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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
四章 等しくこの大地に死すならば
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閑話 夜風にゆれるロベリア

「食事しよう」


 同族のそんな誘いで部屋に招かれた。

 そこで要求されたのは、血。

 食事の意味が違うとリゼットはレナードに抗議する。


「食事といったらお前が奢るか作るかするだろう」

「キミが作るという選択肢は?」

「私が料理できると思うのか」

「今までどうやってきたんだよ」

「缶詰」

「国にいたときは? お兄さんが奢ってくれたとかいうわけ?」


 スレイドの趣味が料理だったから振る舞われることも多かったが、レナードに言いたくもない。リゼットは顔を背ける。


「はあ……、周りが甘やかしまくってこうなったのか」


 土足禁止だという変わった部屋の床に座るレナードは呆れを滲ませる。リゼットは入り口で立ったまま固まっている。

 男の家にきたことがそもそもの間違いだ。

 幾ら食事に釣られたからといって、他人の家に上がり靴を脱いでしまったというのは無警戒すぎた。

 リゼットは扉を背に、逃げ道を考える。


「輸血パックは……」

「あれオレには効かない」

「血液製剤」

「まずい」


 血液製剤――コップの水に溶かす粉末は魔族の飢えを収める為のものだ。人を食べられては困ると聖帝国で使われている。そういった代用品をレナードに悉く断られる。

 交渉、説得、主張、様々なものを試みて最早食われるしか道がないのだと諦めが心を支配する。

 冗談ではないと拒んで帰らないのは、前科があるからだ。

 リゼットは不意打ちのようにレナードの血を奪ったことがあった。

 レナードはリゼットの傷から滲む血を吸うことはあっても、牙を立てたことはない。到底奪った量には足りなかった。


「別にキミが噛んだからってわけじゃないよ。ほら、あげる」

「は……」

「あ、でも鎖骨とか肩に噛みつくのはやめてほしいな。痛そうだ」


 腕を差し出されて、リゼットは困惑する。

 飲めるはずがない。

 牙を立てるなんてできない。

 リゼットは血液製剤で事足りる。女のやわらかな首筋をみて、男の逞しい腕をみて――誰かに噛みつきたいと思ったことなんてないはずだ。

 吸血衝動なんて、ない。今はまだ我慢できる。大怪我をしない限り血など飲むものか。


「三分だ。それ以上は私がばてる」


 リゼットは諦めて、レナードの元に向かった。


「キミは?」

「いらない」

「……なら、良いけどさ」


 自分の血を与えずに糧だけ得られるのならそれに越したことはないのだろう。彼の目に何処か安堵の色があるのを見てやはり魔族だと感じた。

 腕を掴まれて、引き寄せられる。

 膝が絨毯に沈む。リゼットはレナードの肩を押し戻した。


「喉はやめろ」

「何で?」

「敵にやられた時、痛かった」

「そりゃ手加減してないだろうからね」


 膝を付き合わせて座るレナードを睨む。

 背を向けたリゼットは、髪を掻き上げた。うなじを晒すように俯くと胸元でペンダントが跳ねる。

 そして、首と肩の間のあたりを噛まれる。

 鋭い痛みから遅れるようにして苦しみが頭をもたげてきた。


「………………」


 餌になっている時の獣は何を考えるべきなのか。

 逃げ出すこと、生き延びること。ならば合意で身体を投げ渡した場合は。

 魔族らしく伸びた爪が喉に当たる。

 餌になるのは痛いし、怖い。早く終わることを望む。

 苦痛にひたすら耐えて漸く解放される。

 牙が抜かれた瞬間にまた痛みが身体に響いて、息が詰まった。震える息をついたリゼットは滲んだ目を掌で拭う。


「重い。どけろ」


 食事が終わったのにも関わらず、レナードは背後から腕を回したまま離れようとしない。


「ついでだけど、一回寝てみない?」

「どうしてそうなる……?」

「喉が乾きすぎた時にすると気が紛れるから」

「他を当たれ」


 気分の悪さも手伝って、自分でも驚くほどに冷たい声が出た。

 食欲と性欲が一体化しているような魔族は多い。魔族の男に目をつけられた女はいつだって酷い目に遇う。

 人の血に酔う化け物。彼は魔族で自分も魔族だった。肩の熱っぽい痛みと、氷のように冷たい手だけが現実を突きつけてくる。


「心臓がどきどきしてるし、息だって上がってる」

「一つ教えてやる。貧血になったら誰だって動悸がするし、倦怠感に襲われるんだ」

「……そういう色気のない返事されたの初めてだな」


 胸を這う手を掴む。

 指を折る、手首の間接を決める、鳩尾を打つ。頭に浮かぶのは背後から押さえ付けてくる敵への対処だ。しかし、同族相手に攻撃するのは如何なものか。不埒極まる者とはいえ仲間で、更に言えば謝罪の意味で血を提供したのだ。その相手を痛め付けたのでは全てが無駄になる。

 リゼットがどうにか怒りを抑えていると、レナードは火に油を注ぐようなことを言った。


「死んだ恋人に操立ててるとか?」

「そんなんじゃない。とにかく気分じゃない」


 これ以上可笑しな真似をしたら蹴るぞと脅しつけると漸く腕が離れた。

 どんな顔をしてふざけたことを抜かすのかと振り返る。そこには血に酔った赤い双眸があった。


(……人のこと、言える?)


