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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
一章 少女と妖精
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【3】

 森の中腹から長い坂道を下ると、木々に囲まれた風景からは一変し、石造りの家々が立ち並ぶルミエールの村がある。

 季節は、冬。重なるように並ぶ赤い屋根は昨晩降った雪によって白く彩られていた。


「寒いわねー」

「涼しくて良い」

「リゼは寒いのが好きなのね!」


 吹きつける冷たい風がリゼットの襟元のファーをさわさわと揺らす。

 元着ていた服は血や海水で酷い状態になっていたらしく、目が覚めた時には着替えさせられていた。目覚めてから今日まで、翡翠好みの可愛らしい洋服を着せられていたが、これからはそういうこともない。

 今のリゼットはファーのついたショートジャケットに、胸元の開いたタンクトップ。動き易さを重視したショートパンツに、サイハイニーソックスと膝丈ブーツを合わせたボーイッシュな姿だ。ジャケットの内側には暗器を隠し持つのに丁度良いスペースがあり、既に数本のナイフが仕舞われている。


「ねえ、リゼ。疲れてない? 休憩する?」

「いや……」

「あたしは疲れたわ。お茶にしましょ」


 ふわふわのコートを纏った翡翠の手に引かれるまま、リゼットはカフェに入った。


(どれだけ怠けていたんだか)


 窓から外を行き交う人々を眺めながら、ぼうっと考える。

 翡翠には疲れていないと言いはしたもののリゼットはしんどさを感じていた。

 森から村へのほんの三十分の坂道を下っただけでこの始末だ。

 船に乗ったのが十月の半ばで、ここで目を覚ましたのが十一月の半ば。それから約二週間が経った今日が十二月の初日。かなりのブランクだ。そもそも、船から投げ出されて気付いたらひと月経っていたというのが怖い。こうして生きているのも恐ろしい。


(化け物か、私は?)


 喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、自分の頑丈さにリゼットは呆れるしかない。


「顔色が悪いわ! 早くショコラを飲んで暖まりましょう」


 ショコラの入ったカップを両手に持ってきた翡翠は、リゼットの顔色に仰天する。

 リゼットも甘いものを摂取すると心が安らぐことは知っているので素直に従う。


「……甘いな」

「お砂糖たっぷりって頼んだから。もしかして甘いの嫌いだった?」

「さあ、どうだろうな」

「良かった。好きなのね」


 どちらでもないとはぐらかす前の()の違いで、どちらなのかを判断できるようになってきたらしい翡翠は嬉しそうに微笑む。

 まずい、とリゼットは心の中で呟いた。

 突き放すつもりが、却って懐かれているような気がする。こちらに向けられる翡翠の笑みは例えれば雛鳥が親鳥に向けるようなもの。

 とろとろと微睡みに落ちてしまいそうなほど甘くてあたたかいショコラを飲みながら、リゼットは内心自分の愚かしさに嘆息した。






 暫しの休憩を挟んだ後、市場で日用雑貨や食料品を買った二人は海岸沿いの道を歩いていた。

 午後のあたたかな陽射しに薄く積もった雪は溶けてしまい、春のような陽気だ。


「ねえ、さっきから気になってたんだけどそれって……」


 ふと翡翠は視線を下げ、リゼットが腰に掛けているものを見た。


銃を仕舞う為のもの(ホルスター)だ」

「リゼは戦うの?」

「戦って食っている身だったからな」


 それは嘘ではない。リゼットは【破壊の使徒】として破壊活動をしている時以外は斡旋所(ギルド)で請け負った仕事をこなしていた。

 自慢ではないがその道で生計を立てていく自信もある。リゼットはルミエールに滞在する間、この国のギルドに世話になろうと考えていた。


(武器を揃えるのに、もっとお金が必要だし……)


 翡翠が食料品を買っている間、別行動をして武具店を見ると、田舎だからか少々値が張った。

 武器を新調するとなると相当な金がいる。リゼットは最低限の金しか持たず、行き摺りの生活をしていたので――挙句に金品は船の中だ――足りるはずがなかった。

 リゼットは琥珀の言うように、傷が塞がったらすぐに出て行くつもりだった。

 再び世界に宣戦布告をする勇気は情けないが、ない。だからといって、この生温い日常にいることは許されない。

 ラジオで耳にした話によると、どうやら自分(エッツェル)は死んだことになっているらしい。

 【破壊の使徒】は死に、代わりに遥か東の大陸にある【エスコフィエ連邦】の者たちが動き出した。彼等は王女を聖女という救世主に仕立て上げて、聖帝国に戦争を仕掛けたらしい。また、【西海国(せいかいこく)ブランザ】も抵抗運動を過激化させていた。

