第9話 秘密
2人は怪しく無い程度に近所をうろつきながら長谷川家の様子を窺った。大きくて手入れが行き届いている、という以外は特に変わったところはない(大きくて手入れが行き届いている、という時点で変わっているのかもしれないが)。
「友達ってのは?」
「長谷川友香っていうクラスメイトです」
「今、家にいるのか?」
「いると思います」
「よし、じゃあ正面から行くか」
和彦がそう言って門に向かおうとした瞬間、玄関の扉が内側から開いた。和彦も寿々菜も驚いて電柱の影に隠れる。
玄関からは黒い服の女が1人、出てきた。
「あ!あの人です!」
「あれが瀬田文子、か。ヒッキーとはどういう関係なんだろう」
「ヒッキー?」
「気にするな」
人には細かく説明させるくせに、自分は細かい説明をしない和彦である。
文子はポーチと少し大きめのトートバックを持っている。どうやら長谷川家での仕事を終えて帰るようだ。
「後をついていきますか?」
「いや。後をついていっても分かるのは家の場所くらいだろ。俺達は警察手帳を持ってないから聞き込みもできない。それより寿々菜の友達に瀬田文子のことを聞く方が情報をたくさん得られる」
「なるほど!あ、でも・・・」
「どうした?」
急に黙り込んだ寿々菜を和彦が見下ろす。
「今日、友香の様子が変だったんです」
「どんな風に?」
「彼氏の話に妙に食いついたり、いつもは芸能人に興味ないのに『KAZUに会ってみたい』なんて言ったり、なんだかイライラしたり・・・体調が悪いせいかもしれませんけど。お手伝いさんについての質問なんかに答えてくれるかな」
「俺、同じような症状の女、何人か見たことあるぞ」
「え?」
「妊娠してるんじゃねーの?その彼氏の子を」
「ま、まさか!!!」
和彦の意外すぎる言葉に寿々菜は思わず声を大きくした。
「そんなこと、ありません!」
「どうして分かる?」
「だ、だって友香がまさかそんな・・・それに、彼氏の大谷君って人もかっこよくて頭も良くて・・・レベルの高い高校の生徒だし、ほら、事務所の近くにある立派な予備校にだって通ってるんです!そんなこと・・・」
「それとこれとは話が別だろ。妊娠したけど彼氏に話せず悩んでる、もしくは相談したけど冷たくあしらわれた、ってとこじゃねーの?」
「違います!絶対違います!!!」
「しっ」
和彦が寿々菜の口を手で押さえた。寿々菜の大きな声に文子が立ち止まって振り返ったのだ。だが、電柱の後ろに隠れていたので文子から寿々菜達は見えなかったようで、少し首を傾げてまた歩き出した。
「・・・ふー、危ねえ」
「むぐぐぐぐ」
「あ、わりい」
窒息寸前の寿々菜を解放してやる。息苦しかったのは事実だが、和彦の手で口を塞がれていたのでそういう意味でも苦しかった。
「見た目、普通の女だな」
「か、和彦さん、あのお手伝いさんを疑ってるんですか?」
寿々菜が赤い顔で訊ねる。
「今の段階ではなんとも。でも、嘘をつくってことは何かを隠してるんだろうな」
「・・・」
そういう意味では、友香も何か隠しているようだった。まさか友香が事件に関わっているなんてことはあるまいが・・・それに、妊娠を隠しているなんてこともあるはずがない!
