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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
三章 幻想の終わり、現実の始まり
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【10】

 何故、復讐をしないのかと声は言う。

 冷たい氷の中で彼が待っているのに、どうして剣を置いてしまったのかと。何故生きる理由など探してのうのうと息をしているのかと。

 生きて良い理由があるとすれば、それは彼の復讐の為だけ。それ以外の理由は許されはしない。


『リゼ、俺のことは忘れて良い』

『いや……いやだ、レイ……!』

『リゼには立ち止まらずに歩いていって欲しいんだ』


 冷たい硝子越しの別れ。氷付けになって死んだ彼の姿が眼に焼き付いた。

 死人のような冷たい腕が後ろから絡み付いてくる。耳朶に触れるのは闇の吐息。

 元々ヴェノムや魔族は他者から何かを略奪することが本能なのだから、良いじゃない。沢山血を吸って、力を付けて、全人類を滅ぼして、最後のひとりになったら自害しましょう。

 目をきつく閉じ、耳を覆っても声は聞こえる。誰のものだろうとずっと考えていた。聞いたことがあるはずなのに、どうしても思い出せなかった。そしてあの日、同族の血を啜った瞬間に分かってしまった。

 それは良く知った、自分の声だと。


『そうよ。あの人を犠牲にした奴等なんて死んでしまえば良い。必要な人間なんて居ないってあの人も言っていたわ』


 耳を貸してしまえば殺戮が広がる。気が付いた時に血の中に立っているのは剥き出しの自分。

 気が可笑しくなる。

 ただ、苦しかった。ただ、悲しかった。

 復讐の剣を振るい、贖いの血を浴びたとしても満たされない。本当はそんなものを求めていなかった。

 ふたりで一緒に見られたら良いと語った海をひとりで見る度に心が軋んだ。


『……貴方を過去に置いて、何処に進んでいけというの……?』


 助けて、と頼る相手もいない。

 そうして今宵も恐怖と孤独に震えている。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 雪に覆われた谷は月の青白い光に包まれている。

 サンゴ谷には狩人たちが使う為の休息所があり、そこには調理器具や簡素なベッドが備えられている。リゼットが倒れたこともあってレナードはそこで夜を明かすことになった。

 奥にあるベッドはリゼットと琥珀に使わせ、レナードは休憩所の入り口に程近い床に転がっていた。

 野宿をするのは慣れているから木張りの床の硬さは苦痛ではない。何より定期的に外の見回りをしなければならないので、寝台に横になる暇もなかった。


(テオの奴、何考えてるんだよ)


 テオにはこの大陸の魔物の統括を任せたのに、その方法は杜撰だ。

 あんな洞窟に魔物を押し込めて魔界でも作る気だったのだろうか。閉じ込められた魔物が飢えから共食いを行い、力を増幅させれば手が付けられなくなる。リゼットと琥珀も良く無事だったものだとレナードは呆れ半分感心する。

 窓から空を見ると月は高い位置にある。

 朝まではまだ長い。そろそろ外の見回りに出るべきだろう。

 そう思った矢先、奥の部屋からみしりと床の軋む音が聞こえてくる。

 リゼットは動ける状態ではないので琥珀だろうか。身を起こすと同時にレナードは突き飛ばされる。夜闇に銀光が(はし)った。


「何の真似だ?」


 心臓目掛けて突き出される小剣(スティレット)をかわす。そして得物を持つ手を掴み、捻る。


「…………ッ!」


 腫れた手首を捻られるのは痛かったらしい。蒼白な顔をした奇襲者は身を引こうとするがレナードは逆に組み伏せた。スティレットが手から離れる。

 しかし、まだ油断はできない。

 彼女は武器を隠し持っている。懐、袖、ブーツは勿論、二の腕や太腿にも針や折り畳みナイフが入ったポーチが固定されている。こうなると衣類を剥いてみないと分からない。


「情熱的な夜這いをするなら服を脱いでからこないと」


 もしもそうしてこられたら理性が持たなそうだとも思うが、それはそれ。

 この手の戯言に反論してこないところを見ると彼女は【普通】ではないようだ。


「重い。離して」

「離したら殺される」


 そこそこの力を掛けて床に押さえ付けているというのに、油断をすれば押し戻されそうだ。爛々と光る血色の瞳を持つ彼女の爪は魔物のように尖っている。レナードは眉を寄せた。


