カリオペ
貴族とは、遥か昔、建国に貢献することで星を得た者達が、いつからか自称するようになった言葉である。
称号とは、即ち星。
貴族には身に着ける服のどこかに刺繍を入れる義務があり、そこには最大で五つの星が刻まれる。そして星の数が多い程に身分が高い。
頂点たる五つ星の貴族は五家のみ。
カリオペ・リドル・プリニオーラは、リドル家の主であった。
彼は貴族の中でも特に選民思想の強い者だった。
家督を継ぐや否や家名をリドルからカリオペに変え、平民に課す税も増やした。
カリオペは愚かではない。
重税が長期的に自分を苦しめることは理解していた。
しかし彼は考えた。
自分が生きている間は、問題にならない。
ならば関係無い。自分こそが最も尊い存在である。
子孫が苦しもうと、その先で家が潰えようと、知ったことではない。
──朝、カリオペは目を覚ました。
彼は軽く肩を回した後、バルコニーへ向かう。
そこで人間椅子に座り、空を眺めた。
(王子に付くべきか、裏切るべきか)
地下の一件以来、彼は繰り返し同じことを考えている。
王子の考えは分かる。魔物を使役できるならば、小国など軽々と手に入るだろう。
しかし、しかしである。
人類の魔物に対する憎悪は相当に大きい。
周辺の強国が徒党を組み、攻めてくる可能性がある。
魔物に強い憎悪を持つ自国の騎士団が裏切る可能性もある。
王子に付いた場合、これら全てを敵に回すことになる。
王子を裏切り、その計画を阻止することに成功した場合……五つ星の貴族である自分は、次の王に選ばれる可能性が高い。
(……王になるのも、悪くはない)
無論、こちらもリスクが大きい。
王子はまだ十八と若いが、昔から得体の知れない不気味な存在である。
「椅子、発声を許可する」
カリオペは軽く足を振り、四つ這いになった「椅子」の脚を踵で叩いた。
「……何を、お求めですか」
「王子について、どう思う?」
椅子は、かつては平民から税の代価として徴収された娘だった。
しかし貴族に嬲られ、弄ばれ、いつしか人としての尊厳を失った。
自死を選んだ者、鞭打ち等で息絶えた者は家畜の餌となる。
心を殺して生きることを選んだ者は、気まぐれに家具として扱われることがある。
この椅子は、そのひとつだった。
「……王子は、聡明な方にございます」
「そうか」
カリオペは立ち上がり、椅子の頬に蹴りを入れた。
椅子は投げられたように飛び、口と鼻から血を流して動かなくなる。
生身の人間に出せる脚力ではない。
彼は無造作に、呼吸をするように、魔力を制御して強化した肉体で椅子を蹴った。
「役立たずが」
椅子のケアはしない。
周囲の家具も原始的な恐怖によって震える他には身動きひとつしない。
カリオペが椅子を蹴った理由は、自分の望む回答が得られなかったから。
もちろん同じ貴族が相手ならば今のような対応はしない。
相手が平民だったから。
だから蹴った。それは彼にとって当たり前のことだった。
「食事の時間だ」
カリオペは鏡の前に立ち、軽く身なりを正す。
貴族によっては平民の仕事だが、彼はその身に触れられることすら嫌悪する。
故に、自分で行う。
背中まで伸びた金髪も、五つ星の刺繍が刻まれた黒い服も、自分の手で整える。
「流石に少し老けたか?」
そろそろ齢四十を迎えるカリオペは、目に見えて増え始めた皺を見て眉を寄せる。
そしてまた無造作に、鏡の近くにあった椅子を蹴った。ただの八つ当たりである。
──それは、彼の手足が、最期に動いた瞬間であった。