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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
四章 等しくこの大地に死すならば
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【3】

 ノックをしても返事は返ってこない。リゼットは食事のトレイを片手に持ち、扉を開ける。

 部屋は冷気に満ちている。

 この牢の主であるレナードは何処にも見当たらない。まさか窓から抜け出したのではと考えたが、殺人容疑が晴れたので逃げる必要はない。

 シナモンが全てを吐いた。

 そうしてリゼットがトレイを置く為にテーブルに近付くと、ソファに横になっている姿を見付けることができた。


「もう日が沈む。起きろ」

「……リゼット……?」


 レナードはゆっくりと身じろぎ、傍らに立つリゼットを見上げた。反応が返ってきたことにリゼットは内心ほっとする。

 黙って目蓋を閉じている彼は死人のようなのだ。肌は血の気がなく、ろくな熱も感じられない。テーブルには得体の知れない薬剤が散らばっている。

 顔を洗ってくると向こうに行く背に向かってリゼットは言った。


「シナモンが吐いた」

「へえ、そう」


 冤罪で捕らわれた者とは思えない、気の抜けた返事だった。






 オリヴィエから持たされた食事にレナードは手を付けない。唯一食べているのはとても食事とは言えないような代物だ。


「角砂糖ばかり食べてないで食え」

「昨日分かったんだけど、角砂糖って中毒性あるんだよねー……」


 要るかと訊いてくるが、丁重に断る。角砂糖を食べる趣味はない。


「具合が悪いのか?」

「そういうのとは違う。聖帝国の間者が紛れ込んでいたと思うと気分悪くてさあ」


 今朝、リゼットと瑠璃はシナモンを呼び出した。

 腰にサーベルを下げて現れた少年は、問われたことに対して初めは否定した。

 だが、袖を捲ってみるとあった。肩と腕の傷は治療術で塞がれ、【それ】も白粉で隠されていたものの、白粉を拭うと肌には不気味な紫色の痣が広がっていた。この打ち身のような痣はリゼットのナイフに塗った毒によるものだ。そうして言い逃れのできなくなったシナモンを問い詰めている内に、エリカ殺害の件も吐いたのだ。

 自分が聖帝国の人間で、【黄金の暁】をずっと見張っていたこと。エリカを唆して、アクアマリンやリゼットたちに毒を盛らせたこと。

 エリカがアクアマリンに毒を盛った理由は嫉妬だという。

 レナードの傍に存在する少女を疎ましく思っていたエリカをシナモンは焚き付けたのだ。

 リゼットに毒を飲ませた後、エリカは何を思ったか全てを皆に話そうとしたという。このままでは自分の身も危ないと思い、レナードの部屋にあったナイフを使って殺害したのだとシナモンは自供した。そのシナモンは今、墓場にいる頃だろうか。

 【黄金の暁】に於ける仲間内での殺しは重罪。法度に背いた者には、死。

 その規則に従い、シナモンは処刑される。何人かの【黄金の暁】組員を連れ、瑠璃とシナモンが出て行ったのは、リゼットがここを訪れる少し前だ。


「本当にそれだけか?」

「どういう意味」

「お前は……私に腹を立てているんだろう」


 あまりにも頭に血が上っていたリゼットは昨日の帰り際に言ったのだ。

 お前が信用できない、と。

 今まで少しずつでも積み重ねてきたものを一瞬にして崩す一言だった。

 リゼットはその時、何とも思わなかった。後から冷静になって後悔した。瑠璃からあることを聞かせられてからは更に戸惑うことになった。


(逃げられないようにする……?)


 契約を結んだ時から逃げられないことが決まっているというのに何を言うのか。

 レナードと離れると、左手首が腐り落ちるのではないかと思うほどに痛むのだ。

 瑠璃は仲間思いだ。レナードが荒れていることを気に掛け、リゼットにフォローを入れるほどに。本人が言ったという言葉をそのまま聞かされ、リゼットは戸惑った。また怒りも湧いた。どうしてそういう歪んだ考えに行き着くのか、理解できない。


