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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
三章 幻想の終わり、現実の始まり
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閑話 スノードーム

リゼット視点。

本編より一年前。安らぎと悔恨の狭間で 【8】以降の話になります。

 きらきら、くるくる雪が降る。

 灰色の空から降りてくる雪は羽根のように軽く、すぐに溶けてしまう粉雪だ。

 冬の冷たい空気に胸の辺りまで伸ばした髪を靡かせ、リゼットは早足で追う。


「閣下、お待ち下さい」


 リゼットの前方にはチャコールグレイのチェスターコートを纏う青年がいる。

 軍服に袖を通していない彼はとても一部隊を任されている軍人には見えない。そもそも彼が二十代という若さで異例の階級に就いているのは過去の戦績もあるが、上層部のパフォーマンスというのもある。上司であるアースト少将に気に入られ、出世していく彼を面白く思わない者も多い。休みだからといってこうしてふらふら出歩かれると懐刀の身(ボディガード)として困る。

 静止を聞く様子がまるでないことにリゼットは憤り、声色を尖らせた。


「閣下! 一人で先に行かないで下さい」

「止めませんか、それ」

「え……?」

「謳歌すべき休日だというのに」


 その休日に誘われるほどにはリゼットという懐刀は特別な存在だった。

 仕事ではないのだということを思い出したリゼットは、足を止めた彼に改めて向き直る。


「では、レイ」

「何でしょう、リゼ」


 口調を改めると、スレイドはにこやかに微笑んだ。

 仮にも上司で、かつては銃を向けもした相手なので、リゼットはやりづらいことこの上ない。だが今更取り繕っても仕様がないので単刀直入に言う。


「今日の目的は何ですか? 行き先も知らされずに付いてこいと言われても困ります」

「ただの息抜きですよ」

「息抜き……ですか」

「ヴァレンチナから【リゼは働きすぎだ。可愛い妹をこき使うな】と言われているので」


 スレイドの正直な告白にリゼットは内心溜め息をつく。

 リゼットはスレイドのことを慕っている。その彼とこうしてプライベートで会うことは嬉しくもあるが、兄のお節介の恩恵というのが気に食わない。


(兄様は余計なことばかり)


 仕事に首を突っ込まれるのも鬱陶しいし、日常生活に介入されるのも不愉快だ。

 兄なりの善意なのだと二十歳になったリゼットは理解していたが、それを受け入れられるほど素直でも聞き分けが良くもない。


(……どうしていいか分からないもの)


 父親が違うこともあってリゼットとヴァレンは離れて育った。リゼットが母のミレイユと暮らす家に時折やってくる兄は血族というよりは他人だった。恐らく兄もそうだろう。

 ヴァレンにとってリゼットは、自分の父親から母親を寝取った男の子供だ。

 恨まれることこそすれ、親愛を向ける相手ではない。

 スレイドがいるからこそ兄妹は微妙な関係を保てていて、同時に拗れもする。

 そうして考え事をしながら歩くリゼットにスレイドは忠告する。


「はぐれても探してあげませんよ」

「どうしてそういう言い方するんですか」

「何がですか?」

「……いいえ、何でもないです」


 スレイドはたまに意地悪だ。

 はぐれられるのが嫌ならば、いつものように手を引いてエスコートすれば良いではないか。思わずそんなことを考えてしまったリゼットは己を叱責する。こんなことでは身辺警護の役割を果たせない。

 彼との休日を楽しみたいのか、仕事の延長として関わりたいのか自分でも分からないリゼットは弱ってしまう。


「折角、君を連れ出したのに、他の相手のことを考えられる私の身にもなって下さい」

「なら……考えられないようにして下さい」

「大胆なことを言いますね」

「誤解しないで下さい。変な意味じゃないですから」

「勿論分かっていますよ。君に何かしようとすると殴られるのは実証済みですから」

「いつの話ですか、それ……」


 スレイドは可笑しそうに笑い、その所為で少しばかり咳き込んだ。

 コーヒーショップでカフェを飲んで雪宿りをしてから、アーケードに行ってウィンドウショッピングをする。

 スレイドとリゼットはいつも演劇や映画を観て過ごしていたので、こうして市井を歩くのはあまりないことだ。

 目的もなく街を歩くということがリゼットは苦手で、自然と彼の背を追うのに没頭することになる。

 折角の休日というのなら静かな場所で二人で過ごしたい。ドレスを買ってもらったり、何処かへ連れて行かれたい訳でもない。一緒に料理を作って他愛もない話をする。そういう時間だけでリゼットは満たされている。

 スレイドが帰ろうと言い出さないかと期待していると、ふと彼は雑貨屋に立ち寄り、小さな置物を手に取った。

 スノードームの中には小さな木造家屋と銀色のもみの木が建っている。


「レイはそういうの、好きなんですか?」

「綺麗なものが綺麗なまま閉じ込められている。素敵だと思いますよ。この国のようで面白いです」


 スレイドがスノードームを傾けると、くるくると粉雪が舞った。

 ドームに覆われた聖帝国は天候も人の手によってコントロールされている。機械仕掛けの国の雪は嗜好品で、人々を楽しませる為に降らされている。

 安全で快適な箱庭。そこに綻びがあるとすれば魔族の存在だろう。

 リゼットの口からその思いが言葉となってこぼれ落ちる。


「……魔族なんていなくなれば良いんです。そうすればこの国は良くなるはずです」

「極論ですね」

「滅多なことを言うなと言いたいんですか?」


 魔族が闊歩する国でそのようなことを口にすれば命が危うい。何より、個人の尺度で世界を測るようなことをスレイドは良しとしない。リゼットは今まで何度も諭された。

 きっと今回も咎められるのだろう。憮然とした面持ちのリゼットにスレイドが掛けた言葉は予想外のものだった。


「そうではなく、魔族がいなかったら私は君と出会えませんでしたから」


 リゼットはぼんやりと彼を見上げた。

 魔族の封印が解かれなければリゼットは生まれてくることはなかった。けれど、それは不幸の始まりでもある。

 魔族と人間の混血のリゼットはどちらからも受け入れられず、こうして街を歩くだけで奇異の目で見られる。スレイドのように人間も魔族も分け隔てなく接する者はあまりいない。


