破傷風を浄化する
カップをゆっくりと傾けて、彼女の口の中に銀サフランを煎じた汁を少しずつ流し込んでいく。
途中で少しだけむせそうになったものの、なんとかカップの中身を飲みきってくれた。
香りの良いお湯でお腹が温まったせいか、彼女も先ほどまでよりは、すこし楽そうな表情になっている。
でも、こんなのは、ただのその場しのぎだよな・・・
とにかく、直せる直せないは別として、原因がハッキリ出来るのなら、その方がいいだろう。
「体のどこかに傷は無いか? 例え小さな傷でも、腫れて痛くなっているような場所は無いか?」
「...ある。あるけど...小さな怪我...」
息が荒く、時々ビクッと身体を痙攣させている。
必死で痛みを我慢している様子が伝わってきて、見ていて辛い。
「ハッキリ分からんが、傷口から毒が入る病気なら、傷口の大きさは余り関係ない。とりあえず、その傷を見せてくれ」
「わ、分かったわ...でも、身体が...お願い、勝手に見て」
「ん、体を動かすのが苦しいのか? 傷口はどこだ?」
「...右の...ふともも...」
あー、参ったな。
みんなの見ている前で、俺がこの人の服を脱がせて太ももまで剥き出しにするってことでしょうかね?
咄嗟に男性二人の顔を見やると、さっと目を逸らされた。
ここは意見したくないらしい・・・
仕方が無い、これも行きがかりだ。
「えっと、恥ずかしいのは我慢してくれ。非常事態だからな? 元気になったら俺のことを一発殴ってもいいぞ」
意を決して彼女の服に手を伸ばした。
三人とも似たような意匠のゆったりした服装なんだけど、やたらと紐が多い服だ。
上着もズボンもあらゆる箇所が縫い止めてあるんじゃ無くて、両方の布に開けた沢山の穴に、交互に紐を通して絞り留めてあるような仕組みだ。
言うなれば全身あちこち、靴紐みたいな感じで布を縛り留めて、服の形を作っている。
ん?
しかも、この服地と紐は、魔力を通すと変形する素材だな・・・
見たことのない変わった旅装だ。
この服、もしも全部脱がせたら、絶対に俺の手じゃあ着せられない気がするね。
どこの紐を外せばいいのかよく分からなかったが、なんとなく勘で腰回りと太ももの外側の紐をほどくと、ズボン部分の布が緩んだ感じがしたので、意を決して腰回りの布をめくった。
とにかく、できるだけ足に刺激を与えないように、ゆっくりと布地を下げてみると、同じく紐で留められた肌着の裾にも血が滲んでいる。
化膿した傷口は、太ももの中央上にあった。
その周辺も赤黒く変色し、傷の周囲の肉も腫れて膨らんでいるのが見て分かるほどだ。
「この傷は、どうした?」
「か...川で行水をしたときに...滑って河原の石で切ったの」
「川の中の石か、それとも土の上に上がってからか?」
「土...し、斜面の赤土の石」
裸で水から上がろうとした時に足を滑らせたパターンか?
参った、破傷風っぽいな。
破傷風の毒は土の中に潜んでいると言われているのだ。
とりあえず、彼女の服の紐を結び直すのは難しそうなので、俺のケープをかけて素肌を隠し、今後の方策を考えてみる。
そこらの木の枝と毛布で担架でも作って、これから男三人で彼女を次の集落まで運んでいくか?
なんだかんだ言って、もう夕暮れが近づいている。
次の集落までどのくらいの距離があるのか彼らが知っているかも知れないが、暗くなってから着いても治癒士なんか探せるかどうか・・・いやまず、どこの集落にいるかも分からないな。
養魚場の方に戻っても、途中に大きな集落は無い。
岩塩の中継所まで行けば馬車に乗せて貰えるかもしれんが、夜通し歩いて着くのは朝だな。
「治癒士のいそうな集落は知っているか?」
最初に声を掛けてきた方の男性に聞いて見る。
「夕べ通った村はけっこう大きかったけど、治癒士がいるかは分からない。今朝はまだこんな状態じゃなかったからな...それに俺たちは余所者で、この辺りのことはまるで知らないんだ」
あー、俺と同じか。
夜中でも治癒士を見つけられることを期待して、ここから順繰りに集落を訪ねて歩くしか無いのか?
本当に破傷風なら、休ませていても回復は望めない。
できるだけ早く治癒士に回復して貰うのが鉄則だ。
しかし、担架に乗せて一晩中連れ歩く羽目になったら、それこそ体力が持たないかも知れないな・・・
黙って悩み込んでいると、急に女性が声を出した。
「あ、ありがとうございます...かなり、楽に、なりました」
「おお、それは良かった。けど、無理して喋らなくていいよ。体力の温存が第一だからね」
「はい。でもさっきまでより、とても楽になりました」
驚いたぞ。
最初の時と較べて、受け答えが格段にしっかりしている。
意外に銀サフランが効いたか?
飲ませた俺の方がビックリだ。
いや、待てよ?
ひょっとすると・・・
破邪に限らず、普通の人が使う浄化魔法は、ただ汚れを消し去るだけだ。
レビリスに譲ったあの首巻きじゃ無いが、傷んだものを修復したり、ましてや怪我や病気を治したりなんて不可能だ。
だが、綺麗にと言うか清潔にはできる。
じゃあ仮に、強い浄化の力を持つ精霊の水を彼女に飲ませたことで、傷口から体に入った毒が、少しでも浄化されて消し去られていたとしたら・・・
体の中を清潔に? というのが正しいかどうか分からないけど、それが予想していた銀サフランの効果以上に、彼女が楽そうになっていることに関係あるかも知れない!
