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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
三章 幻想の終わり、現実の始まり
36/53

【8】

「さて候補生、入団試験だ。今回お前たちに行ってもらうのはウェーベルン南東にあるサンゴ谷だ。お前たちは谷に周辺の木に実る冬林檎と、洞窟に群生する岩茸を採ってこい。以上だ」


 偉そうな口調で試験内容を告げる瑠璃。要はそのサンゴ谷という場所に行き、林檎と岩茸を採ってくれば良いらしい。

 入団試験ということで対人戦を考えていたリゼットは拍子抜けする。


「何故、食べ物なんだ?」

「食えない収集物より、食える物の方が良いだろう」

「卑しい王子だな」

「ふん、何とでも言え」


 人殺しに何を言われても痛くないという様子だった。


「私がお前たちの仲間にならないとしてもこの試験に意味があるのか」

「今返してお前が俺に牙を向かない保証が何処にある」


 返却後のリスクも大して変わらないが、リゼットも余計なことは言わない。


「私がこの試験をクリアしたら、本当にペンダントを返してくれるんだな」

「ああ」

「もしもクリアできなかったら?」

「その場合は質屋にでも入れさせてもらう。一宿一飯の金にはなりそうだ」


 意地悪く言う顔を殴ってやりたい衝動に駆られたリゼットはどうにか踏み止まる。

 瑠璃は見定めるように片目を眇め、踵を返した。

 瑠璃から押し付けられた地図を広げてみると、丁寧に道筋や群生地に印が付けてあった。彼の人物像を掴みかねてリゼットは眉根を寄せる。

 何はともあれ、加わるかも分からない組織の首領のことを考えても仕方がない。リゼットはサンゴ谷まで同行する琥珀に地図を預け、空を見上げた。

 どんよりとした鈍色の空からは今にも雪が降り出しそうで、足元には昨晩降った雪が重く積もっている。

 風雪は視界を狭め、聴覚を鈍らせ、方向感覚をも失わさせる。何よりも寒さや風には余計な体力を持っていかれてしまう。早めに行って帰ってきたいところだ。

 ウェーベルンからサンゴ谷は半日で帰ってこられる距離だというのでリゼットは大した装備は持たず、【黄金の暁】組員に借りた猟銃を背負っているだけだ。心配性の琥珀はショルダーバッグの中に医療品や食料を入れたりと万全の用意をしていた。


