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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
一章 少女と妖精
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閑話 貴方だから恋をした【2】

「誘っておきながら、先に落ちるのは失礼じゃないんですか」

「済みません、充電の残留が少なくて」


 突然の退席についてどのような言い訳をするかと思えば、案の定スレイドは機器の所為にした。

 自宅からアクセスをしていたリゼットは流石に腹が立ち、あのままでは夢見が悪くなりそうだったので兄のヴァレンにスレイドの所在を聞き、その場所を訪ねていた。

 第二区画は貴族や官僚の住まう場所だ。聖帝国の移動手段である転送ゲートを潜る際にセキュリティーから多少手こずったが、【CriMe】のIDカードが役に立った。スレイドは突然訪れたリゼットに驚くことなく、家へと招き入れた。

 そうして書斎に通されたリゼットは、カウチに背を凭れ足を組んでいるスレイドに訊ねる。


「何故です」

「何故、とは?」

「どうして貴方は私が剣であることを否定するんですか」


 スレイドから軍に入れと言ってきたのに、リゼット最近は戦いから遠ざけられている。

 確かに無断行動はしたが、この仕打ちは屈辱的だ。リゼットは戦う為だけに生きている。それを取り上げられては、呼吸をすることに何の意味があるというのだ。

 母親の仇討ちの為に、彼の障害となる者を滅する為に。リゼットはそうやって生きてきたというのに、否定されては何も残らない。これでは空っぽの人殺し機械だ。


「否定はしていない。ただ、俺は主の駒の一つで、彼から告げられた任務を君たちに伝える存在でしかない。俺には君たちが命を張って守る値打ちはないと言いたいだけです」

「私は、君主の駒である貴方の駒ですよ。私と貴方の存在に何の違いがあるんです?」

「私情を混ぜられては――」

「私情を混ぜているのはどっちですか。実力主義の貴方は何処にいってしまったんですか!」


 何故、私を守りたいなどと言ったのだ。

 リゼットはスレイドに言われた言葉を思い出し、眉を寄せる。怪我は完治したはずなのに胸が痛んだ。


「私が戦うことが嫌ですか? 大して力もない癖に剣を握る姿が目障りですか?」

「………………」

「答えて下さい、閣下」

「では、本音を言いましょうか」


 目障りならば、いっそ殺してくれれば良い。

 彼に命じられるのなら死など怖くない。


「俺は血まみれになる君を見るのがつらい」


 洗っても落ちないほどに血の匂いが染み込んだ腕をぐいと引き、リゼットを隣へと座らせたスレイドはそのまま身体を抱きかかえる。リゼットは反射的に突き放そうとしたが、彼はそれを許さなかった。


「軍属である君に……、ましてや君をそういう世界に引き込んだ俺が言うのは可笑しいと分かっています」


 それでも血塗れになり身体まで痛めた姿を見るのは辛かった。

 戦いに身を投じないで欲しい。そう懇願するように云うスレイドは腕に力を込めた。リゼットは困惑しつつ、その動揺を気取られぬよう努めて平坦に言う。


「無理な話です」

「そうですね。だから誰も戦わなくても良いような世界になれば良いのですがね……」


 突き放せればどれだけ良いだろう。だが、女が男に力で適うことがないのは分かっている。それに突然の行動に臆してしまって、振り払う勇気すら湧かない。

 リゼットはただ身動ぎもせず、大人しくしているしかできない。


「もしそうなったら、閣下の仕事も私の仕事もなくなります」


 失業したら生きていけない。苦し紛れに言えたのは、ただそれだけ。


「平穏な職に就いたら良いだけです。君は女性なのだから家庭に入るという道もありますね」

「私が結婚できるとは思いません」

「なら、俺のところにきますか?」


 それは思わず耳を疑うような一言。


「うちは父と小舅(こじゅうと)はいますが、幸い姑女はいませんよ」


 父は放任主義だから同居を強要するようなこともない。スレイドは利点を語る。

 家族に恵まれない小娘への憐れみか、お得意の気紛れか何か良く分からないが、口説かれているらしい。


「私はまだ未成年です」


 この国の規定では男女共に結婚して良い年齢は二十歳からとされている。成人が未成年に手を出すのは、犯罪。幸運なことにスレイドは潔癖であり、リゼットも未成年だったので、彼の冗談を流すのは簡単だと思った。