ダメで元々だ。
実験してみる価値はあるだろう。
これから夜通し歩いて治癒士を探す前に、ここでできそうなことはやってみよう。
「後でまた同じ薬を作るから飲んでくれ。それと、すまないが傷口をもう一度見させて貰うよ?」
「はい、おねがいします」
そう言って彼女は頷いた。
やはり、先ほどまでよりも反応がしっかりしているし、痛みも減っている様子だ。
彼女の腰周りを隠すために掛けていたケープをまくり上げ、再び傷口が見えるようにする。
遠慮を捨ててまじまじと見ると、小さな傷だが赤黒く変色し、周囲の肉も赤く腫れ上がっている。
「少し足に触れるぞ。傷口の浄化に水を出すから、服や肌着が濡れるだろうけど我慢してくれな?」
「はい」
俺は首からストールを外して、それを彼女の太ももの下側にあてがい、できるだけそっと傷口に手を添える。
触れた瞬間に、彼女がビクッと身体を震わせた。
ちょっとした刺激でも痛みを感じるのだろう。
触っていると、傷口の熱を手のひらに感じる。
かなり腫れてるな。
すでに歩けないほど痛かったのだから無理も無いけど、細かく震えるように痙攣しているのが伝わってくる。
魔物の浄化じゃ無いから、洗い流すほどの水量はいらないだろうと考えて、浄化の力を強めると同時に、できるだけ、わずかに滴るような水が、じわっと手のひらに生まれるよう、力の流れを思い浮かべた。
ぶっちゃけ、濡れた手のひらを女性の太ももに押しつけている状態だからな。
これが治療で無かったらどこの変態だって感じだが、致し方ない。
傷口の周囲を洗い流すと同時に、開いた傷口から精霊の水が体内に染み込んでいくようなイメージで、水魔法と浄化を同時に施していく。
彼女の肌を伝ってポタっポタっと流れ落ちる水が、下に敷いたストールに染み込んで行くが、それと歩調を合わせるように、手のひらに感じていた熱が弱まってきた。
これまで、身体や身の回りのものを清潔に保つという以上の意味で浄化魔法を使ったことは無いけれど、これはなんだか上手くいってそうな感じがする!
すごいぞ精霊魔法!
頑張れ精霊魔法!
自分で自分を励ましながら、傷口を通じて彼女の体内を浄化し続けて、どのくらい経っただろうか。
手のひらに感じていた熱はすっかり消え去り、むしろ俺の手のひらと彼女の足の間に滴っている精霊の水の冷たさだけを感じるようになっていた。
一旦、手をのけて傷口を見てみる。
さっきまでどす黒く腫れていた傷口は、あえて言うなら『新鮮な傷口』に変わっていた。
もちろん、回復では無くて浄化の魔法では怪我そのものを直すことができないのは承知していたが、傷が、傷として残っているままで綺麗になっているというのは、かなり新鮮な驚きだ。
ひどく膨れていた筋肉の腫れも引いている。
ズボンも下に敷いてる毛布もグショグショになっちゃったけど勘弁な。
俺のストールも雑巾のような有様だ。
彼女の表情は柔らかで、先ほどまでの苦しさが消えていることが明らかに分かる。
最後の念押しに、もう一度カップに銀サフランと精霊の水を入れ、熱魔法で痛み止めを煎じて彼女に飲ませた。
「ありがとうございます。なんだか、すっかり楽になりました。さっきまでの痛みが嘘みたいです!」
「それは良かったよ。ただ、これで病気そのもの...破傷風の可能性もあるんだが、それ自体が直ったかどうかは分からないんだ。しばらく様子を見た方がいいし、やはりできるだけ早く治癒士に見て貰った方がいいと思う」
「はい。本当にありがとうございます」
「いや、本当にありがとう。助かったよ!」
「ああ、なんと礼を言っていいやら分からないくらいだ」
男性陣も重ねて礼を言ってくれるが、まだ病気が消えたかどうかは油断はならないところだ。
「痛み止めが効いて良かったよ。ただ、もう暗くなるし、彼女も弱っているからすぐには動かさない方がいいだろう。今日はもう移動を諦めて、ここで夜明かしした方がいいな」
「ああ、そうだな。じゃあそうしよう」
「成り行きだ。俺も付き合うよ」
「いいのか?」
「どのみち、今日は街道のどこかで野宿するつもりだったんだから構わないよ。それに、こう言ってはなんだけど...彼女の容態はまだ油断できない。もしも具合が悪くなった時には夜中でも運んだ方がいいかもしれないからね。運び役は一人でも多い方がいいだろう」
「なんだか...なにからなにまですまないな。本当にありがとう」
「気にしなくていいよ。それより野営の準備でもしよう」
「ああ、ああ、そうだな、肌寒いだろうから火も熾したい」
「そうしてくれ、彼女の服も濡れちまってるから、火に当たってないとまずい」
今いる場所は、低木の茂みに隠れていて、街道から直接見えることは無い。
真っ暗な中で焚き火をしていれば遠くからでも分かるだろうが、それで寄ってくるのは魔獣では無く盗賊の類いだ。
俺とアンスロープ族の男が二人いるんだから、それほど警戒する必要は無いだろう。