「リゼ姉、そんな格好で大丈夫なの? 見てるだけで寒いんだけど……」

「お前が寒がりなんだろう」

「あとで寒くなっても知らないよ……」


 琥珀は帽子を深く被り、コートの中も重ね着という厚着をしている。首を竦めている様子を見ると本当に寒そうだ。

 リゼットにとっては心地良いくらいの気候だ。こんな些細なことでも自分(ヴェノム)他人(にんげん)の違いを突き付けられたようで嫌になる。


「防寒着は持ってるに越したことはないと思うけどね」


 何者かが気配を感じさせずに近付き、そう言ってリゼットの首に濡れ羽色のマフラーを巻き付けた。

 驚いて振り返るとレナードがいた。気遣いに驚くよりも昨日のことを思い出してリゼットは凍り付く。

 謝罪で済むような問題ではないのだ。唇が空回りして、何の言葉も出てこない。


「じゃ、気を付けて」


 背を向け、立ち去ろうとするレナードの腕をリゼットは咄嗟に掴んだ。

 レナードはゆっくりと振り返る。それでもリゼットの口からは言葉が出ない。


「……昨日、私は……」

「何かあったら呼びなよ。少しは助けになれるかもしれないからさ」


 そのことは構わないと言うようにレナードはリゼットの手をほどいた。力が入らないのか指先が震えている。自分のしたことの重さがぐさりと胸に突き刺さる。

 詰られはしなかったが、心は先ほどよりもずっと強く痛んだ。






 サンゴ谷はその昔、海底にあったとされる場所だ。

 斜面の至るところから巨大なサンゴが突き出している。リゼットと琥珀はサンゴ礁が形成した道を伝って谷を降りてゆく。


「う、うわぁっ」

「滑るから気を付けろ」

「ごめん……ありがと!」


 リゼットの手を借り、どうにか谷の最下層へ降りた琥珀は長い息をつく。


「ねえ、林檎沢山採ったし食べてみない?」

「休憩したいのか?」

「う……ううん」

「私も疲れた。洞窟に入ったら少し休もう」

「うん」


 リゼットが表情を幾らか和らげて言うと、琥珀は安堵したように笑顔を浮かべた。

 谷に積もった雪は深く、否応なく体力を持っていかる。

 雪がなければここはとても美しい場所だろう。雪が嫌いなリゼットにとって白ばかりの渓谷は苦痛だが、足場が滑ることも疲労に繋がった。リゼットは先を行く琥珀を呼び止めた。


「琥珀、預かってもらいたいものがある」

「何を……って、僕は銃なんて持ちたくないよ!?」


 拳銃を押し付けられた琥珀はぎょっとして突き返そうとしたが、リゼットは受け取らない。


「今、私の中で魔族の割合が強いんだ」

「リゼ姉さ……、昨日より具合は良さそうだけどずっと苦しそうだよ」

「だからいざという時は撃ってくれ」


 ヴェノムの弱点は脳と、心臓がある右胸だと教える。リゼットが本気で言っているのだと理解した琥珀は躊躇いがちに頷き、銃を仕舞った。

 リゼットは内心申し訳なく思う。年下の少年に重荷を持たせてしまった。

 自分の始末くらいは自分で付けるつもりだが、いざという時ということもある。そう、昨夜のように。

 地図に従ってサンゴのトンネルを潜りながら進んで行くと、凍り付いた滝が見えてきた。

 滝のすぐ傍にはぽっかりと穴が空いており、奥へと続いている。洞窟内へ入ると青い光が満ちた幻想的な空間が広がっていた。


「海の中にいるみたいだ」

「この天井、崩れそうで怖いんだけど」

「……感動が全くない奴だな」

「きっと氷が崩れたら洞窟は水没するだろうね。うーん、夏になったらどうなるんだろ。壁は触ると冷たいけど、氷じゃなくて水晶とかなのかな。でも位置的に滝裏だし、やっぱり危ないような」


 美しい光景につい見入るリゼットの隣で、琥珀は斜め上から批評を始める。

 妖精界でのこともそうだが、琥珀には情緒というものがないらしい。真横でこうも曲がった意見を聞かされると、景色を楽しもうという気持ちも消えてゆく。

 一旦休もう。リゼットはそう提案してサンゴの上に腰を下ろした。


「茸探しとかってなんか懐かしいね」

「そういえば、誰だかの所為で蜘蛛に襲われたな」


 携帯食料と多めにもいだ冬林檎で食事を済ませ、他愛もない話をする。


「だって茸が背中に生えてるっていう莫迦みたいな蜘蛛だよ? あんな異界生物みたいなのが出てくるなんて思わないよ」


 それはルミエール廃坑のこと。茸を採集しに行った廃坑で、見るも恐ろしい蜘蛛に囲まれたのは二人の共通のトラウマだ。


「ああいう気持ち悪いのはもう御免だなぁ」

「じゃあ魔物が出てこない内に行くか」

「そうだね」


 琥珀は先に立ち上がるとショルダーバッグを肩に掛け、地図を広げた。


「一本道の突き当たりを右だね」

「従うべきだと思う?」

「あー、あの王子の嫌がらせって見方もあるか。でも、今まで大丈夫だったしこのまま進んで良いんじゃない?」


 地図を見た限り、それほど広い洞窟でもない。地図に従わずとも散策していれば見付かるだろう。そういうことにしてリゼットと琥珀は洞窟を進んだ。

 洞窟の中には川が流れている。川を辿ると水が溜まった場所に出た。

 岩茸と唱えながら辺りを見回している琥珀。その目が大きく見開かれる。


「あのさ……凄いデカブツが見えるんだけど、僕の気の所為? あれって岩? それともオブジェ?」


 琥珀の指す湖の中心、そこには巨大な影がある。巨大な鋏に巨大な触覚。細体を包む赤い甲羅は刺に覆われていて、胴体からは鋏を含めて十本の足が生えている。体長は優に二メートルはあるだろうか。

