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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
二章 安らぎと悔恨の狭間で
20/53

閑話 灰色の町にて

レナード視点。

悲しみの荒野を行く彼等 【4】後の話になります。

 灰色の空、灰色の地面、灰色の海、そして灰色の建物群に囲まれた退廃的な町。けれど【イルーニャ自治州】の首都は人と物がごった返し、何処よりも活気に溢れている。


「暇なら私の部屋で一緒に飲まない?」


 酒場の薄明かりの中、大きく胸元の空いたドレスから白い肌が惜しげもなく晒されている。

 鼻腔を擽るのはコロンの甘い香。誰もが目を泳がせてしまうほどの美女。そんな魅惑の女性から誘いを受けて断る男なんてまずいない。いるとすれば遊びを知らない真面目な者か、小心者か、または異性に興味がない者か。彼の場合、異性に興味がないのではなく、美女を見飽きていると言った方が良いだろう。


「魅力的な誘いだけれどオレには先約がありますので。済みません、レディー」


 レナードは肩に置かれた手をそっと戻し、大人びた微笑を顔に刻んだ。

 女性が去った後、レナードの正面の席に座ったのは小綺麗な身なりをした少年だ。


「火遊び癖が少しは治られたようで何よりです」

「お久し振りです、クライオライト殿下」

「クライで結構です」

「はい。ではクライ殿下」

「……アリスティドさん、私の言った意味が通じませんでしたか?」


 つまりは殿下を付けるなということらしい。

 そんなことはどうでも良いと思うのだが、この銀髪の少年は神経質な性格なので仕方ない。レナードは声を殺して控えめに笑うと、向かい合う少年に静かな眼差しを向けた。

 クライオライト・ハインファルス・サルツブルク。彼はレナードより十ほども年若の少年だ。

 身体の細さを強調するような仕立ての紅色の衣装に、右横だけ肩に掛かるように長く垂らされた金にも銀にも映えるプラチナの髪。零れ落ちそうなほど大きな瞳はサルツブルク家の一員の証たる青。繊細な彼の面立ちは、ともすれば少女にも見える。


「会って早々こう言うのも何なのですが、アリスティドさん。貴方は自分の立場を分かっていますか?」

「それは勿論。オレは【黄金の暁】の雇われ傭兵で、ラピスラズリ殿下の用心棒です」

「その通りです。では、閣下の用心棒である貴方がふらふらと放浪しているとは何事ですか」


(ああ、また始まった。疲れるなあ)


 クライオライトはこうなると手が付けられない。レナードは慣れているので、聞いている振りをしながら頭では別のことを考えていた。

 レジスタンス【黄金の暁】の組員であるレナードとクライオライトがいるのは、イルーニャ自治州。ここはエーデルフェルト大陸の最西部にある地図にない国だ。

 地図にない――所謂、無法地帯だ。流れ者たちによって築かれた流れ者の為の国には様々な思想を持つ者が集まってくる訳で、聖帝国が最も処理に困っている場所でもある。

 レナードは船での一件の後、【ガルディエヌ共和国】――聖帝国と同盟関係にある為、同盟国と呼ばれる――へ降り立った。

 だが、聖帝国に喧嘩を売ったとなると流石に包囲は厳しく、結局行動もままならずにこの自治州へ逃れてきた次第だ。

 自治州には【黄金の暁】のアジトの一つがあった。そこで数ヶ月ぶりに再会したのがクライオライトだ。


「アリスティドさんがシップ・ハイジャックをした所為で、私たちのアジトが吹き飛んだのですよ」

「それこの前も言っていたけど、オレの所為ってマジ?」

「本当です。貴方がやらかした直後、ガルディエヌから遠距離砲撃を向けられて散々な目に遭いました。当然怪我人も出ましたし、何より諸悪の根源たる貴方にも連絡は付かないしで閣下は大変ご立腹です。貴方は自分のしたことの重大さをお分かりですか」


 諸悪の根源とは何やら聖帝国より悪い存在のような言われ方だ。


「【黄金の暁】の名が知れ渡った感じで良いじゃないですか」

「変な意味で名が知れて行動を制限されている状況なのですが。どう責任取ってもらえるのでしょうか」

「……ゴメンナサイ」


 クライオライトは人当たりが良く、温厚な性格をしているのだが、自らの主君のこととなると熱くなる。

 静かな怒りは伝わってくる。これは下手に言い返さない方が早く終わりそうだ。レナードは机に顔を伏せるように頭を下げた。

 酒場内のざわめきは止むことはなく、夜が深まる中で更に広がってゆく。その中でテロリストが堂々と話をしているとは誰が思うだろう。

 あの日、レナードは反聖帝国組織【黄金の暁】の名の元で船内の帝国人を虐殺した。

 【黄金の暁】名は大陸中に広がった。評価は様々だったが、危険分子と取られたことには違いない。


「顔を上げて下さい、アリスティドさん」


 レナードに険しい目を向けていたクライオライトは常の穏やかな表情に戻り、緩やかに命じた。


「ああは言いましたけれど、私個人としては構わないのです。全世界に私たちの――お兄様の存在が知れ渡ったのですから!」


 恍惚と語るクライオライトは酔ったよう。

 酒の香に酔ってしまったのかと思いたいがそうではない。ああやばい、レナードがそう思った時には手遅れだった。


「お兄様はこの腐敗した世界を浄化し、引っ張っていく御方。舞台裏は似合いません!」

「……そーですね」


 それは棒読みに等しい抑揚のない返事。

 耳敏く聞き止めたクライオライトにぎろりと睨まれ、レナードは肩を竦めた。


「クライ殿下はラピス殿下を本当にお慕い申し上げているというか……そんな感じですよね」

「お慕いするのは当然です。母親が違えども、あの方は私にとって唯一の兄なのですから」


 朗々かつ切々と言葉を紡いだ後、クライオライトは十四という年齢にしては大人びた笑みを浮かべた。


「兄弟か……」


 レナードは無意識の内に呟く。

 今のこの乱世、親兄弟だからこそ争うことはざらにある。それなのにこの兄弟愛は何だろう。クライオライトはきっと兄の為ならば犠牲になることも厭わない。彼にとって兄は神だ。

