銀のパイプ
糸を摘まんでいる指を離しても、革袋の口から細い銀の糸がぶら下がっているまま・・・
なんとも不思議な光景だ。
いままで、こんな中途半端な状態を試したことは一度も無かったけど、しっかりイメージすれば出来るもんなんだな。
「これで革袋の中に、パルレアの部屋を擬似的に再現できたってことだな」
「正直に言うとね、姉者殿に新しい部屋を作って貰うのじゃダメだって理由がワタシには良く分からないのよ」
「ああ、マリタンはあの話を聞いてなかったな」
「なあに?」
「パルレアの部屋は、パルレアが中にいて制御しないとダメなんだよ。それに、アレは僅かにとは言え内部で精霊界と繋がってるからな。そもそも今回の目的には使えないんだ」
「その辺りの理屈がホント理解できないわ」
「そりゃあマリタンも『精霊界』のことは専門外だもんなぁ。もっとも『人族の魔法』と『精霊魔法』の両方を繋ぎ目無しに、しかもダブルで使いこなすシンシアの才能が異常とも言えるけど」
「そこは同意するわよ?」
普通に考えれば、銀の枝だろうと糸だろうと他の媒体だろうと、魔法障壁を通り抜ける時に魔力は遮断されるはずだけど、以前にエルダンを探った時に『二重転移門の事故』で、エルスカイン配下のホムンクルスが次元のズレの中に取り込まれてしまったことを思い出したのだ。
あの時、パルレアとシンシアは次元のズレを内包した結界の中に銀ジョッキを送り込んで、役目が済んだら引き出した。
今回、シンシアが考案した手法はあの状態を模倣して、魔力を通したまま魔法障壁を抜けられるように『銀の枝』に改良を施した。
ただし障壁の境界面の外側から銀の枝を押し込むことは出来ない。
それだと障壁が機能してないのと同じ・・・あるいは、魔法障壁を貫通できる魔道具が存在するって話になってしまう。
あくまでも、現世では無い空間の内側から俺の手で銀の糸を外に引き出す必要があったから、第一段階の実験が必須だったワケだ。
まぁ正直、『次元のズレ』云々って話は何度聞いても良く分からないので、まるっとシンシアにお任せであるが。
ともかくコレで、革袋の中に外と同じ時間が流れている空間が確保できた。
その中では普通に魔法も動くし、革袋の中の他の物体やらなんやらとは、まったく干渉もしない。
さらに・・・
次のステップが俺が考えたアイデアの最後のキモだ。
これが実現できないようだったら、ラファレリアの人々を見殺しにしてでも殲滅戦に挑むことになるかも知れない。
まぁ俺の命はどうなっても、なんとかシンシアとパルレアは生き残らせたいけどな・・・
「じゃあ第二段階だマリタン。この『銀の糸』を通じて革袋の中に魔力波を伝達できるかどうか、だな」
「もう出来てるわ」
「はやっ!」
「だって、この液体金属の糸が魔力波を障壁の内側に届けてくれてるもの。兄者殿が糸を引き出した時、すぐに繋がったわ」
「それもそうか」
「これで外からでも制御盤や障壁の内部にある魔道具を自由に操作できるわ。兄者殿の手と同じように、ね。ついでに目玉を内部に送り込めば視覚的にも把握できると思うんだけど...」
そう言ってマリタンが再び銀ジョッキから『銀の枝』を伸ばし始める。
銀の枝が進む先には俺の革袋から垂れ下がっている『銀の糸』があり、マリタンはそれを絡め取るようにして『銀の枝』の先端で包み込んだ。
「じゃあ試すわよ?」
「おう、やってくれ!」
見る見るうちに、『銀の枝』の先端部が絡まっている『銀の糸』が太り始めた。
膨らむと言うよりは、文字通りに糸が『太く』なっていくのだ。
「いけそうか?!」
「ええ、ちゃんと魔力が通っている感触が途絶えないわ...このまま糸を膨らませて...そろそろ目玉を送り込んでも大丈夫かしら」
マリタンが銀ジョッキに内蔵している『銀の枝の目玉』を動かしていくと、その移動に伴って銀の糸が部分的に更に膨らむ。
要は銀の糸をパイプの代わりにして、革袋の中の障壁空間へ目玉を運んでいるのだ。
「真っ暗ね...ワタシの照明が必要かしら...あっ、見えたわ!」
「おおっ!」
「ちゃんと制御盤と障壁発生蔵置が見えてるわ兄者殿!」
「やったなマリタン! 大成功だ!」
そう言いつつ、思わずマリタンを勢いよく頭上に掲げる。
「なんの真似よ兄者殿?」
