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【第一幕完結】レゾンデートル  作者: 瑠樺
一章 少女と妖精
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【5】

 それは幻想(ゆめ)だとすぐに分かった。

 だって幸せなのは、いつも幻想の中だけだから。

 過去の思い出に浸る感情なんて、復讐者には不要なものだと知っている。それでも逃げてしまう、呪わしき脆弱な自分――――。



『――ミッションコンプリート』

 頭の中に無機質な機械音声が直接流れ込んでくる。

 その直後、頭に誰かの大きな手が乗せられたかと思うと、ぐしゃりと乱暴に撫でられた。


「流石はベレスフォード女史の秘蔵っ子。前より技のキレが増していますねえ」

「褒めても何も出ません」


 手を押し返してからゴーグルを外したリゼットは、冷ややかな態度で言った。傍らの青年は穏やかに微笑む。


「ミッション28をクリアしたのを素直に感心しているんです」


 リゼットと青年が装着していたゴーグルはバトルシミュレーターという機械だ。

 これは仮想空間で実際の戦闘さながらの訓練を行うバーチャルシミュレーションだ。攻撃を食らえばゴーグルから発せられる信号が痛覚神経を刺激し、身体に痛みを感じる。バーチャルとはいえ油断はできない。

 リゼットは傍らの青年を監督として訓練に臨んでいた。


「まあ、あの方以外に褒められてもリゼッティは嬉しくないでしょうね」

「誰かに褒められる為にやっている訳ではありませんので」

「取り合えず、今日の訓練は終わりです。お疲れ様でした」


 そう締め括った青年は再び馴れ馴れしい動作でリゼットの頭をぽんと数度叩いた。

 この物腰穏やかで、のほほんとした風貌の青年。どうにも頼りない雰囲気を纏っているが、【CriMe】司令官付きの副官である。東方に伝わるカタナという武器の達人で、【霞桜(ミストラル)】という称号を与えられている。名をヴァレンという。


「リゼッティ、ちょっと話があるんだけど良いでしょうか」

「私が良くないと言っても話すんでしょうから、許可なんて取らないでくれますか」

「それもそうだけど、一応言っておいた方が心象良いでしょう?」


 ヴァレンは葡萄色の双眸を細めて穏やかな笑みを浮かべると、リゼットに隣に座るように言う。リゼットは嫌な顔を作りはしたが黙って従うことにした。

 ヴァレンの背にはアッシュブロンド――リゼットのキャラメルブロンドを少しだけ暗くしたような色――の長い髪がさらりと流れている。


「最近レイが相談してくることがあるんですよ」

「閣下は何と仰せに?」

「凄く年下の子を好きになったんだって」

「……それで、それが私に何の関係があるの?」


 ヴァレンの言っている言葉の意味が掴めず、鬱陶しく思ったリゼットは声を尖らせる。

 上官に丁寧語を使わない非礼に、しかしヴァレンは気を害さずのほほんと続けた。


「何の関係がって、それはリゼッティのことだと思うんだけど」

「私は冗談が嫌いだって何度も言っているけど」

「冗談じゃなくて、お兄様の素敵な勘」

「もっと酷いわ。兄様のそれは当たったことがないもの」


 ヴァレンの本名は、ヴァレンチナ・イクス・レインウォーターという。彼はリゼットの母親ミレイユ・シュトレーメルの前夫の息子だ。

 ヴァレンとリゼットは片親だけ血の繋がった異父兄妹。だからという訳ではないが、リゼットはヴァレンのことを兄とは思っていない。

 リゼットが母親を失った時、ヴァレンは仕官学生として国外で勉強をしていた。最も大変だっただろう時期に支えてやれなかったことを悔やんでいるのか、国に帰ってきたヴァレンは妹に世話を焼いたが、当の妹はというと気難しく育ち、兄の言うことを聞かぬ娘になっていた。


「相変わらずだけど、酷い言われようですねえ……」

「兄様はいつもいい加減なことばかりじゃない」


 こんな人物に付き合っていられない。

 立ち上がったリゼットはゴーグルを乱暴に戻すと、訓練室を出ていく。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ」


 自動ドアが閉まる前にそんな声が聞こえたが、リゼットは廊下を進む。


(下らない)


 薄茶色の短い髪も、魔物のような赤い目も、非社交的な性格も。好かれる要素なんて一つもない。大体、年下など腐るほどいる。それなのにそれをこちらだと誤解するヴァレンは莫迦だ。

