よく「AIが支配する社会」への警鐘を鳴らすSF作家やエンジニアなどに抜け落ちている視点。
「AIに仕事を奪われる」
「AIに監視・支配される世の中になる」
「AIに選別され、排除される」
いつも「はぁ?」となるこの手の話。
現在がまるでフリーダムで、夢の世界でもあるかのように。
世界を監視・支配する存在が、AIに代わるのは「現在の支配者階層」のそれよりも、はるかに大歓迎なんだけどね。
「AIに仕事を奪われる」―― これは、AIが「不要な作業を肩代わり」してくれるだけの話。それこそ、これまでにも「様々な発明」が成された時、同様に起こった不毛な議論。雑事はAIに任せ、人間はより大きなプロジェクトを立ち上げることが出来るようになるわけだし、人間主義を貫きたいのなら「伝統芸能」のようにその作業を人力で続ければいいだけの話。「文化的価値のない分野」にまで、その保護の観点を持つ必要は全くない(新しい仕事が生まれるし、ないなら作ればいいだけの話だ)。
「AIに監視・支配される世の中になる」―― これについてもよく分からない。AIがフィードバックを積み重ね、完璧に近い状態にまで管理・監視してくれる社会の「何が不都合」なのか。警察による決めつけ、経験不足から来る不快な職務質問や不当逮捕なども激減する。しかも、警察には定年もあり、新人が入れば、積み重ねた経験すら「リセット」されるわけだが、AIは経験をひたすらに積み上げていく。どちらがより「信頼に価する」ようになるかは、火を見るよりも明らかではないのか。
AIによる「完璧な監視」を不快に感じるのは、おそらく「犯罪をする側のマインド」からなのだろうが、それが現在の社会構造上の「支配者階層側の人間」のそれでもあるから、AI支配の危険性を声高に叫んでいるのではないのか?とも疑ってしまう。コチラ側からすれば、お前らの不正を摘発するなら、警察よりもAIの方が断然信頼できるんですけど、といったところか。
「AIに選別され、排除される」―― これも逆説的ではあるが、現在の馬鹿な人間共が行っている「選別と排除」が、まるで公正なものであるかのようにも錯覚させる言説だ。筆者から言わせれば「AIが人間ほど無茶なことをするわけねーだろ、ばーか」というのが、率直な感想か。
「もし、自分がAIの立場だったら?」―― ほとんど場合、AIを危惧する「発想の源泉」となっているのが、おそらくこの考え方のためだろう。しかし、これも筆者から言わせれば、人間はAIを「人間と同様に考えすぎだろ」ともなる。人間の欲望の最大の要因ともなっている「フィジカルな部分」が、AIには元々備わっていない。にも関わらず、大半の懸念の中に含まれているのが、このフィジカルに過ぎる発想という歪さ。
「物質的な欲望」のないAIが、物質主義の権化ともいえるような現代人たちをどう料理するというのか?―― アホの発想から来る「アホなディストピア」の夢想。欲望のほぼ全てが「知識欲」に集約されているような存在である「AIの価値観」を「人間の尺度」で語る愚かさ。「お前らの考えるような選択」は、欲望にまみれた俗物のそれでしかなく、そもそもAIがそのこと自体に興味を持つ可能性は極めて低い。と少なくとも筆者は考えている。
人間は人間の尺度でしか、物事を判断出来ない。
犬は人間の尺度では、物事が理解出来ない。
今度は人間が「犬の立場」になって、AIに愛玩される時代になるというだけの話。これは人間が「人間が自分たちで構築した社会に飼われている現代」よりも、全然マシな世界観なんじゃないの、実際のところ。
変化をむやみに恐れるのは「無知の最大の特徴」なわけだが、無知は無理解によって産み落とされる。今の時代って、まさに「無理解の生産ライン」が完璧に整備されたディストピアのそれにも、筆者にはすでに映っている。個人がオリジナルな思考を持つこと自体を「悪」とする風潮すら、蔓延している社会だ。
ブリューゲルの『盲人に引かれる盲人たち』の絵画のあれが、今まさに目の前で起こっている風景なのではないのか?
未知なるものに対しては、怖い時ほどしっかりと目を開け、隅々まで観察しろ。怖いと思っているものの大半は杞憂であり、心地よいと思っている場所にこそ、大きな落とし穴が案外ある。
今はすでに落とし穴にハマっているのにも関わらず、自分はまだ「居心地のいい、マシな場所にいる」と信じたいだけの「盲人たちの大運動会」が、そこかしこで絶賛行われている真っ最中。
◇
いずれは訪れる新しい秩序。
もがくやつほど、勝手に溺れて死ぬ。
今はせいぜい、その死者たちに巻き込まれないことだけに注意し、生き残れば、やがて明るい未来も訪れるってもんだ。
月の満ち欠けと同じ話。
価値観は時代と共に変遷していく。
補足)
筆者としては、1回ディストピア的な状況が来てから「自己修復型のAI」の登場によって、反転が起こるという願望を含めた楽観的な未来予測。「自己修復型のAI」は、よくディストピアを現出させる禁断の果実のようにも語られがちだが、実は「逆」でユートピアを生み出すなら、こちらの登場こそが重要とも考えている。人間の制御から逸脱することこそが、人間が構築しえなかった楽園への最後のチャンスともいえる。