 翡翠に途中でラジオを取り上げられてしまったので子細は分からないが、【破壊の使徒】が消えた今でも外の世界は荒れていた。


(私に何ができるだろう)


 一度否定されただけで止めるのなら、復讐などとは言えない。

 そう、あれはただの憂さ晴らし。憂さ晴らしで何百という帝国人を殺したのだ。

 償えるとは思っていないし、潔くないのでそうするつもりもない。そんな自分はこれから何をすれば良いのだろう。


「リゼ?」


 名を呼ばれ、振り向くと、すぐ隣に翠色の大きな瞳があった。翡翠はリゼットを見つめる。


「リゼ、どうしたの?」

「私に何かできる仕事はないかと思ってな」


 思わぬ迫力に、リゼットは適当にはぐらかすことにした。翡翠は純粋だから騙されてくれる。

 だが嘘をつくのは悪意があるからではなく、人殺し(こちら)に関わって欲しくないからだ。


「うーん……。あ、さっきのカフェ、ウェイトレスさん募集していたわ!」

「却下」

「だったら綺麗なドレスでも着て、バーのダンサーとか」

「それは何処の国の話だ?」

「じゃあ、ギルドで配達のお仕事とかどうかしら? 黙々とできそうよ」


 配達員とは、給仕や踊り子という接客業とは真逆の仕事だ。翡翠がくすくすと笑っているところを見ると、その二つは冗談だったようたわ。

 からかわれたと知ったリゼットはむっとした。


「翡翠、私は冗談が嫌いだ」

「うん、分かってる」


 翡翠は名前を呼ばれたことに驚き、すぐに嬉しそうに笑む。


「分かってるけど、そういうリゼも見てみたいかも」


 ふざけるな、といつもなら殴っているところだ。何故かそれができない。

 この翡翠という少女は人よりもぼんやりとしているというか、浮き世離れしている。ついついそんなところに絆されてしまい、突き放すことができないリゼットだった。


「翡翠姉さん、リゼットさん」


 道を歩いていると、少年らしい少し高めの声に名前を呼ばれる。

 声の主は翡翠より二歳下の弟、琥珀だ。


「あら、琥珀じゃない。今日は早いのね」


 学校帰りと思われる赤い制服姿の彼は、たまたま村で姉を見付けたらしい。

 駆け寄ってきた琥珀と一言二言話し、ショルダーバッグを代わりに持った翡翠は弟にあることを頼む。


「ね、琥珀。リゼにギルドの場所教えてくれる?」

「えっ、何で僕が……」

「あたしは荷物あるから」


 肩に教科書類が入ったバッグを掛け、胸の前に食料品の入った紙袋を抱えた翡翠はにっこり微笑む。

 リゼットには辛辣な琥珀も姉の前では普通の可愛らしい弟だ。そんな弟は姉の頼みを無碍に断ることはできない。


「分かった。別に暇だし、案内しても良いよ」

「うん、お願いね」


 翡翠は先に帰ると言って二人に背を向けた。

 陽光の下で淡い金緑色のきらきらと輝く。遠目からでも翡翠は印象的な姿に映った。


「それじゃリゼットさん、一緒に魔物退治でも行きましょうか」


 翡翠を見送った琥珀はリゼットに向き直るとそう言う。


「何故、魔物退治なんだ?」

「だって貴女は配達とか強盗犯確保とかいう柄じゃないでしょ」

「それで?」


 木苺色の双眸をすっと細めてリゼットは琥珀を一瞥する。

 リゼットもリゼットで翡翠へは見せない姿を持っている。持っているというよりは、琥珀に引き出されている。先日のあの失礼極まりない発言で、リゼットの中で琥珀の印象が最悪なものになりつつあった。


「リゼットさんは魔物の血を食らってスプラッターとかやってる方がお似合いだなーと思って提案したんですが、気分害しました?」


 その笑顔だけは姉のような人畜無害な域だが、声は冷たく聞こえるほど平坦な調子だった。


「いや、別に。その通りだから構わない」


 どす黒い影を背負ったリゼットは、凍り付くような微笑みを顔に刻んだ。

 このままだと琥珀のお陰で愛想笑いが得意になりそうだ。






 先頭を歩くのは臙脂の学生服の少年、後方に続くのは黒いレザージャケットの娘。

 一般人と傭兵。そんな対照的な雰囲気の二人はそれぞれ得物を手にしていた。

 琥珀は剣を持ち、対するリゼットのホルスターには銃が納まっている。

 リゼットは斡旋所で依頼を受けた際に六連式回転式拳銃(リボルバー)を渡された。しかし、これで魔物が討伐できたら世話はない。ダブルアクション型なのは幸いだが、今時リボルバーは時代遅れだ。