「別に謝らなくて良いよ。オレの言動は全て計算尽くのものなんだから」


 レナードは笑う。それは楽しいからではなく、嘲笑っているのだ。

 人の心を凍り付かすような酷薄な笑みは間違いなく魔族のもの。


「そういう意味で言ったんじゃない」

「だったら、キミはオレのことを信用できるのかよ?」


 向けられた殺気にリゼットは心を潰されそうになる。

 これは本能的に感じる恐怖。けれど、今引いたら本当に全てが終わってしまうような気がする。


「……お前じゃないか……」


 膝の上で拳を強く握り締め、リゼットは小さく呟く。レナードは僅かに眉を顰めた。


「オレが何だって?」

「信用したくても、お前が信用させてくれないんじゃないか」


 いつもそうだ。信じてみようかと思ったところで覆される。

 セレン島で再会した時だって、昨日だって。心を許そうとすると必ず裏切られる。


「信じたいのに、信じさせてくれない……」


 信じたり、疑ったり、救われたり、裏切られたり。リゼットは疲れきっていた。


「オレを信じたいって? 嘘だろ?」

「嘘じゃない。私はお前に嘘をつかないと言った」

「そんな誓い、本当に守ってくれてたのか……?」


 唇を震わせながらそう言ったレナードは、信じられないというような表情をしていた。

 レナードがリゼットに誓ったのは独りにしないということだ。独りにしない――即ち、離れない。

 誓いを破れば当然罰を受ける。それは手首の痛み。

 太い針をゆっくりと刺されたような痛みを紛らわす為に爪を立て、何をやっているのだと相手を疑い、また呪う。それはリゼットもレナードも両者ともにした行動だ。

 両者が信頼し合えていたのなら、離れていても心が繋がっていたのなら、そんなことはなかっただろう。


「お前がどんなに気に食わない相手だろうと、同族という事実は変わらないんだ」


 こんな厄介な事実はいっそ消えてしまった方が楽なのに。でも、消えてしまったらまた孤独だ。

 それはあまりにも寂しすぎる。

 口には出さないが、ヴェノムとして普通の人間とは違う苦しみを味わってきた二人は互いに特別な感情を抱いている。

 彼女は自分を傷付ける彼が憎いはずなのに拒絶されたくないと願い、彼は役に立たない彼女を傍に置きたいと願い――。考えていることは同じはずなのに、擦れ違い続けていた。


「リゼットは優しいね……」

「違う。近くにいる奴を疑うのが苦しいだけ……。自分が辛いからこう言ってるだけだ」

「優しいよ」


 淡々と吐き出されたその言葉が杭のように胸に突き刺さる。何ということもない一言なのに、何故か痛い。酷い言葉を受けた訳でも傷付けられた訳でもないのに、胸がずきずき痛む。

 互いに目を合わさず、何も言わない。しかし、二人の表情が俄かに変わる。

 ソファから勢い良く立ち上がったリゼットは窓から身を乗り出した。

 吹き付ける風に長い髪が攫われる。


「空気が……」


 空気が可笑しい。

 殺気とは違う。上手くは言い表せないが重いのだ。


「血の匂いがする。一人二人じゃない……もっと沢山の」


 レナードは遠くの空を真っ直ぐ見据えてそう言う。不穏な言葉にリゼットは顔を強張らせる。

 風に乗って運ばれてくるのは人間には感知できないだろう血の匂いと、湿った枯れ草が腐ったような独特の腐臭。


「どういうこと……?」

「上級魔族の気配だ」


 そう答えるなりレナードは急ぎ足に部屋を出る。リゼットも後を追って飛び出した。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



「風よ、我を厄より護る盾となれ――!」


 何処からともなく風が集まってきて神聖な盾(ストームシールド)となる。

 風の盾は闇色の衝撃波を受け止める。だが、範囲外は守りきれない。


「うわああぁぁぁーー!!」


 軽々と吹き飛ばされた体が墓石に当たり、曲がってはいけない方向に首が傾く。刹那、悲鳴がぷつりと止む。

 遠くからでも分かる明らかな、死。


「イワンっ!!」


 魔術の詠唱から解放された瑠璃は同志の元へ駆け寄ろうとする。その腕を赤い手が掴んだ。


「行かないで……下さい……」

「シルベス……」


 血塗れで地面に臥した金髪の少年の名はシルベストレ。彼は華奢な見た目と裏腹に【黄金の暁】内で十本指に入るほどの腕を持つ戦士だ。

 シルベスは自らが流した血溜まりに手をつくと、歯を食い縛って起き上がる。そして、よろめきながらも二刀一対のカットラスを交差するように構え、瑠璃の前に立つ。


「貴方に死なれたら、僕たちは……終わりなんです」


 ゴシャッ!

