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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
四章 等しくこの大地に死すならば
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【1】

 市街地にある呉服屋、そこは吐き気のするような空気に満たされている。

 頭の奥に染みるような薫き物の香りと、死の匂い。琥珀は感じなかったようだが、薫き物の匂いがあまりにも酷くてリゼットは先に店を出た。暫くして暗い顔をして出てきた琥珀がぽつりと言う。


「エリカさん、死んじゃったんだ……」


 エリカ・ドラクロワ――リゼットに夕食を持ってきて、嫉妬とやらを語った無邪気な娘は刺殺死体として変わり果てた姿で発見された。

 体当たりするように刺されたのだろう、下腹部にはナイフが深々と刺さっていた。死因は失血。首筋には牙が深々と突き刺さった吸血痕。そして、凶器に使われたらしい装飾ナイフは容疑者――レナードのもの。

 灰色の髪の少年シナモンは言った。エリカの家に頻繁に出入りしていたレナードが犯人だと。これまでと同じように女が邪魔になったので捨てようとしたが、エリカが従わなかったので殺したのだろう、と。

 レナードは今までもエリカのような自分に従う娘を食糧としていたという。

 心に思いもしない口説き文句を並べ立て、相手の気を引く。そうして自分を慕うようになった娘から血を吸い、死にそうになると捨てる。


「あいつ、人を殺した後に僕たちのところにきたんだね」

「ああ……」

「最低だよ。人殺しの癖に僕たちには笑ってみせて、どうかしてる!」


 その言葉はそのままリゼットの胸に突き刺さった。また、形を変えて再び食い込む。最低の人殺しの癖にのうのうと生きているなんて、と。

 顔を歪めたリゼットに、琥珀は「リゼ姉のことじゃない」と言ったが、そんな慰めなど求めていなかった。


「私のことは良い。問題はあいつだろう」


 エリカの遺体が安置された部屋で組員から聞いた。【黄金の暁】では仲間内の殺しは法度で、殺人者には死をもって償わせるとのことだ。

 結束に重を置くレジスタンスらしい掟だが、このままでは不味い。

 リゼットはレナードのことを心配しているのではない。彼に刃を向ける【黄金の暁】組員の命の心配をしている。

 ヴェノムが本当に恐ろしいのは、死の危機に瀕した時。どうしようもない生命力で死に切れないヴェノムの最期はほぼ魔物と言って良い。もし下手に首でも切り落とそうとしてみろ、殺されるのは人間の方だ。


「問題はあいつ? 人を殺したのに問題も何もないよ!」

「違う、そういうことじゃない」

「じゃあ、リゼ姉はあいつのことを庇うの?」


 何処までも優しい色を湛えた琥珀色の瞳が曇った。幻滅した、とリゼットにはそう見えた。


「そうじゃない」


 ただ、そんな殺人を犯した後に自分たちを助けにきたとは思えないのだ。

 同胞だ何だと口先で言いながら、結局は利用したいだけだと知っている。邪魔になって捨てるのは残酷さではなく、賢さ。リゼットもそれは良く分かっている。

 あの程度の魔物に手こずるような弱者など捨てれば良いではないか。リゼットが頑として助けを呼ばなかったのはそういうこともある。

 頼れば幻滅される。

 いや、幻滅されても良いのだ。そこまで親しい訳でもない。飽きられれば清々するだろう。だが、生きた同族にそんな拒絶はあまり受けたいものではない。

 リゼットが人を拒絶してきたのは、裏切られたくないから。信じ、慕った人が目の前からいなくなってしまうのが耐えられないからだ。

 それなのに結局リゼットは己の弱さに負けて琥珀や翡翠という存在に縋っている。姉弟といる時は孤独や寂しさといった感情からは逃げられる。それは彼といる時も同じで――。


「僕たちより、あいつが良いの?」

「違う」

「なら、どうして! どうしてそんな顔するの?」


 本当にどうしてこんな顔をしているのだろう。


(何であいつのことでこんなに苦い気持ちを味わわなければならないの?)


 あいつが船で変な薬を飲ませ、トラップを作動させ、おまけに見捨て、セレン島までやってこなければ、こんなことにはならなかった。リゼットにとってレナードは同族であると同時に【災厄】だ。