「私はまだ結婚できる年齢ではないんです」

「それは残念です」

「一応言いますが、私にとっても閣下にとっても得になることはないと思います」

「確かに特別得になることはありませんが、リゼにとってマイナスばかりではないと思いますよ」

「例えば何が私のプラスになるんです?」


 スレイドはそれなりに本気だったようで、そのプラスになるという点を上げた。


「例えば……君が俺の寝首を掻く機会が増えるとか」


 その答えにはリゼットは思い切り頬が引き攣った。


「物凄い悪意がこもったお誘い、どうも有難う御座います」


 寝所で殺害されたいという願望があるのか、この人は。

 刃を向けた瞬間に手酷い報復を受けるに決まっている。大体、人の防衛本能による反射的な攻撃ほど恐ろしいものはないのだ。寝首を掻く前にこちらの額に風穴が空いているだろう。

 過去の報復の例があるのでリゼットは怖い顔をし、そして身を捩る。


「無礼を承知で申します。いい加減、離して下さい」

「何故ですか?」

「私に何かしたら貴方は犯罪者になりますよ」

「誰もきませんよ」


 それもそうか。いや、納得しては駄目だ。ここで許容したら後々面倒なことになる。


「この前から言いたかったんですけど……性質が悪い冗談は止めて下さい。さっぱり笑えません」

「冗談ではありません。俺は初めて会った時から君を――」

「え?」

「君が鈍過ぎるだけですよ」


 こんなに分かりやすく振る舞ってきたのに。

 耳朶を掠める声を聞きながら混乱は最高潮に達し、リゼットは勢いのまま彼を突き飛ばした。


「なんで……」


 リゼットは声を震わせる。

 初めて会った時から何だというのだ。真意を訊こうと思ったが、言葉にすることは怖くてできない。

 感情がごちゃ混ぜになって訳が分からない。リゼットはストレスに弱い。だが、それを一瞬にして静める方法は知っている。

 幼き日に母親が魔族の血を多く引いた娘を心配し、毎夜語ってくれた。人に憎しみや怒りの感情を抱いてはならない。魔族の血はそういうことに反応するから、怒るくらいなら悲みなさい、と。


「とにかく、私に仕事を下さい。腕が鈍ります」


 震える唇から、乾いた声がこぼれる。


「リゼ……?」


 リゼットは敵に向けるような酷薄な視線を上司へと向けた。スレイドは伸ばし掛けた手を下ろす。それは彼女の迫力に気圧されたからではなく、赤い双眸から銀の雫が溢れていたから。

 「母を殺したのはお前たちだ」と泣いた少女の面影を持つ娘の瞳から、はらはらと涙が落ちる。


「父は勝手に出稼ぎにいって死んだ。兄も勝手に何処かにいってずっと帰ってこなかった。母様はあいつらに慰み者にされた。そして、貴方も私から【私】を取り上げようとする。男の人って身勝手ですね」


 泣いている癖にリゼットは平静だった。泣きながら不満を並べ立てた。


「貴方の与えてくれた【私】を返して下さい、閣下」


 リゼットの要求はスレイドにとって酷なことだった。

 だが、スレイドという男は作戦成功の為ならどんな冷酷な手段も厭わず、また効率を落とすような真似を嫌う人物であった。リゼットが抜ければ、代わりを探さなくてはいけなくなる。そして上に立つ者は敵が多い。スレイドも羨望以上の多くの恨みを買っていた。

 リゼットに軍へ勧誘した時、スレイドは「命を狙う者は傍にいた方が安全」だと言った。それは、近しいものに命を狙われた経験があるからだろう。

 だからこそ、彼の暗殺者である自分を返してもらえるとリゼットは確信している。スレイドは忠実な部下を手放すという損害を良しとできない人物だ。


「ならば、今のところは仕事を与えます」

「はい」

「でも俺は本気で言っています。先ほどの話を前向きに考えてもらえますか?」


 リゼットの読みは当たった。しかし、半分は予想外。


「リゼ」

「分かりました。取り敢えず、なるべく前向きに考えます取り敢えずは」

「取り敢えずって二回言いましたよ」

「気のせいです、気にしないで下さい。取り敢えず前向きに考えますから」


 ここまで情緒のない告白と返答をする男女が世界の何処にいるだろう。下手をすると貴族の婚姻よりも酷いかもしれない。


(前向きになんて……)


