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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
四章 等しくこの大地に死すならば
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【7】

 魔族と刃を交えた夜から二日が経った。

 リゼットは【黄金の暁】が所有する屋敷の一室にいた。


「リゼ姉、一週間は安静なんだからね」

「もう治ってる」

「その顔色で言われたって説得力ないし」


 軽い切り傷は治療術で塞がったものの、骨折だけはどうにもならない。

 昔痛めた箇所を蹴られたというのが悪かった。肋骨が砕け、肌には青い痣が浮かんでいる。呼吸一つするだけで鈍痛が響き、リゼットは顔を顰めるしかない。


「頭強く打ったって聞いたよ。大丈夫なの?」

「それくらいじゃ死なない」

「僕は無茶しすぎだって言いたいの!」


 ベッドに座っているリゼットの顔色は悪い。

 琥珀は切り傷の残る額に手をあて、治療術をかけた。


「翡翠は?」

「買い物。ただで置いてもらうの悪いからって手伝いしてる」

「そんなことする必要ないのに……」

「動いてたほう気が紛れるんじゃない」

「琥珀、翡翠の傍にいた方が良い」

「姉さんにリゼ姉の治療してきてって言われてるんだけど」


 妖精が見えるということ以外は何処にでもいる姉弟はこの国で起きた血生臭い事件で何を見て、何を感じたのか。

 リゼットは琥珀は翡翠に付いているべきだと感じたが、翡翠が考えを譲らないことも知っていた。


「レナードのやつはどうしている?」

「ああ……、なんか今朝にはもう出歩いてたよ。墓作るとか言ってた。あいつよりリゼ姉の方が重症だよ」


 レナードはシメオンとリゼットの血を飲んだ為に回復が早いのだろう。両者に血を抜かれたリゼットはこの様だ。

 魔族に牙を立てられた喉にはまだ傷が残っており、ガーゼがあてられている。言葉にこそ出さないものの琥珀の視線は時折そこへ向けられる。そして、あの莫迦(レナード)は何をしたのだと言わんばかりに目を据わらせていた。

 暫くの間、琥珀の治療を受けていると部屋のドアが三度叩かれる。椅子から立ち上がった琥珀がドアを開けると、オリヴィエがいた。


「琥珀くんでしたか。暫く外してもらえますか?」


 包帯と薬品の乗ったトレイを持ったオリヴィエは琥珀に退出を求めた。


「僕、邪魔しませんけど」

「彼女は女性ですから」

「え……!?」


 ぎくりとしたように琥珀は振り返る。

 別に包帯を交換するのを見られたところでリゼットは何とも思わないが、オリヴィエの一言は少年にはとても気まずいものになったらしい。

 人払いだとリゼットは察した。


「私は大人しくしてるから、翡翠のところへ戻れ」

「……うん。本当に大人しくしててよ」


 またくる、と言い残して琥珀は部屋を出た。代わりにやってくる燕尾服の麗人を前に、リゼットは体が強張る。

 冷たい汗が背中を流れ、傷がじくじくと痛みを発する。

 オリヴィエがベッドの傍らのテーブルに置いたのは、赤い液体の入ったシリンダーだ。


「血の気の多そうな者たちから抜いてきました。こちらの方が貴女には効くでしょう」

「……要りません」

「仲間の仇を討ってくれた礼のようなものです」


 リゼットは輸血パックの血を飲むことに抵抗はない。だが、人間たちが善意で抜いたものだというと途端に忌避感が出る。

 施しのつもりかという言葉は先に感謝という理由で殺された。血を見るとおかしくなりそうで正面を向いたまま硬直するリゼットにオリヴィエはもう一つ、あるものを差し出す。


「これは瑠璃からです」


 手渡された小箱の中にはフローライトのペンダントが収まっていた。

 リゼットは痛みも忘れてペンダントを首にかけようとして、そこでオリヴィエがいることを思い出して手を下ろす。

 膝の上で手が震える。リゼットはオリヴィエの顔を見られなかった。


「何故そんなに怯えているのですか?」

「私に……、私に何か言いたいことがあるんですか」

「お元気そうで何よりだと。尤も、この状態でそんなことを言われても複雑でしょうが」


 自分の昔を、それもスレイドやヴァレンを知っている人物だ。何より聖帝国の人間である。

 船でクリスティアン・ベレスフォードに指摘された欺瞞――自分がなした復讐によって、他の誰かが自分と同じ苦しみを抱えるということ。リゼットが殺した帝国人の中にオリヴィエの知人や家族がいた可能性がある。


