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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
二章 安らぎと悔恨の狭間で
21/53

【4】

 晴れ渡る空の頂きにある太陽が大地を真っ白に照らす。

 陽射しは柔らかく、風も何処か芳しい。南の海域に浮かぶセレン島は元々冬の寒さが厳しくない土地だという。暖冬の今冬は土地柄も相俟って、まるで春のように暖かな陽気だった。


「ねえ、リゼ。一緒に買い物に行きましょう?」

「悪いが気が乗らない」

「そう、ごめんなさい……。無理言って……」


 ドアの向こうから聞こえてくる翡翠の落胆した声にずきりと胸が痛む。

 響く足音が遠ざかるにつれてリゼットの無表情が微かに歪む。それを目敏く捉えた男は、さも簡単だというように気軽に言ってきた。


「誘われたなら行けば良いのに」


 リゼットは視線を落とし、窓の外から声を掛けてきている男を赤い瞳で睨んだ。


「行けると思うか?」

「思わないけど」


 人畜無害そうな笑みを貼り付けているが、この男の中身はどす黒い。それを身を以って知っているリゼットは舌打ちし、内心罵倒した。


「で、調子はどう?」

「お陰様で」


 船で知り合った傭兵レナードと再会をしてから五日が経った。傷を開かせ、一時は生死の境をさまよい、気弱になっていたリゼットであるが今はすっかり回復していた。

 腹の傷はあの契約から二日も経たない内に塞がった。村医者に掛かり、適当な理由を並べ立てて輸血もしたので全て元通りである。

 人間では決して有り得ない、驚異的な再生能力を改めて実感してリゼットは気分が悪くなった。これでは翡翠と琥珀が顔を青褪めさせるのも無理はない。

 あの日から彼等とはろくに口を利いていない。

 リゼットが人殺しの魔物――それも人類を滅ぼすと宣戦布告した【破壊の使徒】だという事実を、翡翠も琥珀も知ってしまった。

 優しい姉弟は今まで通り接しようとしてくれる。そんな優しさが苦しくて顔を合わせられない。リゼットはこの家を出て行こうともしたのだが、それだけは駄目だと翡翠が泣きながら言うので、出て行けずにいた。

 腫れ物を触るような遠慮がちの誘いを断り、用意された食事にも手を付けない。もう答えは決まっているのだ。

 自業自得による現実に悲しい気分になり、リゼットは物好きな同族へと声を掛けてしまう。


「お前も飽きないな……」

「見舞いに飽きるも何もないよ」


 魔族の苦手な太陽が高い場所にあるというのに、レナードは毎日のようにやってきては調子を訊いて帰ってゆく。先日ように強引な勧誘をすることもせず、ただ世間話をする為だけに。

 毎日見舞いにくることが、レナードが悩んだ果に出した【誠意】だったのだが、リゼットはそんなことは知らなかった。リゼットにとって見舞いは鬱陶しいだけで、下手をすれば悪意にすら感じられた。

 勿論、幾らかの慰めになっていたのは確かだけれども。


「あれほどしつこくしてきたというのに、大人しいのは何故だ?」


 リゼットはレナードを信じかねている。

 きっと何か企みがあるはずだ。そんな猜疑の思いを滲ませた表情をしているリゼットに、日溜まりの中にいるレナードは答える。


「勧誘はキミが良くなってからしようと思ってる」

「随分余裕だな」

「同胞に嫌われたくないからね」


 これ以上嫌われたくないから良い人を演じているのだと、はっきりと言ってみせるレナードはふてぶてしい。だが、ある意味純粋でもある。

 彼は万華鏡のようにその場その場で性格が変わる人物だ。基本はおどけていて真面目さのない優男。かと思えば慎重で、抜け目ない策士。そして、残酷さを見せた後にはどうしようもなく優しくなったりする。

 リゼットにはどれが本当のレナードという人物なのかが分からなかった。


「もしかして、こうやって離れて会話するのがもどかしい? その長い髪を垂らしてくれれば伝っていくのに」


 悪魔は巧みな言葉で人の心を誑かし、闇の中へ引き摺り込む。


「何の話だ? 私は例え話は好かない」


 愛想笑いすら浮かべないリゼットに対してレナードは何処までも朗らか。そこからはある種の余裕すら感じられた。

 ああ、やはり似ているかも。【あの人】ではなく、兄にだ。麗しさや禍々しさをぶち壊すような莫迦みたいに緊張感のない笑顔や、奇妙な物言いはリゼットの異父兄であるヴァレンに通じるものがある。

