第10話 二つの頼み
「はあ?なんだって?」
警視庁内でデスクワークをしていた武上の所に和彦から電話がかかってきたのは、ようやく書類の山を半分片付けた午後7時前のことだった。刑事の仕事と言えば、聞き込み・張り込みと思われがちだが、実は結構デスクワークも多い。
苦手なデスクワークでイライラしているところに和彦からの電話。しかもその内容は、武上へのお願い・・・というか、命令に近いものだった。
「1つ目の方はすぐにできるからいいが・・・なんだ、その2つ目の頼みは。なんでそんなこと調べないといけない。担当外だ」
『1つ目の方だって担当外だろーが。とにかく、両方とも今回の事件に関わるんだ』
武上は椅子に深く座り直した。パソコンの見すぎで目が痛い。
「・・・さっき連絡が入った。ホームレスを殺した高校生3人が捕まったそうだ。警察の予想通り、遊び半分で打ち上げ花火をホームレスの家に打ち込み、金目の物を盗もうとしたがホームレスが花火で怪我を負いながらも抵抗してきたから、殴ったそうだ。それが段々エスカレートしてナイフで刺したんだと。ナイフの指紋とも一致した。話に何もおかしなところはない」
『だろーな。ホームレス殺人の犯人はその3人だ』
「・・・何が言いたい?」
この事件はもう終わったんだ、武上はそう言おうとして止めた。確かに警察の中ではこの事件はもう終わっていて、今は事後処理に追われている段階だ。しかし武上にはどうしても腑に落ちない点が幾つもあり、すっきりしない。だからと言って、犯人の捕まった事件にいつまでも執着している時間もない。
『今回のホームレス殺人事件は犯人が捕まった。でもまだ犯人の捕まっていない事件がある』
「どういう意味だ?」
『知りたきゃ、さっきの2つ、頼んだぜ』
和彦はそれだけ言うとさっさと電話を切ってしまった。
なんだ?どういうことだ?まさか本当に、今回のことは大きな事件に繋がってるのか?
捕まった3人の高校生は別に政治家の御曹司でもなんでもない普通の高校生だった。殺されたヒッキーというホームレスの身元は分かっていないが、大統領や総理大臣が急に姿を消したという話も聞かない。どこをどう取っても大事件に繋がるような糸はなさそうだ。
しかし・・・。
武上は一旦携帯を閉じると、机の上の電話の内線ボタンを押した。
「どうしてそんなお願いするんですか?」
満足そうに電話緒切った和彦に対し、寿々菜が、こちらは若干不満足そうに訊ねた。
「気になるから頼んだだけだ」
「・・・私、和彦さんの考えてることがさっぱり分からないです。確かにあの瀬田文子さんは事件現場にいましたし、私から逃げましたけど、犯人はちゃんと捕まったんですよね?だったら・・・」
「そうだ。ホームレスが高校生に暴行され、刺し殺されたが、犯人はちゃんと捕まった。罪も認めてる。めでたし、めでたしだ」
「じゃあ、どうして武上さんにあんなこと頼んだんですか?もういいじゃないですか」
珍しく食って掛かってくる寿々菜に和彦が笑う。
「んじゃ、もう止めるか。俺は別にいいぜ」
「・・・」
「俺と武上には話してくれねーけど、寿々菜だって色々引っかかってることあるんだろ?寿々菜がそれ全部に目を瞑るっていうなら、止めよう」
どうやら和彦は全てお見通しのようだ。寿々菜は諦めて肩を落とした。
「確かに友香の様子が変なのは気になります。でも万が一友香が今回の事件に関わってて、武上さんが友香を逮捕するようなことになったらって思うと・・・」
「その心配ないと思う。ただ、」
「ただ?」
「んー・・・そうだな・・・あのことは武上の担当じゃないだろうし・・・でも捜査一課の人間としてはどうなんだろうな・・・」
和彦が何やら1人でブツブツと呟く。寿々菜にはますますなんのことだか分からない。
やがて和彦は「よしっ」と大きく頷くと、寿々菜を真っ直ぐ見た。
「寿々菜、今回の事件にはちょっとした付録がついてるようなんだ。その付録のせいであの友香って子は傷つく事になるかもしれない。でも最小限に留めれるようにしよう」
「・・・はい。どうしたらいいんですか?」
「友香を事件現場に呼び出せ。武上もだ。もちろん俺が頼んだものを持って、ってな」
「はい」
和彦にここまではっきりと言い切られては、寿々菜も覚悟を決めるしかない。きっと武上も文句を言いながらも和彦に頼まれたものをすぐに準備し始めているだろう。
友香・・・
寿々菜は祈るような気持ちで、沈んでいく夕日を見つめた。
寿々菜、和彦、武上、そして不安そうな表情の友香が再び一堂に会したのは午後9時になろうかという時間だった。ちょうどホームレス殺人事件が発生して丸1日が経ったことになる。
「武上、持ってきたか?」
「ああ。和彦、そちらは?」
と、武上が寿々菜の隣にいる友香を見る。
「寿々菜のクラスメイトの長谷川友香って子だ」
「長谷川・・・友香、さんか」
武上は何故か一瞬言葉を切り、じっと友香を見つめた。友香は気まずく思ったのか、曖昧に会釈をする。
「どうしてここに?」
「俺が呼んだ」
「・・・ホームレス殺人事件の真犯人が別にいるとでも言いたいのか?」
それを聞いた友香が目に見えて青ざめた。武上はそれに気づいて驚いて和彦の方を見たが、和彦は首を左右に振った。
「武上、写真を見せろ」
和彦にそう言われて、武上は胸ポケットからビニール袋に入った写真を一枚取り出した。そこに映っているのは人物ではなく、警察で保管されている物だった。
「寿々菜、この写真を見ろ」
和彦が武上から受け取った写真を寿々菜に見せる。寿々菜は息を飲んだ。
「あ、これ!どうしてこの写真を武上さんが持ってるんですか!?」
「寿々菜さん、これをご存知なんですか?」
「ご存知も何も、さっき友香の家で同じものを見てきたところです」
「友香さんの家で?」
武上の表情が引き締まる。
「これは殺されたホームレスが左手の薬指にしていた指輪です」
「え?」
「これと同じ物が友香さんの家にあったんですか?」
3人が一斉に友香に視線を向けた。友香の顔は先程に増して青く、じっと地面を見つめている。そんな友香を見て、寿々菜が武上の問いに答えられるはずがない。
代わりに和彦が口を開く。
「そうだ。母親と亡くなった父親の結婚指輪を見せてくれって頼んだら、両親の寝室のクローゼットの中にあったリングケースを持ってきてくれた。でもその中には女側の指輪が片方しか入ってなかった」
「男の方はなかった?」
「ああ。まず間違いなくこの写真の指輪がその片割れだろうな」
「あの、それってつまり、どういうことですか?」
寿々菜が友香に寄り添いながら訊ねる。
「簡単なことだ。殺されたヒッキーっていうホームレスが長谷川家に忍び込んで盗んだか、落ちてるのを拾ったか、元々自分の物だから持っていただけか、だ。でも、盗んだり拾ったりした他人の結婚指輪を自分の左手の薬指にするとは考えにくい」
「じゃあ・・・」
「元々自分の物だから持っていた、だろうな」
和彦の言葉に友香が顔を上げた。目が赤い。寿々菜は堪らず友香の腕を握ったが、友香はそれにすら気づいていないようだ。
和彦が容赦なく言う。
「友香。死んだホームレスはお前の本当の父親だな」