 自分もあの時こんなみっともない顔をしていたのだろうか。リゼットは自己嫌悪に心が凍るようだった。

 用意されたガーゼを当ててテープで止める。

 レナードは酔いを醒ますように水を飲んでいる。その頃には目の色は普段と変わらない金色に戻っていた。

 リゼットは思わず言ってしまう。


「お前だって……イユがいるんじゃないのか?」

「イユはオレなんか相手にしてくれなかったよ」

「……そう」

「もしかして嫉妬? 嬉しいなー。ほら、抱っこしてあげるからこっちおいで」

「お前すぐそうやって茶化すな」

「ふざけていた方が楽だろ?」


 真剣に復讐だけを望み、生きていたら可笑しくなりそうだとレナードは口だけで笑う。

 いびつだとリゼットは思った。

 薄暗い彼の部屋には得体の知れない薬瓶が並んでいる。覚醒剤か睡眠薬か知りたくもない。そして、テーブルには赤い石の指輪が投げ置かれている。

 玩具のようにきらきらとしたガラスのような石が嵌まった古びた指輪だった。

 指輪を見入るリゼットに、レナードはこんなことを訊いてきた。


「そういえばさ、リゼットはどちらの親が魔族?」

「父親だ」

「そいつ生きてる?」

「病だか事故だかで死んだと聞いている」


 母は出稼ぎにいって病で死んだと言っていたが、兄からは事故に巻き込まれたと聞いた。どちらにしても低級の魔族だったのだろう。リゼットは父親という存在に関心もなかった。


「私の親のことに何か?」

「ちょっとした確認。お父さんいると色々面倒だろ。手出して殴られるのも嫌だしさあ」

「もう帰るからな!」


 こうなったレナードと話していても疲れるだけだ。

 上着を掴んだリゼットは逃げるようにその場を立ち去った。






 赤い指輪をつけた母は辱しめられて殺された。

 初めて血を飲んだあの日、リゼットは何よりも大切だったはずの母の死体が流した命を美味しいと思ってしまった。

 どうしてこんな身体なのだろう。

 整えてもすぐに伸びる爪。獣のような牙。血を美味だと感じる舌。赤い目。人間とは何もかもが違う。

 苦しい。気分が悪い。

 橋の近くまで歩いたところで目眩がしてリゼットは手すりを掴んだ。このまましゃがみこんでしまいたかった。


「おい、吐きそうな顔してどうした?」

「……誰が、吐くか……」


 反抗心から顔を上げる。橋の向こうからやってきたのは瑠璃だった。

 黒い外套と白い襟巻きを肩にかけている。今、地下街に下りてきたといった様子だ。

 地下街で一人で暮らす妹の様子を見にきたのだろう。アクアマリンの住まいはレナードの家の二軒隣だ。

 心配なら一緒に暮らせば良いものを、そこは抵抗組織の首領として一定の距離を保っていた。

 思考が母のことから逸れたお陰で少しだけ気分が楽になった。こちらは何の問題もないからさっさと妹のところへ行け。そういう意を込めて見上げる。すると、瑠璃は何とも決まりの悪そうな表情をしていた。

