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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
四章 等しくこの大地に死すならば
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【8】

 落ちゆく夕日は西の彼方へ、昇りくる月は東の空にまだない。

 薄闇に包まれ、鬱然とした空気に包まれる墓地にレナードはいた。

 今回の騒動での犠牲者の葬儀は三日前に行われた。レナードは墓作りだけ手伝い、葬儀には参加しなかった。

 死んだ仲間たちの墓、その全ての前で膝をついて祈る。最後に膝を折ったエリカの墓前で立ち上がることができなくなった。


『寂しいんでしょ』


 皆が呆れるような振る舞いをしていたレナードにエリカはそう言ったのだ。

 ここを訪れた当時のことはあまり思い出したくはない。苦手な酒を浴びるように飲み、複数の女性と関係を持ち、それでも心が満たされなくて薬を飲むようになった。皆が言うような莫迦者に落ち着いても、中身は何も変わらなかった。

 エリカはその裏側にあるものに気付いてしまったらしい。何かといってはレナードを庇うようになった。


「エリカ……」


 毒物好きのイカレ女。無遠慮であっけらかんと笑うところがイユを思わせて、苦手だった。

 茹だるように熱い目は油断すると無意味なものを生み出そうとする。冗談じゃないと手で強く押さえてみても、込み上げた衝動は治まってくれはしない。


「……なんで……こうなる」


 今までと同じようにしたくなかったから一度切りで仕舞いにしたというのに、どうして逝ってしまったのか。

 何故だとレナードは反芻する。答えは何処からも返ってこなかった。

 その代わりに、隣にふわりと舞い降りた存在がある。

 首から膝までを覆い隠す黒衣(もふく)を纏ったリゼットは胸に白い花束を抱えていた。

 赤い唇が言葉を紡ぐ。


「なんて顔をしてるの」

「……悲しんでる振り」


 練習だよ、と告げて笑った。


「莫迦じゃないのか」


 向けられた眼差しが、遠い過去にあるものとあまりにも瓜二つで心が痛みを放つ。

 レナードが浮かべたその()()()()()()()()()から、リゼットは目を逸らした。

 彼女は抱えていた花をエリカの墓の前に置き、目を閉じる。己に毒を盛った者の墓に何を祈っているのかは分からない。

 宵の風に熱かった眼も冷めてくる。泡立っていた心も波一つない水面のように落ち着く。

 結局は演技だ。自分は冷血なのだ。誰も愛せなければ、信じられもしない。


(この女だって……)


 あの時、「信じたい」と言ってくれたのはどちらなのだろう。

 こちらを信じ、「斬れ」と叫んだのは間違いなく魔族のリゼットだった。

 真っ直ぐな言葉をくれたのは本当の彼女なのか、魔族を憎むもう一人の彼女なのか。レナードはリゼットのことをどうすれば良いのか悩んでいた。

 己のことだけで手一杯だというのに、弱い彼女を傷付けずに傍に置けるだろうか。

 同族には嫌われたくない。逃がしたくないし手放したくもない。だが、テオが言ったようにリゼットを正気のままでいさせる自信がない。

 こんな心は誰にも見せられない。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 墓参りをした後、リゼットは水路の街を歩いていた。

 前を進むレナードは纏めてあった髪を崩しながら話し掛けてくる。


「墓参りなんて奇遇だね」

「今日、出歩く許可が出た」


 事件から一週間が経った。

 戦闘中に蹴り飛ばされ、瓦礫に体をぶつけたリゼットは一週間の安静を言い付けられた。

 その間はオリヴィエの見張りが付き、琥珀と翡翠が傍を離れずにいたので動ける状況ではなかった。漸く許可が出た今日、リゼットは墓に行き、そこでレナードと鉢合わせした。


「ここ、綺麗だよ」


 ふと、橋の上で足を止めたレナードが言う。

 藍色の水が流れる水路の横には蔓の巻き付いた木。葉もなければ、枝も痩せ細っているように見える。こんなものの何処が綺麗なのだろうとリゼットは眺める。


「枯れ木じゃないか」

「春にはウィステリアの花が咲く。水面に映ると綺麗なんだ」

「そういうものを愛でる感情があるのか?」

「あるようには振る舞えるけど……?」

「そう……」


 それは、ぎこちない会話。

 初めて会った時よりも距離が開いてしまったような受け答えは寒々しい。

 リゼットは己の内に抱える闇のこと。レナードは自責と、彼女を信用できるかということ。いつもなら軽口や嫌味の一つや二つは叩く二人だが、今は己の抱えているものの重さに打ち拉がれていた。

 まるで視線が合うことを厭うように金色の目は暗い水面を見て、赤色の目は伏せられている。


「落ち込んでいるみたいだけど、何かあった?」


 落ち込んでいるのはそちらじゃないか。問われたリゼットは内心そう思った。


(泣いてた癖に……)


