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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
一章 少女と妖精
9/53

【4】

「琥珀、武器を持つ気はあるか?」


 リゼットは魔物を見据えたまま、背後の琥珀に問うた。


「む、無理ですっ!!」

「そうか。ならそこで大人しくしていろ」


 誰かを守る意味で戦うのは久々だ。

 リゼットの力は相手の命を奪う為のもので、守ることは専門外だ。しかし、できないとは言えない。

 琥珀は一般人だ。それに付き合わせたのはこちらのようなものなのだから、何があっても死守しなければならない。

 一方踏み出したリゼット。その細い腕を琥珀は引いた。


「僕たちは食べられるんです、抵抗なんて無意味ですよ……!」

「諦めてどうする? 無抵抗にやられろと言うの?」


 琥珀の言葉に、リゼットは目を眇めた。それは敵に向けるような凍り付いた眼差し。

 赤い瞳に睨まれた琥珀は息を呑む。

 痛みから逃げたらその先には停滞しかない。それはリゼットの深層に根付いている一つの意識だ。


「諦めたらそこで全て終わりだ。それに……敵に囲まれ絶体絶命の状況に陥ったとして、死ぬなら死ぬで一人でも多く道連れにしてやるという思いがお前にはないのか?」


 リゼットには「最後まで絶対に諦めない」とか、「希望は捨てない」とか、そういう熱い思いはない。寧ろ暑苦しくて好かないくらいだ。それでも抵抗する道を選ぶのは、こんなグロテスクな魔物の胃袋に収まるのは嫌だから。

 死ぬのは構わないが、こんな魔物に食い殺されて肥やしになるのは御免だ。そして心中するのも御免蒙りたい。


(動きは遅そうだけど、どうなんだろう)


