第7話 謎の女、再び
寿々菜が不貞腐れて1人でパフェとケーキを見事完食している間、和彦と武上は現場近くに戻っていた。正確には、現場近くの女性ホームレスの家の前に、だ。
「ヒッキーのこと?わたしゃ知らんよ」
黒い歯で短いタバコを吸っている女ホームレスがすげなくそう答える。この女ホームレスは昨日までヒッキーの隣に住んでいたということで、散々警察から事情聴取されたのだろう、武上の警察手帳を見るなり顔を歪めたくらいだ。
しかし武上の質問は、今までの刑事とは違っているようで。
「ヒッキーさんのところに女性が来ていた気配はありましたか?つまり・・・」
「やってそうだったってことかい?」
急に女ホームレスがいきいきしだす。逆に武上はこうやって明け透けに言われるのが苦手なので思わず口篭った。だが実際、この女ホームレスの言う通り、そういうことを知りたくてここに来たのだ。寿々菜を連れてこなかった理由もそこにある。
武上が「ええっと、あの」とオロオロしていると、こういうことが苦手ではない(得意な?)和彦が武上からバトンを受け取った。
「そうそう、そーゆーことだよ。ダンボールの家なんだから、隣でやってりゃ分かるだろ」
「警察も変なこと聞くんだねえ」
女ホームレスはニヤニヤ笑い、ふーっと煙を吐いた。
「でも残念ながら、そんなことはなかったね」
「本当か?」
「ああ。私だってヒッキーのところに女が来てるときは、聞き耳を立ててたんだ。でも掃除をしてる気配はしても、濡れ場の気配はしなかったね」
「ふーん。じゃあ2人は恋人ってわけじゃなかったってことか」
「そんなの分からないよ。もしかしたらここでやるのが嫌で、女の金でホテルに行ってたかもしれない。特段裕福そうな感じの女じゃなかったけど、亭主に内緒でラブホテルに行くぐらいの金は持ってるだろ」
どうやらこの女ホームレスの中には勝手な妄想が広がっているらしい。だがそう考えると、さっき長老が、ヒッキーは風呂にも入っていたらしい、と言っていたのも頷ける。
「んじゃ、2人が一緒に歩いてるところとかは見たことあるか?」
「うーん・・・ないねえ。というか、ヒッキー1人でも家から出ることなんてほとんどなかったし」
「なんだ、じゃあホテルに行ってる可能性なんて低いじゃねーか」
「どうだかね。そんなこと私にゃわからんよ」
自分の妄想に水を差されたのが気に食わないのか、女ホームレスは急に不機嫌になってタバコを踏んで消し、立ち上がった。
「あ、ありがとうござました」
武上が慌てて礼を言う。
「謝礼金とか出ないのかい」
「警察はそういうことをしてはいけないので」
「フンッ!ケチだね!税金をたんまり貰ってるくせに」
てめーは絶対税金払ってねーだろ。
と、高額納税者の和彦は思うのだった。
女ホームレスが家に入ったのを見届けると、武上はため息をついた。
「アテが外れたな。被害者の家にも女を匂わせるようなものはなかった」
「女はヒッキーの存在を周囲に隠したがったかもしれねーけど、ヒッキーはそんなの隠す必要もないのにこれだけ女の痕跡がないってことは、やっぱ恋人じゃなかったのかもな」
「そうなると、出入りしていた女は・・・多分、寿々菜さんが見た40代の女なんだろうが、彼女は何者だ?」
「姉とか妹なんじゃねーの」
「その可能性はある。だが、ホームレスをやっている兄弟のところへ来て、掃除して、おそらく金も渡していた。そこまでするなら一緒に住んでやるなり何なり、兄弟をホームレス生活から救い出してやればいいのに」
「そこまでの余裕はなかったんだろ。それに、身内にホームレスがいるなんてことを旦那や周りに知られたくなかったのかもしれない」
「まあ・・・そうだな」
どちらにしろ、ヒッキーが何者なのかを知る鍵を握っているのはこの謎の女だ。この女を見つけなくては前に進めない。
だがどうやって見つける?さっき寿々菜さんが女に声を掛けられた時、俺も一緒にいれば・・・
管轄外の仕事なので派手に動くこともできない。武上は途方に暮れ、オレンジ色に染まりつつある黒い川を見つめた。
まさか、寿々菜が今まさに謎の女と再会していようとは夢にも思わずに。
いくら鈍い寿々菜でも、ファミレスでの放置プレイを何時間も楽しむ趣味は無い。さっさと帰ろう、そう思ってファミレスを出たのだが、ふと友香の家がこの近くだったことを思い出した。
そう言えば今日友香が学校を休んでいた。今日は午前だけの日なので、これが友香でなければ「サボりかな」と思うのだが、友香に限ってそんなことはない。
夏風邪かな?お見舞いに行ってみよう。
