【9】
東の空から登った太陽は燦々とした光を放ち、地上に積もった雪を恵みの水へと昇華させていく。
三月の上旬、リゼットはレナードに連れられて【黄金の暁】の拠点を訪れていた。
広いホールの隅にあるテーブルには、カードやダイスが散乱していてボードゲームをした痕跡がある。事実、金を持って揉めている者たちもいる。アジトは若い組員の溜まり場になっていた。
「あ、重傷者のお姉さんですね」
地下の広間へ降りてきたリゼットに最初に声を掛けたのは、金髪碧眼のシルベスだった。
「シルベス、そっちの具合は?」
「お陰様で全快とまではいきませんが、調子は良いです。あの時お二人がこなかったら瑠璃やディートヘルムさんも危なかったんですから、感謝していますよ」
自分の無事を差し置き、主と仲間の安全を気にするシルベス。礼儀正しく頭を下げる彼はやはり給仕のようだ。
聞くところによると、見た目とは裏腹にかなりの腕の戦士で先日の戦いでも前線に立っていたらしい。
「レナード兄さんは今日も絶好調って感じですねぃ」
「カモにされるって分かってるのに良くやるよ」
「いやー、売られた勝負は買ってこそ男でしょうよ!」
「金がなきゃ女とも遊べないけどな」
「男としか遊べないなんてアン兄さん可哀想に。同情します」
シルベスの前の席で、中身のなくなった財布を哀愁感じる目で見つめていたのは雀斑顔のアドリアンだ。
レナードの指摘にシルベスが同調してからかうものだからアドリアンは益々どん底に突き落とされていく。
「バルトはどうした?」
「奥さんと娘さんに会いに行ってますよー」
バルトとは恐らくあの女装男のことだろう。暑苦しくなくて良いと思ったら一人欠けていたらしい。強烈な出会いのせいで、この三人組に対して何処となく苦手意識を持っているリゼットだった。
「それはそうと、お嬢さん連れ歩いてどうしたんで? 自分のものアピールですかい」
「瑠璃に話があったんだけど……、それも良いな」
嫌な予感がすると思い切り体を強張らせるリゼットの手を取り、レナードは言う。
「この場で言っとく? キミとオレは誓い合った仲ですって」
「冗談は顔だけにしろ」
「あれ、リゼットはオレとじゃ嫌? 身も心も一つになりたくない?」
「気持ち悪いこと言うな」
「やっぱり既成事実作ってからプロポーズした方が良いのかな」
これには被害を受けているリゼットだけでなく、シルベスやアドリアン、そして周りにいた組員まで驚いた顔をする。
「んじゃ、今から空き部屋でも行って事実作ってこようか」
「真っ昼間から何を考えてるんだ?」
「あ、夜なら良いのー? なら夜誘うけどー?」
ふざけているとは分かる。分かるのだが、この手のからかいはどうしても慣れることができない。
リゼットは痴れ者を殴るべく拳を作り、叩き込む。
そこへ敬慕するレナードを守るべくアドリアンが飛び出し、身を盾として彼を守りきった。畦道に転がる仲間を省みることなく、レナードはホールドアップする。だが、リゼットは取り巻きを一人倒したくらいで気が済むほど穏やかな性格はしていない。
「あの……急襲しないでくれない?」
「頼む、殴らせてくれ」
「えー、まだ心の準備が」
「攻撃というものは心の準備をしてから食らうものじゃない」
「あ、僕も同感です。予期せぬ時に襲い来るからこそ攻撃なんですよねー。そもそも自業自得ですし、女の子の攻撃をよけるなんて女々しいというか」
準備をされてから殴ったのでは威力が半減する。リゼットが努めて真面目に言い切ると、床に転がった仲間に冷たい視線を注ぎながらシルベスがぼそりと同意してきた。
「シルベスはリゼットの味方するわけ?」
「レナードさんが女の子にギタギタにされるところ見てみたいんですー」
大切なお友達とやらの一人が敵に回ったのを見て、レナードは笑顔ながらに声色を低くする。
しかし、シルベスは臆さない。彼は華奢で華麗な見た目とは裏腹に中身が図太く、腹黒い。時と場合によっては目上をもからかう歪んだ性根をしている。
