第2話 川辺の死体
デートなら仕方ないわ、邪魔したくないもの。なーんて聞き分けの良い寿々菜ではない。まだ見ぬ友香の彼氏に直接会える絶好のチャンスを逃すわけにはいかない!
そういう訳で寿々菜は遠慮の一欠片もなく友香と彼氏のデートにお邪魔することにした。
「もう8時過ぎてるよ?こんな時間からデートなの?」
夜の歩道を急ぎながら寿々菜が友香に訊ねる。
「デートっていうかお迎え」
「お迎え?」
「彼ね、大谷君っていうんだけど受験生だから忙しいの。でも偶然うちの近くの予備校に通ってるから、予備校のある日は私が授業の終わる時間に予備校に迎えに行って、そこから駅まで一緒に歩くんだ」
「で、その大谷君が電車に乗るのを見送った後、友香は一人でまた歩いて帰るの?」
「うん。今はそれくらいしか会える時間がなくって」
なんとも涙ぐましい乙女心だ。
友香ってばこんな女の子女の子した子だっけ。
寿々菜は改めて友香の全身を見た。私服はパンツルックの多かった友香だが、最近はワンピースが多い。今日も膝丈の白いワンピースだ。
そういえば。
「ちょっと前まで、法被もよく着てたのにね」
「それ、大谷君には絶対言っちゃダメよ!!!」
友香が顔を赤くする。実は友香、大の阪神ファンで、東京ドームはもちろんのことタイガース戦があれば甲子園でもどこへでも「遠征」し、スポーツ紙に掲載されている阪神の記事は全てスクラップしているというほどの虎キチなのだ。もっとも、スポーツ紙だけではなく普通の新聞もしっかり読んでいる辺りが、友香が秀才たる所以でもある。
それはそうと、友香の虎キチのルーツは意外なことになんと母の円香だったりする(寿々菜も、テレビで阪神が負けているのを見て悲鳴を上げている円香を初めて見た時は驚いたものだ・・・)。友香の本当の父とも、今の父・昌幸とも甲子園で出会ったというのだから、友香が虎キチにならない方がおかしいというものだ。
「友香も『彼氏は絶対甲子園でゲットする!』って言ってたのに」
「いいじゃない、もうそんな昔のことは」
「大谷君は阪神ファン?」
「ううん。ジャイアンツ」
やれやれ。恋は盲目とはよく言ったものだ。
美人の友香だが、寿々菜にとってはタイガースの法被・ジーパン・運動靴で、勇ましく「甲子園に行ってくる!」とメガホンを両手に持っているイメージが強い。
それが今はどうだ。法被とジーパンはワンピースに、そして運動靴は上品な3センチの淡いピンクのヒールに場所を明け渡している。
「・・・色気づいちゃって」
珍しく寿々菜が僻みっぽいことを言う。まあ単に親友を男に取られてつまらないのだ。事実、友香に彼氏ができて以来、寿々菜が友香と遊ぶ機会は格段に減った。
「寿々菜も早く彼氏作りなよ」
作ろう、というつもりはある。できないだけだ。
寿々菜が黙って拗ねていると、突然友香がいつになく真面目な表情になった。
「寿々菜、ごめんね。私別に友達や寿々菜より彼氏が大事だとは思わない。でも好きだから会いたいの」
「友香・・・」
いつも一緒にいる友達に改まってこう言われると何だか照れくさい。それに拗ねていた自分が物凄く幼く思える。
「・・・私こそごめんね、変なヤキモチ妬いちゃって。その靴、かわいいよね」
「無理にお世辞言わないで」
友香が苦笑する。
「ううん、お世辞じゃなくて。本当にかわいいと思うよ」
「そう?ありがと」
友香は立ち止まって足を少し持ち上げ、寿々菜に靴を見せた。よく見るとヒールの先が少し変わっている。
「ヒールの先の方にハート型が彫ってあるの」
「ほんとだ!かわいい!」
「大谷君は綺麗めな格好が好きなんだけど、私はただ上品なだけじゃつまんないし。これくらいの遊び心はいいよね?」
「うんうん、いいと思うよ」
寿々菜がコクコクと何度も頷くと友香は安心したような表情になった。
「よかった。この靴気に入ってて、最近はいっつも履いてるの。実はこのハートの彫りのせいで、ちょっと歩きにくいんだけどね」
「そうなの?」
「うん、ヒールの一部がくり抜かれてるからかな、なんか歩いた時の感触が普通のヒールとは違うの。カツカツって感じの音でもないし、」
「友香」
不意に前方から友香の名前を呼ぶ男性の声が聞こえた。2人同時顔を上げると、いつの間にかすぐ目の前にブレザーを着た男の子が立っている。
「大谷君!」
友香が慌てて足を下ろし、目を輝かせた。一方寿々菜は目を丸くした。
これが「大谷君」!?