寿々菜はコンビニに寄って友香の好きなお菓子をお土産代わりに買い、駅とは反対方向の友香の家に向かった。その途中、少し風変わりなビルの前を通り過ぎる。しかし風変わりと言っても「なんだこれ、変な建物」という「風変わりさ」ではない。ただ、マンションではなくオフィスビルでもなく商業施設でもなく・・・理由は分からないが少し重厚感漂う造りになってる建物だ。他の場所でもちらほら見る、そして寿々菜ももしかしたらお世話になるかもしれない、というかさっさとお世話になれって感じの建物。
予備校である。
優駿予備校かあ。あ、もしかしてここが友香の彼氏が通ってる予備校かな。
前に大谷と出くわした場所と友香の家の位置関係を考えるとそうかもしれない。それに他に予備校らしい建物もない。
優駿予備校の向かいを見てみると、コンビニがあった。そう言えば友香は大谷は「いつも予備校の前のコンビニで待っている」と言っていたから、やはりこの予備校が大谷の通う予備校なのだろう。
大谷君いるかな。友香が風邪かもしれないって教えてあげようかなあ。
首を伸ばして予備校の中を見てみるが、大谷らしい人物は見当たらない。そう上手くはいかないか。寿々菜は諦めると友香の家に向かって歩き出した。
そして15分後、寿々菜は長谷川家の玄関にいた。寿々菜の突然の訪問に友香が驚く。
「寿々菜?どうしたの?」
「やっほー、友香。今日はどうしたのよ?風邪?ズル休み?」
と、寿々菜はいつもの調子で明るく訊ねたが、友香は見るからに調子が良くなさそうだ。どうやら本当に体調を壊しているらしい。
「ちょっと気分が悪くって」
そう言って弱々しく微笑む。こんな友香は珍しい。
「大丈夫?ほんとにしんどそうね。ちょっと通りがかったから、お菓子持ってきたの。もう帰るね」
「ありがと。いいよ、いいよ、あがって。別にそんにしんどくないから」
「でも、」
「大丈夫だって。持ってきてくれたお菓子、一緒に食べよう」
そう言われると断る理由はない(というか、食べすぎだろ)。寿々菜は遠慮なく家に上がらせてもらうことにした。家の中は静かで、人のいる気配がない。
「お父さんとお母さんは?」
「お父さんは仕事。お母さんは甲子園でデイゲーム。2人とも帰ってくるのは夜中ね」
さすがだ。
「甲子園は友香も行く予定だったんでしょ?残念ね。あ、でも友香は大谷君と付き合い始めてからタイガースは卒長したんだっけ~」
「別に卒業した訳じゃ・・・」
「そうだ、ここに来る途中に優駿予備校って見たよ。あそこが大谷君の予備校?なんか高級そうな予備校だね。大谷君がいるかと思って探したんだけど、」
「大谷君、いた!?」
突然友香が寿々菜に食いつくように訊ねてきた。その勢いにさすがの寿々菜も一歩退く。
「え、あ、ううん、いなかった、っていうか、見つけられなかったけど・・・どうしたの?」
「・・・ううん、なんでもない。ごめんね」
友香はしゅんとして寿々菜に背を向け、自分の部屋へ向かった。当然「寿々菜もおいでよ」という意味なので、寿々菜も続く。
「・・・あ、誰もいない訳じゃないよ?文さんがいる」
「ふみさん?」
「うん、お手伝いさん」
出た。金持ちはやはり違う。
「でも、物音しないね」
「キッチンにいるんじゃないかな。この家広いし防音がしっかりしてるから、音は聞こえにくいんだよね。自分の部屋にいたら他の部屋の音は全然聞こえない」
「・・・」
寿々菜は驚き半分呆れ半分で耳を澄ませてみた。かすかに水を流す音や鍋らしき金属音が聞こえる。
「うちの家なんて、2階にいても1階のテレビの音が余裕で聞こえてくるよ!」
「でも広いと掃除が面倒よ。そうだ、文さんにジュース持ってきてもらおう」
友香は廊下を曲がり(寿々菜の家には曲がるような廊下もない!)、キッチンへと方向転換した。それから更に歩き、ようやくキッチンに辿り着く。本当に広い家だ。
「文さん、友達が来たからジュースちょうだい」
友香がキッチンの扉を開きながら中にいる「文さん」に声をかける。
「かしこまりました。お菓子もいりますか?」
「ううん、お菓子は寿々菜が持ってきてくれたから」
「寿々菜様というのはお嬢様のご親友ですね。一度お目にかかりたいと思っておりました」
「そんなたいしたモンじゃないわよ」
ちょっと友香、たいしたモンじゃないって何よそれ。っていうか、友香がお嬢様~?
そう言おうとして寿々菜は口の動きを止めた。
あれ、今の声って・・・
「はじめまして、寿々菜様。私、長谷川家で家政婦をさせて頂いている瀬田文子と、」
文さんが息を飲む。そして寿々菜も「あ」と言って固まった。
なんと寿々菜の目の前にいたのは、さっき寿々菜の前から走り去った謎の女だった。