彼等の周辺は最早収集がつかなくなってきた。
「戯れてんのは別に構わんが、俺に話だって?」
そこに収集をつけるべく声を掛けたのは瑠璃だった。
青み掛かった黒髪を頭の後ろで適当に括り、外套も襟巻きもない格好をしている彼は組員に溶け込んでいる。どうやら始めからこの場にいたようだ。
瑠璃は静観を決め込んでいたが、事態は収まるどころか一人の犠牲者を出すまでに膨れ上がった。【黄金の暁】のリーダーとして、揉め事は収めねばならない彼は、微々たる正義感と野次馬根性に駆られて、リゼットとレナードの前に立つ。
「見事に伸びてんな。――それで、用件は?」
瑠璃は床に転がる犠牲者を悼み、軽く黙祷をするとすぐ様、切り替えた。
あんまりな扱いに組員たちからは失笑が漏れる。相棒たるシルベスは仕方なくアドリアンを担ぎ上げて隅に退散した。
「話というのは他でもないリゼットのことなんだ。この子をオレたちの仲間に加えて欲しい」
レナードは真面目な口調で切り出した。
リゼットが問題を抱えていると知ったのはあの場にいたレナード、瑠璃、オリヴィエだ。
普通に考えて、そのような人物を組織に抱え込みはしない。
西海国に残ることには頷きはしたものの、【黄金の暁】に組することは無理だとリゼットは首を横に振った。しかしレナードは瑠璃に掛け合うとまで言い出し、今に至る。
「もし俺が頷かなかったらどうするつもりだ?」
「いやだ」
「嫌だじゃねえだろ。駄々っ子かキサマは!」
レナードは瑠璃を真正面に見る。その眼差しは何処までも真面目だが言い口はまるで子供のよう。頭痛を感じた瑠璃はついがなる。
すると、レナードは半目を伏せて不穏なことを呟く。
「ここ……半壊させて、同志を半分に削っても良いけど……?」
「そこまでする必要ないだろう」
「リゼットは黙ってて」
仲間に加わらないなら血を寄越せとナイフを向けられたことのあるリゼットは、レナードの子供じみた残酷さを身を以って知っているので止める。
新たな誓いから数日、レナードはリゼットに対して心を砕くようになった。リゼットにはその気遣いが苦しい。
「瑠璃、この子を加えて欲しい。頼む」
そして、レナードは頭を下げた。奔放すぎる男が頭を下げる姿に組員たちはどよめく。
頭を垂れたままにしているレナードをリゼットは「もう良い」と引っ張る。
「別に私が加わらなくても良いじゃないか」
「やだよ」
「だから嫌だとかの問題ではなく……」
足手纏いが加わる意味がないと、何度目になるか分からない事実を告げる。
「オレはキミがいたから敵を倒せたと思ってる」
「あれはお前が倒したんだろう」
「リゼットがフォローしてくれなかったら動けなかった」
「お前たち、いい加減にしろ!」
倒した倒さないで口論を繰り広げる二人に、瑠璃は拳を握り腹から声を出す。
海賊王家の末裔たる瑠璃は怒ると怖い。凄まじい怒声に二人も口を噤まざるを得なくなった。
「さっきから何を言っているんだ。既にこいつは仲間だろう」
瑠璃は何処か面倒そうに吐き捨てた。そして続ける。
「親愛なる同志諸君、異論があるならば言ってくれ」
「ないですよ。聖帝国を叩き潰してるその人と僕たちの目的は一致してますし」
「異議なし」
「答えは単純だな。舐め腐った聖帝国は潰す」
「民と政治が許容するかの確認かい? ならばワタシたちも同じだねぇ」
「だそうだ」
「……ラピスラズリ……」
「一緒に戦っておきながら今更他人とか言うのはなしだからな……ってか、その呼び方はやめろ」
目を見開きぽつりと名前を口ずさむリゼットは戸惑っていた。
何故この人はこんなにも真っ直ぐな目でこちらを見られるのだろう。魔族と人間の混ざりものを恐れも蔑みもなく見て、仲間だと言うのはどうしてなのか。
瑠璃にとっては常からしていることで特に変わったことではないのかもしれない。けれど、こういう扱いに慣れていないリゼットは惑うばかり。
思い惑うリゼットをそのままにして、レナードは感謝を述べる。
「瑠璃、有難う!」
