ユニコーン聖女は提案する
ぽとり。水の滴る音が反響する。
薄暗い場所。照らす灯は壁に付いたひとつの松明だけ。
洞窟、でしょうか。
突如として現れた赤髪の美少女にホイホイ付いていった私は、大きな十字架に手足を拘束されました。こんな縄いつでも解けますが、今は受け入れましょう。
私は眼前に立つ赤髪の美少女を見て、言いました。
「さぁ! どのような拷問をなさるのでしょうか!? 痛いのは嫌ですが、身体中を舐め回す等の辱めであれば大歓迎です! ええ、そうしましょう! どうぞ私を舐め回してくださいませ!」
私の懇願を聞き、彼女は上半身を仰け反らせました。
分かります。ええ、分かりますとも。何度も見た反応です。私から僅かでも距離を取りたいという感情が滲み出ています。しかし引けない。威厳を保ちたい。その結果、足だけは地に張り付いて仰け反る姿勢になるのです。かわいいですね。
「……気持ち悪い」
「ありがとうございます!」
ああ、ああ、ドン引きされております。もう少しこの屈辱的な眼差しを愉しみたいところですが、生憎と私には時間的な余裕がありません。うっかり欲望に身を任せて拘束されたのは私自身の落ち度ですが、それはそれです。
「目的を聞かせてくださいませ」
私は恍惚とした感情を封印して、真面目に問いかけます。
「わたくしは、なにゆえ拘束されたのでしょう?」
眼前に立つのは赤髪の美少女が一人だけ。
上着は汚れたシャツが一枚。服の間から見える手足は細いのに、栄養を一点に集中させているかの如く乳房だけはそこそこ大きい。下は短パンが一枚。太腿の半分程度しか隠せておらず、スラっと長い脚が私を誘惑しております。
……孤児が山賊に拾われたか? あるいは山賊の子供という線も。
少しでも情報を集めようと思考していると、彼女は呆れた様子で言いました。
「お前、聖女ノエルだろ?」
「……そのように呼ばれたこともありましたね」
意外です。
私を知っているならば、ただの山賊という可能性は低いでしょう。
「しかし過去の話です。わたくしは国を追放されました。もう聖女ではありません」
「命乞いなら、もっとマシな噓を吐いた方がいいぞ」
「事実です。そうでなければ、あんな場所を一人で歩いているわけがない」
「……ありえない。何を考えている?」
彼女の言葉が私に向けたモノか王家に向けたモノかは不明ですが、ひとまず王家に向けた言葉として受け取りましょう。
思い浮かぶ言葉は無数にあります。
例えば先代様が頑張り、次の聖女が生まれることを祈る。あるいは、過去数百年、一度も魔物に襲撃されていないから、結界など不要だと思っている。
しかし、ここで議論しても意味の無いことです。
はてさて、ここからどのように言葉を紡ぎましょうか。
「……やっぱり、ありえない。聖女を追放するなんて、噓に決まってる」
私が悩んでいると、彼女は小さな声で言いました。
それからギロリと私を睨み、あっという間に距離を詰めます。
「お前を人質にして、貴族を殺す」
彼女は私の頬を摑み、鋭い目で睨み付けて言いました。
突然の出来事に困惑します。ええ、ええ、大変ですとも。至近距離に美少女。そして何日も水浴びすらしていないと分かる獣のような刺激臭。こんな美少女からこんな臭いがするのかと興奮します。けれども悪臭の中にふんわりと甘い香りが混ざっており……ああ、私はもうダメかもしれません。
いけません。真面目な話の途中です。
私は慎重に息を吸い込んだ後、言いました。
「つまり貴女の目的は、復讐ですか?」
「そうだ」
冷たい目。冷たい声色。
私は彼女の紅い瞳を見つめ、問いかけます。
「……理由を聞いてもよろしいですか?」
「奪われたからだ。あいつらは平民に重税を課した。払えるわけの無い額だ。明日を生きるための食糧を奪われた。不足分だと言って家族を、若い娘を奪われた。抵抗すれば指を落とされた。見せしめに魔物の餌にされた者もいる。だから逃げた。逃げるしかなかった。そのせいでっ、みんな死んだ!」
言葉にしたことで感情が昂ったのでしょう。
呼吸は荒れ、瞳からは大粒の涙が溢れています。
「オレが仇を取る! 必ずだ! 皆殺しにしてやる!!」
一人称、オレなのですね! 素敵です!