「スレイドは果報者ですね」

「……っ」


 呼吸が浅く、早くなる。

 胸が痛い。

 呼吸に合わせて視界が赤く明滅するようで、リゼットはペンダントを握り締めた。


「殺されたスレイドの仇討ちの為に何百と殺した。魔族も、聖帝国の人間も、哀れな生贄も」

「……私を人殺しだと……貴方もベレスフォード教官と同じことを言うの……?」

「いいえ。国を抜けて、こんな場所にいる身です。貴女をとやかく言える立場ではありません」


 レジスタンスと言えば聞こえは良いが、武装した集団は聖帝国からすればただのテロリストだ。

 かつてリゼットは反帝国組織(テロリスト)の殲滅作戦に参加したことがある。

 ――あれは機関銃と爆薬による虐殺。市街戦で同盟国を制圧した。瓦礫の下敷きになった魔族の子供を助けようとしたスレイド。混乱に乗じて彼を撃ち殺そうとして、初めて彼に銃を向けられた。

 あの戦場でリゼットはスレイドへの殺意を失った。

 彼の価値観に心中(しんじゅう)した。

 肩を震わせる娘の手からペンダントを取り、その首へかけると、オリヴィエは喉のガーゼを外して手当てを始めた。


「貴方がここにいるのはどうして……?」


 希望をかけて訊ねる。自分以外にもスレイドのことを想って戦う者がいるのかと。

 しかし、答えは違っていた。


「ヴァレンの奴がね、いつか自分が魔族を正すのだとそんな莫迦みたいなことを言っていたのですよ」

「……私にはそんなこと……」

「スカーレット・レインウォーターの息子として色々思うものもあるのでしょう。私は莫迦らしいと思いますけどね。……ただ、理解できなくはないのです」


 オリヴィエはヴァレンの夢に思うものがあって【黄金の暁】に加わったという。

 へらへら笑ってばかりで何も考えていない兄の名が飛び出して、リゼットは耳を疑う。


「……兄様は、レイを裏切った。助けてくれもしなかった」


 魔族を正すというならあの時どうして何もしなかったのか。

 折れた骨の痛みすらも消えるほどに、はらわたが熱い。


「親友だって……言った、くせに……」


 スレイドとヴァレンはいつも並んで語り合っていた。リゼットは嫉妬していつも突っかかっていた。

 一番大切な友人と妹が一緒になってくれたら嬉しいなどと言って、要らない世話を焼いてきた。その兄が一番の裏切り者だと知ったのはあの悪夢の日だ。


『兄様……レイを助けて……。私が代わりでもいいから……!』

父上(スカーレット)の命令は絶対です』


 ああ、駄目だ。やはり抑えられない。人間も魔族も等しく無価値だ。全部殺し尽くすべきだと、暗い声が叫ぶ。記憶が真っ赤に塗り潰される。

 オリヴィエが何か言ったけれど、心臓がうるさくて何も聞こえない。

 嗚咽を、憎悪を噛み殺して震えた。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 陰鬱な空から雪が降ってくる。

 誰もいない旧集合墓地で瑠璃はひとり土を掘り返していた。

 脱臼した肩の調子は悪く、縫った傷は痛む。魔術の乱用による頭痛も消えていない。寒さは本調子でない体に堪えたが、これは仲間たちにはさせられないことだ。

 裏切り者の埋葬。

 瑠璃は使われなくなった墓地にシナモンの亡骸を埋めていた。

 シナモンが【黄金の暁】に加わったのは半年前だ。組織内では年若で、瑠璃の異母弟であるクライオライトと特に仲が良かった。そういうこともあってアクアマリンの面倒を看るようになったのだ。


『僕の家族を殺したヒオウを倒したいんです……』


 ヒオウを倒したいのだと語ったシナモン。

 本当に、あの怨嗟は偽物なのか。

 魔族と人間の混ざりものだとレナードを敵視したのは、純粋な魔族だったからなのか。

 この半年は全て偽りだったのか。

 空から降る白く冷たいそれを振りあおぐ。

 灰色の空から降りしきる雪は塵のようだ。あてどもない問いに沈む肩に嫌というほど冷たさが染み込んでいく。


「こちらにいましたか」

「……アルヴァレスか」


 いつもの燕尾服(テールコート)の上に短い外套を引っ掛けたオリヴィエは瑠璃の手からスコップを取った。


「言って下されば自分も手伝いました」

「裏切り者の魔族の埋葬をか?」


 瑠璃は思わず口許を歪めてしまった。

 今回のことで命を落とした者は西海国出身者だ。そんな【黄金の暁】の古参組員がやられたのだ。シナモンへの憎悪は強く、亡骸を火葬し、そのまま海に流せと言う者までいたほどだ。