「【リゼット】? それとも【人殺しの魔物(エッツェル)】?」

「その問いに何の意味があるの?」

「重要なことだよ」


 レナードはずっと疑問に思っていた。あのリゼットが本当に大量殺人をやってのけたのかと。

 揶揄にむきに反応したり、甘い菓子に頬を綻ばせたり、敵の前で平気で泣くような女がまともな精神で殺人を行っていたのか、ずっと疑問だった。

 レナードは、ここにいるのは【リゼット】か【破壊の使徒】のどちらかと問うたことがある。あの時は半信半疑でしかなかったが今は確信に近い。

 初めて会ったあの船で、リゼットは危険なドラッグを使用していた。アンブレラは高揚剤という生易しいものではない。依存性が高く、大量に摂取すれば精神崩壊が起こるほどの劇薬だ。

 薬を使用しない彼女は飽くまでも人間のリゼットでしかなく、ドラッグや毒物を摂取すると防衛本能のように魔族の人格が顔を出す。それが彼女という存在へ出したレナードの答えだ。


「どっちなのかな」

「答える必要性が感じられない」

「へえ、そう……?」


 だったら――本当の彼女というのならば、いつものように少し遊ばせてもらおうか。

 床に妖しく広がる髪は絡まりそうなほどに長く、繊細な飴細工を思わせる。女としての未完成さがどうにも危うい肢体からは酔いそうなくらいに甘い香りがした。

 手首を押さえたまま、首筋に唇を寄せる。白い喉に甘噛みするように歯を立てるが、それでも相手は無反応だ。こうも無抵抗だとまるで人形を相手にしているようで虚しくなる。

 従順過ぎるリゼットは女の顔をしていて怖い。そして、恐れを抱くと同時に冷たい怒りのようなものが湧き起こる。

 この慣れきった様は何だろう。復讐の切っ掛けとなった男にもこういうことをされていたのだろうか。誰にも見せない笑みを向け、素肌を外気に晒し、秘めた部分まで相手に知らしめてしまっているのか。

 気に食わない。

 レナードは焦燥にも似た感情でリゼットの喉に歯を突き立てようとする。その時、首の裏に添えられる硬い感触があった。

 冷たさも痛みもなく、ただ鋭利な刃物が肌に触れる感触。少しでも動けば、危うい。


「……狡猾だな。オレが油断したところで刺そうと思っていたのか」

「凄く気分が悪いの。血を飲めば治るかもしれない」

「治らないよ。却って気分が悪くなると思う」

「そんなことはないわ。あの人に血を貰うといつも気分が良くなったもの」

「へえ……、男に餌付けされていたわけ」


 この女は使い物にならないかもしれないという考えがレナードの中に浮かぶ。

 薬漬けで男の為にしか戦えないというのはどうしようもない。自分のものにして尽くさせたところで程度が知れる。

 ヴェノムの女という価値を除けば何の役にも立たない、契約者。

 そう、レナードとリゼットは契約を結んでいる。彼女に呼ばれたからレナードは彼女を助けた。ならば、ここで血を与えることが契約者としての努めなのか。

 答えは否。そんな自害的な方法は下策だ。手荒になるが、殴って正気に戻す方が確実だ。


「リゼット、正気に戻ってくれないかな? オレはキミの仲間だよ。できれば手荒なことはしたくないんだ」


 レナードは言い含めるように語り掛けながら軽くリゼットの頬を叩いた。

 望み薄の説得だった。けれど、リゼットの表情は凍り付いた。


「リゼット?」

「……また、殴るの……?」


 譫言のような言葉にレナードは血の気が引く。


『違う……違うの! あの人は悪くない! 私がちゃんとしないから……あの人の子供を産めないから、だから……っ私が産まなきゃ、あの子が……』


 痣だらけのイユは泣いていた。

 二人目の男子を産めない自分が全て悪いのだと薔薇の庭の片隅で泣いていた。

 泣いているイユが堪らなく愛しかった。イユを泣かせる父が憎らしく、同時に恐ろしかった。

 心も身も窶れさせていくイユに逃げようと言えなかった。

 イユは殺された。


「イユ……、どうして……」


 リゼットとイユはそっくりだ。

 けれど、ものには限度というものがある。あまりにも似過ぎていると愛しさよりも恐怖が込み上げてくるのだ。

 じくり膿んだ生傷を、素手で掴まれたような心地がした。

 言い様のない薄ら寒さにレナードはリゼットの上から身を退けた。拘束を解かれ、起き上がった彼女はスティレットを右手に持つ。そして――――。

 ダンッ

 夜闇に衝突音が響く。

 何等かの力によって吹き飛ばされ、壁に身体を衝突させたリゼットは糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。そんな彼女に歩み寄り、首を掴んで持ち上げたのは白マントの大男だ。