「そういえば海を見たいと言っていましたね」

「レイが言ったんです」

「そうだったかな」

「朦朧するには早いですよ」


 リゼットがじとりと目を伏せる。スレイドは困ったような顔をして続けた。


「任務とは関係ないところで見たいですね。できれば休暇をとって水郷国(すいきょうこく)に行くのが良い」

「私は兎も角、レイはそんなに休みをとれないじゃないですか」

「そんなことはありませんよ。私の代わりは幾らでもいますから」

「閣下がいなくては我が隊は機能しません」

「お飾りですよ。ご老体は私のような若造には取り合いません。飾物らしく中間管理を任せられているだけです」

「貴方らしくないです。貴方が居なかったら――」

「この世に必要な存在など居ませんよ」


 そう言った彼の青い目はリゼットを見ているようで見ていない。

 何もかもを持っているはずの男の口から出るにはあまりに厭世的な内容だ。

 微かな違和感。不安に胸がざわめく。


「私が死んでも世界は何も変わらず動いていくんです」

「レイ?」


 訝りを込めて、リゼットは彼の袖を掴んだ。すると彼はまるで冗談だったというように笑った。


「目の前にいる女性の寂しさも消せないというのに」

「レイは私を救ってくれたじゃないですか……」


 あの日、スレイドと出会わなければリゼットはきっと死んでいた。

 自暴自棄に復讐に走った小娘の末路などろくなものではない。こうして生きていられるのは彼が【生きる意味】を与えてくれたからだ。

 リゼットはペンダントを握り締める。スレイドは手を伸ばし、鎖に触れた。


「ずっと着けているんですね」

「……いけませんか」

「いいえ、嬉しいですよ。虫除け代わりにもなりますしね」

「言っていることとやっていること矛盾していますよね」


 将来の妨げにならないようにとキスもしない癖に、所有権を主張する彼は矛盾している。


「リゼの幸せの為なら年寄りは身を引きますよ。でも、ついうっかりということがあります。思わず撃ち殺してしまったら大変ですから、悪い虫が付かないに越したことはありません」

「私に寄ってくる虫なんて貴方くらいです」

「少数派なんでしょうか」

「そうですね。凄く悪趣味だと思います」


 リゼットと嫌味の応酬をするスレイドはいつも通りで、違和感の余韻は消えていた。

 先刻スレイドが傾けたスノードームの中の雪も止んでいる。


「今日の記念に買って帰りましょうか」

「何の日でもないのにですか?」

「何にもない素晴らしい休日ですからね」


 リゼットがラビットとベアのスノードームを選ぶと、スレイドはスノーマンが二つ並んだものを手に取った。

 可愛い趣味だとスレイドは微笑ましげに言ったが、リゼットから見ても彼が選んだ二対のスノーマンも彼らしからぬ好みだった。

 誕生日に貰ったフローライトのペンダントとは別の思い出の品ができた。

 お揃いのものが欲しいのだと言えば良かったのかもしれない。

 この時のリゼットは彼に上司と部下の関係を望みながらも、心の何処かでは愛されることを夢見ていた。女性らしく振る舞えない自分が憎たらしい。

 けれど、結果的にリゼットはこのスノードームを自ら壊すことになる。






 寒い寒い冬の日、リゼットはまた大切なものを失った。

 異国からやってくる生贄が死に、彼が身代わりになることが決まる。リゼットは手が届く場所で彼が凍りついていくのを見ていた。


「リゼ、俺のことは忘れて良い。俺に囚われて次に歩き出せないなんて駄目だ。後悔ではなく、思い出にして前を向いて欲しい。どうか臆病にならないでくれ。リゼには立ち止まらずに歩いていって欲しいんだ」


 いつだか「立ち止まらないことが怖い」といったひとが、立ち止まらずに歩いていけと言う。

 どうしてと、嫌だと喚いても現実は覆らない。

 彼はスノードームの中で死んだ。

 死んでいることが嘘のように綺麗なまま死に、血を抜かれて灰になった。


「……本当に、綺麗」


 きらきら、くるくる雪が降る。

 青い海に白が飲み込まれていく。

 大嫌いな雪が消えていく。

 深々(しん)と雪が降る。視界がぼやける。心が、軋む音がする。

 箱庭を飛び出して初めて見た海はとても美しかった。海辺にひとり立ったリゼットは発作的に彼との思い出の品を壊した。

 スノードームが粉々に砕け散る。それはリゼットの世界が崩れていく音だ。


(進むって……貴方を過去に置いて、何処に進んでいけというの……?)


 彼の為だけに生きていたのに、この先の人生に何の意味があるというのだろう。

 彼が居ない。

 何もかもが意味がない。

 美しい世界に必要ない。

 人間も魔族も等しく無価値だ。殺し尽くして、最後に海に身を投げよう。


「貴方を殺した奴等を許さない。全部殺すから……待っていて」


 きらきら、くるくる雪が回る。

 喜劇にも悲劇にもならない滑稽な復讐が始まった。

** 初出…2015年4月10日

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