 シナモンと過ごした半年は無意味どころか、六人の命を散らせる為の無駄事だったのだ。瑠璃はとてもではないが泣けない。


「死んだら同じです」


 オリヴィエは静かに言った。


「瑠璃だってそう思うのでしょう」


 等しく生きて、死んだ。

 そこまで自分は割り切れてはいない。自分の心の落としどころを見付けるために埋葬した。

 裏切り者の埋葬を受け入れられるのは、オリヴィエが特殊なのだ。こちらも他人に共感を求める訳ではなかった。

 瑠璃は引き攣った笑みを消し、平らに慣らした土に降り積もっていく雪を暫く眺めた。それから深く息を吐く。


「それで、渡してきたか」

「はい」


 魔族と戦い、血を吸われたリゼットの怪我は酷いものだった。正直、あの体で何故生きているのか不思議なくらいの損傷だが、それがヴェノムという生き物だ。

 抜け目なく敵と同族の女から血を摂取したレナードに至っては今朝から起き上がって、墓作りを手伝っている。組員たちからは無神経や図太いなどと揶揄されたが、エリカの死の責任を感じてのことだろうと瑠璃は受け取った。


「薬を飲ませるまでが大変でした」

「押し付けた立場で言うのもなんだが、珍しく世話焼くな?」

「どうにも他人には思えないのです」


 言い含めるのに苦労したといった様子でオリヴィエは眼帯で塞いでいない方の目を伏せる。

 オリヴィエがリゼットの兄と馴染みで、リゼットとも面識があるというのは瑠璃も聞いていた。


「もう一つの方は?」

「それほど気にするなら、ご自分で返されたら良かったのでは?」

「俺が盗ったんじゃねえ」


 ペンダント泥棒はレナードの間抜けだ。瑠璃としてもあれは頭痛の原因だったのだ。

 やっと一つ重荷が減った。だが、ペンダントを取り返す為にリゼットが必死に魔族に挑んだのではないかと罪悪感は残る。

 【黄金の暁】の人間が何人死んだところでリゼットには関わりないことのはずだ。レナードが魔族の喧嘩を買ったという理由はあるにせよ、彼女があそこまで傷を負うのは想定外だった。


「瑠璃は彼女がきてから不機嫌ですね」

「……胸糞悪いんだよ」


 初めて会った時に瑠璃が喧嘩腰になってしまったのは怒りからだ。

 彼女というよりも、彼女を取り巻いている環境が不快だった。

 もっと戦士然とした女ならば良かった。オリヴィエのように大人であればまだ納得もできた。恐らく自分と年齢も大差ないだろう女が聖帝国で軍人として使われて、裏切った。


「あいつの理由が真っ当すぎるから気分が悪い。【破壊の使徒】らしく世界征服したいとか、そんなイカレた思想でも持ってる奴の方が理解できなくて良かった」


 レナードから聞き出した、リゼットの戦う理由は上司の仇討ち。

 そんな理由で百人殺した悪魔だ。帝国の奴等は様を見ろと舌を巻いた。冷めてからは不快に思った。あの赤い目を見てからは怒りがあった。

 魔族なんて死ねば良いという慟哭。

 それは西海国に生きている人間ならば誰しもが持っている感情だ。国を焼かれ、家族を奪われた者は皆、世界を呪った。

 父と兄を処刑された。母と姉と弟を喪った。戦時中に生まれた妹は目が見えない。腹違いの弟は片割れを聖帝国に奪われた。周りから大切なものがこぼれ落ちていく。誰かが嘆いている。誰かが泣いている。不条理が支配するこんな世界が嫌だから立ち上がった。

 ならば、自分が彼女のような復讐者に向ける言葉は何だ。

 墓石もない土の上には雪が降り積もっていく。

 遠くから時告げの鐘が聞こえた。


「……寒い。帰るぞ」


 強い西風に抗うように瑠璃は真っ直ぐと顔を上げた。

**初出…2009年9月9日

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