 そんな二人の前で、頭から丸齧りにされる男がいる。

 首をあってはならない方向に曲げて息絶えた同志イワン。彼の元までゆっくりと歩いていった【悪魔】はバリバリと食し始める。

 自分のものか他人のものか分からないほどに血の匂いが充満している場に、吐き気を催す血脂の匂いがむっと湧き上がる。

 ぬらぬらと怪しく光る桃色の臓器を掴み取ってそれを口に運び、じゅるりと咀嚼する。悪魔が次に手に取ったのは、肉の付いた骨。硬いそれをぽきぽきと小枝でも砕くように噛み砕いてゆく。

 悪魔に食われているあれは家畜ではない、人間だ。それも同志だった男なのだ。


「瑠璃……引いて下さい……! ここは僕が食い止めます……」

「お前を置いて行けるか!」

「もう戦えるのは僕しかいません……」


 旧集合墓地は酷い状況だった。古びた墓石は無残に砕け、其処ら中に血が飛び散っている。まだ息がある者も何人かはいるが、立ち上がれない者が殆どだ。イワンを含め既に四人が殺されている。


「……せめて……フェイトさんかベルセルクがいれば…………」


 冷たい石畳に倒れたままそう言ったのは、同志ディートヘルム。

 【黄金の暁】にはサポートを得意とする風使いと大地使いが多く、攻撃を主とする炎使いと、癒やしを司る水使いは少ない。それ以前に、こんなことになると誰も想定していなかったのでこの場にいる組員の能力が偏っているのだ。


「瑠璃……お願いです、一旦引いて下さい……!」


 負傷した仲間を庇っていても長くもたないことは分かっている。

 瑠璃は仲間が悪魔に咀嚼される恐ろしい音を聞きながら目を閉じ、精神集中を再び始める。

 何度も魔術を使ったことにより神経が焼き切れそうだ。冷静な思考がままならないほどに精神が擦り減っていたが、ここで倒れる訳にはいかない。


「春告げし西の風、天空の加護を与えたまえ――」


 エメラルドグリーンを思わせる涼やかな緑色の魔法陣が瑠璃を中心として広範囲に現れる。陣内に暖かな癒やしの風が吹き込み、陣内にいる者の浅い傷を塞いでゆく。

 冬のものとは思えない暖かな風が頬を撫でるのを感じながら、ふっと意識が遠退く。


「………………っ」

「もう限界です!」


 シルベスに支えられ、意識を繋ぎ止めた瑠璃。


「ここで……引けるかよっ!!」


 引いたら――逃げたら全て終わりなのだ。

 立ち止まったら何も変わらない。立ち向かわなければ奪われるだけ。そんなことは嫌なほど味わった。


「汚れなき風よ、ここに癒やしを――」


 小さな竜巻のような旋風がシルベスを包み込み、厄を取り除く。

 風の初級治療術ウインドヒーリング。効果は薄いものの持続効果があり、また範囲治療術(キュアウインド)より術者の負担が軽い。

 倒れている同志たちには悪いが、まだ戦えるシルベスを優先に補助しなければ皆がやられてしまう。瑠璃は腰の鞘から細く曲線を描く刀を抜き、それを地面に突き立てて体の支えとする。