 何故そんな顔をされるのかとリゼットは目を(しばたた)かせる。

 動いた拍子にむき出しの肩を髪が滑る。そこで気付く。上着を脱いでいたせいでガーゼで覆った傷は見えてしまっていた。


「……誤解するな! 借りを返してきただけだ」


 魔族との戦闘で助けられたこと、何よりもこちらから無体な仕打ちをしたことの清算。でなければ誰が男の言いなりになるものか。

 怒鳴ったらまた視界が滲んだ。俯いたリゼットは手すりを掴む手に力を込めた。


「何つーか、あんたも生真面目な奴だな……」

「……何が……?」

「自分の宝もん盗った奴に貸し借りもねえだろ」

「私からするとペンダントをすぐに返さなかったお前も同じくらい腹立たしい」

「それは……済まなかったと思ってる。だがな、あんだけ殺気向けられてすぐに返せると思うか?」

「返してほしかった」


 そこで会話がなくなった。

 夜の地下街の喧騒が遠くから聞こえる。楽しそうな人間たちの声。自分にはあまりにも関係のない、遠い世界。同族と血を啜り合っているような化け物に居場所なんてない。

 今日はもう誰とも関わりたくない。

 帰ろうと決めて、リゼットは歩き出す。


「しんどそうな奴に言うのも何なんだが、明日仕事を頼まれてくれないか」

「仕事……?」

「荷馬車の護衛だ」


 リゼットが足を止めずに聞き返すと瑠璃は答えた。

 ウェーベルンの商人がキトリーまで移動するそうで、その馬車の護衛が必要らしかった。

 魔物が出た際の対処だけというなら簡単な仕事だ。しかし、赤目の女に護衛をさせるというのは人選ミスではないだろうか。商人も怯えるに決まっている。


「別に、私じゃなくても――」

「港に武器商くるぞ」


 リゼットはその一言で後ろ向きな気持ちが吹き飛んだ。

 武器が欲しかった。拳銃(オートマチック)は魔族との戦闘で壊されてしまったし、もう一丁(リボルバー)は琥珀に預けてある。新しい銃がとても欲しい。携帯用の銃剣(バヨネット)も欲しい。

 問題は、金がないことだ。


「組織から装備の支給はないのか?」

「仕事を引き受けてくれるなら報酬はそのまま渡す。武器を一つ二つ買っても良い。但し常識的な範囲でだ。手榴弾なんて買うな」

「火力がほしい」

「おい、物騒女。火力どうするつもりだよ」

「敵に向けるに決まってる。そこの家の馬鹿にぶつけてやっても良いけど……」


 レナードの家に火炎瓶でも投げ込めたら気が済むのではないか。いや、炎使いにそんなことをしたところで何の痛手にもならないか。

 琥珀もいつか言っていたが、レナードに本気で怒ったところでこちらが消耗するだけだ。

 譲歩を覚えたリゼットは、瑠璃に一つ訊いてみたいことがあった。


「お前は爆薬が嫌いなのか?」


 【黄金の暁】は穏健主義のレジスタンスではないはずだ。作戦となれば敵の拠点を破壊するようなこともある。現に今、北へ向かった組員たちには襲撃戦の命令が出ていた。


「そういうもんは大陸のアジトに置いてんだよ」

「そういう話ではなく、お前がどうなのかと訊いてるんだ」

「俺か? 好きか嫌いかで言ったら嫌いだ。戦争なんて最低の浪費だからな」


 人も物も焼き尽くし、何も残さない。疲弊した大地だけが残される。

 十年前に国を焼かれた王子にとって、破壊兵器は忌むべきものなのだろう。少なくとも彼は敵の首都に爆弾を落とすようなことはしない。

 甘いと嘲るつもりはない。リゼットにも少しばかりの良心はある。

 リゼットは聖帝国の軍人を殺した。生贄の女も手遅れだったから殺した。だが、子供は殺せない。武器を持って向かってくるならいざ知れず、子供と人の親を殺すなというのはスレイドの価値観だ。


(人殺しには違いない)


 殺めた軍人の中にも親はいたのだろう。だからこれは欺瞞だ。


「明日の仕事、引き受ける」

「そうか」


 何時に何処へ行けば良いのかという説明をリゼットは復唱する。

 受け答えをしながらも意識は明日のことへいく。武器が手に入るのは喜ばしい。他人の金で新しい武器を買えるなんて素晴らしいことだ。


「急に元気になりやがって……」

「銃を見るのは楽しいことだろう?」

「いや、そっちの趣味はねーから」


 リゼット本人は気付かないが、年頃の少女のように目が輝いていた。

 この手の人間が暮らすのが地下街西区(ルフレム)である。瑠璃はリゼットの嗜好を否定も肯定もせずに聞き流した。


「さっさと寝て明日に備えろ」


 気が付けば家の前だった。

 用は済んだと言うように瑠璃は別れもなく来た道を戻っていく。

 明日について聞きたいことはまだあったが当日のメンバーで合わせろということだろう。仕事の内容からして二、三人と組むはずだ。


(あいつじゃなければいい)


 レナードが一緒でなければ良いと思う。別に怒っている訳ではないが、明日はあまり仲良くできそうにない。

 同族とも人間ともどう接すれば良いのか分からない。恐らく早く組織に馴染めという意味で、単純な仕事を任せられたのだろう。馬車の護衛なんて殆ど座っているだけなのだから。

 瑠璃に礼を言いそびれたことにも遅れて気付いた。

 また繰り返しだ。十八歳の時から自分は何も変わっていない。明日の仕事も前途多難だという予感がした。


 次の日、リゼットが組むことになったのはよりにもよってという面子だった。

 一悶着があり、風波を乗り越えて目的(ほうしゅう)の為に協力をした。仲間の理解が深まったわけでも、友情が芽生えたわけでもない。一つ言えるのは護衛はつつがなく終わったということ。

 そして、その夜は久しぶりに穏やかに眠れたということだ。

**初出…2009年9月29日

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