携帯で見てかっこいいとは思っていたが、これほどとは・・・。細身の体に程よい短さの黒髪、優しげな目元、筋の通った鼻。まさに正統派美少年である。
加えて、普段北原高校で学ランばかり見ている寿々菜にとっては、ブレザーというのも得点が高い!(単純!)
「どうしたの?予備校は?いつも予備校の前のコンビニで待ってくれてるのに」
「早く終わったから、たまには僕が友香を迎えに行こうと思って。って、家から僕に会いに来てくれてる友香を『迎えに行く』って言うのも変だね」
「ううん!ありがとう」
そう言って頬を染める友香には、もはや虎の影も形も無い。
大谷が寿々菜に気づき、少し曖昧に微笑んだ。
「友香、こちらは・・・」
「あ、忘れてた」
忘れるな。
「寿々菜よ」
「寿々菜、ちゃんって、友香の話題に良く出てくるあの寿々菜ちゃん?」
「うん」
「へえ、そうなんだ」
大谷が、今度は曖昧ではなくキラキラの笑顔を寿々菜に向ける。
「はじめまして、寿々菜ちゃん。友香と付き合ってる大谷翼です」
名前までなんだかかっこいい。
「は、はじめまして。白木寿々菜です!」
「友香から聞いたんだけど、芸能人やってるんだって?」
「は、はい!」
「大変な世界だよね。頑張って。応援してるよ」
「大谷君、普段は芸能界とか興味ないじゃない」
友香が少し拗ねてそう言うと、大谷は笑って友香の手を取った。
「友香の友達だろ?応援して当然じゃないか」
「う、うん」
友香が赤くなる。一方寿々菜はもちろん大谷に手など握られていないのだが・・・
羨ましい!っていうか、大谷君かっこいい!!!
と、何故か赤くなったのだった。
捜査一課の刑事と言えど人間は人間。酷い状態の遺体を見れば心が痛むし、ましてやそれが女子供の時は尚更だ。
しかし・・・。
いや、遺体は遺体、事件は事件じゃないか。
武上は「またか」とため息をつきたくなるのを堪えて、遺体に向かって両手を合わせた。
「またか」
「・・・三山さん。僕、それ言うのを頑張って我慢してたんですけど」
武上のペア・三山刑事が苦笑いする。
「我慢してたってことは、思ってたってことだろ。口に出さなくても同じだ」
「はあ・・・」
24の俺とは比べものにならないくらいベテランの三山さんでも「またか」と思うんだったら、俺も一生思い続けるんだろうな。
武上は目の前の遺体を見て、今度は別のため息をつきたくなった。
通報があったのは1時間前。武上が帰り支度をしている時で、川沿いをウォーキングしていた近所の主婦からの「川沿いに並んだホームレス達の家の1つで男の死体を見つけた」というものだった。家の入り口から血のついた足が見えたので中を覗いて見ると、息をしていない男が倒れていたというのだ。
確かに今武上の目の前にあるのは、家の入り口から血のついた足を出している50前後の男の遺体だ。
そして三山はまた、武上が言いたいのを我慢していることをサラリと言った。
「まあ不良達の仕業だろうな」
「・・・ですよね」
男の体には暴行の後が見られた。致命傷は胸のナイフ傷だろう。どうして一目でナイフ傷と分かるのか?それは今もナイフが突き刺さっているからだ。
頭の上の鉄橋を電車が走っていったので、武上はその轟音が去るのを待って再び口を開いた。
「最近この辺りで不良たちがよくたむろしてるのが目撃されています。ホームレス達の話では、昨日もいつもと同じ、髪の毛を赤・黄色・オレンジに染めた少年が来たそうです」
「3分の1ずつ頭の色が違うのか?」
三山が驚く。
「いえ、頭が赤い少年と、黄色い少年と、オレンジの少年の3人です」
「・・・まだましか」
探さなくても見つかりそうだ。
「3人は昨日ここで花火をしていて、亡くなった男の家に打ち上げ花火を投げ込んだそうです。その後周辺のホームレス達は逃げ出したらしいんですが、どうも少年達は男の家に入っていったようですね」
「そしてここで男に暴行を加えて殺した、という訳か」
三山は小さな家の中を見回した。なるほど、確かに「打ち上げ花火を投げ込まれた」状態である。
かつては、「恨みが募って」「カッとなって」「仕方なく」人を殺す事件が多かったが、近頃はこういう「そこにいたから殺した」的な殺人が多い。
武上と三山はもう一度同時にため息をついた。