 あんなものが前衛芸術(オブジェ)だったら趣味を疑う。そもそも誰がこんな場所に置くというのか。


「引き返すぞ」


 水性生物かゴーレムかは分からないが、見るからに危険そうな雰囲気だ。

 琥珀の手を取り、来た道を引き返し始めるリゼット。その足が止まる。


「挟み込まれたねー……」

「またこのパターンか」


 琥珀も魔物との戦闘を重ね、気配だけは読み取れるようになっていた。


「何かさー、リゼ姉と洞窟とか探索するとこうなるっていうかさー……」

「人聞きの悪いことを言うな」

「大丈夫、誰も聞いてないから」


 サンゴの影になっていて姿は見えないが、恐らく湖にいる魔物と同じものだろう。

 先に進むのも地獄、引き返すのも地獄だ。


「冗談はさておき、僕に倒せるかな」

「やってみるか?」


 うん、と頷いて琥珀は背中に掛けた鞘からショートソードを抜く。

 ショートソードは片手に盾を持って使う武器で、癖がなく初心者にも扱い易い。旅の間、修練剣を心許なく感じたリゼットが琥珀の為に選んだのだ。

 琥珀は荷物を置き、呼吸を整える。切っ先を敵の銅に定め、そして気合いの言葉と共に斬り掛かった。


「行くよ……っ!!」


 狙うは太い後ろ足。鋼の刃と分厚い甲羅がぶつかる。

 金属音が洞窟に響く。

 隙なく剣を引く琥珀。その顔が強張る。


「――かっ、硬い!! 欠けたし!?」


 刃零れした得物を見た琥珀は泣きそうな顔をして一目散に撤退してくる。

 情けない、とリゼットは内心呆れた。今のは関節を狙わず、直線的に斬り付けた琥珀が悪い。


「ねえ、手も痺れたんだけど!?」

「そこの川に突っ込んで冷やせば良いだろう」

「リゼ姉、声が冷たすぎ」


 とぼとぼと川に向かって歩いていく琥珀を横目に、リゼットは魔物を観察する。


(攻撃されたことに気付かないほど硬いなんて……)


 斬り付ける位置は悪かったものの、魔物は攻撃を受けたことに気付いている様子もない。鈍感なのか、硬いのか。琥珀の腕は男性にしては細いが、か弱いという訳ではない。リゼットは後者だと判断する。

 透き通った刀剣(アイスブランド)を持ち、どう捌こうか思案する。そんなリゼットの耳に、奇妙に平坦な琥珀の声が届いた。


「あのーリゼ姉ー、ヘルプー!」


 リゼットが肩越しに振り返ると、琥珀の背後の川から魔物が二体も姿を現していた。


「あの莫迦王子、僕たちのこと始末する気なんじゃない!?」

「始末なんてされて堪るか。帰ったら蹴るぞ」

「もち!」

「琥珀はあのサンゴの上から援護をしてくれ」

「分かったっ!」


 琥珀は剣士よりも魔術師としての才能がある。安全面も考え、魔物の手が届かない位置へ避難させた方が良い。

 アイスブランドの刃先を地面に向けるような持ち方をしたリゼットは地を蹴り、魔物の正面へ出る。そして勢いのまま剣を横に振る。


「……っ流石に、硬い」


 振り下ろされる凶暴な鋏。その切っ先にリゼットが飛び乗ると、魔物は腕を振り上げた。

 宙へ投げ出されたリゼットは宙返りし、不安定な姿勢のまま剣を振り下ろす。青い光は魔物の鋏を切断した。


(厄介な奴だな)


 これは噛み合わせていても無駄だ。反動を付ければ刃が通ることは分かったが、これでは倒す前に手が駄目になるだろう。

 頭上から琥珀の詠唱が聞こえる。リゼットは魔物との距離を取った。それとほぼ同時に魔物の足元に金色の陣が現れる。


「地の底に眠る星の力よ、此処に来たれ――!」


 大地が鋭く尖った槍に変化し、魔物を足元から貫く――!

