【3】
「それじゃ、お休み」
のんびりとした声と、何かを断ち切る重たい音が響き渡る。
背後はあの青年に預けている。リゼットは三人の男と対峙していた。
まず始めに突進してきた二人の首を投げナイフで仕留める。ナイフの予備がない為、最後の一人は距離を詰めて戦うしかない。リゼットは腰からガンブレードを引き抜くと同時に敵との距離を詰め、横薙ぎに斬り付けた。
鮮血が飛び、男が崩れ落ちる。
「ぅ……ぐ……う、ああぁ……っ!!」
斬り付けが甘かったようで、傷口を押さえた男は血を吐きながら床でもがき苦しんだ。リゼットは冷徹な眼差しで男を見下ろし、ガンブレードの柄の部分に付いたトリガーを引いた。
激しい銃撃音の中で血が跳ねる。リゼットは眉を顰めて広がる赤をじっと睨んだ。
不意に、悪寒が背に走った。
リゼットは息を呑み、振り返る。すぐ目の前に剣を振り上げた男がいる。自分が置かれた状況に瞬時に対応したリゼットは太股のホルスターから銃を抜き、男の額に銃口を向けてトリガーを引こうする。その瞬間、リゼットと男の間に入ってきた影があった。
「レナード!」
レナードは何処から取り出したのか知れない大剣を軽々と振り上げると、それを叩き付けるように振り落とした。
静まり返るホールには二人の男女と、十六体の物言わぬ死体が転がっている。
兵を斬り伏せたレナードは人好きする気さくな様子で微笑み掛けてきた。
「どう? オレって結構役に立つだろ」
(どうして笑いながら人を殺すことができるの?)
笑顔に絆されることなく、リゼットは警戒心も露わな目を向けた。
自身も殺人の罪を犯しているのだからレナードを非難する資格はないことは分かっている。けれど、躊躇なく人を殺めることのできる精神性をリゼットは理解するのに苦しむ。
沈痛な顔をしたリゼットの顔を見つめていたレナードは、ぐいと瞳を覗き込んできた。
「笑うなんて不謹慎だって顔をしてるね。それともお気楽で羨ましいと思った?」
思っていることを指摘され、リゼットはぎくりとする。
一見柔和に見えるレナードだが、見ているところはしっかり見ているようだ。
迷いや油断といったものは全て筒抜け。彼には下手に隠し事はできないような気がした。心の一部を見透かされたような不快感にリゼットは奥歯を噛み締める。銃を握る腕が震えた。
「まあ、オレみたいに雇われて平気で人を殺して食って生くような奴にはならない方が良いと思うけどね」
僅かに瞳を曇らせ、レナードは口調だけは明るく言った。
リゼットは後ろめたい気持ちに駆られ、目を逸らした。
血の匂いの充満するホールで向き合う二人の間に気まずい空気が流れる。
心の中で嘆息し、使用したナイフを回収したリゼットは無言で奧に進もうとする。それに黙って従おうとしたレナードは、不意に何かに気付いたように片方の瞳を動かした。
「リゼ」
「何だ?」
問い掛けるリゼットに、レナードは手を伸ばす。思わずリゼットは身構える。
「返り血がついてるよ」
レナードはグローブをつけた手でリゼットの頬に跳ねた汚れを拭き取った。
気安く触るなと殴ろうと思ったが、気力もなかった。リゼットは疲れた気分でそれを受け入れた。
レナードは赤い硝子玉を眼孔に嵌め込んだ機械のような表情をしたリゼットの頬を一度撫で、そっと手を離す。リゼットは呟くようにぽつりと訊ねた。
「魔術は使わないのか?」
「うん、オレの先天的な属性は『火』だから、使ったら船は黒焦げだよ。因みにリゼの属性は?」
「私のことはどうでも良い」
一時的に組んだだけの相手に己のことを語る必要はない。ましてや属性のことを話しでもしたら弱みになりかねない。この男は存在自体が胡散臭い。弱みなど見せたらどうなるか分かったものではない。
決めたこととはいえ、こんな風に人を疑って生きる自分が嫌で堪らなかった。
「どうかした、リゼ?」
「……何でもない。先に進むぞ」
その親しみを込めた響きはリゼットにとっては懐かしいものだったが、懐かしいからこそ胸が痛む。
「さて、踏み込みますか」
装飾過多な扉が乱暴に開け放たれる。
リゼットはガンレードを上方に構え、レナードは大剣を下方に持っていた。敵に銃を向けられればすぐに応戦できる姿勢だ。
「いない……?」
リゼットは部屋の端から端まで視線を動かし、愕然とする。
ウィルス・マイヤーズの姿がないのだ。ホールから部屋へと続く通路に消えてから、彼女が外に出て行く姿は見ていないが、何処に消えたのだろう。
(何処に行った?)
