコミュニケーション・それを笑わず真摯に対応してくれた陽蘭紗・割り込む有象無象の男ども・中でもやけにしつこかった根鳥・でも彼女は僕を選んでくれて……。
そこで気づいた、気づけた。いや、妻が気づかせてくれた。そうだ、かつて彼女自身が言っていたではないか。
「戒理さん、あなたこそが誰よりも私を愛していると感じたからです。惚れた理由は、容姿でも頭脳でも話術でも何でもいいのです。私に想いを寄せた数ある人達の中から、最も強い気持ちを選びました」
今更だった、妻自身が保証してくれたのだ。僕は誰よりも彼女を愛していると。
気持ちは固まった。もう、このボタンを押す事にためらいはない。妻への愛情を疑わない。彼女を生き返らせる事を恐れない。
そして、僕が死者蘇生ボタンに手をかけ、今まさにボタンを押そうとした時――
「止めて下さい戒理さん、私はあなたが無駄死にする事を望みません」
――そんな風に、何より愛しい、今までずっと聞きたかった声が聞こえた。
かつて妻が使っており、今は僕が死者蘇生ボタンを押すために設けられた小部屋。そこで開け放たれたドア。
ストレートの黒髪・知性を感じさせる瞳・薄い唇・卵型の輪郭・スッと通った鼻・落ち着いた声・全体的に柔らかい雰囲気。そこに立っている女性は、明らかに「夜路 陽蘭紗」である。あれほど焦がれた妻だ、見間違えるはずがない。
「陽蘭紗? 僕は、いつの間にボタンを押したんだ……?」
僕は問う。極度のストレスからの幻覚や幻聴も疑ったが、ツカツカと歩いて僕の手を握る彼女の手の温もりがそれを否定する。階下やドアの向こうでは混乱が起きているらしいが、今は知った事ではない。
妻は……陽蘭紗は間違いなく生きている。いや、生き返った。彼女の死は間違いなく確認したし、それが蘇るともなれば、これはもう死者蘇生ボタン以外ありえない。
しかし、一体誰が『押した』のだ? いや、僕以外に誰がいる? しかし、僕にボタンを押した記憶はまるで存在せず……僕は、ただただ困惑するばかりだった。
「戒理さん、単刀直入に言いましょう。私は根鳥さんが押した死者蘇生ボタンによって、この世に蘇りました」
…………理解ができなかった。根鳥がボタンを押した、それはいい。彼はそれほどまでに陽蘭紗を愛していたのだろう。それこそ、自分の命を賭けるほどに。
「でも、それで君が蘇るはずがない! 根鳥は無駄死にをしたはずだ! いや、そうじゃなきゃいけない! でないと! それじゃ! まるで!」
「まぁ、オレの方が陽蘭紗を愛していたって事だわな」
そして、ザワつくドアの向こうをかき分けて、この場にもう一人の役者が現れる。
仕立ての良いファッション・学生時代は茶色だったのに今は黒い短髪・強気な瞳・全体的な雰囲気はいかにも『デキる男』で……いや、それ自体はどうでもいい。
こいつは、根鳥は今何と言った!? 「オレの方が」だと!? しかし、根鳥はなおも続ける。
「最初はちょっとコナかけるだけのつもりだったんだけどな。それでも、接する内にオレは陽蘭紗に夢中になっていった。しかし、陽蘭紗はお前を……戒理を選んだ。憤りもしたが、その理由が『戒理こそが誰よりも陽蘭紗を愛しているから』と来たもんだ。何というか、すっげぇ負けた気がしたぜ」
「そうだ、彼女のその言葉こそが何よりの証拠だ! 陽蘭紗は人の感情に敏感だって事も知ってるだろう? 彼女を一番愛しているのは、間違いなく僕だったんだ!」
しかし、根鳥はそれでも揺るがない。むしろ、僕を哀れむように事の経緯を告げる。
「そう、お前『だった』んだ。でも、今は違う。陽蘭紗を事故で失って初めて気づいたよ、オレは彼女をトコトンまで忘れられなかったんだって。事故死以来、オレから陽蘭紗への愛情は募るばかりだったよ。それこそ、戒理を上回るんじゃないか、ってレベルでな。だから賭けた。どっかの誰かは知らねえが、『愛情を測れる装置』を配ってくれたからな」
4.ただし、ボタンを押す者がその瞬間【死んだ対象を誰よりも愛している】事が蘇りの条件。
「オレは自分の命をチップにして、陽蘭紗への愛情を確かめた。お前が彼女に向ける想いの強さも分かってたから、分の良い賭けとは思ってなかったが……結果はジャックポットだ。オレが押したボタンにより、陽蘭紗は生き返った」
そして根鳥は告げる。勝利宣言を、大きな賭けを成功させた者特有のシニカルな笑みで。
「だからまぁ、オレの方が陽蘭紗を愛していたって事だわな」
「…………」
僕は何も言えない。根鳥の方を見る事は到底できず、陽蘭紗に対して怯えた目を向ける。そして、彼女はこう言ったのだ。
「戒理さん、私はあなたを裏切ります。証明されてしまったから、愛情が。今はもう、私を誰より愛してくれるのは戒理さんではないから。私は、数ある人達の中でも私を誰より愛してくれる人に従うという、自分自身の矜持を遵守します。
死者蘇生ボタンの事で、法曹界も混乱しています。私とあなたの離婚と、そして根鳥さんとの再婚は容易く行われるでしょう」
そう、陽蘭紗は美しく賢く……そして、人の感情に敏感であり、死者蘇生ボタンという『証拠』もある。彼女に向ける想いが一番強いのは、僕ではない。
「どうか私を恨んで下さい。お金が必要ならいくらでも支払います、命に関わらない範囲でなら好きに殴って下さい、悪評を振りまくのも当然の権利です。しかし、殺す事だけはどうぞご勘弁を。折角、私が再び得た命なのですから」
僕は何も言えない、言う資格がない。僕は彼女の『最愛』でないと証明されてしまったから。
そうして、彼女と根鳥は小部屋を出て行く。後始末は大変だろうが、彼女達ならやりきるだろう。互いに何より強い愛情で結ばれている者達の強さは、僕自身がよく知っている。
ようやく事態を把握した者達が、口々に何か言ってくるが、僕はそれを適当に聞き流す。その中には、陽蘭紗や根鳥への非難も含まれているが、僕はそれに同意しない。
彼女のやった事は、言い訳のしようがない不実だが……それでも尚救えないのが、僕がまだ陽蘭紗を愛しているという事だ。恋は盲目、惚れた方が負け、よくぞ言ったものだ。
しかし、僕は諦めない。彼女を失って二度と戻らないあの絶望感に比べれば、まだ救いがある。陽蘭紗が確かに生き返ったという事実があれば、どうにでもなる。
僕の目の前には一つのボタンがある。それは、かつての妻を僕の元に引き戻す可能性。それは、僕を大罪人にする可能性。それは、「死者蘇生ボタン」と呼ばれている。