「狂乱の北の風、ここに集いて蒼き絶望を見せよ――!」


 紫電(サンダーストーム)が人を食らうことに夢中になっている悪魔を襲う。

 目が焼けるほどの鋭い光。自ら放った魔術が己の神経をも焼く。

 刀一本では体を支えきれず、今度こそ瑠璃は膝を着いてしまった。


「……殿下……もうおやめになって下さい……」

「止められねぇ……よ」


 王族として民を守るのは当然の義務だ。

 それなのに、当然の義務が果たせない。目の前で同志たちが食い殺されていくというのに、何も。

 雪など降っていないのに体は芯から冷えている。その癖、頭は煮え立つように熱い。自分の不甲斐なさに瑠璃は拳を床に叩き付ける。


「おやおや、瑠璃。無理しちゃ駄目ですよ」


 背後で声が聞こえたと思った瞬間、強烈な拳が頭に打ち付けられ、足が地面を離れる。


「る、瑠璃!!」

「殿下っ!!」


 殴り飛ばされた主に近付くこともままならないシルベスとディートヘルム。瑠璃の頭のすぐ横には筋肉質の青年を思わせる黒い体の悪魔が降り立った。

 悪魔は灰色の長髪を血生臭い風に靡かせながら、血よりも赤い目で臥した王子を見下ろす。


「……く、そ…………シナモンどういうつもりだ……!」


 変な打ち方をしてしまったのか左腕が上がらない。

 右腕を着いて身を起こした瑠璃は悪魔シナモンを見上げる。


「どういうつもりって、こういうつもりですよ……?」

「ふ……ざけるなッ!!」


 シナモンが人間に化けられるほどの上級の魔物――魔族だなんて誰も知らなかった。いや、今でも信じたくはない。

 エリカ殺害を自供したシナモンはすぐに処刑されることになった。数人の同志を連れ、処刑を行う為に今は使われなくなった集合墓地へやってきた。そして首を落とすという時、シナモンは本性を表した。


「……何でだよ……仲間だったじゃないか……」

「冗談じゃない。僕は聖帝国……いや、我々に従わない愚かな民を滅ぼす為にきたんですよ」


 最早、面影すらない魔族の身形をしたシナモン。彼は瑠璃を射殺すように見つめ、続ける。


「何故、刃向かうんですか? 人間は我々魔族の糧になることが決まった存在なんです。貴方のような人間が幾ら群れて吠えようとも、現実は変わらないんですよ」

「違う……変えられないことなんてない……。もしそんな下らない現実があるとしたら、ぶっ潰してやる! 俺たちは今を変える為に戦っているんだ!!」

「それが甘いって言うんですよ……ッ!!」


 鎌のような左腕が振り下ろされる。

 だが、シナモンの左腕にはリゼットの攻撃によって負った傷がある。その所為か動きが遅く、瑠璃は辛くも避ける。


(この距離で衝撃波を食らったらまずい)


 本当に恐ろしいのは人間のような右腕から放たれる波動弾と衝撃波だ。同志たちはそれに沈んだ。

 シナモンは一人ずつ嬲るように殺していく。もう四人もやられたのだ。瑠璃も自分がどのように潰されるか分かっている。


(やられるか!)


 ここで死ねば、死んでいった同志たちはどうなるというのだ。地獄で合わせる顔がないではないか。

 瑠璃は目眩ましの紫電を素早く発動すると、シナモンと距離を取った。


「ちぃっ……小賢しい!!」


 凶暴な右腕に黒い球体が現れる。


「凍てつきし氷よ――」


「闇夜を照らす紅き炎、悪しきものを滅せよ――!」


 思わず庇うように腕で目を塞いだ瑠璃の耳に入るのは、魔術の詠唱。

 雹や霰の混ざった残酷な風(ヘイルストーム)がシナモンを取り囲む。そして、周囲に赤く燃え盛る火球が現れたと思った瞬間、爆ぜた。

 冷たい霧が炎によって急激に沸騰し、高熱の水蒸気となる。

 地は水と火。水は地と風。火は地と風。風は水と火。

 複合魔術を使う上で、水使いと炎使いの相性は悪いと相場は決まっているが、かの者たちの魔術は良い意味で科学反応を起こしているらしい。


「レフィ……! シュトレーメル!」


 レナードとリゼット。彼等以外にあんなえげつない魔術を使う者は瑠璃には考えられない。


「自分もいますよ」


 燕を思わせる裾がはためいたと思えば傍らにオリヴィエが立っていた。彼女は眼帯を外している。


「オリヴィエ、あんたは生きてる奴の手当だ。オレとリゼットであれは倒す」


 レナードは亜空間から漆黒の剣を取り出し、オリヴィエに指示を与える。


「分かりました。瑠璃、手伝ってくれますね?」

「分かったよ……」


 彼女は暗殺者であると同時に、水属性の治療術のエキスパートだ。

 己の役目は生きている同志を救うことだと弁えるオリヴィエは戦いに参加せず、サポートへ回る。彼女を従えた瑠璃はすかさず一番酷い怪我をしている同志の元へと駆け出す。

 一度だけ振り返ると、亜麻色の髪の娘の手に剣が持たれるのが目に入った

 そして、おぞましい魔物の声が耳に届く。


「丁度良く混ざりもの(ヴェノム)がきましたね……」

**初出…2009年9月6日

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