 リゼットはあれがスレイドが最も信頼する部下だとは信じられないし、信じたくもない。


「待って下さい」

「訓練は終わったんですよね」


 ヴァレンはリゼットを追ってきた。


「私は親友を応援したいし、妹の幸せも願っている訳でして」

「だから?」


 ぴたりと足を止めたリゼットはヴァレンをじろりと睨む。

 積年の恨みを込めたような暗く冷たい眼差しに、ヴァレンは寂しげな表情になった。


「ここにいる私は貴方の妹じゃない。【氷の瞳】です」

「リゼッティは軍人だけど、その前に一人の女の子でしょう」

「私はあの方の敵を排する剣。それ以下でも以上でもありません」


 リゼットは【CriMe】に身を置く間に変わっていた。

 始めはスレイドを殺す為だった。それが長い月日の中で、彼を守るという想いに変わった。その想いは元々真面目だったリゼットを雁字搦(がんじがら)めにし、どんどん人間味を失わせていった。


「私は……幸せなんて要りません」


 氷のような眼差しは怒りも悲しみもなく、ただ冷たく凍えている。どれだけ汚い仕事をしても他人に向ける情というものを忘れないヴァレンとはあまりに対照的な眼差しだった。

 二人は兄妹だが確実に違っていた。


「ヴァレ、リゼ」


 それは、風すらも凪がぬ海原のような静かな声。

 リゼットとヴァレンが振り向くと、廊下の先に銀髪の青年が立っていた。

 タイミングが悪い、と正反対な兄妹もこの時ばかりは心の中で同じことを思った。


「あ……ああ、レイ。非番にここにいるなんて珍しいですね」


 ヴァレンは微笑み、親しげな様子で片手を上げる。レイと呼ばれた青年――スレイドもそれに応える。


「野暮用があったんです。それにしても二人とも、良いところにいました。レ・ミゼラブルのチケットを貰ったのですが、暇だったら三人で観に行きませんか?」


 レ・ミゼラブルとは昨今、人間・魔族問わずに人気の芝居だ。

 遊興の誘いとは幾ら休日とはいえ気が抜けすぎだろう。苛立っているリゼットは、スレイドの好意を肯定的に受け取ることができない。


「申し訳ありません。私は用事があるので遠慮します」

「リゼッティ。折角レイが誘って下さったんだから、もう少し考えても」

「私は用があると言ってます!」


 静けさを切り裂く抜き刃のような声に空気が震える。

 うわっとヴァレンは首を竦ませた。そしてあまりにも険しい視線にたじろぎ、目を逸らす。


「失礼します」


 ヴァレンはリゼットの小さな背を見送ることしかできなかった。


「彼女は何を怒っているのでしょうか」

「前から思っていましたけど、貴方は人の感情というものに本当に疎いですよね」

「済みません」

「いや、私に謝られても困るのですけど」


 リゼットの機嫌が悪くなったのはヴァレンが要らぬ世話を焼いたのもあるが、スレイドの誘い方にも問題があった。

 ああは言ったが、リゼットは十八歳の娘である。憎からず想っている相手に誘われて嬉しくない訳がない。それなのに邪魔者(ヴァレン)まで誘うのだから怒って当然だ。

 ヴァレンはリゼットが【普通】になる為には、愛情深く彼女を支えてやる保護者が必要だと思っている。しかし、肝心なところで気が回らないスレイドは役不足かもしれない。

 そんなどうでも良いことを考えつつ、緩んだ表情を引き締めたヴァレンは話題を変えた。


「冗談はさて置き。閣下の頭を悩ませている件の人物ですが、他の者の手を煩わせるまでなく私が始末しますよ」


 妹が妹であれば兄も兄。ヴァレンはスレイドの友人という前に軍人だった。

 楽しむ時は楽しみ、合わせる時は合わせる。そして切り替える時は切り替える。ヴァレンはリゼットと違う、周囲への適応力がある。


「下手に手を出すと噛まれる。彼はもう少し泳がせておきましょう」

「承知」

「常春国とは個人的に上手くやっていきたいですからね」

「それはヒオウのことがあるからですか?」


 少々硬い声色でヴァレンは問う。

 その視線をスレイドは確かに受け止めた。だが、すぐに顔を背ける。


「心配は無用です。俺は国へ……魔族への背信の心など持っていませんから。ヴァレンチナ殿」


 他人行儀な言い方をした友の横顔を、ヴァレンは複雑な面持ちで見つめていた。






 スレイドはかつては標的だった男だ。

 そう、標的というのは昔のこと。

 あの正気とは思えぬ勧誘から早三年。リゼットは彼に何度も刃を向け、その度に軽くあしらわれ、挙句に地味な報復を受けた。

