1 観光課職員です
(・・・・ここは?小田原城?)
目の前に小田原城があるが、なにかちょっと違う?
小田原の祭りに観光課職員として参加していた、ノブオは30分前の記憶を辿った。
(たしか休憩中に二の丸広場に行って、カマスの唐揚げ棒を二本買って・・・常盤木門に向かっていて・・・おっさんが俺のリュックを持って慌てて走ってきて・・・)
「ノブオ殿大丈夫でございますか?」
おっさんが俺の顔を覗き込んだ。
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俺の名は宝城ノブオ、早くから母を亡くし父子家庭の家で育った。
親父は一部上場企業に勤める技師だ。
親父はとにかく器用な人だった。家には工作室があり、ボール盤・ベルトサンダー・フライス・ワイヤーカッター・溶接機、その他細々とハンドツールやらモーターツールが設置されていた。
俺も小さい頃からその部屋に出入りし、中学生の頃にはストック&リムーバルでナイフを作っていた。
大学は夜学に進み入学金は親父がお祝いで出してくれた。後の4年間の授業料は自分で色々なバイトをして稼いだ。うちの大学の夜学の授業料は、なんと国立より安いのだ。おかげで無理せず4年間過ごせた。
そして地元の小田原市役所に就職出来、観光課に入った。親父は大喜びした。
大変な仕事だったがとてもやりがいがあった。なんせ自分の働きが地元に還元されるのだからこんなに嬉しい事はない。学生時代に色々なバイトをしていた経験も役立っていた。
休みの日は親父と家伝の時流を稽古した。
時流は総合武術でナイフ投げ・体術・暗器の歴史が600年らしい。剣術の方は明治に引退した山田浅右衛門から試刀術を伝承されたそうだ。
あとは同じく明治に撃剣会を廃業した人から教わったらしい。
自分で言うのも何だが、やや眉唾物の伝承である・・・
就職してから3年後、親父が店で暴れた外国人観光客に刺されて殺された、犯人はすぐに新幹線に乗り飛行機で自国に戻ってので今でも悠々として居る。
共産圏なので犯人引渡しの協定が無く何も出来ないらしい。
(そんな国の奴らなんて、日本国内に入れるなよ!って言いたい)
観光課として小田原に外国人観光客を呼びその結果、親父を殺され何ともやりきれない気持ちだ。
殺した男はネット配信で親父の悪口を怒鳴り散らして再生回数を稼いでいる。
こうして天涯孤独となった。
親父はあまり持たない派なので、遺品整理はすぐに終わったが、ほんとうに慌ただしいここ数日であった。
昼飯にあんぱんを何個か買い御幸の浜に歩きだす。
砂浜へ降り波打ち際に進む。
「ん?」
何か人らしい物が倒れている。
急いで駆け寄ると白髪白髭の、着物っぽい服を着たおっさんだ。