 レナードの唇に笑みが滲む。


「アリスティドさん?」

「とても麗しい兄弟愛だと思います」


 麗しく、同時に酷く愚かだ。血縁が一体何だというのだろう。親兄弟といえど、他人よりも残酷になることをレナードは知っている。家族愛、信仰、どれも魔族にはないものだ。

 レナードは楽しくて笑っているのではない。それは人を慈愛と嗜虐の心で愛でる悪魔の笑み。それに気付かぬクライオライトは照れ臭そうな、少年特有の笑顔を見せた。


「ところで先日言っていた件ですが、私なりに調べてきました」


 機嫌をすっかり直したらしいクライオライトは、懐から取り出した世界地図をテーブルに広げる。レナードは麦酒のジョッキを端へ移動した。

 地図には数ヶ所に印と線が書かれており、船の航海ルートだということが読み取れる。


「アリスティドさんが乗ったのは交易皇国から同盟国までの船ですね」


 ペンを持ったクライオライトは線を付け足す。交易皇国と同盟国の下に伸びる線が行き着く先には、名も知らぬ小さな島があった。


「そこは無人島ですか?」

「【セレン独立国】という島国です。交易皇国から同盟国間の海峡にはこの時期特有の海流があるそうです」

「つまり、こちらからその島に流れているんですね」


 問うと、クライオライトは頷いた。


「はい、十一月から一月の間は島から出られなくなるほどの凄まじい潮の流れだとか。なので流れ付くとしたらそこだと思います」

「そうですか。わざわざ調べて下さって有難う御座います」

「ただ……この寒さですし、何より人間が海に放り出されて生きているとは思えませんよ」

「まあ、普通はそうですよねえ」


 水の冷たさがなくとも海に人が放り出されたとなれば生存は絶望的だ。

 しかし、それは【普通】の話ならばだ。レナードは奇跡という神の気紛れのようなものは信じないが、ヴェノムの化け物染みた生命力なら知っている。

 レナードはある人物を探していた。一度会っただけの、一人の娘を。


「クライ殿下はこれからどちらへ?」

「私は明日にでも寒露国(かんろこく)へ向かいます」

「それは遠いですね」

「私がしたくてしていることですから、苦にはなりません」


 クライオライトもまた人を探していた。聞くところによると、彼は生き別れの姉を探しているらしい。


(サルツブルク家、謎多しだよな)


 ひょんな出会いから雇われの身となって一年が経った。しかも工作活動をしているから実際に共にいた時間はもっと少ない。

 特別に何かに執着したり、人間関係にも価値を持たないレナードにとって彼等は未だに奇妙な存在だ。


「クライ殿下。もう少ししたら国のアジトに戻ると、伝書鳩で伝えてもらえますか?」

「はい、分かりました」


 サルツブルクの第四王子は、小作りな顔に品の良い笑顔を浮かべた。






 クライオライトと別れたレナードは宿の部屋に戻ってきていた。

 暗い闇の中で、獲物を狙う獣のように妖しく光るのは真紅の瞳。酒場にいた時とは違う色彩だ。

 レナードは世渡り上手だ。魔族の赤い瞳が人間に与える影響と、向けられる感情を知っているので、普段は人間の姿を表に出していた。

 要らぬ争いは起きない方が良い。そう思うのだが、たまに息苦しくなることがある。

 周りの人間を偽って自分を殺して生きていることが堪らなく嫌になり、破壊衝動に突き動かされた言動を取ってしまう。そしてその後、我に返ってから自分の所業を思い出し、絶望する。

 自分の本性はきっとあの残虐極まりない方で、ここに存在する【自分】は処世の為に作り出された人格なのだろう。レナードは客観的に自分という人物について考える。


(誰かに興味を持つのはいつ以来だろうな)


 こちらを真っ直ぐと見返してくれた木苺色の瞳が――【あの人】の面影が忘れられない。


(まずは行ってみようか?)


 今の時期はセレン島へ向けて誰も船を出さないというが、自治州特有の頭のいかれた素敵な船乗りがいるかもしれない。レナードはそういう者と意気投合するのは得意だ。上手く唆してその気にさせ、航海に出てもらおう。勿論、船賃は無料だ。

 ベッドから身を起こしたレナードは窓から外を見た。

 雪が降っている。灰色の街は真っ白だ。


「人殺しは所詮人殺しだよな」


 安息の地に止まることは許されない。そして幻想(ファンタジー)の世界に逃げることも叶わない。

 生まれながらの人殺しである魔族は何処まで行っても人殺しでしかなく、宿命を背負って立ち止まらずに進んでいくしかない。

 レナードは遠くの海原をじっと睨んだ。

**初出…2009年7月1日

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