泥
いい話ではないです。
否定的な言葉も出てくるのでそれらをみたくない方はブラウザバックをお願いします。
昔から自分自身が人なのかわからない時が多々ある。
他人に興味がない。他人は自分を利用しようとしている。自分には期待をかけられていない。そんな感情がよく湧いてくる。
会社の就業時間。課長は、「この課が中心になって会社全体を盛り上げよう。」こんな言葉も自分には、「この課が中心になることで自分の評価を上げたいから皆んな仕事してくれ。」と聞こえてしまう。
いつからそうなったのかわからない。ただ学生の頃から他人に興味がなかった。多感な時期に、皆んなは誰と誰が付き合った。誰が誰と別れた。こんな話ばかり。
つまらない。なにも興味がない。だからどうした。それは他人と付き合う事で自分のステータスになるからだ。
他人の言動の裏には何かあると考察してしまう。
その時、心の中には子供の頃遊んでいた砂場の泥ではない。田んぼに水を入れた時の泥ではなく。粘り気があり、排水溝のヘドロが心の奥に溜まっていく。心の泥が流れることはなくずっと溜まっていく。流れ切る方法などない。
今は仕事をしていない。
理由は課長に嫌われていたからだ。
仕事に支障はなかった。ただ、自分の中の心の泥をこれ以上溜めれる余裕が無かったから。
夜の公園。灯がぼんやりとして人もいなくて心地がいい。夜の公園は自分にとって唯一の他との接触だった。
散歩をしながら池をじっくりと眺める。こんな時間が好きだった。
ふと池を覗き込むと、自分の顔がぼんやりと映っていた。馬鹿みたいな顔だ。池の底には投げ捨てられた落ち葉やゴミが溜まり泥が溜まっていた。
「あぁ。池の底に溜まっている泥と自分は同じだ。」
「同じ?」
ついにやけてしまった。自分の心に溜まる泥は他人が自分の心に入れていると勘違いしてしまっていた。この泥は自分自身が心に入れ、むしろ自分自身が泥で綺麗なもの全て自分が触れる事で泥にして取り込んでしまっていたのだった。
課長の言った一言も。学生時代のあいつらの会話も。自分に触れた瞬間泥となってしまっていた。
自分に触れる事によって綺麗な水も、純愛も、誰かの親切も全て泥に変わる。他人に興味が持てないのも、他人の言葉に裏を感じるのも、当たり前だった。
泥に、人の心が解るはずがない。
泥には、泥の論理しかないのだ。
いくら綺麗なものを取り込んでも泥は泥にしかならない。
指を水面に突き立てた。
波紋が広がり、映っていた顔が無くなる。その時、指先に伝わってきた感触は、水の冷たさではなく。ぬるりと重く排水溝のヘドロの感触。
私の指先から、黒い筋が水の中へ溶け出していく。境目なく混ざり合っていく。パズルの最後のピースがあてはまったような、恐ろしいほどの納得感だけがあった。
にやけたままの口元から、一滴、黒い雫が池に落ちた。
純度の高い「泥」だった。
私はもう池を覗き込んでいるのではない。
ここに帰ってきたのだと。
どうしようもない感情は他人から来ているかと思いきや。
自分が勝手に変換してしまった。
こんな時も人生ではある。
※フィクションです。