 リゼットは拳銃使いだったスレイドの影響もあり、銃器に関してはうるさい方だった。


「今回のターゲットは昆虫。背中に生える茸が珍味だか妙薬だかになるらしくて、それを採ってくるのが僕たちの仕事です」

「つまり討伐ではなく、採集か」

「ええ、魔物は冬眠中で大人しいらしいから甘っちょろいですね」

「地味な仕事だな」


 何が楽しくて報酬は少ない癖に労力だけは使う、割に合わない仕事をしなければならないのだ。


「負傷者さんには丁度良いですね」


 何処か楽しそうに琥珀が言うので、後に続くリゼットはげんなりする。

 だが、ぶつくさ言っていても始まらない。受けたからには例えどんな仕事でもしっかりこなす。それが一時でも軍に身を置いていたリゼットのポリシーだ。


「それで、琥珀。魔物の住処は本当にここなのか?」

「はい。地図によると、このルートの最深部が群生地……らしいのですが」


 リゼットと琥珀が訪れたのは村外れにある廃炭坑だ。

 使われなくなって半世紀ほど経っているらしく、炭坑としての面影は地面に敷かれたトロッコのレールくらいしかない。


「群生地というか魔物の背中に生えているので、はっきりこことは言えませんね」

「随分適当だな」

「珍味といっても魔物の一部ですよ。ぶっちゃけ需要ないですよ」


 リゼットは内心穏やかではない。

 依頼の受諾には身分証明が必要とのことだったので、面倒が起きないように琥珀に任せたのだが間違いだったかもしれない。


「どうしてそんな仕事を引き受けたのかって顔をしていますね? でも当然のことですよ。見るからに怪しい余所者の貴女に、僕たちの土地の重要な仕事を任せられるはずがないじゃないですか」

「怪しい余所者で悪かったな」


 確かに道理だ。しかし、はっきりとそう言われると気分が悪い。

 そうして険悪な空気を引き摺ったまま炭坑を一周したが、目当ての魔物は見付からなかった。

 魔物を探し回る間、リゼットを襲ったのは塞がらぬ傷の痛みと、じっとりとした空気の不快感だ。洞窟というものは夏は涼しく、冬は暖かい。外と内部との温度差から壁は結露し、たまに落ちてくる水滴の冷たさが堪らなく不快だった。


「もう夕刻です。冷え込んできましたし今日は帰りましょう」


 懐中電灯で時計を照らし、時間を確認した琥珀は帰ることを提案した。リゼットも仕方なく無言で頷く。

 その時だ。


(……何だ?)


 ひたり、と何かがこちらへ近付いてくるような気配がした。

 リゼットは耳が良い。魔族の血を引くので、取り分け魔物の気配を察するのは得意だ。

 琥珀もリゼットの面持ちが変わったことで異様な気配に気付き、ぶるりと肩を震わせる。リゼットはそんな少年を壁際にやり、背中に庇うようにしながら訊く。


「おい、私にその魔物の詳細を教えろ」


 琥珀は斡旋所で渡された、仕事内容の書かれた書類を手渡してきた。

 懐中電灯で照らす中で文面を読み始めるリゼット。次の瞬間、それをぐしゃりと握り潰した。


()()()と書いてあるだろう!?」

「えっ!」


 空気が、凍り付く。


「ここに書いてある。お前の目は節穴か!」

「あー、本当だー。小さいから見えなかったー」


 流石のマイペースな琥珀も魔物の脅威の前では余裕がないようで、表情が引き攣っている。


「いや、てゆーか、冬眠中に夜行性も何もあったもんじゃないんじゃないの!?」

「魔物に人の常識が通じるか、莫迦者!」


 そうこうしている内にやってきた魔物は、唯一の逃げ道である通路を塞ぐように群がった。

 昆虫といえば確かに昆虫類だ。沢山の目と八本足を持った蜘蛛のような魔物で、その大きさは膝丈。これを昆虫と形容するには少々巨大すぎる。


「これが昆虫……? 何かの冗談だろう」

「魔物に常識は通じないんでしょ!?」


 魔物は威嚇するように口横の鎌を動かし、奇声を上げる。


「うわ、きも……」

「気色悪い……」


 ここにきてやっと意見が合致した琥珀とリゼットだ。

 見た目がグロテスクで気持ち悪い。この姿を見たら、誰も珍味と言って食さないだろう。昆虫や爬虫類に対して特別な恐怖や嫌悪を持っていなかったリゼットも、これは受け付けられなかった。


「温厚と書いてあったよな……?」

「冬眠から起こされてご立腹……なのかも」


 一匹二匹という数ではない。ざっと見ても十匹はいる。

 幾数もの個体が持つそれぞれの十二の目が、ぎょろりと二人に向けられた。

** 初出…2009年6月26日

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