 リボルバーの装弾数は六発。どう頑張っても十匹以上いる魔物は倒せない。しかも弾を補充する際に無防備になるので、銃を使うのはリスクが高い。

 他の武器はというとナイフが三本ある。投げなければ残りの本数を気にする心配はないが、魔物相手にリーチの短いナイフは危険すぎる。よって手段は一つだ。


「氷の刃よ、降り注げ――!」


 鋭く言い放たれたのは、魔術の詠唱。リゼットの赤い瞳に青い紋様が現れる。

 リゼットは幾らかの視力を手放すのと引き換えに、自らの瞳に魔力を高める特殊な陣を刻んでいる。リゼットは初級から中級程度の魔術ならば精神集中を必要としなかった。

 上空に現れた魔法陣から幾つもの氷の槍が降り注ぐ。

 氷の槍は深々と魔物の背に突き刺さった。

 既にリゼットには妙薬を採取しようという目的はなく、敵を排除するという思いしかない。


「……面倒だな」


 このまま魔術で串刺しにしても良いが、ちまちま遠くから鉄砲玉を撃つのは性に合わない。それに、奥にいる。他の個体とは違う金色の目を持った親玉が、奥に。


「琥珀、貸せ」

「えっ!?」


 リゼットは有無を言わさず、琥珀から剣を奪い取る。

 初心者用のショートソードでも媒介程度にはなる。リゼットは剣を両手に構えて踏み込んだ。

 自らが放った氷の槍と、魔物の遠距離攻撃を身軽にかわし、跳躍する。そしてそのまま身体を一回転するように捻り、反動を付けて剣を地に叩き下ろした。

 凄まじい冷気が突き抜けるように辺りに広がる。

 魔力の籠もった剣から凄まじい衝撃波が発せられたと同時に、空気中の水分が急速に凍って視界が真っ白になる。それは、生き物の細胞の水分を一瞬にして凍らせる嘆きの風。

 魔物の黒い体は真っ白に凍り付き、次の瞬間、全身が吹き飛んだ。

 煙を撒き散らしながら無惨にも冷凍崩壊した魔物たち。後に残るのは白い霧のみだった。


「うわ……、すご……」


 様子を黙って見守っていた琥珀は呆然と呟いた。

 胸に流れた髪を背に払い、魔物の死骸に背を向けるリゼット。


「リゼット、危ない!!!」


 喉が張り裂けんまでの怒声。

 生き残っていた一匹がリゼットの腹を目掛けて飛び込んでいく。


「……しつこい」


 それは戦いが染み込んだ身体の条件反射だった。

 琥珀が叫んだとほぼ同時に、リゼットは人の動きとは思えないほどの早さでリボルバーを抜き、迷いなくトリガーを引いた。

 六弾全てを撃ち込まれた魔物は堪らずに床に転げ落ちる。ぱっくりと割れた体からは蛍光色の気味の悪い血がどくどくと溢れ出した。

 息絶えたことが分かるのに、リゼットは魔物に剣を突き立てる。死んでいるので断末魔は聞こえない。それでも琥珀は耳を塞いだ。

 魔物を射殺したリゼットは冷酷極まりない人殺しの目をしていた。

 リゼットはゆっくりと瞬く。底光りするように妖しい光を持っていた真紅の瞳は次第に落ち付いた赤紫色へと戻ってゆく。


「終わったぞ。怪我はないか?」

「…………」

「おい、聞いているのか」

「……え……あ、僕は大丈夫です」

「そう、それなら良かった」


 少々スマートではない戦いをしてしまったが、琥珀が無事ならばそれで良い。リゼットは銃を仕舞うと、左手を胸の前へ持ってきた。


(訓練不足じゃないだろうけど)


 片手で連射するにはこのリボルバーは少々反動がきつかった。手の中で何かが爆発したような衝撃を続けて六発。利き腕はすっかり痺れてしまい、暫く使い物になりそうにない。

 リゼットは不快感からくる表情を消し、常の無表情を作ると琥珀の元へ向かおうとする。

 しかし、足を踏み出そうとした瞬間、立っていられないほどの痛みが脇腹を襲い、膝をつく。


「リ、リゼットさん!?」


 脇腹に右手を宛がうとぬるりと濡れており、手にはべったりと血が付いた。傷口はすっかり開いていた。

 舌打ちをしたリゼットは奥歯を噛み締める。あの時、傷口を狙われたのは分かっていた。飛び込んできた魔物が潜り込もうとしたのは脇腹だ。

 リゼットは忌々しい気分になったが、これだけ血が出ていれば魔物が狙うのも当然だった。


(……流石に……きついかな……)


 立ち上がろうにも足が動かない。

 それほど無理をしたつもりはないのに、身体が重い。脇腹の熱を伴う痛みに、額に脂汗が浮かんだ。

 駆け寄ってきた琥珀はリゼットの顔色と傷を見て表情を曇らせる。


「治療するから、じっとしてて下さいね」

「え……?」

「森羅に漂う霊気よ。ここに集いで癒やしの力となれ――!」


 琥珀は目蓋を伏せ集中すると、凛とした声で命じた。

 暗い坑道がふっと明るくなる。

 地面から滲み出した淡い橙色の光はとても幻想的で、リゼットは思わず状況を忘れて見入った。光は琥珀が翳した手に導かれるようにリゼットの傷口へ染みてゆく。

 傷口が塞がることはない。だが血は止まり、痛みは引いていった。


「家に帰ったらちゃんと手当てした方が良いと思うけど、応急処置です」

「……アースヒールか?」


 「森羅の霊気よ」から始まる詠唱詩は、教会に伝わる地属性の治療術だ。


「うちの死んだ父は癒術師(ヒーラー)だったんです。治療は任せて下さい」


 何処か得意気な言い口は常の琥珀のもの。立ち上がった彼は手を差し出してくる。

 差し出された腕に、リゼットは戸惑う。


「リゼットさんがもう少し小さければ背負えるんだけど……。取り敢えず、肩貸します。村まで歩けますね?」

「……小さくなくて悪かったな」

「胸は絶壁なのに、背だけはあるとか切ないですよね。同情します」

「殺されたいのか」

「そうやって反応を返せるくらいなら大丈夫ですね」


 琥珀はリゼットの血で汚れた手を取り、立ち上がらせた。

 肩を貸したら服が血で汚れてしまうだろう。だが、琥珀がいつになく真面目な顔をしていたのでリゼットは従うしかなかった。


(人の手を借りるだなんて、どうかしてる)


 手を借りなければ動くのもままなならないのは事実である。

 リゼットは黙って琥珀に身を委ね、ゆっくりと一歩踏み出した。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 月も星も見えない、厚い雲に覆われた空が窓から望める。その空はまるで今の自分の苦い感情そのもののようだ。

