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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
四章 等しくこの大地に死すならば
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【2】

 燭台の明かりが闇にふっと揺れる。

 オリヴィエに連れられたリゼットは屋敷の一室に案内された。


「失礼します」

「何の用だ?」


 返ってきたのはハスキーな青年の声。レナードのものとは違う。

 オリヴィエに続くように部屋へ入ると、艶やかな黒髪の青年が足を組んでソファに座っていた。

 ともすれば品の良いと称することができそうな顔は、世にもつまらなそうな不機嫌一色に染まっている。そしてリゼットの姿を見止めた瞬間、彼は眦を吊り上げた。


「アルヴァレス! 誰も入れるなと言っただろう!」

「自分は瑠璃から組員を入れるなと仰せつかりましたので」

「どういう屁理屈だ? レフィに似てきたぞ、お前!」


 凄まじい怒声にリゼットは思わず首を竦める。

 しかし、オリヴィエは臆さず事実を述べ、一礼してそそくさと出て行こうとする。


「では、自分は持ち場に戻ります」


 オリヴィエが横を通り過ぎるとミントを思わせる整髪料の匂いが鼻孔を擽る。髪を解いていると女性に見えるが、やはり彼女の身形や振る舞いは男性に近い。じっくり観察しない限りどう見ても男性という風だった。

 部屋に残ったリゼットと瑠璃の間に気まずい間が流れる。揉めても仕方ないことは両者共に分かっているので、リゼットも瑠璃も互いの存在を不快に感じても声を荒げることはしなかった。


「監獄へようこそ、リゼッティ・シュトレーメル」


 皮肉げな笑みを口許に乗せ、瑠璃はリゼットを歓迎する。


(分かりやすい人……)


 瑠璃は粗暴で捻くれた人物を装っているが根は正直者だ。姿をころころ変えるレナードが銀色の月だとすると、彼は何処までも真っ直ぐで陰りを知らない黄金の太陽か。

 レナードや琥珀のように一癖も二癖もあり、内心で何を思っているか分からない者より、瑠璃のように分かり易い人物の方が警戒しなくて済む。


「奴は何処だ?」

「風呂」

「随分と好待遇だな」


 牢屋で血と汗と反吐に(まみ)れているところを想像していたので拍子抜けだ。

 許可を取らずにソファに腰を下ろしたリゼット。その態度にムッとしながら向かいに座った瑠璃は言う。


「吐いてもいない奴を牢屋にぶち込む訳にいかんだろう」

「甘い。吐かないなら痛め付けてでも吐かせろ。体に聞く方が早いこともある」

「何でレフィもあんたもそう物騒なんだ」

「お前が甘いだけだ」


 アクアマリンの毒の件で疑わしき者を尋問に掛けろと言ったレナードだ。瑠璃はリゼットのあまりにそっくりな発言にぎょっとした。


「違う、あんたたちの血の気が多いんだ」

「私とあれと同じ括りにするのはやめろ。不愉快だ」

「あいつが連れてくるのは変人と相場が決まっているんだよ」

「私は変人じゃないし、来たくてきた訳でもない」


 ルビーを思わせるレッドアイと、サファイアを思わせるブルーアイが鋭くぶつかる。

 二人の間に一触即発の空気が流れ出した頃、至極呑気な声が横から掛けられた。


「二人してオレの取り合い? 照れるなー」

「黙れ。そんな面白くない冗談は存在だけにしろ」

「同感だな。貴様の存在だけで頭が痛いというのに、胸糞悪くなるような戯れ言ばかり言うな」


 ぴきりと頬を引き攣らせ、振り向きもせずにリゼットは言う。瑠璃もそれに続き、相手の顔を見ることなく告げる。赤と青の間には依然と不穏なものがあるが、両者共に怒りを向けるべき対象が変わった。