 レナードはエリカの墓の前で泣いていた。

 リゼットは困ってしまった。

 悲しむ振りだと誤魔化す様には戸惑った。エリカが寂しい人だと言ったのが少し理解できてしまった。

 しかし、その部分に触れるには自分と彼はあまりにも他人だった。だからリゼットは質問に対してだけ、答える。


「正気を疑われて落ち込まない奴がいるか」

「医者に言われた?」

「……ああ」


 シメオンに止めを刺した時のことをリゼットは曖昧にしか覚えていない。

 記憶の片隅にはあった。それは映像や写真を見た時のように現実感がなく、他人事のような感じがする。現実か幻想なのか分からなくてリゼットは思わず問うたのだ。瑠璃は勿論、レナードも怖い顔をしていた。

 大きな傷の手当てを終えた後、医者に診せられた。そして言われた。適応障害だと。

 人間は自分の心を守る為に記憶を消したり、周囲に適応しようと過剰な言動を取ることがあるという。リゼットを診た医者はヴェノムを知らないようだったので、飽くまでも人間としてみた場合の診断をした。


「私は……私の意思であの人の仇討ちをしているのに」


 例え憂さ晴らしだとしても、自分が自分の意思でやったことだからと前を向けた。それなのに、その事実をも否定されてしまうのは耐えられない。

 握り締めた掌から血が落ちる。伸ばしている訳でもないのに尖る爪は皮膚を抉った。


「手が傷むよ」


 鉄の匂いに気付いたレナードはゆるりと視線を動かす。


「別に、すぐ塞がる」

「キミの血はオレのものでもあるんだから、不用意に流さないでよ」


 レナードはリゼット腕を取って、血のこびりついた掌に唇を寄せた。

 また吸われていると感じながら、けれどリゼットは抵抗しない。


「殺せば良いのに」


 この血が同族のものだというなら殺された方が良い。リゼットは不可抗力とはいえ、一度はレナードに殺されることを望んでいた。

 昔から足手纏いになることが嫌だった。そうなるくらいなら、いっそ死にたいと願った。自分に戦うこと以外の価値があるとは思えなくて、いつもスレイドを悲しませた。

 人間にも魔族にも何の価値もなく、世界に未練もない。リゼットはスレイドがいない世界に生きていることがずっと嫌だった。


「…………」


 睫毛に弾かれた涙が頬を伝い、先を紡げなかった唇の上に滲んだ。

 震える唇からは何も出てこない。殺してと言いたいのに、言葉の代わりに涙が出てしまう。

 浅く息を吸い込んで、空気の冷たさに胸が凍える。リゼットは顔を背けた。


「私は誰に殺されたって文句は言えない。だったら……」

「少し、黙ろうか」


 寝かしつけるような静かな声にリゼットは顔を上げる。

 血を吸い取られるのだろうか。それで良いと思った。

 角張った手に胸倉を強く掴まれた。

 目の高さが合う。

 ざわりと身が泡立つような感覚。気が付けば唇は塞がれていた。

 涙の辛さか血の甘さなのか、最早分からない。ただ雫の味を分かち合う。

 赤く潤んだ唇は塞がれたまま。特別熱くも取り分け冷たいわけでもなく、同じ温かさ。舌が絡むわけでも、噛み付くわけでもなく触れているだけ。

 離れたら、息が同時にこぼれた。

 彼は呆然とする彼女の髪を撫でた後、労るように抱きかかえる。相手の温もりに間近で触れながらもリゼットは抵抗できなかった。


「……何のつもり……?」

「生き残ったらするって言った。それに悲しい顔してたから」


 いつかもそう言って腕を引かれたことがあった。

 夕暮れの甲板でひとり海を眺めていたら、身投げしそうだと疑われたのだ。


「殺せとか言われるとオレが挫けそうだから言って欲しくない」


 やめてくれと、吐息のような声で囁かれて更に腕に力がこめられる。

 片方の手は背を強く抱き、もう片方は掻くように髪を乱す。

 誰か(イユ)を重ねられているような気がする。けれど、自分も彼を突き放せないのだから詰ることもできない。


「……お前のことが……嫌いなのに、こうやって身を預けられる自分が嫌になる……」

「オレだってキミのことが好きでもないのにこうしてる意味が分からない」


 出会ったばかりの他人で、嫌悪すら感じるような相手なのに離れられない。喉の渇きにも似た思いで同族を求めてしまう。

 難儀な関係(けいやく)だともう一度だけ涙を流した。






 闇の帳が降り、空には刺々しく星が瞬いた。

 先ほどの場所からさほど離れていない、水路へと降りる階段へ座り、彼等はぽつりぽつりと話をした。


「残る?」

「決めかねている」

「オレの所為、だよな……」


 リゼットは凍えた掌を吐息であたためる。


「私は身の置き場所が欲しいだけだ。残らないなら翡翠たちといる道を選ぶこともできる」


 この国に残る切実な理由はないと思っている。

 レジスタンスに自分のような半端者がいては空気を乱すだけだろうし、医者が言うことが真実ならば役立たずにしかならない。

 レナードの傍にいたい訳でもない。確かに同族で、傍にいれば慰めにもなるが面倒なことも多い。


「キミは逃げることを良しとできる人じゃない。彼等からも離れるんだろ」


 独りになる道を選ぶ、とレナードは言った。


(翡翠と琥珀から逃げたら、私は……)