 ドアノブに伸ばした手を下ろした琥珀は、うなだれるように廊下にしゃがみ込んだ。


(あんな仕事を選んだから……)


 すすり泣く声が部屋の中から聞こえる。声の主は琥珀の姉、翡翠だった。

 廃炭鉱での一件の後、リゼットは酷い熱を出した。

 帰りの道、倒れてしまうかと思うほどに顔色が悪かった彼女は家までは耐えた。


『お帰りなさい!』


 にこやかな笑みで迎えた翡翠。その顔を見た瞬間、リゼットは糸が切れたように意識を失った。


「ごめんね。あたしが買い物に行こうなんて……無理させたから……」


 ドア越しに、涙に濡れた声が聞こえてくる。翡翠はあれからずっとリゼットの傍にいた。琥珀は姉のように部屋に入る勇気はない。けれど、離れる勇気もなかった。

 魘される中でリゼットが無意識の内にこぼした一言が琥珀の胸に突き刺さった。


『何処にいるの……レイ……』


 それは普段男のような言葉を使っている人物から出た声とは思えない、弱々しい呟き。

 家族なのか恋人なのか琥珀は知らない。だけど、苦しみの中で名を呼ぶほどに――涙を流すほどに大切な人物だとは分かった。

 琥珀は翡翠のようにリゼットを信用していなかったし、仲良くなりたいとも思わなかった。彼女が不定の輩ということもあるが、一番の理由は人間が嫌いだからだ。

 人間は汚い。

 琥珀はリゼットが信じられなかったのではない。人そのものを信じていなかった。

 リゼットも訝しんでいたように、妖精学者は人々に理解されない仕事だ。遠い昔は人と妖精は共存していたのに、人は長い歴史の中で妖精の存在を忘れてしまった。

 人は異端者を受け入れない。異端者は化け物と言われ、排斥(はいせき)される。

 必要のない側に振り分けられるのは慣れていた。それが悔しくて、皆を見返す為に学校へ通った。必死で勉強して、妖精学者を莫迦にする奴を見返してやろうと思っていた。それなのに、琥珀はあろうことか妖精学者を――姉を否定するようになった。

 姉を含めた愚かな者たちを否定して、自分は彼等と違うのだと線を引く。そうやって自分を守り、スマートに生きる。できないことはやらないし、無駄なことは最初からしない。今の琥珀はそうして出来上がった。


『諦めたらそこで全て終わりだ。それに……敵に囲まれ絶体絶命の状況に陥ったとして、死ぬなら死ぬで一人でも多く道連れにしてやるという思いがお前にはないのか?』


 はっきり言って後者は潔くない。だが、胸に痛い言葉だった。

 あの時の言葉と、熱に浮かされる中で発せられた人間味のある言葉に、琥珀の中でリゼットという人物に対して抱いていた考えが少しだけ変わった。


(困らせてやろうなんて考えなきゃ良かった)


 困らせれば、ここから出て行くと思ったのだ。

 面倒な仕事をさせて困らせるつもりだった。怪我を悪化させようなどとは考えていなかった。


「ごめんね……」


(ごめん、リゼット……)


 心の中で、姉の言葉に謝罪を重ねる。

 部屋から聞こえてくる嗚咽が止むことはない。

 時刻は午前零時を過ぎた頃だった。漸く重い目蓋を上げたリゼットは、か細く、それでも凛とした声で言った。


「……翡翠……お前が気にすることじゃない……」


 仕事を受けたのは自分の意思だし、傷を開かせたのも自分の不注意なのだとリゼットはそう言って翡翠を慰めた。


(僕が傍観していたから)


 自分よりもずっと華奢な女性に庇ってもらったなんて情けなかった。

 あの時のリゼットの戦いは尋常ではなかった。魔物に狙われ、リボルバーを引いた時の反射的な動きは人間技ではない。リゼットは軍人か、少なくとも何かの部隊に所属していた兵士。炭坑での一件は、琥珀の中での推測を裏付ける出来事だった。

 だが、それでも彼女は怪我人だ。

 琥珀は明け方までずっと廊下の冷たい壁に寄り添っていた。

** 初出…2009年6月26日

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