 ぴりぴりとした空気が流れる。


「ごめん。キミたちが来てくれたことにほっとしたら軽口叩きたくなってね」


 横目で窺うと、レナードはいつもよりも弱々しい笑みを浮かべていた。だがリゼットは絆されない。

 殺人容疑を掛けられて拘束されているというのにどうにも緊張感が薄いからだ。






 低いテーブルを囲みながら三人は今回の事件の情報を纏め始めた。


「エリカが殺されたのは昨晩だ。その時間のアリバイがレフィにはないんだよ」


 ないというか何も話さない。瑠璃はむすりとして言う。

 リゼットはテーブルの中央にあるガラスの器からチョコレートを取り口に運ぶが、甘味を摂取したからといって苛立ちは消えない。


「レナード、何故言わない?」

「だってさぁ、キミの頑張りが無駄になるというか……」

「人の心配より屈辱を晴らす方が重要だろう」


 レナードが口を割らなかったのは慎重さもあるだろうが、入団試験のことがある。

 手助け禁止とやらの試験をレナードは手伝った。彼の態度を見ていると少しは罪悪感を持っているようで、それがまたリゼットを苛立たせた。

 どうして自らの潔白を証明する一つになるかもしれないことを言わないのだ。リゼットは奥歯を噛み締める。

 庇うことは癪だが、仕方ない。


「昨夜ならこいつはサンゴ谷にいた。私が魔物との戦闘に苦戦して、手を貸してもらった」

「分かるように説明しろ」

「オレたち、そういう約束してるんだよ。危なくなったら助けるって」


 レナードは渋々子細を伝えた。

 瑠璃は黙って聞いた後、「庇っているのではないか」とレナードと同族のリゼットを疑った。それを予測していたリゼットは冷静に返す。


「私が信用できないのなら琥珀に聞けば良い。人間の言うことなら信じられるだろう」


 医者の見立てではエリカは昨日の午後八時頃に殺されたらしい。

 丸一日アジトに顔を出さず、朝になっても姿が見えないことを不審に思いもしたが、【黄金の暁】組員は作戦以外の時は好きにしているので過干渉はしない。そうして放って置いたところ翡翠が死体を発見した。

 昨日の午後八時というと、魔物を片付けて休息所に入った頃だろうか。丁度それくらいの時間だったという覚えがある。


「死因は失血だったか?」

「ああ。血を吸われた挙げ句に右腹を刺されてな。ご丁寧に凶器を残してやがる」


 ぎりぎりのところまで血を吸われ、起き上がれないところを刺されたのだとしたら、苦しむ時間は短かっただろうとリゼットは考える。


(右の下腹部を一刺し。内臓狙いか?)


 骨盤の辺り――子宮だろうか。随分と妙な場所を刺したものだ。

 下腹を狙うなら腸だ。銃にも言えるが、下手に胸を狙うよりも腹を攻撃した方が生存率が低いのだ。


「つーか、わざわざ下腹を刺すか?」


 瑠璃は立ち上がり、リゼットとレナードに向かい合うように言う。

 エリカとリゼットの身長は同じくらいだったので、鞘に収まった小刀をレナードに持たせた瑠璃は実演させる。刃先は胃の辺りに当たった。


「うん……、ここ刺した方が確実だね」

「お前が彼女を妊娠させていたとすれば、腹癒せに下腹部を刺したとも考えられるがな」


 リゼットは水を差すようにとんでもないことを言う。


「あんたな、レフィを陥れたいのか庇いたいのかどっちなんだ」

「そういう見方だってできるだろう」


 あんな場所を刺すからには何か訳があるだろう。犯人の背が低いか、もしくは女という存在に恨みでもあるのか。自分だったら胸か肝臓(わきばら)を狙う。そう考えたリゼットは飽くまでも真面目に意見を述べた。

 疑いを掛けられたレナードはというと驚いたような顔をした後、意味深な笑みを浮かべる。


「そこのところはご心配頂かなくとも、バースコントロールはしてるから」

「お前みたいな莫迦は一度死なないと直らないな」


 所詮は遊びなのだ。家庭を持つ気もない奴が自分の楽しみだけで相手と軽々しく交わる。その手のことにトラウマがあるリゼットはレナードに軽蔑の目を向ける。

 笑いながら母に乱暴をした男たちの声が耳の奥に残っている。


「随分潔癖な言い様だけど、二十年も生きていれば普通じゃない? それともキミは純潔信仰でもあるわけ」

「うるさい。昨日から汚れたお前にベタベタ触られて気分が悪い」

「シャワー使って良いよ。キミ、埃っぽいし色々ひどい」

「誰のせいだ。お前が私のペンダントを盗らなければこんな苦労はしていないんだ」

「揉めるな! 頭冷やしてこい」


 刹那的にレナードに得物を向けそうになるリゼットを瑠璃は止めた。

 こんな男、庇うのが莫迦みたいだ。レナードが犯人でないというならもう庇う必要もない。リゼットの中では同族を救うことよりも、自分の首を絞めた相手を序でに炙り出したいという思いが強かった。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