苛立ったリゼットは思わず床を蹴った。その隣でレナードは大剣を元の場所に――空間を操る魔術で剣を異空間に収納している――戻した。
「派手に騒いだから逃げられちゃったかなあ」
レナードの口許に自嘲気味の笑みが宿る。
「逃げる? どうやって? 通路はなかったはずだ」
「この客船って昔は軍が使っていたらしいよ。改装はされているけど、緊急時の抜け道とかは残っているのかもね」
レナードは机の裏などを探し出すので、リゼットは手持ち無沙汰になった。
こういう作業は得意ではない。捜索をレナードに任せたリゼットは壁に背に預けて思案する。
(先ほど倒した中に女はいなかった)
ホールから通じるこの部屋の扉は今リゼットたちが使った一つを除いて他にはない。唯一出入りのできそうなテラスはというと、上には空、下には海が広がり、上へも下へも逃れられそうにない。
アンブレラを飲む際に一時的に外へ出たが、その間にホールから出た人影はなかった。いや、ないとは言い切れない。リゼットはアンブレラの中和剤を飲まされた直後、レナードと会話している間の記憶があやふやだ。
(まさか、罠ということは……)
「でもさあ、リゼって過激だよね。こんな海の真ん中で事件起こしてどうやって逃げるつもりだったの?」
あれやこれやと考えを巡らせるリゼットに、レナードは部屋を漁りながら世間話をするように話し掛けた。
机の裏、観葉植物の鉢の下、壁に掛けられた絵画の裏というベタな場所を捜索するレナードの口の端は三日月のように弧を描いている。
過激という言葉が無謀だとか、ただ単に莫迦と言われているようで、不快に感じたリゼットはすうっと目を眇めた。
「白を切れば良い」
「キミみたいな可愛い女の子が人殺しをするなんて誰も思わないか。もしくは船長を脅して陸まで運転してもらって、後でばっさりとか?」
「目撃者は消すものだな」
そう、もしも疑いを掛けられれば武力行使に出なければならない。リゼットにはその覚悟がある。
答えを聞いたレナードは何故か嬉しそうだった。赤い目をきらきらと輝かせて見つめてきた。
「リゼって何処のレジスタンスの所属? 過激派というと中央大陸の【金糸雀】?」
「答える必要性が感じられない」
「まあ、何でも良いけどね。キミから血の匂いがするのは事実だから」
笑んだまま告げられた言葉に心が抉られたように感じたが、リゼットはその感情を押し殺した。
その時、何処かでカチっと何かのスイッチが入ったような音が聞こえた。壁画を持ち上げて壁を探っていたレナードは瞳を輝かせ、嬉々とした声を上げる。
「よし、これかな」
「貴様!」
確認もせずに怪しげなものを作動させるな。
そう怒鳴ろうとしたリゼットの背後で何かが動く。反射的に身を引く。すると今まで背を預けていた壁の一部がシャッターを開くように天井部分に収納されていき、露わになった壁の内部には扉があった。
部屋の中に存在するには異質すぎる鉄の扉だった。
レナードがこの船は昔、軍で使われていたという話をしていたが本当かもしれない。この扉は半端な銃では壊せない。
「隠し扉ってやつだね。罠かもしれないけどどうする?」
「行くに決まっているだろう。今更後戻りして何になる」
「進むだけが人生じゃないと思うけどな」
「逃げて何が変わるというんだ」
甘えを含んだレナードの言葉を即座に切り捨て、リゼットは迷わずに扉の前に立った。
自動的に開閉される扉を潜る。それと同時に背後で錠が掛かるような重たい音がした。
目の前が真っ暗になる。リゼットは一瞬、何が起こったのか分からなかった。
「レナード。何をしたんだ」
「……何か……かないみたい。閉じ……たね……」
「声が聞こえない」
「閉・じ・込・め・ら・れ・た・ね!」
「おい、お前ふざけているのか!?」
床が抜け落ちた訳でも、空間移転をした訳でもないのだから、閉じ込められたことは分かる。
壁を試しに叩いてみると思った以上に硬く、声を通さない厚さを考えると破るのは難しいかもしれない。これでは魔術では――リゼットの先天的な属性は水や氷を操り、癒やしを司る『水』だ――破壊することは適いそうにない。それに加え、腰に下げていた剣がないことにも気付く。
「取り敢えず、すぐそっちに行くからリゼは先に進んでて!」
扉が閉じる際に武器が挟み込まれてしまったのか、剣はあちら側にある。使い慣れた得物はなく、手元にあるのは銃と数本のハンティングナイフだけ。何とも心許ない状態だ。リゼットは舌打ちした。
墓穴を掘ったのは自分だと分かっている。だが、誰かの所為にでもしないとやり切れなかった。
(あいつと会ってから災難ばかりだ)
もしかすると【レナード】自体が罠だったのかもしれない。
会ったばかりの謎のレジスタンス組員。冷静になって考えたら彼は怪しすぎる。そんな青年を利用しようとしたリゼットだが、実のところ利用されたのはこちらの方かもしれない。
「莫迦だ」
生きていくのは一人が気楽で良い。