 だからこうも鬱陶しく感じるのだろうか。いや、違う。この人物だからこそ、どうしようもなくうざったいのだ。


「それじゃあ、今日は失礼します」


 リゼットの心を察したように、レナードは踵を返した。陽の下で外套の裾が翻る。


「待て、レナード」


 呼び止めたリゼットは窓の縁に足を掛け、下へと飛び降りた。


「……うわあ、本当に全快だなあ」


 傷はもう痛みもしない。足を挫くこともない。二階から飛び降り、重力を感じさせない動きで着地したリゼットを見てレナードは感嘆を漏らす。しかし、リゼットは感想を求めた訳ではない。


「訊きたいことがある」

「オレに訊きたいこと?」

「お前が潰したいというあいつとは誰だ?」

「それは……」


 そんなの決まってるじゃん、ヒオウだよ。

 レナードがそう答えるまで、さして間は空かなかった。






 出会ってしまったことが運の尽き。そして、今回のことに限っては声を掛けてしまったリゼットの失態である。

 リゼットとレナードはアーレントという港町にいた。ルミエールの村から峠を越えた先にあるアーレントはセレン独立国の首都であり、玄関口でもある。

 峠には魔物も出没するが、魔術を使える人間にとっては難なく倒せる程度のもの。リゼットが一時間の道のりをわざわざやってきた理由は単なる暇潰しだ。

 翡翠の誘いを断っているだけに胸には罪悪感があったのだが、この島を出るにはアーレント港の場所を知っておかねばならなかったので、レナードの誘いに乗った次第だ。

 ここからは【ガルディエヌ同盟国】と、【イルーニャ自治州】行きの船が出ているらしい。

 同盟国行きの船は今日出発してしまったので、次に出るのは一ヶ月後。自治州行きの船が出るのは五日後である。この島を出るならそれに乗ることになる。


「魔族なのに陽の下を堂々と歩けるって詐欺臭い」

「何が詐欺だ。お前だってあの時は普通に出歩いていただろう」

「あの時って、甲板の話? だったら間違いだったって後悔してる。日向ぼっこは好きだけど、調子乗ると具合悪くなるしさあ」


 つまり調子に乗って日光浴をし、後から体調を崩すタイプか。明らかに莫迦だ。

 リゼットも大口を叩ける立場ではないので何も言わなかった。

 しかし、リゼットが言わずとも声を掛けてくる者は意外にいるものである。


「晴れてるってのに、頭からそんな外套被ってどうしたんだい?」


 開港したことによって外から物資が入ってきた町は賑やかだ。

 港付近の公園にはバザーも開かれている。店を出す者は商人が多いが、住人も賑わいに乗じてフリーマーケットを開いていた。その中の男が、いかにも異国人といった出で立ちの二人に興味本位か訊ねてきた。


(こいつは目立ちすぎだ)


 こういう閉鎖的な国で旅装束は目立つ。まだ昼間だというのに頭から爪先を黒装束で覆っているレナードは、良くも悪くも人目を引く。リゼットから見ても怪しい人物だ。

 何処かの犯罪者が顔を隠して歩いているような出で立ちはどうにかならないものか。普段は無駄口ばかり叩く癖に、こういう時に限ってレナードは喋らなかったりする。仕方ないのでリゼットが説明した。


「気にしないでくれ。残念な顔を隠したいだけだろうから」

「そうか。なら仕方ないな」


 納得したというように頷く男の前に進み出る黒い影。リゼットは余計なことはするなと袖を引っ張ったが、レナードは振り払う。


「ゴメンナサイ、不細工で」


 レナードがはらりとフードを落としてそう言うので、男もリゼットもぎょっとした。

 赤茶の髪も金色の瞳も目立ちはするものの人間としては一般的なもの。それでも男が驚いたのは、目の前の青年の顔の造りが違うからだろう。

 黙っていれば誰もが隣に立つことを臆するほどの完璧な容貌なのだから仕方ない。


「はは……、ご冗談を……」


 乾いた笑いを浮かべる男の前で、レナードは飽くまでも笑顔を貫き通したが、目は全く笑っていなかった。

 こうして気に食わない相手を捻り潰してきたのだろう。それがありありと分かったリゼットは、冷たい気持ちで帰り道を歩く。


「マジでごめん。下僕がこんな残念な顔じゃ(あるじ)として格好付かないよね」


 暫くは黙って従っていたレナードも二人きりになると途端に饒舌になる。


「善処したいんだけど、こればかりはどうにもならないんだ」


 いつも通りの言い口であるからこそ、余計にえぐみがある。

 己に絶対の自信を持っているレナードにとって、先ほどのリゼットの一言は相当気に障るものだったらしい。


(私が謝るまで言い続けるつもり?)