「よし、いこーぜ」
「え?どこにですか?」
「だから、寿々菜の友達に会いにだよ。本音か建前かしらねーけど、俺に会いたいって言ってたんだろ?」
「そうですけど・・・え、今から?」
「今から、だ」
そう言うや否や、和彦はさっさと長谷川家の門の前に立ち、インターホンを押してしまった。寿々菜は焦ったが、今更ピンポンダッシュする訳にもいかない。
しばらくしてインターホンの向こうでザーッという小さな機械音と共に友香の声が聞こえてきた。和彦が寿々菜をインターホンのカメラの前に立たせる。
『はい』
「あ、っと、友香?」
『寿々菜?どうしたの?忘れ物?』
「ううん、ちょっといい?」
『うん』
インターホンが切れる音がする。
「友香に会ってどうするんですか?」
寿々菜がそう訊ねると和彦は、
「顔色見て、妊娠してるかどうか当ててやるよ」
と意地悪く笑ったのだった。
「本物のKAZUを連れてくるなんて、ビックリした!」
寿々菜と和彦は、再び友香の部屋でお茶を振舞われた。文子が帰ってしまっているので友香が入れてくれたのだ。その友香も、いつもは芸能人に興味ないとはいえ、毎日テレビで見ている顔が目の前にあるとさすがに少し興奮している。
「はじめまして。寿々菜の友達にこんな可愛い子がいたなんて知らなかったな。友香ちゃんこそ芸能人になれるよ」
・・・まあ説明の必要はないが、今の言葉はKAZUモードの和彦の口から発せられたものだ。寿々菜にとってはこういう和彦はもはや新鮮で、友香が羨ましくさえある。
「急に悪かったね。それに体調が良くないって寿々菜に聞いたけど大丈夫?」
「はい!うわー、KAZUが私の心配してくれるなんて、なんだか凄い!ね、寿々菜?」
「そうね」
と、素っ気無い。
「あ、寿々菜がヤキモチ妬いてる」
「あはは」
あはは、じゃない。しかし和彦がここに来た目的は友香に会うためではない。もちろん瀬田文子について調べる為だ。
どうやって話を文子の方に持っていこうか。和彦は「ネタ」を探して友香の部屋を不自然ではない程度に見回した。
「あれは?」
机の方を指差し、友香に尋ねる。
「ああ、写真ですか?あの小さい女の子は私、隣は亡くなった父です」
「お父さん、亡くなったの?」
「はい、10年前に事故で。私と父の最後の写真があれなんで飾ってるんですけど、アレじゃあしんみりって感じにならないですよね」
「アレ」というのは、写真の中の2人がタイガースの法被にメガホン、といういでたちのことをさしているのであろう。しかも後ろに映っているのは甲子園のアルプスらしい。
和彦はKAZUスマイルで微笑んだ。
「タイガースファンだったんだね」
「はい、父らしいと思います。あの法被が私にとっては形見みたいなものなので、今でも大事に取ってあるんです」
「素敵な話じゃない。写真も、とてもいい写真だと思うよ」
「ありがとうございます」
よし、ちょっと強引だがここから切り込むか。
和彦は頭の中で話の筋道を組み立てた。
「事故って交通事故?」
「はい。でも車の事故じゃなくて電車の事故なんです」
「電車?」
「線路に入って轢かれちゃったんです。父はお酒に強い人だったんですけど、随分飲んで酔っ払っちゃったらしくって」
「そうなんだ・・・ごめんね、辛いことを聞いて」
「いいえ」
「そういえば、事故じゃないけど昨日ここの近くで事件があったのは知ってる?」
和彦がそう言ったとたん、穏やかな笑みで話していた友香の表情が微妙に強張る。
「・・・さっき寿々菜から聞いて知りました」
「まだ犯人が捕まってないそうだから、友香ちゃんも気をつけてね」
「はい」
嘘だな。
和彦は友香の肩越しに見える机の上の新聞を見て思った。事前に寿々菜から友香は毎日新聞を読んでいる秀才だと聞いている。ホームレス殺人事件の記事は場所まで詳しく書いてあった。毎日新聞を読む人間が、自分の家の近所で殺人事件があったという記事に気づかないはずがない。
こいつ、何か知ってる。
和彦にはその「何か」の予想はついていた。
しかし和彦は、その予想を確信に変えるためにもう一歩踏み込んで友香にあるお願いをし、友香の反応を確かめようとしたのだが・・・
「え?どうしてそんなものを見たいんですか?」
友香は眉をひそめた。だがそれは和彦が期待していた反応ではなく、唐突な和彦の頼みを不思議に思っているだけのように見える。
・・・なんだ?俺の推理間違いか?だけど・・・
「ごめんね、ちょっと気になって。いいかな?」
「いいですけど・・・どこに置いてあったかな?お父さんとお母さんの寝室だと思うけど」
友香は立ち上がると、和彦と寿々菜と共に両親の寝室へと向かった。