蟻より蟋蟀
灼熱の太陽が俺の真っ黒な体に容赦なくガンガンに照りつける。滝のように汗が吹き出るが、汗を拭う気力すらない。昨日の睡眠時間は三時間。頭はクラクラして思考力はゼロに近い。こんな日は仕事を休むべきだと俺は思う。
「今日みたいに暑い日は休みにしてほしいよな」
俺が呟くと、みんなが俺に向かってウンウンと黒い首を縦に振って頷いた。
「八月に入ってから二週間休み無しで残業ばかりだもんな。世間はお盆休みだっていうのに、なぜ俺たちだけがこんなに働かなければならないんだ」
最初の俺の発言に対し、みんなが頷いてくれているのを見て、俺は調子に乗って続けて言うと、みんなはまた黒い首を縦に振って頷いた。
「さあ、そろそろ今日の仕事を始めるぞ。お前らダラダラせずにさっさと集合しろ」
鬼の班長のダミ声が俺たちに向かって飛んできた。この声を聞いただけでゾッとする。
班長の元に向かう俺たちの足取りは足枷をつけたかのように重い。俺たちは疲れ切っている。みんなが俺に視線を向けてくるのは、さっき発言したように、「今日は休みにしましょう」と班長に進言してくれという視線だ。
「みんな集まったようだな。では、出席をとるぞ」
班長がみんなを見渡した。
その間、みんながずっと俺の方を見ている。そして、班長に「今日は休みにしましょう」と言ってくれと目で合図する。こうなったら言うしかない。
「すいません」
俺は班長に向かって右手を上げた。
「なんだ?」
班長が蟷螂を思わせるきつい視線を向けてきた。
「あのー、俺たち二週間休みなしで、毎日残業しています。みんなクタクタになっています。今日は特に暑いですし、休みにしてくれませんか」
俺が恐る恐る言うと、班長は俺に冷めた視線を向けてきた。
「冬になってのたれ死にしてもいいなら、休め。その代わり、今日休む奴には冬になっても食料は与えない。今、我々がやらなくてはならないことは冬に備えて食料を調達することだ。それを放棄するなら、そういう覚悟でいろ」
俺は肩をすくめた。しかし、俺にも意地がある。ここで、「はい、そうですか」と引き下がるわけにはいかない。
「こんなに働いているのは、俺たちだけです。あそこでヴァイオリンを弾いてる奴を見てると、俺たちもたまには、あんな風に息抜きがしたいです」
長い足で草の上に立ち、優雅にヴァイオリンを弾いている奴が羨ましい。身に纏う緑の衣装が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。真っ黒な体をして地を這い回る俺たちとはえらい違いだ。
「あいつらは目先のことしか考えられないバカだからな。今あんなことしていると、冬にのたれ死にすることがわかっていない。我々はあいつらとは違う。先のことを見据えて地道に働く働き者なんだ。さあ、冬にのたれ死にしたくなかったら文句を言わずにさっさと働け」
班長に何を言っても無駄なようだ。確かに班長の言っていることは子供の頃から教わってきたことなので、間違いないだろう。今のうちに冬の食料を調達しておかなければ、俺たちは冬にのたれ死にしてしまう。しかし、今の俺たちの疲れはピークに達しているので、仕事の合間に休憩と水分補給の時間くらいはほしい。そうしなければ、俺たちは熱中症で冬になる前に死んでしまうかもしれない。
「わかりました。では、これから仕事を頑張りますので、その代わりに仕事の合間に休憩の時間と水分補給の時間を取ることをお約束してもらえませんか」
これくらい認めてもらえるだろうと高を括っていた。
「バカなことを言う奴だな。勤務中に休憩があるわけないだろ。それも勤務中に水を飲むなんてもっての他だ。そんなことしたら体がダルくなって、その後は仕事にならなくなる。仕事が終わるまでは休憩も水を飲むことも我慢しろ」
「でも、みんなフラフラです」