 悩む方向が反転してきたリゼットは、ぞっとするような声で言う。


「あれが罪人ならば、私が殺すというだけだ」


 どんな罪を犯し、どんなあくどい性根をしていようがこの際関係ない。彼の行動が万死に当たるというのなら自分が殺す。

 心の中には恨み辛みがたっぷりと詰まっている。

 同族を失うのは辛いけれど、自分の手で斬るのなら少しはその辛さも軽減されるかもしれない。

 もう信じれば良いのか、疑えば良いのか分からない。頭が痛い。兎に角、早く解放されたい。

 リゼットは琥珀に短く別れを言うと、何処かへ行ってしまった。

 その場に取り残された琥珀は俯いて、ハアと溜め息をつく。そんな時、店から出てきた翡翠は泣き腫らした目を擦り、弟へ言う。


「リゼにとっては彼も友達なのね」


 エリカの死を逸早く知ったのは翡翠だった。

 初日の晩餐を共にし、同じ年頃ということで仲良くなった二人。翡翠がエリカの暮らす家を訪ねたところ、変わり果てた姿の彼女を発見してしまった。

 ほんの一時だったけれど、翡翠にとってはエリカも友人だった。翡翠は朝から泣き通した。


「ね、琥珀。友達を助けてあげるのも友達の役目じゃないかしら」

「うん……そうだね」


 琥珀は項垂れていた顔を上げ、姉と目を合わせる。二人は大きく頷き合った。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 それはリゼットたちがエリカの遺体と対面する少し前のこと。

 集合墓地西の屋敷の私室で事件のことを考えていた瑠璃は、苛立ちから机を拳で殴った。

 妹のアクアマリンに毒を盛った者がいて、それは食事を運ぶシナモンかオリヴィエという線が濃厚。そして、その件とは別にエリカが殺された。

 エリカの死体を発見したのは、あの殺人鬼(リゼット)の連れの翡翠という娘。

 血相を変えて駆け込んできた翡翠に連れられ、エリカが暮らしている家に入ると、あられもない姿で床に臥した彼女と出会った。

 脇腹に突き立てられた装飾ナイフ。首筋にある吸血痕。また、首や胸元の鬱血。

 エリカがレナードを好いていることは随分前から知っていた。

 まだ足を悪くする前に【黄金の暁】へ加入したエリカは、瑠璃が連れてきた傭兵を寂しい人だと言い、好意的に接していた。レナードが他の女と仲良くする姿を見る度に悲しそうな顔を浮かべて見守っていた。そんなエリカが空家となっていた彼に告白し、受け入れて貰えたというのは五ヶ月ほど前。丁度、彼が作戦で国を離れる前のことだった。

 彼等がどのような付き合いをしていたかは瑠璃の知るところではなかったが、先日帰還したレナードはエリカを構ってやっていた。

 酷い男だと理解つつも愛してしまった男に大切にされて、エリカは幸せそうだった。

 それなのにあの日、厄は舞い降りた。

 レナードが今まで連れてきた女たちとは違う、寒気を覚えるほどの美しい娘。

 【氷の瞳】の名に相応しいガラス細工を思わせる美貌に不機嫌な表情を貼り付けて、こちらを敵意の目で睨んでいた彼女をレナードは抱き締めた。エリカがまた悲しい顔をした瞬間だった。

 遊びのように風変わりな女ばかりを連れてきて、飽きれば捨てる。そんな男が連れてきたにしては、あの娘は違っていた。

 レナードがリゼットへ向ける態度は今までその他へ向けたものとは違っていたし、何よりリゼットもレナードのことを慕うどころか蹴り倒した。瑠璃でさえもあの娘は別格なのだと分かった。


(とはいえ、殺すか?)


 エリカが要らなくなったから殺した。皆はそう思っているが瑠璃は違う。

 レナードは莫迦ではない。殺人現場に凶器を残すという間抜けな真似をするものか。


(誰かが奴を嵌めようとしているのか……)


 あんな性格だ。恨みを買うことも少なくない。その度に火消しをしてきた瑠璃は今回ばかりはどうすれば良いものかと唸る。

 レナードには昨日の現場不在証明(アリバイ)がない。

 本人も頑として「言えない」と突っ跳ねてくる。これでは弁護のしようがない。


「撲殺、銃殺、扼殺、刺殺、圧殺、水攻め、八つ裂き。悪魔だけに十字架に架けて火炙りっていうのも良いかもしれませんねぇ」


 主が頭を抱え唸る横で、シナモンはサーベルの刃を布で磨きながら歌うように口ずさむ。


「本当に奴がやったと思っているのか?」

「あ、でもヴェノムって頑丈なんですよね。だったら千に細切りにして、別々の場所に埋めないとくたばりませんかね?」


 何処か楽しげな声でシナモンははぐらかす。瑠璃は憮然とした気分で唇を引き結んだ。


「瑠璃の前で血生臭い話を済みません。つい興奮してしまって」

「そんなに仲間を罰することを考えるのが楽しいのか」

「ええ、楽しいです。やっとあの汚れた獣を葬ることができるのだから嬉しくて仕方がないです」


 瑠璃には分かる。シナモンは楽しくて笑っているのではない。

 瞳にあるのは、憎しみ。親に魔族を殺されたという復讐心をそのまま宿した双眸は、暗く燃え盛っている。


「僕にやらせて下さいね」


 裁きを下す役目は是非、僕に。

 瑠璃は眼差しを強くしたがシナモンは動じない。ただ仄暗く嗤っている。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 ウェーベルンに夜の帳が下りようという頃、リゼットはある屋敷の扉を潜った。

 琥珀と別れた後、リゼットは一度【黄金の暁】のアジトへ戻った。阻む者を薙ぎ倒し――勿論、殺してはいない――レナードが容れられているという牢への階段を降りた。しかし、そこに彼はいない。

 例の取り巻き三人組を脅し、別の場所に匿われているという話を聞いた。それから土地勘のないリゼットは随分彷徨い歩いた。漸く辿り着いた頃には日は沈み、空気も冷え切っていた。

 病み上がりにほぼ一日陽光を浴びたことで体力は消耗している。北風は少々きつい。

 国に入る前に新調した(オートマチック)に手を掛け、屋敷へと踏み入る。


(本当にここにいるの?)