「お前が礼を言うと大雪が降る」
「持つべきものは友だって、すっごく思ったよ」
「心にもないことを言うな」
「ほんと、心にもないよね」
「だよなぁ……。雪が降ることに100ギルス賭けとくか」
「それ降らない方に賭ける奴いないでしょう」
今まで口を挟まなかった者たちも、レナードらしい答えに失笑やら呆れを滲ませて他人事としての感想を飛ばす。
【黄金の暁】組員にとって他人の問題は何処までも他人事なのだ。レナードが問題を起こしたところで真に悩み、胃を痛めるのは首領の瑠璃くらいである。
連帯感がありつつ、変なところで距離がある自分可愛い者たちの集まり。所謂、塵溜めの吹き溜まり。
不思議と居心地は悪くない。自分が毒されていることを感じつつリゼットは張っていた肩を下ろした。
「では、この僕シルベスから皆さんの紹介させて貰います。
我等がリーダー、風魔術師の瑠璃殿下。
戦争屋の旦那、槍使いのフェイト。
男装の麗人、水魔術師のオリヴィエ。
シルクハットの変態、黒魔術師のアルレッキーノ。
プライドが高い仮面の変人、地魔術師のファントム。
頭に火薬が詰まってる戦闘狂、大剣使いのベルセルク。
レナードさんは割愛。因みに僕は風使いですけど剣のほう得意です」
一階の応接室に集められたのは八名。
【黄金の暁】に加わることになったリゼットは、腕自慢十人と呼ばれる者たち紹介をされていた。
シルベスの説明は余計な装飾が多くて、誰が誰だか分からない。
任務帰りなのか大剣を背負った青年、シルクハットを乗せた性別不詳の人物、貴族のような優美な身形をした仮面の若者、見るからに寡黙そうな三十路の男、燕尾服の麗人。そして、黒髪の王子と赤髪の傭兵。
ここに揃った八名が【黄金の暁】に於ける戦力の要ということらしい。だが、腕自慢十人というには数が足りない。
「二人足りないが」
「ヴィルジール老は隣町にいるよ。もう一人はこの前の事件でね……」
レナードは何処となく沈痛を浮かばせた風に説明した。
「おいオマエ、暗い顔するな。湿気た面をしていたらイワンたちだって浮かばれないだろうが」
部屋にしんみりとした空気が満ちる。それを振り払うように瑠璃は言う。
苦いものを窺わせる面持ちをしながら、それでも瑠璃は前を向いている。
こういう地下組織に犠牲は付きものだ。戦いに身を投じれば、いつ果てても文句は言えない。自分で決めた道なら尚更だ。時に薄情とも取れる心で、敵を倒す為だけに立ち上がる。それが仲間への弔いになると分かっているから、生者は先に進まねばならない。
「一番堪えてるのはどこのどいつだろうな?」
「うるせえ。仮面剥ぐぞ」
「おっと、失言だったかな。ただの独り言なんだが」
瑠璃に突っかかったのは顔の片側を仮面で隠した若者だ。
掻き乱すタイプはどの組織にもいるものだとリゼットが顔と名前を一致させようとしていると、突然真横から声を掛けられた。
「なあなあなあ! あんた【破壊の使徒】なんだよな?」
真正面に立ったのはバトルスーツ姿の大剣使い。何処となくレナードと似た雰囲気を持った青年で、その黒い目が興味深そうにリゼットに向けられている。
「そうだが、私に何か?」
「あんた強いか? この派手な赤毛より強いか?」
何だろう、このガキっぽい男は。確か戦闘狂などと言われていた。
レナードよりもこのベルセルクとかいう男の方が派手な頭をしている。黒い髪の一部を鮮血のような真っ赤な色に染めているのだ。
きらきらと輝く黒曜石の瞳が無邪気で一見少年のようだが、無骨な掌は成人男性のそれ。
期待に輝く眼差しを向けられてリゼットは困る。レナードはベルセルクを引き離し、彼を小突いた。
「アキヤ、何いきなり口説いてくれてんの」
「良いじゃんかよー。俺様いない間に面白えことあったんだろ?」
「山で魔物狩ってきたって聞いたけどまだやり足りないのかよ」
「魔族ぶち殺せなかったなんて気が済まねえ。あんたか女潰して憂さ晴らしだ」
どうやらベルセルクはコードネームで、本名はアキヤというらしい。