「ハイタッチの代わりだよ。いまのは、マリタンに手があったら絶対に二人でハイタッチしていたシーンだ」
「そうね、人はそんな気分になるの、ね? 銀の枝が空いてたら手のカタチを作ってハイタッチにお付き合い出来たのだけど」
「その気持ちで十分だよ」
革袋の中に存在している上に更に魔法障壁で囲まれている本来は周囲と隔絶した空間であるにも関わらず、シンシアとマリタンとパルレアの技巧と頭脳が、この仕掛けを可能にしてくれた。
もちろん俺自身だって、可能なコトだと思ったからこそ皆に提案したアイデアだけれど、それを本当に実現出来たのは三人の力だ。
「兄者殿、これから銀の糸のパイプを広げるわ。革袋の口いっぱいくらいに、よね?」
「ああ、そんな感じで頼む」
最初に引き出した時の絹のような細糸は、銀の枝と融合した時点で凧糸ほどの太さになり、さらに目玉を送り込んだ時点では『細めのロープ』位に成長していたけど、いまはそれがさらに太く、俺の手首ほどになりつつある。
そして、この銀の糸はただのロープでは無く、さっき目玉を送り込んだように『パイプ』として機能するのだ。
「兄者殿、これくらいでいいかしら?」
「まぁ十分だろ。革袋は『出入り口』さえ開いていれば、入れるものの大きさは関係ないからな。入れるモノの大きさで変わるのは出し入れで消費する魔力量だけなんだ」
「ホントに便利よねぇ...」
「正直、この革袋が使えなくなった後は、旅をするのが恐ろしく面倒に感じるだろうな」
「使えなくなるモノなの?」
「前にも言っただろ。勇者の力を大精霊に返したら使えなくなるはずだよ」
「でも、どうして力を返すのよ?」
「どうしてって...いつか勇者を続けられなくなったら、返すのが当然だろ。それに俺自身、ヨボヨボの爺さんになるまで続けられると思ってないし、そうで無くても、いずれシンシアと結婚したら普通に子供が欲しいって言うか、落ち着ける家庭が欲しいからな」
「確かに、日々闘いながら諸国の旅を続ける『子連れ勇者』なんて...いえ、シンシアさまと三人だから『家族勇者』なのかしら? どっちもイメージが湧かないわねぇ」
「だろ?」
「と言うか実際は、いまの面子に赤子が一人プラスされるだけよね。まぁベビーシッターの手には事欠かないわ」
「それで行く先々で『アットホームな勇者一行です』って自己紹介するのか? なんだか胡散臭いぞソレ」
「勇者って言うよりも『旅芸人の一座』みたいだわ。メンバー的にも...」
なぜかマリタンとは、いつも気の抜けた会話になるな。
「兄者殿、このあたりで馬鹿話は切り上げていいかしら? そろそろ『パイプ』を開くわよ」
「おま! その言い方って、まるっきり俺が馬鹿話を主導してたみたいじゃね?」
「いいから。ハイ開いた!」
緊張感の無いマリタンの宣言と共に、革袋の口を塞ぐほどに膨らんでいた『銀のパイプ』が口を開いた。
まるで革袋の口から銀色の『水差し』が飛び出てるような感じだな。
開く直前にマリタンは銀の枝との物理接続を切っていたので、いまこのパイプは波動回路を通じて受け渡した魔法で動いているはず・・・
恐る恐る銀パイプの内側に手を差し込んでみると、俺の脳裏にもさっき取り込んだ制御盤や障壁発生装置の一式が知覚できた。
これは凄い。
途中で途切れる感覚も無く、スムーズに現世から革袋の中の空間へと知覚が移行している。
「おお、完璧だ!...」
「これで今日の実験は成功ね、兄者殿」
「上出来だよ」
「まぁ正直に言っちゃうと、これでホントに兄者殿の思ってる通りにコトが運ぶかどうか、はなはだ不安なのだけれど、ね?」
「だけどマリタンは、『銀幕』の方だって上手く造れてたじゃないか。特に問題は無かっただろ?」
「構造じゃ無くってサイズが問題だわ。昔から『量の違いは質の違い』って言うものなのよ兄者殿...パジェス邸の庭でやった実験で上手く行ったからって、その数十倍の体積の液体金属をコントロール出来るかどうかは確信できないの。それに事前のテストが出来ないからブッツケ本番なのよ? 不安に思わない方がどうかしてるわ」
「失敗したらマリタン以外は、全員あの世行きだからな」
「嫌なコト言わないで!」
今回の俺のプランでは、毒ガスを防ぐ手段は全面的にマリタンの魔法に依存することになるからな・・・
マリタンが不安に思うのも仕方ない。