「てか、人の話を聞いてる? オレ、繊細だから、そういうのって結構傷付くんだけど……」


 これには無視を決め込んでいたリゼットもいきり立つ。


「傷付く? 今まで貴様の言動に散々心を磨り減らした私は全く傷付いてないとでも言いたいのか?」

「いや……その、それは」

「謝罪の一つも受けていない」


 人殺しだと言われたり、ナイフを首に突き立てられたり、不可抗力とはいえ契約させられたり。

 実のところ、リゼットは精神的に参っている。それでも極力弱みを見せないように振る舞ってきたのは、弱みを見せた瞬間、付け込まれることが分かっているからだ。


「大体、お前の身元は何だ? 私は名前しか知らない奴を信用できない」


 レジスタンスといっても何処の誰が率いているのか、規模はどれほどか。名前もファーストネームしか聞いていなかった気がする。

 峠に架かる吊り橋の前で足を止め、睨むように振り返ったリゼットの視線を受けて、レナードは両手を上げた。所謂ホールドアップだが、これも形だけなのだろう。

 リゼットは深過ぎて自分の気も滅入りそうなほどの重たい溜め息をついた。


「はい、じゃあ改めて自己紹介させていただきまーす。レジスタンス【黄金の暁(おうごんのあかつき)】所属、レフィナード・アリスティドです。ギルドランクはクラスA」


 賞金稼ぎとしてのクラスがA(ラージエー)とは驚きだ。大陸でそれなりの仕事をこなしていたリゼットですら、クラスb(スモールビー)なのだから。


「歳は二十四で、出身地は天空国エーリク。あとはスリーサイズとか、好きな女の子のタイプとか、そういう方面も言った方が良い?」

「要らない。何が楽しくてそんな詳細を知らなきゃならないんだ」

「確かに、男からそんなことを聞いたら物凄くイラッとくるだろうね」


 あはは、とレナードは笑った。悪意など感じられない反応だからこそ、リゼットは却って困惑する。彼がどこまで本気かさっぱり分からなかった。

 もう嫌だとうなだれるリゼットの前で、レナードは何を思ったか絶壁から身を投げる。


「お、おい……!」


 伸ばした手は何も掴めず空を切る。手から何かがすり抜けていく感覚は、手の届きそうな場所でスレイドが死に逝くのを見守っていたリゼットにとって、堪らなく嫌な感覚を呼び起こす。

 青冷めた表情をするリゼットを余所に、難無く着地したレナードは手招きする。


「こっちの方が近いよ」


(どんな造りをしているんだ?)


 橋を幾つも渡って下るより飛び降りた方が早い。しかし、この高さは四階建ての建物ほどあるのではないだろうか。

 ものには限度というものがある。リゼットは木や屋根の上といったささやかな高所は好きだが、ビルの屋上といった高層な場所は嫌いだった。下からは風が吹き上げ、はらはらと髪を乱す。


「怖いなら歩いてきても良いよー。オレは待っているからー」


 一々癇に障る言い方しかしない男だ。愉悦に彩られた眼差しを見止めた瞬間、リゼットは飛び下りた。

 時にして約三秒。ほんの数瞬だが、身体の中で臓器が浮かび上がるような感覚はどうしても慣れることができない。三半規管が弱いので尚更である。


「流石。そうこなくちゃ!」

「私はどうしてお前に付き合っているんだ?」

「さあ? 単に負けず嫌いなんじゃない?」


 乱れた髪を背に払いながら声色を低くしたリゼットの様子を見てレナードは笑っていた。

 まんまと乗せられてしまったようだ。不覚だと内心ごちながらリゼットはふと思い出した。


「そういえば、赤目のアリスティドといえば指名手配犯じゃないか」


 珍しいラストネームはリゼットの記憶にもある。

 聖帝国のお偉い方に喧嘩を売っていた大莫迦者。赤い髪に赤い瞳、そして赤い外套――通称、赤眼のアリスティドは、リゼットが【CriMe】に入隊した時期に世間を騒がせていた人物だ。今が二十四歳と言っていたので、あの当時は十八歳だろうか。