 罪人が捕らえられているという場所にしては小綺麗だ。そして無駄に広い。リゼットは慎重に足を進める。

 リゼットはレナードを助けにきた訳ではない。ただ、仲間を平然と殺したような奴に窮地を救われたのだとしたら、その事実を抹消したいだけだ。

 不安定な心を何かとざわつかせる存在。はっきり言って目障りだ。

 彼が存在する限り自分には平穏がないだろう。ならばいっそと、リゼットは半ばレナードを始末するつもりでこの場所を訪れた。

 リゼットは階段を一段一段しっかりと踏み締めてゆく。中段の踊場まできたところで燭台の明かりが目に刺さる。


「妙な所でお会いしますね」


 声を掛けてきたのは、燕尾服(テールコート)の男だった。

 組員に呼ばれていた名はオリヴィエ。聞いたところ、彼は瑠璃の側近のような存在なので、彼がここにいるということはこの先にレナードがいるのかもしれない。

 階段を登り切り、オリヴィエと同じ位置に立ったリゼットは燭台の炎に照らされる顔をじっと見上げる。


「【黄金の暁】組員で立ち入りを許されているのは、瑠璃と自分だけです。どうかお引き取りを」

「私は組員じゃない。関係ない」

「【氷の瞳】はそのように聞き分けのない方でしたか?」


 どうして会ったばかりの者にそのようなことを言われねばならないのだろう。

 瑠璃にしても、エリカにしても、このオリヴィエにしても失礼だ。【黄金の暁】という組織自体が腐っているのかもしれない。苛立ちながらも、リゼットは微かな違和感を覚える。

 彼は何故【破壊の使徒】ではなく、わざわざ【氷の瞳】というコードネームで呼ぶのかと。


「何故、私をその名で呼ぶ?」


 【氷の瞳】はあまり一般的とは言い難い名だ。

 帝国関係者であれば知っているかもしれない。初めて会った時、彼の隙のなさから特殊部隊上がりの傭兵に見えたことを思い出し、リゼットは俄かに緊張する。


「お忘れですか?」


 衣擦れの音もなく、オリヴィエの手がリゼットの頬に伸びてくる。

 燕尾服を着ているので、てっきり男とばかり思っていた。しかし、触れてきた指は女のように細く、また良く見れば腰もなだらかな線を描いている。

 男装の麗人。そんな言葉がリゼットの中に浮かぶ。

 ぽかんとするリゼットの前で、やれやれと言うように眦を下げた【彼】は、波打つ髪を纏めるリボンをシュルリと解く。そして眼帯を外す。伏せられていた白い瞼がゆっくりと持ち上がる。

 現れた橙眼を見た瞬間、リゼットは声を上げた。


「オリヴィエ・アルヴァレス……!」

「はい、お久しゅう御座います。【霞桜】の妹君」


 【霞桜】の名を持つ者はリゼットの異父兄ヴァレンだ。オリヴィエは兄の部下だった。

 友人同士のような信頼関係で繋がれていた上司(ヴァレン)部下(オリヴィエ)だが、ある日オリヴィエは聖帝国を去った。任務でミスを犯し、現場に復帰できないほどの傷を負ってしまったのだと、ヴァレンは嘆きながら語ったことがある。


「何故、貴方がこんな所に……」

「今は例の件が先です」


 軍にいた頃の癖で身を引きそうになっている自分に気付き、リゼットは慌てて己を叱責し銃を握り直した。


「あれはしたたかで、油断のならない男です。加えて慎重で、誰が敵で味方なのかが確定しない中では何も口にしません。瑠璃も随分と手を焼いているようです。貴方にアリスティドの口を割らせることはできますか?」


 それはオリヴィエがレナードを疑っていないという意味だった。


「……吐くかは分からない。だが、訊ねるくらいはできる」

「分かりました。その答えさえ頂ければ通すことができます」


 自分などが訊いて口を割るような玉だとは思えないが仕方がない。

 兄の理解者であったオリヴィエの頼みを突っ撥ねる訳にもいかない。リゼットはそういうところで妙に律儀だった。


「案内を頼む」


 今は情報が少ない。レナードを信じるにしても疑うにしてもリゼットには情報が足りない。

 場合によっては彼を始末つもりできたことを後ろめたく思いつつ、リゼットはオリヴィエに従った。

**初出…2009年9月3日

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