「もう一回病院送りされたいワケ」
「やんのかー、クソチビ金目野郎」
「オレを莫迦にすんな、知能なしの莫迦」
「はん、知能なしじゃねえし。てめぇより魔術はできるわ」
低能すぎる遣り取りに頭痛を感じたのか、瑠璃は苦虫を噛み潰したような顔をしている。最早、仲裁を入れる気力すらないらしい。瑠璃に絡んでいたファントムも肩を竦めていた。
「ベルセルク、アリスティド。やめたらどうだ。騒ぐなら外に行け」
心労の溜まった首領の代弁をしたのは、灰色の目をした男。彼は槍遣いと言われていた人物で、リゼットが思うにこの中で一番の腕を持っている武人だ。
鋭い双眸から垣間見れる心には一切の乱れがなく、声も空気を切り裂くように張り詰めている。
自分やオリヴィエとは違う殺し屋だと、リゼットは思った。
「フェイトは堅物だねえ……。ワタシはこういうの嫌いじゃないよ」
「問題児どもは大人しくしてくれ。シュトレーメルが引いている」
いずれにしても【黄金の暁】の腕自慢が色物揃いだということは分かった。
リゼットから見てまともと感じられたのは、オリヴィエとシルベス、あとはフェイトくらいだ。ファントムとベルセルクとアルレッキーノは、あまり関わり合いにならない方が良いだろう。
だが、それぞれ良い気迫を持っているので任務となれば驚くことになるかもしれない。リゼットは改めて首領を見た。
「シルベスから説明したようにうちは魔術師が多い。小回りがきく奴は歓迎だ」
対人戦で剣などさして役に立たないのだから、銃と魔術師で固めるのは当然だ。リゼットもそこに不満はない。
「弾薬の補充がしたいんだが、銃砲店はあるのか? メンテナンスもだ」
「整備士は町にいるが、そっちの店は武器商くるのを待ってくれ。地下の倉庫にある資材は好きに使ってくれて良い。ああ、地下街の説明がまだだったな。アルヴァレスとシルベス、あとで案内してくれ」
「畏まりました」
「了解です。お姉さんの家も用意しないとですね」
一般人に火器が流通していないのは敗戦国として制裁を受けているからだろう。聖帝国に逆らうような国に武器が流されることはない。
暫くはナイフを使うことになりそうだとリゼットは切り替える。
「なあなあ俺様は?」
「お前は外でレフィと好きなだけ打ち合ってろ」
「うわ、そこでオレに投げんの」
「行ってらっしゃい。ワタシは中から見学するよ。外は寒いからねぇ」
「インスタントコーヒーで良ければ僕、淹れますよ。皆さんもどうです? レナードさんとアキヤさんはどうぞ外行って下さい」
瑠璃は戦いたくて堪らないらしいベルセルクをレナードに押し付ける。シルベスは寒がるアルレッキーノに珈琲を勧めた。
周りの反応からして、この二人が騒いでいるのはいつものことなのだろう。リゼットは自分が巻き込まれないのなら問題ないと、同族を見送った。
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「リゼ姉、何だか楽しそうだね」
「そうねえ。元気になって良かったわ」
屋敷の二階。琥珀と翡翠は夕陽の射し込む窓辺で語り合う。
庭ではレナードとバトルスーツの男の試合が行われている。その戦いを観戦しているのかいないのか木陰に座るリゼットは、木に寄り掛かる瑠璃と何事かを話していた。
(リゼ姉と王子は苦労性っぽいしなぁ)
琥珀はリゼットと瑠璃は似た者同士だと思う。弱音を吐かない辺りがそっくりだ。いずれ衝突しそうだと予感にも似た思いを抱く。
だが、レナードと連んでいるよりは安心できる。
事件のアリバイの為に琥珀はレナードを庇う立場に回りはしたが、気に食わないことに変わりはない。
「聖帝国とか魔族とか、僕たちは全然知らないんだね」
「リゼの……【破壊の使徒】のこともあんまり知らなかったわよね」
狭い島で暮らしてきた自分たち姉弟には世界はあまりにも広すぎて。
それでも友人を支えたいと思うから。だから、琥珀と翡翠もこの国に残ることを決めたのだ。
**初出…2009年9月13日