……おっと、いけない。失望するあまり、また邪念が混じりました。
だって、がっかりです。
貴族に虐げられた平民。そんなものは、よくある話。もうお腹いっぱいです。
さてさて、どうしたものでしょうか。
彼女、とても私好みの外見ですが、その思想は実につまらない。
……ああ、いえ、単純ですね。
素材を生かすも殺すも使い手次第。
私が、彼女を自分好みに染めてしまえば良い。
そうと決まれば話は早い。早速、誘導を始めましょう。
「貴族を皆殺しにする。言うは易しですが、具体的な方法を考えたことはありますか? 私はあります。しかし、どれだけ考えても最後は国を滅ぼすことになる。貴族が平民を盾にするからです。貴族だけを殺すことなど不可能だ」
私は彼女の紅い瞳を見て、問いかけます。
「貴女に、全てを殺す覚悟はありますか?」
「当たり前だ。皆の仇を取るためなら、やってやる」
「……そうですか」
私は深く呼吸して、
「ならば、私の手足を斬り落としなさい」
「……何を言い出すんだ。急に」
「私は聖女です。死なない限り手足など何度でも生え変わります」
もちろん痛いです。しかし覚悟を決めました。
そんな私を見て、彼女は怯えたような目になります。
「……お前、化け物なのか?」
「はい! 化け物です!」
失言です。突然のご褒美で、思わず。
「さあ早く! 私を斬り刻みなさい!」
私は失言を取り消すため、少し大袈裟に訴えました。
彼女は溜息を吐き、腰の剣に手を当てます。しかし、その先の動きはありません。
「どうしたのですか? 私を斬れないようでは、国を滅ぼすなど不可能ですよ?」
その後、私は挑発を続けました。
腰にある剣は飾りか。早くしろ。私の手足を斬り落とせ。
しかし彼女は拒絶します。
何度か剣を握りましたが、私の体重が減ることはありませんでした。
「……お前を斬る理由が無い」
「わたくし、聖女ですよ? 貴女の大嫌いな貴族様ですよ?」
「煩い。黙れ。お前は追放されたんだろ? なら、もう聖女じゃない」
「あら? もしかして信じたのですか? 貴女、実に滑稽ですね。簡単に騙された。うふふ、憎くて仕方のない貴族と、こんなにも和気藹々と会話している姿、もしもご家族が目にしたら、どう思うでしょうね?」
私は彼女を愚弄するつもりで言いました。
──あと一息。
「ああ、失礼。もうこの世には居ないのですから、見られることはありませんね」
瞬間、彼女の整った顔が憤怒の色に染まります。
彼女は勢い良く剣を引き抜き、振り上げました。
しかし、その両手が震えるばかりで、いつまでも振り下ろされません。
「……できない」
やがて彼女は膝を折り、その場にへたりこみました。
「……何でだよ。皆の仇を取りたいのに。何で。何でっ。何で!」
彼女は拳を握り締め、悔しそうに自らの太腿を叩きました。
ああ、代わりたい。栄養不足なのか不自然に細い太腿に代わって、あの拳を受け止めたい。しかし、今はまだ挑発を優先することにしましょう。
「それでは、祈るしかありませんね」
「……祈る?」
彼女は徐に顔を上げ、涙に濡れた表情で私を見ました。
「あの国は勝手に滅ぶ。平民が武装蜂起するか、貴族の食糧すら不足するか、貧民街から疫病が蔓延するか……具体的な原因も時期も不明ですが、必ず滅ぶ。だから祈るのです。貴女の家族を虐げた貴族が存命の内に、何らかの破滅が芽吹き、絶望が蔓延ることを祈るのです」
彼女は口元を震わせた後、しかし何も言わず俯きました。
どうやら私を斬れなかったことで意気消沈してしまったようです。
「私は聖女ですから、祈るのは得意ですよ。教えて差し上げましょうか?」
返事は無い。
私は構わず言葉を続ける。
「その場に跪き、天を見上げ、両手を握り締め、目を閉じる。それだけです。どうぞ私の真似をしてください。そして祈りましょう。どうか、あの貴族が絶望して息絶えますように」
私は《《彼女の隣》》で跪き、祈りの姿勢で言いました。
「……は?」
そこで、ようやく気が付いたようです。
「お前、縄、どうやって!?」
「うふふ、さあ、どうやったのでしょうね?」
彼女は驚愕した表情と共に飛び上がり、私から距離を取りました。
「……なっ、なんだこれっ、動かない!?」
そして何かに拘束されたかのように動きを止めました。
結界魔法、バリア。
任意の空間に物理的な障壁を生み出す魔法。
使い方は自由自在。
例えば皮膚の上に薄く展開する。それからゆっくりと外側へ範囲を広げる。結界は広がる途中にある物を押し出しますから、縄くらいは簡単に千切れます。
例えば手首や手足を囲むように太く展開する。結界は私が消すか破壊されるまではその場に留まりますから、痩せ細った少女一人を拘束するくらいは容易です。
「お前っ、騙したのか!?」
少女が今さら顔を真っ赤にして憤慨しております。
「心外ですね。私は貴女が大好きですよ」
「ふざけるな! ……くそっ、なんで動けない!?」
私は暴れる少女に近付き、先程とは反対の立場で、その柔らかい頬を摑みました。
「選択肢を差し上げましょう」
私は軽く息を吸って、伝えます。
「ひとつ。先ほど私が言った通り、天に向かって祈り続けること。あるいは……」
まずは笑顔で、ハキハキと。
それから、
「その命を差し出し、私に祈ること」
あの国の令嬢らしく、ドス黒い表情と声色で、
「私は決して祈らない。未来は自分で選び、掴み取る。しかし、貴女がどうしてもと懇願するのなら……頂いた代価に相応しい働きをすると約束しましょう」
古い童話に描かれた悪魔や邪神のように、囁いたのでした。