 報復の内容は、華やかな容姿を持つ青年には似つかわしくない陰湿なものばかりで、思い出すと再び殺意が再燃しかねないのでここでは触れない。

 どうしても彼に適わなくてリゼットは一度だけ作戦中に命を狙ったことがある。

 あれば外国でのテロリスト殲滅作戦の時だ。あの時ほどスレイドが憤った姿を、リゼットは見たことはない。

 作戦中に牙を向いたリゼットにスレイドは初めて武器を向けた。


『君は立場に相応しい価値観を学ぶべきだ』


 あの銃捌きで眼前に銃口を向けられて臆さない者はいないだろう。リゼットはスレイドの反撃に屈し、得物を取り落とした。あとからそのことを話すとクリスティアンは、スレイドは任務に真剣な以上に人命を大切にする男だと語った。

 指揮官として自ら前線に立つ彼は作戦の中、爆破された建物の下敷きとなった魔族の子供を見捨てなかった。見殺しにしようとしたリゼットとは違い、真剣に助けようとしていた。

 リゼットはそれ以来、彼に刃を向けることを止めた。

 勿論軍人を許した訳ではない。けれど、もう少しスレイドという人物を良く見てみたいと思った。


「さいあく」


 リゼットが訓練施設を出た直後、雨が降り出した。

 継ぎ接ぎのある人工的な空からは雨が滝のように降り注いでいる。


(呼び出すくらいなら傘を持ってこいって言ってくれれば良いのに)


 リゼットはこの区域に雨が降る日とは知らなかった。週間の天気をチェックしていなかった自分を呪いたくなる。

 非番に訓練に呼び出されたかと思えば変な節介を焼かれるし、おまけに雨でずぶ濡れだ。店のファサードで雨宿りをしてみたものの、この分だと当分止みそうにない。

 最悪だと、リゼットは再度心の中で呟く。


(どうして私に嫌がらせばかりするの?)


 リゼットが一番腹が立っているのは兄のことだ。

 あの人物は毎回どうして不愉快なことしかできないのだろう。昔は本ばかりを読んでいて物静かで真面目な人だと思っていたのに、今はただ鬱陶しい。

 兄妹だから何だというのだ。

 兄弟なんてただ血が繋がっただけの他人。そして他人は蹴落とすだけの存在だ。スラム育ちのリゼットにとって唯一信じられるのは自分の心だけ。あの人を守るという心だけが真実だ。

 雨が上がることを待たずに街路を歩き出したリゼットは、早足で転送装置のあるゲートを目指した。

 頭上にはレールウェイや小型飛行艇が行き交っている。

 機械仕掛けの街に奏でられる騒音の数々は耳障りで、店や乗り物の放つ光は手術したばかりの目にも痛い。リゼットは不愉快さにじっと眉を寄せた。


(そういえば……)


 そういえば、リゼットが目の手術をしたことを知った兄とあの人は怒った。どうしてだろうと今も疑問に思う。

 より効率的に任務を遂行できるようにやったことなのに、それの何がいけないのだろう。肉体改造をしている者など大勢いる。視力が低下する程度の副作用しかない手術に、彼等が何故そこまで怒るのか分からなかった。

 胸の奥に何かが詰まったように苦しく、釈然としない想いが(わだかま)っている。リゼットが唇を噛み締めようとする、その時。


「邪魔だ!」


 すれ違い様に男と肩がぶつかり、振り向き様に睨まれた。


「済みま――」


 謝罪しようとしたリゼットの瞳が大きく見開かれる。


(ギゼラファミリーのバーンズ)


 リゼットの謝罪も聞かずに立ち去ってゆく隻眼の男の顔には火傷の痕がある。あの男はマフィアの幹部だ。

 ギゼラファミリーは反聖帝国派の要注意人物と繋がっていると報告を受けている。殺人恐喝や麻薬取り引きならまだしも、魔族の怒りを買いかねない彼等の近年の行動は頭が痛いとスレイドは嘆くようにこぼしていた。

 男が選んだ転送先の第八・五区画は貧困層が住まう地区だ。

 窃盗や殺人が横行するスラムは誰かを葬るのに具合が良い場所である。幸い、取り巻きも付いていない。


(始末するべきか)


 スレイドから消せと命令は受けていない。だが、目障りな者は消した方が良い。リゼットは今までもそうやって行動してきた。

 あの人の望む行動を――邪魔者を始末する。それだけが生きる意味だ。

 リゼットは隠し持った銃に手を掛け、男の後を追ってゲートに入る。程なくして銃声が四発轟いた。

** 初出…2009年7月5日

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