水蒸気爆発
脳内に聞こえてくるのは、幻聴じゃ無い本当のシンシアの声だ。
謎の魔道具を片付けたことで、指通信が復活したんだな・・・
その事には一安心なはずだけど、シンシアの声のトーンが切羽詰まっているように思えて、逆に一気に不安が高まった。
< シンシアか、どうしたっ? >
< やっと繋がりました! ずっと呼びかけてたんですけど精霊魔法の侵蝕で通話を妨害されてたみたいです >
< そうか。さっき最後の魔道具を片付けたところだ。もう侵蝕魔法は止められたと思うけど、まだ敵は残ってる。なにか次の手が来るかもしれんから絶対にコッチには来るなよシンシア! >
< えっと、もう来てます! >
< えっ? >
< と言いますか、空から液体金属の塊が見えてます。今すぐ、そこで止まってください御兄様! >
< ここで? >
< 停止しますわシンシアさま! >
俺が意味を考えるより先にマリタンが返事をして、銀の泡を急停止させた。
全速力だった泡の中でつんのめる俺を、マリタンは即座に銀幕のクッションを膨らませて受け止めてくれる。
今日は凄い技の連発だなぁマリタン。
< どういうことだシンシア? >
< そこで待ってて下さい御兄様、いま敵陣を片付けます!>
< おい? >
シンシアの言葉が響いた次の瞬間、頭上を火の玉が駆け抜けた。
マリタンが銀の泡を調整して部分的に透けるほど薄くすることで視界を確保してくれているけど、それが無い部分でも光が透過してきたのだから相当な高熱だろう。
まさに白熱の『火球』って感じだ。
これは一体?・・・
あっそうか、シエラの放ったブレスだな!
以前にルリオンで俺に向かってブレスを放ったデカいワイバーンがいたけど、アレがこんな感じの『火球』だった。
これまでシエラを戦闘に参加させたことは一度も無かったから、シエラのブレスを見るのは初めてだ。
一拍の後、轟音と共に銀の泡が大きく揺れる。
いまはその火球は真正面の頭上に位置し、凄まじい勢いで膨張していた。
ちょうど敵の本陣とおぼしき場所の真上だろう。
どうやってるのか分からないけど、ブレスを敵の本陣に打ち込んだのでは無くて頭上で爆発させたのか?
それで俺が敵本陣に乗り込む前に止まらせようと焦ってたんだなシンシア。
< 御兄様、敵陣の上空でシエラのブレスを破裂させました。恐らく地上にいた兵士達は、その轟音と衝撃で気絶しているはずです >
< 凄いなシンシア! >
< いえ、それほどでも...このまま敵の上空に上がって偵察します >
三つ目の陣地を出る時に金属棒の雨あられがピタリと止んだことから、敵の本陣から新たな攻撃が繰り出されるんじゃ無いかと心配したけど、この状況なら正面から乗り込んでも問題なさそうだ。
< しっかし、ワイバーンの火球を空中で破裂させるって、一体全体どうやったんだシンシア? >
< ルリオンで御兄様がワイバーン軍団の放ったブレスに石つぶてを撃ち込んで、空中で破裂させたのを見ていましたから、それを真似たんです >
< あぁ、アレか >
< 私には石つぶてが扱えませんから、その代わりに水魔法を火球の中心に撃ち込みました >
< 水を? >
< 水です >
< なんで火に水を掛けても消えずに破裂するんだ? >
< 以前に御兄様が教えてくれたじゃないですか。大量の水の中に高温の火が入ると破裂することがあるって >
< そうだったっけ? >
< それがヒントになって、御兄様がルリオンで火球を吹き飛ばしたのと同じようなことを出来るんじゃ無いかと...以前サラサスからラファレリアまでシエラと旅した時に、無人の荒野で魔法を実験してみてたんです >
大人しく野営してるのかと思ったらそんなことやってたのか。
どうりで、転移門でルリオン王宮に戻ってくる頻度がダダ下がりになってたワケだよ・・・
< その話を先生にしたら、『水蒸気爆発』って言うんだよって教えて下さいました。物凄い高熱で水が気化...蒸発して空気に溶け込むことが一瞬で起きると、爆発になるんだそうです >
< さすがパジェス先生は物知りだな! >
< 御兄様だって物知りですよ >
< 俺は経験として知っていても、その原理は知らないってコトも多いからね >