 リゼットはああ答えはしたものの、幾ら考えても変わりはしないだろうと内心諦めの気持ちがある。

 彼を慕う気持ちはあるが、それは異性として恋い焦がれるというよりは手の届かない存在に憧れを抱くことと似ている。何より住む世界が違うのだ。

 魔族は生まれながらの人殺し。リゼットは血で汚れきっている。






 書斎から出ると、アッシュブロンドの髪の青年が待ち構えていた。

 彼は部屋の中の人物に一度会釈すると、リゼットの肩に手を掛けて「行こう」と言う。

 一人で行くと言ったのに、付いてきた心配性のヴァレンだ。いつものリゼットなら触るなと手を弾き返すのはざらだったが、今日は疲れきっているのか無言で従っていた。


「リゼッティがそんな風になってしまったのは私の所為ですか?」


 薄闇が広がる人気(ひとけ)のない住宅街を歩きながら、ヴァレンは自らの後ろに続くリゼットに訊ねる。


「違う」


 スレイドとの会話を立ち聞きをしていたのかと責めはしなかった。この男が節介を焼かずに大人しく帰る訳がない。

 ヴァレンは振り返らなかったが、リゼットには兄がどんな顔をしているか分かる。きっと哀しい顔をしているのだろう。


「私がリゼッティの辛かった時に傍にいなくて、母さんの弔いもしなかったから……」

「違うって言ってる!」


 足を止めたリゼットは声を張り上げる。空気が震えた。

 しかし、今度はヴァレンも臆さなかった。


「じゃあ、自分を恨んでいるのですか?」

「………………」


 唇を噛み締めて俯くだけの妹に、兄は手を差し出した。

 幼い頃、リゼットはヴェノムだという理由で虐められた。そうして皆の輪から外れ、独りうずくまっていた時に誰かが手を差し伸べてくれた。あれは兄だっただろうかと考える。

 考えるのも億劫に感じたリゼットは手を掴む代わりに袖を掴んだ。叱られた子供を思わせる不貞腐れた様子に、ヴァレンは少々乱暴に妹の頭を撫でた。


「さわらないで」


 辛い時に優しくされるのは苦手だ。弱い面が嫌でも出てしまう。

 ヴァレンもスレイドも優しいけれど残酷だ。いや、優しい人こそ本当は残酷なのかもしれない。


「ああ、まったく……素直じゃないなぁ。泣くくらい好きなら、好きだと言えば良かったのに」


 互いに好意は持っているはずなのに、どうしていつも拗れるのだ。ヴァレンはもどかしい二人に呆れ気味だった。


「うるさい」


 どいつもこいつも揃いも揃って身勝手だ。人の話をまるで聞きやしない。

 人をさも不幸なように言って、こちらはこちらでそれなりに幸せだということをちっとも分かっていない。リゼットにとっての幸せは彼の傍で戦うことだ。血濡れになるのが可哀想だとか、結ばれないことが不幸だとか、それは全て彼等の主観ではないか。


「泣き虫なのは変わっていませんね。リゼッティにとっては辛いことでしょうが、私は貴方が昔のままで安堵していますよ」

「うるさい。私はもう泣かない」

「絶対に?」

「私が泣くとしたらあの人が死んだ時よ……」


 リゼットはスレイドを嫌いだから拒んだのではない。自分と彼が違いすぎるから受け入れられない。

 魔族と人間は違う。人間なんて夢の如く儚くなってしまう存在だ。彼が死んだ後、数百年の月日を生きなければならないなど嫌だ。ならば【特別】にならない方が良い。その方が傷付かずに済む。

 沈痛な顔をして涙を拭うリゼットに、ヴァレンはある提案をした。


「さて、何か美味しいもの食べに行きましょうか」


 空気を読まない提案にリゼットは不可解な顔をする。そして、その内に不可解な表情は不愉快へと変わってゆく。


「どうして私が貴方と食事しなきゃならないの?」

「甘いものを沢山食べれば、悲しい気持ちも吹き飛びますよ」


 優しい甘さのもので腹を満たせば心も落ち着くかもしれない。

 ヴァレンが口に出すことは大抵がどうでも良い雑学か、信憑性のない噂話か、当たった試しのない勘か、ただの節介だったが、この時ばかりはリゼットも同じことを思った。

 顔も性格もまるで違う兄妹は、時として奇妙なほどに意見が一致することがある。


「分かった。貴方の驕りなら行く」

「はいはい、私が奢れば良いんですね。分かりましたよ。充分過ぎるほどにリゼッティの気持ちは分かりましたから、週が明けたらレイと仲直りして下さいよ」


 実のところ、スレイドを一度殴ってから書斎を出てきたリゼットである。

 光景は見ずとも口論と物音から察するヴァレンは平静を装っているが、内心辟易していた。


「……善処する」


 とばっちりを食うのはいつもこちらなのだから穏便に頼みますよ。

 そうこぼすヴァレンにリゼットは仏頂面のまま短く答えた。彼を殴った掌がジンと痛んだ。

**初出…2009年7月21日


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