 串刺しになるはずだった。だが、魔物の表皮は槍を通さなかった。


「き、効いてない……」


 琥珀は十八番の中級魔術(アトミックグレイブ)を弾かれて愕然としている。リゼットも思わず渋面を作る。


「琥珀、上から押し潰すような術は知らないか?」

「ごめん、基本は補助専門だから」

「そうだったな」


 リゼットも琥珀も表面上は穏やかだが、実際は呑気に会話をしていられる状況でもない。

 このような強固な鎧を纏った魔物に、リゼットと琥珀の持つ水属性と地属性の魔術は相性が悪いのだ。硬いだけなら溺死させるという手があっても水性生物にはそれも通用しない。


「炎使いがいればな……」


 魔物との戦闘で火属性の魔術は有用だ。作戦で班を組む時も、必ず炎使いは入れろというほどに重宝されている。

 リゼットは炎使いに心当たりがない訳ではない。その人物は呼べば快く力になろうとも言った。

 けれど、リゼットはその名を口にしない。


(呼ぶなんてできる訳がない)


 あんなに酷いことをした。今更助けてもらう資格などない。

 それに、同族のお前に無様な姿を見せる訳にはいかないじゃないか、レナード、と。

 その呟きは吐息に等しかった。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 それはリゼットたちが町を出た後。ウェーベルンの市街地にある一件の呉服屋でのこと。

 黒衣の男は店の裏口から入り込み、薄暗い寝室に足を踏み入れる。


「お帰りなさい、レナ」

「はい、ただいま」


 レナードは愛想のない声で応え、椅子に腰掛けた。

 しどけない格好でベッドに横になっていた女はゆっくりと身を起こすと、不思議そうに首を捻った。


「誰かと会ってきたの?」

「客を送ってきただけだよ」

「ふーん」


 レナードの言う客とは、化粧も愛想の欠片もない娘のこと。

 身支度を始める女の背に向かって、レナードは世間話でもするようにあることを切り出す。


「もうここにくるのは止めるよ」

「エリカを捨てるの?」

「遊びでも良いって言ったのはあんただよ」

「確かに言ったけど、さ」


 彼女とは今まで逢瀬を繰り返したが、初めに誘ってきたのもあちらであって、こちらには手を出す気なんて微塵もなかった。

 そう、ただ興が乗って、腹が空いていたから寝た。レナードにとって男女の付き合いとはそういうものだ。


「オレさあ、今まで付き合った女の名前ってろくに覚えていないんだ」

「つまり、少し経てばエリカのことも忘れるの?」

「あんたは仲間だから覚えているかもな」


 レナードは肘掛けに肘を置き、頬杖をつきながら続ける。


「ぱっとしないから他の男が目を付けそうにない。体格が良いから少しくらい血を吸っても倒れない。そして金髪は高く売れるから、いざという時の処分に困らない。オレが今まで遊んだ女の共通点だけど、何か説明して欲しいことは?」


 酷い言葉だった。悪魔の言葉という一言では済ませられないほど当事者の心を抉る言葉だった。

 自分が【彼の忘れられない女】の代用品ですらなく、食糧だったのだと悟ったエリカは声を失う。


「てことでさ、エリカ。別れる前に血をくれると嬉しいんだけど」


 人間離れした美貌に浮かぶのは冷たい微笑み。魔王という存在が近くにいるとすれば、こういう人物だろうと思わせるほどに身勝手な振る舞いだった。


「最っ低だね。悪魔みたい」

「何を今更。オレがどんな奴か分かって近付いてきた癖に」

「ふっ……あはははは」


 エリカはけたたましく笑う。首筋に噛み付かれようとも笑っていた。

**初出…2009年8月28日

           

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