リゼットはもうこれ以上傷付きたくないし、誰かを信じるつもりもなかった。
信じて裏切られるのは辛い。誰かを失うのはもっと悲しい。一人なら孤独に苛まれはするが、喪失の悲しみとは無縁だ。リゼットは一人で生きていけるだけの力は持っていた。
それなのに、だ。
それなのにどうしてレナードに「共にこい」などと言ったのだ。
人を疑う自分に嫌気すら感じた先ほどの自分。では、今ここにいるのは誰だろう。
【正常】であることにしがみつき、過去を追想しながら悲しみを抱えて生きていく弱い娘か。それとも【異常】を受け入れ、悲しみを憎しみに変えて断罪を下す【破壊の使徒】か。
自分自身が理解できない。
リゼットは言い知れぬ恐怖に襲われ、自分を抱くように腕を強く掴んだ。暫くすると意識がゆらりと闇の中へ沈んでいくのが分かった。
気が付くとリゼットは暗い部屋の中にいた。
一瞬、自分の置かれている状況が理解できなかった。
青白い光に照らされた薄暗い部屋の中でリゼットは立ち上がり、酷い目眩に額を押さえる。
「私は、なんで……」
こんな所で何をしているのだろう。深く考えようとするとズキズキと頭の奥が傷んだが、リゼットはどうにか考えを巡らせ、思い出した。
ウィルスを暗殺しようとホールを抜け、彼女の使う部屋に侵入したこと。そしてそこでレナードが何かを作動させ、閉じ込められたこと。
リゼットは知り合って間もない男に背を預け、共闘しようとした己の愚行に吐き気がし、その内に意識が遠くなったのだ。
あれからどれだけの時間が流れたかは分からないが、「すぐに行く」と言ったレナードの姿はなかった。
「……期待していたとか?」
つくづく自分は莫迦だ。リゼットは低く笑った。
レナードの目的はウィルスの持つ資料とやらだ。リゼットのように彼女の暗殺が目的ではない。目的のものが手に入ればすぐに身を隠すだろう。
例え最初から裏切るつもりではないにしろ、足手纏いになった瞬間切り捨てる。それは狡さや弱さではなく、賢い生き方だ。そもそもリゼットとレナードは仲間ですらないのだから、己の目的を達したのなら逃げて当然だ。
白状しよう。
初めて会った瞬間、レナードはある人に似ていると思った。
ちょっとした仕草や勿体ぶるような言い回しがそっくりだった。だからこそ組んだのかもしれない。
けれど、レナードはその人ではない。
会ったばかりの人物に知らずの内に知人を投影し、頼る心を持っていたことに気付いたリゼットはその愚かしさを笑うしかなかった。それは人殺しと恐れられる存在ではなく、弱い娘が繊弱な心を保つ為に嗤う痛々しい姿だった。
愚かな自分を笑うリゼットは自分を救う術を持たない。否、救われる道を選ばない。
不安定な精神に追い討ちを掛けるように身体を支配する倦怠感が更にリゼットを追い詰める。しかし、リゼットはここで折れてしまうような普通の女ではなかった。
(悩んでどうするの? 痛みから逃げて、立ち止まっても何もないんだ)
救われなくたって構わない。裏切られ、一人になっても構わない。癒しなんて要らない。
浮かんでしまった涙を乱暴に拭うと、リゼットは懐からレンズのついた小型機械を取り出す。それを耳に掛けるとレンズの部分が丁度片目を覆う。
暗視スコープ、そして通信機器など多機能を搭載された小型多目的レーダーだ。生態反応を感知できる機能が付いているので、生命活動をしているものが範囲内へ入ればこの暗闇でも逃すことはない。
バッテリーの残量が心許ないが、人より夜目の利かないリゼットはそれに頼るしかない。
(どうやって出れば良い?)
ここは仮にも船の中なのだから何処か脆い部分を突けば壁は破れるだろう。だが、それを見付けるのは至難の技だ。無駄に広い上に、壁を叩けば返ってくるのは冷たい金属音。リゼットは一周したところで疲れてしまった。
(あの部屋から繋がっていたんだから、そんなに変な場所に出たとは思えないけど……)
客船から牢獄に繋がっているとはリゼットでなくても考えたくはない。
これなら機関室などに繋がっていてくれた方がまだ救いがあった。あの腹立たしい男の言うように確かに隠し通路はあったが、このように何もない部屋に繋がっていてはどうしようもない。
ホールに死体が転がっていることから侵入者の存在はすぐに知られるだろう。いや、既に知られていると考えた方が良い。
目的地の港に着けば恐らく外へは出られる。それは死を意味していた。
ここから永遠に出られず飢えて死ぬのも情けないが、捕えられて処刑されるのも如何なものか。目的を達するまで死ねないという思いがあるリゼットは、諦めずにこの部屋から脱出する方法を考える。
そうしてリゼットが頭を抱え、壁と向き合いながら途方に暮れていると何処からか声が聞こえてきた。
「鼠が忍び込んだと思えば、随分と可愛らしいお嬢さんね」
はっとして振り向くと、そこに一人の女性が立っていた。
「ウィルス・マイヤーズ!」
リゼットは身を強張らせ、その名を口にした。
** 初出…2009年5月2日