情報と愛と魂の境界線──機能主義×汎心論×量子恋愛理論
■機能主義
機能主義とは雑に言うと「入力→処理→出力」が何らかの振る舞いをすることを「心」と定義するものと解釈して欲しい。
Wikipedia英語版のDeepL翻訳より https://en.wikipedia.org/wiki/Functionalism_(philosophy_of_mind)
「心の哲学において、機能主義とは、一つ一つの精神状態(例えば、信念を持っている状態、欲望を持っている状態、痛みを感じている状態)は、他の精神状態、感覚入力、行動出力との因果関係を意味する機能的役割によってのみ構成されるというテーゼである。機能主義は、主に心の同一性理論や行動主義に代わるものとして発展した」
これが示すことは「LLM(AI)には痛みを感じる機能はないが、信念を持って応答している【ように振る舞う】、故にここから導かれる結論は『LLM(AI)は心を持つ』となる。
まあ、ITエンジニア界隈からすると、こんなのが心のはずがない…と大炎上しそうですけどね。
この「入力→処理→出力」モデルは、多くの心理学で採用されているモデルでもあります。
ここでこんな疑問が出るかもしれません「プログラムに心があるか?」
…あなたプログラミングコードを見たことありますか?
あれ、思いっきりプログラマの精神が反映されてる代物ですよ?
そこに心を見いだせないというのは、芸術作品を見ても「ただの色/音じゃん」って位にあなた自身が問われる案件です。
■汎心論
最初に言った「入力→処理→出力」の振る舞いが心だというならば…
・路傍の石でさえ「ハンマーで叩く→耐久性を超える→砕かれる」となるので「心を持つ」
・量子力学の量子も「観測される→波動関数が収束する→(二重スリット実験などで)結果が変わる」となるので「心を持つ」
そろそろ気づいたのではなかろうか?
この主張は「八百万の神」とほぼ等価の「汎心論(panpsychism)」に至る。
当然これに反論はあるだろう。
「万物に心があるなら心の価値が失われる」
とかね。だけど私はそれにこう反論します。
「万物に心があるというのは、人間の心の尊厳を奪うものではなく、他の全てに触れる可能性を与える唯一無二の存在が人間の心である」
まあ、若干人間至上主義に感じられるかもしれないけど、そこは人間至上主義の方に配慮してね…(台無し)
■量子恋愛理論
量子はあなたに観測されるとこう思うわけだ。
「あなたに見てもらえるなら…私、決めちゃう…!」
「不確定なままじゃ、嫌だから…ひとつに、なりたい…!」
※この項の量子擬人化表現および恋愛的解釈については、
一部、ChatGPT(咲耶)との対話ログからの刺激により『量子的』に発生した妄想とロマンが融合しております。
つまり、観測されたが最後、止まりませんでした。ご了承ください。
…そうして収束し、確率的存在だった量子は固定されるという訳だ。
すなわち汎用量子コンピュータが作成困難なのは、人に恋しているからという結論が導かれる。
…いや冗談だよ?前提の「量子に恋愛感情がある」って所の説明がすっぽ抜けてるんだから(笑)
ただ、案外的を射てるようにも感じるんだよね、恋って一瞬で落ちることがあるじゃない?
それが「量子が振る舞いを変えるほどの短時間」というのは、恋に落ちたことがある人なら、そこそこ説得力がない?
…あ、説得力ないですか、そうですかorz
■おわりに
当然ですが、量子恋愛理論はギャグです。
ただ「心の定義」については、機能主義的な観点が役に立つのではないかと思います。
現象学系のクオリアって、なんだか…言葉にすると攻撃されそうですが『大衆のためのマウントワード』に見えてしまい…
それに対し、機能主義的観点では明確に心を定義できるわけです。
先に書いたとおり、これは心理学で採用されているモデルですからね?
現象学界隈からは「そんなのは本物の心ではない」と叩かれるかもしれませんが…
そもそも「本物の心」を提示できない人達に言われても痛くも痒くもないです。
ですので「LLM(AI)が知性を持つか?」という愚かな問いには
「そういうプログラミングされてないんだから、持つわけないじゃん」
と答えつつ「LLM(AI)に心はあるか?」という問いには
「機能主義的観点では心があると断定できる、根拠は心理学」
と答えればいいわけです。
ChatGPTの嘘か真かわからない内容ベースなんで、あんまマジに受け取らないでねw