シンシアとそんな会話をしている間に、敵の『本陣』が間近に迫ってきた。
だが、こちらに向けて何か攻撃的なモノが向けられる気配は無い。
物理的にも、魔力的にも。
< シンシア、上空から見た敵陣の様子はどうだ? >
< 倒れている兵士達が大勢見えます >
< なにか動いてるか? >
< みんな気絶しているみたいですし、魔力の高まりとか変な気配のようなものもありませんね。シエラと一緒に不可視にしていますから、少し高度を下げて見てみましょう >
< いや、そのまま上空にいてくれ。どのみち俺が間近で見ないことには判断が付かないから >
< 分かりました御兄様。ここで旋回しながら周囲を見張っています >
念のためにシンシアとシエラには上空から見張っていて貰い、俺とマリタンは敵の本陣に近づいた。
周辺に動くモノの気配は無い。
陣地と言っても本格的な戦の為に構築したようなモノじゃ無いから、武器や資材を入れてきた木箱・・・中身はあの金属棒や、それを射出するための魔道具なんかだろう・・・を伯父上の屋敷がある方向に向けて積み上げただけの防壁だ。
「見事に全員、気を失ってるみたいだなマリタン。確かに轟音だったけど、水蒸気爆発ってのは衝撃も凄いんだな」
「それもあるけど、さっきのシンシアさまの攻撃って精神衝撃波みたいな魔法も混ぜられてたわよ。その効果も大きいんじゃ無いかしら、ね?」
「なにそれ?」
「ワタシも良く分からないけど、人の精神に打撃を与えるタイプの魔法だと思うわ。ほら、いつぞやの転移門の罠で魔道士達を放り込んだ檻に、そういう魔法が掛かってたでしょ?」
「あったなぁ、そういうの!」
「恐らくシンシアさまは、エルダンのアレを参考にされたのだと思うわ」
「なるほど」
「人族じゃ無いワタシや、半分が大精霊みたいな兄者殿にはなんの影響もないでしょうけれど、普通の人族ならしばらく気を失ったままじゃないかしら」
それは好都合だな。
怪我をして苦しんだり呻いたりしている連中を横目に見ながら陣地の中を探るより、よほど気楽だもの。
陣地の中には倒れている大勢の兵士達以外に、用途不明の魔道具や資材が沢山置かれていた。
さっきの三カ所の陣地も含めて、精霊結界の対策にこれほどの物資と人員を一気に運び込んだのだから、間違いなく付近に転移門があるだろう。
本当は、この本陣こそ敵の転移門が開かれた場所じゃ無いかと想像していたのだけど、ここに『橋を架ける転移門』は無かった。
< シンシア、もう降りてきても大丈夫だと思う >
<はい御兄様 >
< ただ、敵が現れたと思える転移門はここに無かったよ。上空から気配を探せるかな? >
< さっきから範囲を広げて観察しているのですけど、もっと低空に降りないと厳しそうです。すでに転移門自体が破壊されて機能停止している可能性が高いですし...それにエルスカインらしいやり方でしたら、秘密保持のために戦闘と転移門の運用は人員も分けているのかも知れません >
< 兵士達はレスティーユ侯爵家の正規兵だよ。転移門なんて生まれて初めて入ったんじゃ無いかな? >
< そうだとすれば...もしかしたらですけれど、仮に御兄様への襲撃が成功していたとしても、兵士達が故郷に戻ることは無かったのかも知れませんね >
< えっ?! >
< だって『橋を架ける転移門』の存在はエルスカインの重要機密の一つですよ? 精霊の防護結界を侵蝕してきた魔道具も謎ですけれど、そういった秘密を知った兵卒達をそのままにしておくとは思えません >
< うわぁ...でも、きっとシンシアの言う通りだろうな...>
人族の兵士と言えど、恐らくエルスカインにとっては魔獣と大差ない、使い捨ての道具なのだ。
今回の攻撃はコンスタン・レスティーユ侯爵が指揮を執っているはずだけど、きっと彼も似たような思考の持ち主だろうし、仮にそうじゃないとしてもエルスカインの意向に逆らえるはずも無い。
転移門を動かした魔道士だけがエルスカイン直下のホムンクルスで、恐らくそいつは戦闘開始と同時にサッサとレスティーユ城に逃げ帰っているだろう。
他の戦闘要員達は捨て駒ってワケだが・・・
残酷なエルスカインのことだ。
戦闘終了後に兵士達を『始末する』手段も、ちゃんと用意してあったに違いない。




