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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
第一幕 序章 悲しみの荒野を行く彼ら
2/53

【1】


 一片の雲も見当たらない空からは、赤く溶けた太陽の光が煌々(こうこう)と降り注いでいる。

 カーテンの閉め切られた陰鬱(いんうつ)な薄暗い客船の一室で、娘は後頭部で結った髪を解いた。

 さらりと広がるのは、腰まであるキャラメルブロンドの髪。今までそれを束ねていた結紐をテーブルの上へ投げ置く。

 テーブルの上には地図やパスポートなど旅に必要なものが散乱している。そして、片隅に異彩を放つ金色の仮面があった。

 世界の敵、【破壊の使徒】。その正体は二十一歳の娘だ。

 長い睫毛に縁取られた双眸はくっきりとした二重瞼。新雪のように白い頬に、すらりと伸びた手足。整った容貌をしているが、その顔に浮かぶのは何が不満なのか不機嫌という表情だった。彼女の持つ雰囲気は研ぎ澄まされ、その中に頑なで物静かな存在感があった。

 かつては【聖帝国(せいていこく)ベルリオーズ】の軍隊に所属していた彼女の名は、リゼッティ・シュトレーメルという。

 聖帝国を抜けて早一年。リゼッティ――リゼットは世界を回り、破壊活動をしていた。

 破壊とは即ち、汚職に関わり自らも汚染された要人どもの粛清。

 リゼットは一年前のあの日、世界に宣戦布告したのだ。

 この世界に必要な人間などいない、と。






 船室から甲板へと出たリゼットは眩しさに目を細めた。

 晩秋の陽射しは強い。夕時の海は、赤い陽光をたっぷりと浴びて紫掛かった瑠璃色をしていた。

 カモメが風を切って飛んでいく。

 人の手が加えられていない自然の風景はいつも雄大で優しい。心を慰めてくれる。

 リゼットはおもむろに懐から封筒を取り出した。古びた印象の封筒の中には、以前したためた手紙が入っている。それを見下ろしたリゼットの白い頬には常の無表情ではなく、僅かに苦渋の表情が刻まれていた。

 指先から封筒が離される。風に乗って遊ばれるように舞った文はうねる波間へ消えていった。


「……レイ……」


 唇から紡がれた声は消え入りそうなほど小さく、その呟きには隠しようもない哀惜の情が滲んでいた。

 リゼットが一年前まで暮らしていた聖帝国は鉄の壁に四方を囲まれた機械都市だ。

 ドームに閉ざされた街の上空に広がる空の色合いは人工的なもので、時間単位で移り変わる。リゼットは聖帝国を出るまで本物の空というものを知らなかった。雨や風による害もない、天災とは無縁の機械仕掛けの楽園。それが聖帝国ベルリオーズだ。

 母親が射殺されてからというもの、リゼットは鋼の街の闇に身を染めて生きてきた。

 生きる為に盗みや人殺しといった悪行を尽くした。理由もなく毎日息をしていた。

 しかし、そんな少女を救い上げた人物がいた。それはリゼットにとって運命の出会いだった。

 【彼】は様々なことを教え、与えてくれた。

 軍で与えられた仕事は精神的・肉体的にも厳しいものだったが、【彼】の期待に応える為に弱音を吐く訳にはいかなかった。

 リゼットは【彼】の為なら何でもできた。【彼】の為に死んでも良いと思えるほどに深く信頼していた。

 それなのにあの日、【彼】は死んでしまった。


(貴方に、会いたい)


