常世の国の物語
此処は常夜の国。一人の男が道なき道を歩き続けていた。どこまでも、どこまでも。まだ見ぬ『太陽』を探すために。
彼はどこにでもいるようなありふれた男だった。小さな村に生まれ、暖かい家族に囲まれて貧しいながらも楽しい生活を送っていた。そんなある日のこと、老いて枯れ枝のようになり、布団から起き上がることすら叶わなくなった男の曾祖父が、彼を己の下へと呼び寄せた。
「お前は知らぬだろうが、昔、この世界には太陽と呼ばれるものがあった。朝や、昼と呼ばれるものがあった。わしは朝や昼は見たことがないが、太陽は見たことがある。小さく輝きも損なわれていたが、あれは確かに太陽だった」
当然、男は曾祖父が何を言っているのか理解することは出来なかった。男は夜しか知らなかったからだ。光源なしでは何も見ることができない、真っ暗な世界しか知らなかったからだ。しかし、曾祖父の話によると、かつてこの世界には太陽と呼ばれるものがあったらしい。それは空に浮かぶ巨大な光源であり、この世全てを照らし暗闇を追い払う希望そのものなのだという。太陽が大地の彼方から現れ、夜を追い払うことを朝と呼び、この大地に光と希望を降り注ぐことを昼と呼ぶのだという。曾祖父は村の長だった。曾祖父は幼い頃から足が悪かったらしく、歩くことすらままならない程であったが、男は全ての技術を、全ての知識を、彼から学んだ。故に、男にとって曾祖父は偉大な存在だった。彼の言葉は絶対であった。だから、太陽を、朝を、昼を、男は信じた。曾祖父がかつて見たものが太陽だったのだと少しの疑いもなく信じた。曾祖父は話を終えると、眠るようにゆっくりと瞼を下ろした。そして、二度と目を覚まさなかった。
その翌日、男は旅に出ることを決意した。太陽とは一体どういうものなのか、興味を持ったからだ。それに、幼い頃から村を出たことがなかった為に外の世界に出てみたいという思いもあった。家族や村の者には何も言わず、皆が寝静まっている時間に、ある程度の食料と最低限の武器と小さな光源を持って、ひっそりと村を出た。
村を一歩外に出ると、そこには一片の明かりもない暗闇の世界だ。そこに何があるのか、何が潜んでいるか分からない暗黒の世界。頼りに出来るのは腰に付けた僅かな光源のみ。それも精々男の手元を照らす程度のものであるからして、心許ない事この上ない。男は使い慣れた長剣を構えて周囲を警戒しつつ、闇の中を行く。村を出てほんの少し先に進んだ所で、突然、どこからか声が聞こえた。
「貴方は何処に行くのですか」
声は優しい響きに満ちていて、男は本能的にこの声の主は敵ではないと理解した。一旦警戒を解き、剣を鞘へと仕舞う。
「太陽を探しに」
男は、聞こえてきた声に正直に答えた。
「……お止めなさい。貴方の旅の先には一片の光も希望もない」
続く声は男に村に帰るように促すものだった。少し腹が立った。旅を始めた矢先に、そのようなことを言われたからだ。
「何故ですか。太陽は必ずどこかにある。私はそれを必ず見つけてみせる」
語気を少々荒げながら男は一歩足を前に出す。パキリ、と足下で小さな音が聞こえた。それきり幾ら男が問いかけても、もう姿なき声が聞こえてくることはなかった。男は先程の声の主は何を言いたかったのだろうかと、どうして急に声が聞こえなくなってしまったのかと、少しばかり考えを巡らせてみるが答えなど見つかるはずもない。男は先程聞こえた声のことは忘れることにして、再び暗闇の世界を歩き始めた。
そうして、旅は続く。山を越え、川を渡り、森を抜けて旅は続く。思った以上に長く長く続く旅の中で、男は様々な場所に行き、様々な人々に出会った。
ある村は、病の流行によって住民すべてが死んでいた。ある町とある町は、互いの光源を奪い合って争いを続け、そして双方ともに滅亡していた。ある城は、闇に潜む影達の襲撃を受けて、王も王妃も王子も王女も使用人も馬も犬も皆殺しにされていた。