 また独りだ。

 だが、仕方ないと思う。リゼットは孤独になっても仕方ないような罪を犯してきた。人殺しの自分が何かを求めるのは勘違いも甚だしいと気付いた。生きる理由なんて探せる立場ではない。死に場所こそを探すべきだった。


「残って下さいって頼んだ方が良いのかな」

「私に頼むとでも?」

「仲間がいないのは寂しいからね」


 自分を追い詰める道を選ぼうとするリゼットにレナードは言う。それから小さく笑った。

 自嘲なのだろうなと、リゼットは感じた。


「そもそも、オレはキミを独りにしないって誓ったんだから」

「そう言った数日後に人質(ペンダント)を盗って消えたのは何処のどいつだ?」

「それは……断られたら嫌だったからさあ……」


 あの時は必死だったのだと、レナードはしどろもどろに言い訳する。


「断るつもりはなかった」

「嘘だろ?」

「本当に」

「……ごめんなさい……マジでごめんなさい……」


 セレン島でレナードの手紙を受け取る前の日、暇があって食事を共にした。その時にリゼットはレナードの言う場所――【黄金の暁】の本拠地である西海国に行ってみようと思ったのだ。

 だというのに裏切られて物凄く腹が立った。

 西海国に入るまでの気分は良くはない。そして、再会したと思ったらあれだ。

 こちらは怒っているというのに、レナードは素直に再会を喜んでいるようでカチンときた。


「兎に角、これからは気を付けるからさ」

「なら……信じさせてくれるのか?」

「リゼットがオレを裏切らないと約束してくれるなら、オレはリゼットを独りにはしない」


 常であれば「キミ」と言っているところだろうに、こんな時に名前で呼ぶのは何なのだろう。これが悪魔が人の心を掌握する術の一つか。

 それに裏切るとはどういう意味だろう。

 何か隠し事あるのかと不安に思った。けれど、頷いてしまう。


「世界中を敵に回すことになるとしても?」

「そんな不吉な約束はしたくない」

「ただの誓い文句さ」

「もし……もしもそうなったら私が殺す」

「それも良いな」


 月のように柔らかに微笑むレナードに嘘は感じられなかったけれど、リゼットは胸の辺りに苦い突っ掛かりを覚えて仕様がなかった。

 そうしてムカつく感情のままに顰め面をしていると、わしゃわしゃと髪を撫でられる。どうやら慰めの意味らしい。こんな奴に慰められるなんて不覚だとリゼットは益々顔を歪める。


「そんな顔しないでよ。これからは演技じゃなく、本当に優しくできるように努力するつもりなんだから」

「つまり、今までのは偽りなのか?」

「リゼットはオレに何を約束してくれる?」

「守れない約束は嘘と言うんだ」


 問い掛けを軽く無視したレナードはリゼットに新たな誓いを求める。けれども、リゼットは仕返しというようにかわしてみせた。

 あまりに素っ気ない態度に、人とは感性の異なるレナードは傷付くどころか笑ってみせた。こうなるとリゼットは肩を下げるしかなくなる。


「さて、雪も降ってきたしそろそろ帰ろうか」


 先に立ち上がり、差し出される手。

 有無を言わせず引っ張っていく様子はない。リゼットは暫く考えた後、レナードの手を掴んだ。途端に引っ張り上げられる。


「はい、良くできました」

「何が良くできましただ。ふざけた奴だな」


 子供扱いするような揶揄を含んだ言い口にリゼットが口答えするものの、レナードは笑って歩き出した。

 歩幅が違うので急くように歩きながらリゼットは思ったことを口に出す。

 

「お前は私の兄にそっくりだ。自分勝手でうざったいところが腹が立つ」

「え、リゼットって兄弟いたんだ? 我が儘だから一人っ子だと思ってた」

「そういうお前こそ兄弟いないだろう」

「残念。オレにも兄貴いるよ」


 そこで漸く気付いたようにレナードは歩調をゆるめた。

 少しずつではあるがやっとそれぞれを尊重しようとし始める二人。

 そんな若者たちを遠くから見守る影がある。


「……ミレイユ……」


 雪の降りしきる夜に溶けてしまいそうなほどに色のない男は彼等の後ろに立っている。そして白い悪魔レ・ディアーブル・ブランは人知れず、因果なものだ、と呟いた。

**初出…2009年9月12日

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