 波間に消えた文は何処へ流れ着くだろう。

 そうして青い海原を覗き込んだ瞬間、リゼットは後ろから強く腕を引かれた。


「――――!」


 反射的に武器を向けてしまいそうになる自分を抑え、平静に努めて振り返ると、背後に赤毛の青年が立っていた。

 深みのある赤茶色の髪にルビーレッドの瞳という派手な出で立ち。自分にこのような知り合いがいただろうかと考え、リゼットは否と答えを出す。


「何だ?」


 問いながら、引き抜いてしまったナイフを相手に気付かれないように元の位置に収める。


「何だって名前呼んだじゃん、レナって」


 その声は青年というには高く、少年というには低いという不思議な声音だった。


「お前の空耳だ」

「ふうん、そう? でも確かに聞こえたんだけどなあ。レナだかレイって」


 恥ずべき失態だ。リゼットは思わず舌打ちした。

 青年はリゼットの反応を見て驚いたというように目を見開き、次に瞼を伏せて優しげな表情を作る。密度のある長い睫毛の影がふっと浮かび、端正な顔を彩った。


「ごめん、からかって。キミが寂しそうな顔をしていたから声を掛けたんだ」


 これには怖い顔をしていたリゼットも面食らう。

 両者の間に流れる風が髪をさらりと攫う。長めの前髪から覗くリゼットの瞳が一瞬だけ血色に閃いた。


「余計なお世話だ」

「節介を焼くのはオレの趣味ですから」

「迷惑だ」


 おどけた調子でそう言う青年を、リゼットは冷たく切って捨てた。


(まったく、何だというんだ)


 人がどのような表情をしていようが構わないではないか。この手の善人気取りの世話焼きには、嫌いという言葉では表せないほどの嫌悪を感じる。

 身を翻し青年の横を通り過ぎようとするリゼットに、それでも彼は声を掛けた。


「命は大事にした方が良いと思うよ」

「何だと……?」

「キミは死に憑かれているような感じがしたから」


 死に憑かれている。

 当たり前だ。数多の人の命を奪ってきたのだから、普通の人間と同じではそれこそ異常だ。そう考えたリゼットは目尻を下げて、硬い表情を崩した。


「……気のせいだ」


 不機嫌で冷ややかな彼女が浮かべた表情は優しいと言って良いほどに穏やかなもの。今度は青年が目を見開く番であった。

 彼はもう何も言わなかった。リゼットは髪を靡かせ、その場を後にした。彼女の顔に先ほどまでの笑みはなく、悲壮な決意だけが浮かんでいた。

 甲板から伸びる階段を下り、船内に降りる。

 リゼットが借りている部屋は廊下の突き当たりにある階段を更に下った先にある。

 最新鋭の旅客船だけあって、船内には洒落た店なども入っていたが、興味がないので部屋を真っ直ぐ目指す。

 赤い絨毯の敷かれた廊下の奥から、軍人らしき女が身辺警護を従えて歩いてきた。

 リゼットは道を譲るように廊下の端に寄り、右手を心臓に添えるようにして頭を垂れた。

 廊下を歩いていた他の者たちも端に寄り、慌てて道を譲る。女はそれが当然だというように、うむ、と頷くと颯爽と足を進める。そうしてリゼットの前を通り過ぎようとした時、女は足を止めた。リゼットはぎくりとする。


「貴女、何処かの軍人かしら?」

「……いいえ」


 リゼットは地面を睨み付けたまま、相手が自分に興味を失い、立ち去ることを願う。


「家族に軍関係者は?」

「いいえ」

「そう。それなら良いわ」


 金髪の髪を隙なく纏めた女は細い瞳でリゼットを一瞥すると、再び足を進めた。

 手を胸に添えるのは、国に心臓を捧げることを示す動作だ。つい軍にいた頃の癖が出てしまい、内心舌打ちをする。

 あの女が身に付けていた軍服のエンブレムは聖帝国ベルリオーズのもの。そう、かつてリゼットが仕えていた国だ。

 今のことで彼女に関心を持たれ、妙な詮索をされでもしたら、今後の行動が制限されることになりかねない。勿論それはリゼットが望むことではない。

 どうにも今日は気が緩んでいる。

 これから先は失敗は許されない。目的を果たす為にはこのような場所で死ぬ訳にはいかない。

 リゼットは去りゆく女の背を強く睨んだ。






 銀色の光が夜を染め、世界を満たす。

 頭上には満天の星が煌めき、地上は冷たい風と静寂に包まれる。夜の海はただ静かで美しい。

 リゼットは物影から様子を窺った。


(十五人、やれない数ではない)