男が旅の中で出会った人の全ては、その目から希望を失っていた。一週間以上何も口にしていない者、住む家を奪われた者、大切な何かを無くした者、愛する人を喪った者。人によって理由は様々であったが、その目に希望を宿している人は誰ひとりとしていなかった。世界は、絶望に満ちていた。だから心優しい男はその者たちに、己の聞いた太陽の伝承を話した。自分の曾祖父がかつて太陽を実際に見たのだと、そして自分が必ずその太陽を見つけるのだと彼らに約束した。彼らの目に僅かな希望の光が宿るのを見て、男は必ず太陽を見つけてみせつのだと決意を新たにする。時には曾祖父と同じように太陽の伝承を知る者もいた。ある者はそんなもの初めからなかったのだと言い、またある者はもはや太陽は力を完全に失って小さなただの土塊になり果てたと言った。しかし男はそんな話を聞いたところで決して絶望も諦めもせず、ならば必ず太陽を見つけて貴方達に見せようと彼らに誓うだけだった。太陽を見つけること。最初はただの好奇心に過ぎなかったものが、村の外に出る口実であったものが、様々な絶望を目撃し、数多の人々の希望を背負う中で、いつの間にか男の大義となっていたのだ。
◆◇◆
此処は常夜の国。一人の男が道なき道を歩き続けていた。どこまでも、どこまでも。まだ見ぬ『太陽』を探すために。
西の山に住む竜が光り輝く何かを護っているという噂を聞けば、男はその足で山へと向かって竜を倒した。竜が護っていたものが輝く宝石の山だったと知ると、直ぐに興味をなくして別の場所へと旅を続けた。光る物が関わる噂を聞けば、それがどんなに小さなものでも男は必ず確かめた。ある時は一つ目の巨人を倒し、またある時は天まで届く山の頂上まで登り、そして時には三十日間飲まず食わずでどこまでも深く地面に穴を掘り続けた。
実際にがそれらの事をしたのかは定かではない。しかし、いつの間にか人々の間で彼は『希望を探すもの』と呼ばれ、それらの伝説と共に語られた。
◆◇◆
旅を始めて、どれだけの時が経ったのだろう。男はより力強い顔つきと肉体になっており、その体には沢山の傷跡もあった。そんなある日、男は彼方の空が赤く輝いているのに気付いた。その光を見た瞬間に、何故だかは分からないがあの場所に太陽があるという確信めいたものが男の心を襲った。男の次の目的地は決まった。闇の中、山を越え川を渡り木々をかき分けて進む。赤い光は、もうすぐそこだった。この森を抜ければ太陽がある、探し続けていた希望がそこにある……。だが、森を抜けた男の瞳映ったのは決して希望などではなく、どこまでも深い、絶望。
辿りついた場所は、男の故郷である小さく暖かい村だった。そして男の見た光は、彼の故郷が夜盗に襲われて火を放たれた故のものだったのだ。燃えさかる炎で灰になっていく故郷を前に、黒く焼け焦げた己の家族や隣人を前に、男の心と体は大きく揺らぎ、その場で力なく膝を落とす。男は泣いた。炎で赤く彩られた大地で何日も何日も泣き続けた。しかし止めどなく溢れる涙も、燃えさかる炎を消すのには何の役にも立たなかった。
やがて、涙が枯れ果てると、男はその両足でしっかりと地面を踏みしめて立ち上がった。そこには、もはや一片の揺らぎもない。血走った眼は爛々と輝き、その心は故郷を包む炎よりも熱く激しく燃えさかっている。
必ず、太陽を見つけるのだ。何があっても。どんなことをしても。男は太陽を見つけることこそが己の持って生まれた運命なのだという確信を持っていた。太陽を見つけるまでは決して死なぬと、歩みを決して止めぬと、胸に固く誓う。そして男は、大部分が灰と化したが、未だ小さな炎を上げる故郷に背を向けた。その視線は、前だけに向けられている。その先にある、太陽だけを見ている。
――だから、気付くはずなどないのだ。
赤く照らされる大地、ちょうど男の足下にある砕けた土塊の存在などには。その存在に気付いたとて、彼は直ぐに興味を失うはずだ。それが何であるかなど、彼が知るはずはないのだから。男は一歩ずつ進み始める。旅を続けるために。どこかにあるはずの希望を見つけるために。
その希望は既に失われていることを、男は知らない。希望を探し出すために踏み出したはずの足が、その希望を踏み潰したのだということを、男は知らない。
此処は常夜の国。一人の男が道なき道を歩き続けていた。どこまでも、どこまでも。まだ見ぬ『太陽』を探すために。
いつまでも。
いつまでも。
いつまでも。
昔に書いたもの、その3。
短くし過ぎた。