「レフィナード様を害する者は許しません」

「テオ!」


 宙に投げ出された力ない手足。子供と大人ほどの体格差がある両者。

 大人が無抵抗な子供の首を折るのは容易い。白い手袋に覆われた掌に更に力が籠もる。


「止めろ、命令だ!」

「ですが……」

「彼女はオレの契約者だ」


 驚愕したという表情を白塗りの顔に浮かべ、テオはリゼットの首から手を離す。再び投げ出される身体をレナードは受け止めた。


「リゼット……」

「まだ首を折ってはいませんので」

「当たり前だ!」


 テオはレナードに牙を向く者を捻り潰す。テオは今までずっとそうしてきた。レナードもそれを止めなかった。

 巨木のような腕に小枝を折るように首を捻られ、ごしゃりと独特の音を立てて砕ける骨。決して曲がりはしない方向に垂れた頭を何度も見てきた。

 ヒオウにイユを奪われたように、今度は白き王(ハクオウ)にリゼットを奪われる。そう感じた瞬間、どうしようもない恐怖がレナードの心を支配した。

 ぐったりとした身体を幼子のように掻き抱く(あるじ)に、テオは物珍しいという視線を送る。

 それからどれだけの時間を過ごしただろう。震えるようなか細い息を吐いたリゼットは小さく訊ねてくる。


「……私は……また何かしたのか……?」

「ううん、してない。大丈夫だよ」


 抱きかかえられていることに困惑するリゼットにレナードは言う。ただ大丈夫だと言い聞かせる。

 リゼットにはテオの姿が見えていないらしい。琥珀が起きてこないことからしても、テオは空間を歪めていることが分かる。


「熱があるから休んだ方が良いよ」


 膝の裏と背中に手を回し、身体を抱き上げたレナードはリゼットをベッドまで運んだ。


「ごめんなさい……」

「オレも悪かった」


 リゼットが何のことを言っているのかは分からない。それでも自分も悪いことをしたという思いがあったレナードは短く謝罪を述べた。それを聞いたリゼットは安心したのか、すぐに眠りへ落ちてしまった。

 レナードはテーオドリヒと彼の者を呼ぶ。


「はい、お呼びでしょうか」

「この女の様子が可笑しいんだ。何か分からないか?」


 リゼットも琥珀も寝入っている。彼等にテオの存在を感知されることはないので、レナードは彼にリゼットを見せた。


「確認しますが、この娘に貴方の血を与えたのですか?」

「ああ」

「酷なことをなさる……。貴方は自分と同等の連れ合いが欲しいだけかもしれませんが、相手は違う。貴方の血は私たちにとって毒のようなもの。不用意に摂取すれば【魔族の血】に支配されて、魔物に成り果ててしまいます」


 身体の変調に参っているではないかとテオは咎めるように言う。

 ならばエリカの言う毒のことは関係なく、こちらの血を飲んだことでヴェノムとしての均衡が崩れ、錯乱を引き起こしたというのか。


「どうすれば良い? 今更血を抜いたって戻らないんだろ?」

「支えてやることです。同族として、この者を最後の時までヒトでいさせること。それが縁を結んだ貴方のせめてもの責任というものです」

「やれるだけはやってみるよ」

「【あの方】以外に関心を持つ貴方を初めて見ましたよ」

「……まあ、一応同族だしな」


 レナードは歯切れ悪く答えながらリゼットに背を向け、そのまま休憩所の外へ出た。

 リゼットが自分の復讐の役に立たないかもしれないと分かった今、レナードは彼女をどうするべきか悩んでいる。

 彼女を支えるとして、その日々はいつまで続くだろう。自分が【自分】でいられるのはいつまでだろう。

 未来なんて軽々しく言える身ではないというのに滑稽にも程がある。


「あんたは裏切らないよな……?」

「はい、勿論です」

「あんたはオレを裏切りたくても裏切れないんだもんな、ハクオウ」


 心がぷつりと切れてしまったような無表情でレナードは云う。

 月の隠れた暗い谷に風が吹き、テオの長い白髪を揺らした。


「あの娘の名をお聞かせ下さい」

「リゼット……リゼッティ・シュトレーメルだったかな」


 その名前を聞いたテオの顔が微かに歪んだことに、レナードは気付かない。

**初出…2009年9月1日

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