育て親が殺された理由
「ああ、俺の生まれのことは教えて貰ったよ。父親のものだって言う破邪の印はいまもパルミュナに持って貰ってるけど」
「うむ。そのことで頭を悩ましてしまうと心がざわついて、精霊的な視野を身につけるのに時間が掛かってしまうと思ってな。それでパルミュナには黙っておくように言い含めておいた。気を悪くしたなら許せ」
「いや、もともと知らなかったことって言うか、俺の力じゃ知り得なかったことが分かったんだ。文句なんかないさ」
「ならば良かった。お主の実の両親の消息に関しては、パルミュナに話した以上のことは儂にも分からん。手紙と家紋のペンダントの行方も含めてな。腰を据えて探せば辿れる可能性もあるが、時間は掛かるだろうし、見つかるとも限らん」
「いや、いいよ。パルミュナのおかげで納得できたし飲み込めた。実の両親の消息は...昔は知りたくて仕方がなかったことなんだけどな...いまは不思議だけど、いつか知る日が来ればいいなって感じだ。それに勇者であるいまの俺とは直接関係してくることでもない」
「そうか。いつか分かる日が来るやも知れんさ」
「ああ、それぐらいでいいのさ」
「うむ。で、その箱と印から得た記憶に関してだが、実はパルミュナにも話してなかったことがある」
そういってアスワンは、まるで俺が身構えるための時間を置くかのように少しの間を置いた。
「お主の実の父親『ランス・ウィンガム』が、実の母親『シャルティア・レスティーユ』と出会った時のことだ。母の方が追っ手に襲われているところだったというのは聞いたと思うが、お前の母を襲って、お付きの従者や騎士たちを皆殺しにしたのは、ブラディウルフの群れだ」
「ちょっ! おいちょっと、どういうことだよそれはっ!」
「無論、お主もこれが偶然だとは思えぬだろう。いや、お主があの城砦でブラデュウルフの群れと対峙することになったのは確かに偶然だと思うが、どちらも『エルスカイン』とお主が呼ぶ連中が操っている可能性が高いという意味でな」
「...そうか。ブラディウルフの群れを使役できる奴らが、そうそうあちこちにいるとは思えない。二百年前の叛乱も、俺の実の母親を襲ったのも、あの城砦で俺に向かった来たのも、すべてエルスカインが裏で糸を引いている...俺にはそう思える」
「やつらの意図や背景はまだ分からぬが、危険な存在ではあろうな」
「で、俺はどうすればいい? やはりエルスカインを追うべきか?」
「追わずとも、向こうから来るであろうよ」
「ああ、まあそうか...俺は勇者で、しかも狙ってたシャルティア・レスティーユの血を引いてるんだもんな...」
「そういうことだ。これも運命の糸かも知れぬな」
アスワンは、俺の目を見ながらゆっくりと続けた。
「そもそも、これをパルミュナにも伝えなかったのは、お主が不用意にこの話を聞いて、魔獣への復讐心や敵愾心を高めても、良いことなど一つもないと、そう考えていたからだ」
まるで、たったいま俺の中に湧き上がりつつあった感情を見透かすかのようにアスワンが言う。
「魔獣は人にとって害になることも多いが、それでも、この世界の理に組み込まれているものでもある。すべての魔獣を滅ぼすというのは無茶な考えであることは、破邪であるお主にはよく分かっていることだろう」
「まあ、な...魔物はともかく、別に魔獣という存在そのものを憎んだことはない、と思う。俺たちが斃してきた魔獣は、人に害する危険な奴らだけだ」
「うむ。それに人もまた魔獣の一種だ」
「いや待ってくれ、一体どういう意味だそれ?」
「考えてもみよ。野に住むウサギや鹿が魔力を纏っているか? 魔法を使うか? 魔力を纏い、魔法を使う獣は人と魔獣だけであろう」
「いや、それはそうかもしれんけど...だからって」
「人族は互いを魔獣だとは認識しない。たとえ種族が違っていても、やはり血族の流れなのだ。だが、魔獣側にしてみればどうだ? 奴らにとって人族というのは、ずかずかと自分たちの縄張りに踏み込んでくる、他の種類の魔獣に過ぎん」
「そんな...そんな風に考えたことは一度もなかった...な」
「儂が勇者に『ひたすら魔獣を狩ってくれ』と頼んだことはないぞ。魔物やそれが生み出された原因を狩りとってくれとは言ったし、危険な魔獣を刈ることを止めたこともない。ただ、意味もなく魔獣を片端から狩って欲しいと言ったことなどなかろう?」
「そりゃ言われてみれば、そうだけどさ...」
「破邪としての役目に水を差すつもりはなかったのでな」
「...そんなこと、いまのいままで想像したことすらなかったよ。まあ、でも...本当にそうなんだろうな。それを聞いた瞬間に否定したい気持ちがわき上がったけど...落ち着いて考えれば腑に落ちる。人もまた魔獣の一種か...」
「いつどうして、猿に魔力が取り憑いて人になったのやら、あまりにも遠い昔のこと故、誰にも分からんがな。そこからエルフや人間や諸々の種族に枝分かれしていったのは、祖先が取り込んだ魔力の差かもしれん」
「じゃあ人と魔獣の戦いは、元の種類が違う獣だった魔獣同士の、ただの勢力争いだってことか?」
「それで別に悪くはなかろう? あらゆる生き物は、それこそ森の木や草ですら常に勢力争いをしている。むしろ、生きるとはそういうことだと言っても良い」
「そうだな...うん、なにかを喰らって生きていくって言うのは、実際そういうことだもんな...好き嫌いは別として腑には落ちる」
「そういうこともあって、この件をお主に伝えるのは、もっと後の方が良いと考えていたのだがな、あの城砦での出来事を知れば、そういう訳にもいかぬ。お主はあそこで、二十匹近いブラディウルフを屠ったであろう?」
「ああ。単独行動するはずのブラディウルフやアサシンタイガーが統率の取れた集団で襲い掛かってきた。まあ、エルスカインの管理下にあるんだから当然だとも考えたけど。それにしても...俺の産みの母親を襲ったのもブラディウルフの群れだったとは...」
俺の母親を襲って、父親と出会う切っ掛け、言い換えれば俺が生まれる切っ掛けを作ったのが、あのエルスカインの一味だったとすれば、なんとも皮肉な話だ。
運命の糸と言うか、争いの連鎖というか・・・
俺が破邪になったことは偶然だ。
魔獣を討伐してくれた、あの日の師匠の姿を見ていなければ、俺は破邪になろうとはしなかっただろう。
じゃあ、あの森に魔獣が来なかったら、俺は父親の跡を継いで村の狩人になるか、村娘の誰かと結婚して農夫にでもなっていたんだろうか?