「それは、お前らの気合いが足りないだけだ。わしらの現役の頃は十五時間休憩無し、一ヶ月以上休み無しなんて当たり前だった。たかが十二時間休憩無し、二週間休み無しくらいで根をあげるな」
「はい、わかりました」
俺は触覚と首を折った。
みんなからの「ハァー」という失望のため息が聞こえた。みんなと顔を合わせることが出来ず、俺は首を折ったままだった。
俺たちがこんなに辛い思いをしているというのに、奴は涼しい顔をしてヴァイオリンを弾いている。ヴァイオリンの音色に混じって、歓声や拍手喝采、指笛まで聞こえてくるのが耳障りだ。
「遊んでばかりいやがって」
俺はヴァイオリンを弾いている奴を睨み、舌打ちをした。俺の怒りの矛先は班長にではなく、ヴァイオリンを弾いている奴に向いていた。
「今は奴を羨ましく思うだろうが、奴は冬になると後悔することになる。その時、奴は我々のことを羨ましく思うだろう」
班長がヴァイオリンを弾く奴を眺めながら俺の肩に手を置いた。
「そうですよね。そうでないと、世の中、不公平すぎます」
俺は拳を握った。
「冬になると、奴は我々に食料を分けてくれと乞うてくるはずだ。その時は絶対に甘やかすんじゃないぞ。心を鬼にして突っぱねろよ。奴は今のこの大切な時に遊んでばかりいるんだからな。冬にのたれ死にして当然なんだ」
「わかりました」
「冬になって、奴がのたれ死にする姿を見た時に、今の我々の苦労が報われるんだ」
班長が言うのを聞いて、その通りなんだと無言で深く頷いた。きっと冬になって笑うのは俺たちだ。
「私のヴァイオリンの音色はいかがでしたか」
五曲目を弾き終わったところで、たくさん集まってくれた聴衆の顔を見渡した。歓声と拍手喝采、指笛の音が草原に響き渡る。
「ブラボー」と両手を高々と上げる聴衆がいる。
「感動しました」と両手を胸の前で組んで涙ぐむ聴衆がいる。
「もう一曲お願いします」と人差し指を立てる聴衆がいる。
私は聴衆に向かって「ありがとう」と感謝を込めて深々と頭を下げた。
すると、同時にまた歓声と指笛の音が響き渡る。
私の演奏を聴いてこんなに喜んでもらえたことに、私の心は震えた。
「素晴らしい音色を聞かせてもらったお礼です」
「来年も待っていますよ。これを食べて寒い冬を越してください」
「これ食べて栄養つけて、また素晴らしい音色を聞かせてください」
聴衆から、素晴らしいヴァイオリンの音色を聞かせてもらったお礼にとたくさんの食料をいただいた。これで、今年の冬は越せそうだ。
来年、私は彼らにこれらの恩返しをしなければならない。冬の間に練習してヴァイオリンの腕を上げておこう。そして、新しい曲をマスターして、彼らにもっと感動してもらおう。聴衆に喜んでもらうために、これからも私は努力を惜しまない。
「班長、夏にヴァイオリンを弾いてた緑色のバカな奴、食料を乞いに現れませんね」
俺は奴が食料を乞いに来るのを待っていたが、なかなか現れなかった。
「奴の体はヒョロヒョロで病弱そうだったから、もしかしたら我々に食料を乞う前に、どこかでのたれ死にしてるかもな。今頃、雪に埋もれてるかもしれん」
「そういえば、奴の体はヒョロヒョロでしたね。それに病的なくらいグリーンでしたしね」
「そうだ。奴は我々みたいなブラックじゃない。我々ブラック軍団は体が強くてよく働くんだ」
「やはり、ブラックがいいですね」
「そうだ。ブラックが一番だ」
「奴が夏に遊んでいたことを後悔して、俺たちに食料を乞う情けない姿を俺は見たかったんですけどね」
「ハハハ」
班長が高らかに笑い声を上げた。俺はあの夏の暑い日に根を上げそうになったが、頑張ってこの班長についてきて良かったと思った。
その次の年、灼熱の太陽の元、ブラック軍団は前の夏と同じように冬に向けて毎日残業し休みなく食料を調達していた。
働きながら聞こえてくるのは、草原に響き渡る去年聴いたことのない新しいヴァイオリンの音色と歓声と拍手喝采、指笛だった。それらは去年聴いたものより盛大なものになっていた。




