いらないもの
近頃よくあるイジメの中に“シカト”と言うものがある。
どうやら俺もそれをやられているようで、誰にも相手にされないのだ。
例えば朝、学校に行き(俺にダチと言うものはいないが)比較的親しいヤツに「オッス」とか言ってみる。
そうすると、そいつは何事もなかったかのようにカバンの中身を机に入れたりする。
他のヤツらにも「オイ」と声をかけてみるが、まるで聞こえてないかのように返事をしない。
まぁ、普段から俺は一人でいるから、別段困りはしない。
そんな感じが数日間続く。
すると普通だったら察しのよい担任が気付き始め、俺を呼び出して忠告を始めるだろう。
だがそうではない。
クラス内でイジメが起きてると知れたら、担任を辞めさせられるだろうにと思うが、こんなあからさまな事に気付いた様子もなければ、何もしては来ない。
他にも例えば、俺は授業中大抵フケるか、寝るか、ぼけっとマンガ見てるかなのだが、多くのセンコーは“いつものことだから”と見て見ぬ振りをする。
しかし、時たま熱血教師で俺を教室の後ろに立たせ、クラスに注意を促すヤツがいる。
が、そいつは何もしないのだ。
俺がいくら寝てようと、そのセンコーは俺に何も言って来ない。
俺は変だなぁと感じつつも、ラッキーと思ってそのまま寝ている。
ところが、妙な事が起こるのだ。
朝、クラスに担任が入って来ると、毎回出席を取るんだが、その時何故か俺の名前が呼ばれないのだ。
俺の前の名前を呼んだかと思うと、俺を飛ばして、次のヤツの名前を呼ぶ。
俺は元から返事をする気はさらさらないので、まぁいいかで済ます。
だが、そのうちにクラスの席が一個なくなるのだ。
どうやらそれは俺の席らしい。
らしいと言うのは、元の俺の席に俺の後ろのヤツが座り、そいつの席にはその後ろのヤツが座り……と続き、一番後ろにあった席が一つなくなっているためで、それがまた不思議としっくりいってて、初めからそうであったかのような並びなのだ。
俺は元から授業を受ける気はさらさらないので、机があろうとなかろうと、構いはしない。
俺はする事もないので、教室の後ろの隅に立って、ぼんやりと授業の様子を見ていた。
しばらくすると、そうやっているのにも飽きて、俺は街に出た。
タバコを吹かして、人込みの中を歩き回った。
途中、人にぶつかっても、そいつらは皆知らん振りで、バカヤローとかなんとか言って、いちゃもん付けて来るヤツは全くいなかった。
そこへある時、サボりなのか、俺の学校の制服を着た女子生徒が俺の前を歩いている。
俺はそいつの肩を叩き、「オイ!」と言った。
するとそいつは振り返り、俺を睨むように見返した。
その顔に見覚えがあるなと思いきや、話した事はないが、そいつは俺と同じクラスの女子だ。
俺にはそいつの顔付きが、何故か死んだ俺のお袋に似ているように見えた。
そしてそいつは言った。
「あなた、誰ですか?」
「誰……って、クラス同じじゃんか」
「そう……。でも私、あなたを知らないわ」
「確かに俺ぁ、学校サボってばっかだけどよぉ。だからこそ有名ってのも、あるんじゃねぇの?」
「そうね。きっと私はあなたのことを知っていたんだわ。でも私は覚えてないのよ。記憶と言うものは、とても曖昧なものでね。都合の悪い事はなかった事にしてしまえるし、書き換えてしまう事も出来るの。私はあなたを知っていたんだろうけど、私にとってあなたは多分“いらないもの”だったのよ。だから私はあなたのことを忘れてしまったんだわ。きっとこれからも私はあなたを忘れて続けて行くのよ」
「……よくわかんねぇな」
「そのうちわかるわ」
それだけ言うと、そいつは去っていった。
俺はその場に取り残され、喧騒の中を陽が落ちるまで立ち尽くしていた。
珍しく寄り道もせずにその足で自宅へ帰ると、これまた不思議な事が起こる。
俺は薄汚い安アパートで親父と二人暮らしなのだが、郵便受けやドアの隣にある表札の名義がまるで違っているのだ。
部屋を間違えたかとも思ったが、行き慣れた場所を間違えるはずはない。
俺は構わず玄関のドアを開けた。
すると親父が優しそうな笑顔で「おかえり」と出迎えた。
俺は目を疑うようだった。
いつも親父は厳格で、笑顔なんぞ記憶にない。
ショックで俺が固まっていると、「ただいま!」と言う大声が後ろから聞こえ、幼稚園位の男児がてけてけと俺の横を走り抜けた。
「ちゃんとドアは閉めんといかんぞ」と親父が俺の方を指差して言った。
それから「はーい」と言ういささか面倒臭そうな声と共に、ドアは俺の眼前で閉められた。
親父は俺を無視した。
と言うよりも、俺の存在そのものに気が付かなかったと言うべきか。
俺はおもしれぇなぁと思った。
帰る家もないので、俺はホームレス紛いの事をしてみることにした。
駅周辺にたむろしてるオヤジどもと一緒に過ごそうと言うのだ。
俺はそいつらの事をよく知らねぇが、学生である俺が仲間になろうとするのを、夢も希望もないそいつらは嫌がるはずだろう。
それが、そいつらは受け入れる様子もなければ、拒む様子もない。
俺が地下道で眼鏡をかけたホームレスに「よぉ」と声をかけても、そいつはただずっとコーヒーの入ったカップを握り締め、波立つ黒い液体をじっと見つめている。
構わず俺は「今日から俺もあんたらの仲間入りだ。宜しくやってくれ」と言うが、それでも眼鏡は何の反応も示さない。
次に俺はそいつの目の前に手をやって、ぱたぱたと振ってみた。
だがそいつはいつまでもコーヒーを食い入るように見つめるだけだった。
他のホームレスの所にも行ってみたが、どいつもこいつも同じような反応だった。
仕方なく俺は地下道を出て、再び街を歩き出した。
人波もだんだんまばらになって来る。
俺もそろそろ疲れて来たので、広場のベンチで夜を明かす事にした。
俺の他には酔っぱらいのサラリーマンが二人程いて、既に眠り込んでいる様子だった。
俺は塗装の剥げたベンチをまるまる占領して横になった。
ぼんやりと街の人々を眺めたが、そいつらは俺の視線に気付かないのか、俺の方を見ることはない。
まるでそこに俺は存在してないのだとでも思っているような感じで、俺は世界中に無視されているような気分になる。
道行く人もホームレスのヤツも学校のヤツらも、そして親父までもが俺のことをシカトする。
なんか透明人間にでもなったような錯覚に陥りそうだ。
これじゃあ、もし今俺が汚れたベンチではなく、高級ホテルのスイートルームのベッドにいても誰もわからないんじゃないか。
そんな風に考えると滑稽だった。
朝が来た。
それからも俺は相も変わらずシカトされ、誰にも咎められる事なく、臆する事もなく、勝手気ままに過ごした。
数日後、偶然街の中で、以前会った女子生徒を見つけた。
そいつが言った事をまだ俺は理解出来ないでいた。
そこで俺はそいつに向かって「おーい」と叫んで手を大きく振ってみせた。
だがそいつは聞こえる距離だったにもかかわらず、俺のことに気付かずにそのまま歩いていった。
そいつはきっと、もう俺のことなんか思い出せないし、あの時自分が言った事さえも忘れているのだろう。
Poh 2002