そして、俺の父さんと母さんは、本当に『運悪く』迷い込んできたプラディウルフに殺されたのか?
もちろん俺の勘も思考も感情も、すべてが『違う!』と叫んでいる。
恐らく、俺の父さんと母さんもエルスカインに殺された。
二人を襲ったブラディウルフは、父さんと母さんを狙ってきたのか?
それとも俺を狙ってきたのか?
考えるまでもないな・・・
俺にとっては見たこともない母親だが、シャルティア・レスティーユの血を引いてる子供を始末する為だろう。
俺の十歳の誕生日。
箱と父親の印。
消えた手紙と家紋のペンダント。
そりゃあ、なにかが繋がってるに決まってるよな?
むしろ父さんと母さんは、俺に巻き添えを食らったんだ。
・・・・ちくしょう!
思考が澱む。
自分の中に暗い情念が浮かんでくるのが分かる。
くそっ! くそっ! くそっ!
俺自身が魔物を生み出してしまいそうだ・・・
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ふと、さっきから手に持ったままだった背負い袋に目がいった。
紐が緩んで開きかけた口の中に、柔らかな山羊毛の布地が見えている。
そう言えばパルミュナの毛布、俺の背負い袋に突っ込んだままだったな・・・
まあ、精霊界では使う必要も無いか。
ちょっとだけ、この場でパルミュナに横にいて欲しかったかな?
気弱になった時に、妹に側にいて欲しいと思っちゃうなんて、ヘタレな兄貴だよな・・・
でも、いまの俺にとってパルミュナは、たった一人のリアルな家族なんだ。
俺は無意識に、もう片方の手の指でその毛布に触れていた。
何故か、すっと心が落ち着く。
仄暗い感情が・・・怒りが、憎しみが、復讐心が、後悔が消えていく。
今となってはどうしようもできない、不条理な運命のいたずらに対する憤りが消え去り、俺の心には一つの明快な事柄だけが浮かんでいた。
『必ずエルスカインを倒す』
・・・でもこれは復讐なんかじゃない。
勇者として・・・人にとっても、それどころか使役される側の魔獣たちにとっても、あのエルスカインは害をなす存在だという確信がある。
魔力の奔流の乱れを利用してなにをやろうと企んでいるのかは分からないが、それが世界にとって良い方...精霊流にいえば楽しい方に向かうとはとても思えない。
ならば、それを刈り取るのは勇者の役目だろう?
「落ち着いたか?」
アスワンが問いかけてくる。
「ああ。パルミュナのおかげだよ。礼を言っておいてくれ」
「そうか? まあいい。さすがは強き魂の持ち主だ。仄黒い思いが浮かびかけたとはいえ、一瞬たりともそれに囚われることはなかった」
「どうだろう? 自分ではよく分からないや。どっちかというと囚われかけてたような気もするよ」
「自分の強さに溺れぬのは良いことだろうよ。さて、儂から直接お主に伝えたかったことというのはこれだ」
「うん、理解したよ。俺は必ずエルスカインを倒すつもりだ。それはきっと、魔力の奔流が乱れ始めているこの世界を、少しでも明るくすることに役立つと思う」
「明るくか? はっ! お前さんもすっかり精霊流の視点が身についたようだな。これはやはりパルミュナを褒めるべきか...?」
「ああ。ところで、パルミュナはまたこっちに戻ってこれるのか?」
「あやつには少々頼みたいことがある。引き戻したのは嫌がらせではなくそのためだからな。次にパルミュナと顔を合わすのは、その進捗次第だが、遅くともお前さんが王都に着くまでには済んでおろう」
「分かった。まあ、よろしく伝えておいてくれ。そうだな...『俺も楽しかった』と」
「そうか...うむ、ではまたな」
そう言うと、アスワンはまるで地面の中に沈み込んでいくかのように箱の中に引っ込み、一人きりになった俺だけが街道に残された。