「いかにも、オレがその指名手配犯のアリスティド少年だけど、【破壊の使徒】に比べればまだまだだなって思ってます」

「何の嫌味だ」

「この手で今まで何人殺した?」


 突然、腕を掴まれる。

 リゼットは咄嗟に振り払おうとするものの、契約を結んだ右手と左手は簡単に離れるものではない。


「オレと本調子のキミが全力でぶつかったらどうなる?」


 あの時の続きが気にならないかと囁く声には魔的な響きがあり、瞳は相手を惑わせる色がある。

 必要がなければ戦いなどしないに越したことはない。そういう思いのあるリゼットは、うんざりして投げやりに答えた。


「負ける戦いに飛び込むのは莫迦だ」

「負けを認めるワケ?」

「賢いだろう?」


 力が緩んだ隙に腕をゆっくりと振り払い、リゼットはひとり渓谷を進んでゆく。


「私は貴様みたいにへらへらと笑ってばかりの胡散臭い奴が大嫌いだ。戦いたくもない」

「また、貴様って言った」


 なら何と呼べば良いというのだ。

 名で呼ぶほど親しくもなければ、親しくなりたくもない。ならば二人称で呼ぶしかないではないか。


「どうしてレジスタンスにいる? お前のような奴は単身で討ちにいった方が小回りが利いて良いと思うが」

「単独で討つことができたなら、オレは今傭兵なんてやっていないよ。キミだってこんな所で燻ぶっていることはないだろ」

「私のことはどうでも良い」

「どうでも良くないよ」

「私に拘る理由が分からない。私程度の力を持つ魔族なら他にもいるじゃないか」


 リゼットは語気を強くして訊ねる。


「オレとキミが同じだから」


 愛する人を奪われた虚しさを埋める為だけに足掻く人生だと、レナードはこぼした。

 リゼットは思わず振り向いた。目に入ったレナードの眼差しは、何処か寂しげな――まるで暮れ沈みゆく空のような色だ。

 この表情を何処かで見たことがある。だが、全く思い出せない。忘れてしまっている。そのもどかしさに区切りを付けるようにリゼットは問うた。


「魔王に誰か殺されたのか?」

「……まあね」

「悪いことを聞いた。済まない」


 リゼットの殊勝な態度は予想外だったのかレナードは暫し声を失う。

 レナードはすぐにいつものようににっこりと笑った。

 上手い、とリゼットは内心思う。本気であれ偽りであれ、彼にとってその表情も言葉も武器だ。人の心にするりと入ってくる。

 【主】とはいえ、手玉に取られているのは間違いなく自分だ。


「私は……生きる意味が見付けられない」


 リゼットが生きようと思ったのは【何となく】というその場の思い。あの時よりよっぽどまともな精神状態の今、冷静に考えれば別に死んでも良かったと思ってしまう。

 そう気付いてしまった途端、とても悲しくなった。胸がひりひりと痛んで奥歯を強く噛み締める。


「オレだってそんなの知らない。生きている理由があるとすれば、あいつを殺す為だけだよ」


 リゼットは意識せず、先を続けた。


「復讐を果たした後のことなんて知らない。討つことができれば、後はどうでも良い」

「そう。さっぱり価値がない人生だ」


 やっぱり分かってくれる。そうして嬉しそうに微笑むレナードを見て、リゼットはどうしようもなく疲れた。

 性格も価値観も違う二人だが復讐という事柄に対して持っている感情に於いては、非常に近しい存在であった。


「でも、それって凄く虚しい。自分でも莫迦だって思う」

「……そうだな」

「オレは敵を討とうと考えると同時に、自分の中で欠けた【何か】を探してる」

「お前の言うそこで、それは見付かるのか?」


 目深に被ったフードの陰から金色の目がこちらを窺う。長い睫毛が物憂げに上下した。


「分からない。だけど、少なくとも一人でいた頃に比べれば思うことも多いよ」


 来てみないか、とその誘いの言葉は抵抗なく胸の底に落ちてゆく。それがどうにも癪でリゼットはわざと声色を鋭くした。


「少し考えさせろ」

「分かった。船が出るのは五日後だし、もう少し待つよ」


 何に従うべきで、何を探すべきなのだろう。レナードの言う【黄金の暁】に加わるのか、もしくは単身宛てもなく生きていくのか。どちらにしてもこの島を去るのだから、帰ったら姉弟に別れを言おう。

 そうしようとリゼットは心に決めた。

**初出…2009年8月3日

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