 狙うのは、昼間廊下で擦れ違った女――聖帝国ベルリオーズの兵器開発部門副統括ウィルス・マイヤーズ。彼女はリゼットの暗殺対象だ。勿論、偶然乗り合わせた訳ではなく、【ガルディエヌ同盟国】を目指すこの船に彼女が乗るという情報を仕入れ、客として紛れ込んだのだ。

 聖帝国の軍人たちは船の一つのフロアを貸し切っていた。

 フロアには武装した兵たちが忙しなく行き来している。兵の数はざっと見て十五人。彼女のいる部屋に辿り着く為にはまず彼等を片付けねばならない。

 この船には一般客も乗船し、尚且つ海上なので爆薬は使用できない。催涙弾程度に留めるしかない。装備の確認したリゼットは一度その場から離れた。

 頬に秋の冷たい夜風が吹き付ける。風が薙ぐ顔は紙のように白い。

 マストに背を預けたリゼットは太股に巻き付けたホルスターから銃を抜き、月明かりに鈍く浮かび上がるそれをじっと見付める。寒さの為か、リゼットの腕にある銃はカタカタと震えた。


(レイ……、今からマイヤーズが行くわ)


 【彼】は聖帝国のとある組織に身を置いていた。

 帝国内の経済の約三分の一を牛耳ている組織の中に【CriMe(クライム)】という特務執行機関があった。リゼットが在籍していた部隊だ。彼はその部隊の司令官だった。

 今リゼットの手にある銃は、かつて彼が使っていた得物。胸にかけたフローライトのペンダントと共に、リゼットにとってそれは形見だ。


「仇が討てるのなら」


 リゼットは銃をホルスターに戻すと、腕に括り付けたポーチからケースを取り出し、そのケースの中の錠剤を飲み下した。

 これは不安や恐怖を取り除き、戦闘能力を一時的に高めるアンブレラという高揚剤(ドラッグ)だ。

 非力な女の身体能力を高め、精神面も恐怖を塗り潰し、闘争本能を呼び起こしてくれる魔法の薬。高精神薬剤はリゼットにとって必要性不可欠のものだ。

 リゼットは彼が死んで、世界に宣戦布告をしたあの日、普通ではなくなる道を選んだ。

 常軌を逸した精神性、普通から逸脱した心。それ等は全て自ら受け入れた。


(貴方の仇を討てるなら、私はどうなっても構わない)


 彼が死んだのはリゼットにとって不幸だったが、世界の皆にとっては幸いだった。それが悔しい。

 リゼットは決めた。彼を殺した聖帝国を倒すことを。そして、己が彼の犠牲の上に生きているということを知らずにのうのうと暮らしている者を滅ぼすことを。

 諸悪の根元たる魔族の王はこの自分が倒す。その後に人間たちに裁きを下す。


(殺してやる)


 カプセルが効いてきたのだろう、頭の芯に霞が掛かったようにぼんやりとしてくる。

 薬が回り始めたリゼットは不安定な眼差しを夜闇に彷徨(さまよ)わせ、マストから背を離す。そして、足を一歩踏み出した。

 コツコツと甲板をブーツの踵が打つ音が波間に響く。

 ゆっくりと歩き出した冷厳な表情をしたリゼット――否、【破壊の使徒】。今の彼女は、同情も躊躇も容赦もなく殺人を行う魔物だ。

 絡まりそうなほどに長い髪が風に(そよ)ぐ。そうして得物に手を伸ばそうとした、刹那。


「待て」


 声と共に後ろから手を引かれ、よろめいたところを強く壁に押し付けられた。

 逆光で相手の顔が分からない。薬が回っていて意識が定まらない。全ての反応が致命的に遅れた。

** 初出…2007年5月22日

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