「普通の女だな……」


 リゼットの反応を見た瑠璃は呆然と呟く。レナードの所為で少々感性の違う女性ばかりを見てきた瑠璃には、リゼットのような反応は珍しいらしい。

 レナードは手慰みに三つほど積み上げた角砂糖を指で弾いて崩す。そんな奇行に慣れている瑠璃は窘めもしない。


「つーかさ……レフィ、何で愚行繰り返してるんだ? あいつが最初に訪ねてきた時もそうだ。さっきのも女相手に言う台詞じゃないだろ」


 銃を向けられ掛けたレナードに瑠璃は憐れみの目を向けた。


「マーキングって言うのかな。あそこまで開けっ広げにやれば、他の奴は手を出さない。それに潔癖な彼女は傷物にされたと思って逃げられない」


 リゼットは潔癖だ。たまに泣きそうな顔をするから分かる。

 屈辱や悲しみに必死で耐える姿は支配欲やらを掻き立てる。レナードは彼女にそんな顔をされると意地悪をしたくなるのだ。

 そうして傷付いたところに、砂糖のようにどっぷりと甘い慰めを与える。心を壊す寸前、ギリギリのところまで追い詰めて掌握した方が人は従順になる。

 自分でも歪んでいると思う。それでも人の信頼関係や愛情というものを信じないレナードには、支配以外で人を繋ぎ止める術が見付けられなかった。


「あの女はお前を信じようとしているのに、お前は信じないんだな」

「あれが信じようとしてる態度かな?」


 自分が慕われる価値のない男だと分かっているから契約や支配という手段しかない。そうやって逃げられないようにするしかないのだ。結局は上辺だけの関係。

 角砂糖を玩ぶだけでは飽き足らず、スプーンの柄を曲げる。気を紛らわそうと破壊行動に走っても気は収まらない。瑠璃がレナードを屋敷に押し込めたのは、こういう気性を心配してのこともある。濡れ衣を着せられてレナードは気分が良くなかった。


(オレが殺すもんか)


 確かにエリカに殺意を抱きはしたが殺してはいない。

 アクアマリンに毒を盛ったのがエリカだとすれば、理由を吐かせなければならなかった。それを忘れて一時の感情で殺してしまうほど愚かではないつもりだ。

 エリカの口を封じて益を得る者――共犯者がいる。

 自分の足を掬おうとしている者がいるという状況は気持ちが悪い。

 どうやって炙り出そう。

 そんな時、急ぎ足で部屋に戻ってきたリゼットが思いもしないことを言った。


「私の首を絞めた奴なら分かる」

「どういうことだ?」

「ナイフで傷を負わせた」


 瑠璃が訊ねる前でリゼットは背に手を伸ばし、何処からかナイフを取り出す。

 かなり小型――暗器と呼ばれる類のものだ。鋭さもあり、形状からして投げたら良く飛びそうだ。そう感心するレナードとは対照的に瑠璃は別の意味で驚く。


「いやいやいや、まてまてまて! あんた何処に武器隠し持ってるんだ?」

「隠し場所を教える奴がいるか、大莫迦者」

「誰が莫迦だ。貴様、誰に向かって口を利いている」

「だから莫迦王子だろ」

「何だと!? レフィナード、もう一度言ってみろ!」

「うっるさいなー、何でも良いよ」


 リゼットと瑠璃に会話させていては収集がつかなくなりそうだ。普段は混ぜっ返して争いを更に大きくするレナードも今回ばかりはあっさりと切り替えた。


「それでリゼット、何処に当てた?」

「肩か腕だ」

「傷口は既に塞がれてると思うけど、そこのところはどう?」

「毒が塗ってある。見れば分かる」

「……へえ、毒……」

「……毒か…………」


 ポイズンナイフという事実に男二人は肝を冷やす。

 「やっぱ普通じゃねぇ」と隣から嘆きの声が聞こえたが、今更だ。人殺しに普通を求めること自体間違っている。


「肩と腕ね。オレの記憶が正しいならシナモンって線が強くなったけど、どうする王子?」


 肩と腕の怪我と言えばシナモンだ。リゼットが首を絞められた日の夜、シナモンからは血の匂いがした。指摘したレナードの追求を突っ跳ねたシナモンだが真実はどうだろう。


「くそ……仕方ない。今日は混乱が大き過ぎた。少し整理をして明日一番に聴取する」


 抜き刃のような鋭さを湛えた金眼と、魔で磨かれたような赤眼を真っ直ぐと向けられた瑠璃は暫く視線を彷徨わせた後、大仰に息をついた。


「シュトレーメルを襲った奴がエリカを殺したとは限らないがな」


 そう、決まった訳ではない。これはただ疑わしき相手を潰していくというだけのことだ。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 オリヴィエにレナードの見張りを任せ、屋敷を後にするリゼットと瑠璃。これからエリカの遺体をもう一度調べなくてはならない。

 明かりこそ灯っているものの屋敷の前を通る道に人影はない。

 事件があったからなのだろうか。それとも敗戦国だからなのだろうか。首都とは思えないほどにウェーベルンの夜は静かだった。


「おい、待て」


 先を進んでゆくリゼットを瑠璃は呼び止める。

 しかし、リゼットは足を止めない。


「シュトレーメル」


 そう言って手を伸ばした彼は、彼女の肩を掴んだ。


「触るな」

「済まん。ただ、こっちが近いぞ」


 瑠璃は短く謝り、道を曲がった。

 謝罪とはあまりにも普通の反応だ。最近の癖で、食って掛かられると構えていたリゼットは呆気に取られる。

 ブーツが雪を踏み締める音が付いてくることを確認した瑠璃は、振り返らずに問う。


「あんた、レフィの何なんだ? あいつの女って訳じゃないんだろ」

「当たり前だ。私はそこまで悪趣味じゃない」


 あんな男、大嫌いだ。

 身から出た錆で窮地に陥る愚か者。人の心を弄び、女遊びなどしているからこんなことになるのだ。できることなら仲間とも思いたくもない。

 けれども。


「ただ……同族というだけだ」


 彼が初めて出会った生きた同族ということは紛れもない事実なのだ。

**初出…2009年9月5日

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