<閑話:二組の夫婦の子供 -2>
俺が黙って先を促すと、シャルティアが言葉を繋いだ。
「ですので、いったんクライスとリリルアにこの子を託そうと思います。南岸の港町へ向かう途中で別れ、ランスさまと一緒に何処かの地へ逃れて貰えれば、そこで二人が所帯を持つことも出来るでしょう」
「は?」
「ランスさまには父親としてこの子が安全な場所に逃れるのを見届けて欲しいのです。仮に追っ手が出ても、わたくしが一人で南方大陸へ渡れば、そちらへ引き付けることが出来るかもしれません」
シャルティアの考えは俺の予想と細部が違っていた。
まさか、そう来るとは・・・
「いやいやいや待て待て待て。一人で死ぬ気なのかシャルティア?」
「もちろん、むざむざ死ぬ気はございませんが、我が子を道連れにはしたくありません」
「それはもちろんそうだろうが、一人で追っ手を撒きつつ南方大陸へ渡るだと? 死ぬに決まっているだろう。俺は我が妻が死地に赴くのを黙って見送るつもりは無い。それに身も蓋もない言い方かもしれんが、お前と離れれば、この子に危険が及ぶことは無いと思う」
「ですが...この子を二人に押しつけてしまうことになってしまいませんか?」
もしも追っ手が掛からなかったとしても、貴族育ちの姫様が一人で南方大陸に渡って生き抜けるなぞ、そもそも有り得ない話なのだ。
どこぞの貴族の愛人にでもなれば庇護を受けられるかもしれないが、彼女がそれを良しとしないだろうことは分かる。
「むしろ、あの二人が夫婦としてこの子を引き取ってくれるなら、それがこの子にとっても、あの二人にとっても最善の策だと思う。さっきお前が言いかけたように『シャルティア姫を守る以上に大切なこと』は、俺たちの子を育てる以外に無いだろうからな。あの二人は俺がこの子と一緒と分かれば、お前の側を離れることを固辞し続けるだろう。あの二人も俺と同じだ。お前を一人で死地に見送るなんて出来やせんよ」
「わたくしも...頭で分かってはいるのですが...」
「それにフルーモアには街の中でも山の中でも十分に生活していく能力があるし、リリルア嬢もしかりだ。俺が居ずともちゃんとこの子を育ててくれるだろうし、それに俺自身としてもこの子には普通の人生を送って欲しい」
「ええ...」
「俺も産まれたばかりの我が子と離れるのは辛いが、そのためにお前を見捨てることなんか出来やしないし、あの二人に幸せになって欲しいと願う気持ちは同じだ。この先を皆が無事に過ごせる選択は、それ以外に無いと思う」
シャルティアは黙り込んだ。
理屈では分かっていても、我が子を手放すことに心が張り裂ける思いだろう。
俺だって同じだが、三人が・・・我が子と、フルーモアと、リリルア嬢が・・・この先を幸せに生きられて、かつシャルティアを死なせないための選択はそれ以外に無い。
その後もしばらく黙っていたシャルティアは、ようやく顔を上げてしっかりとした声で言った。
「わかりましたランスさま。この子は...ライノは...二人にクライス家の子供として育てて貰うことに致しましょう」
きちんとした判断の出来る妻で本当に良かったと心から思った一瞬だった。
我ながら傲慢な受け止めようではあるが・・・
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「夕暮れ時でもこの風なら、しばらく風が止むことはあるまい。もう随分と暑くなってきたし、思っていたよりも早くタブルークに着きそうだな」
ミレーナ王国の港町ロレンタから南方大陸に向かう交易船に便乗した俺とシャルティアは、舷側の手摺りに寄りかかって船が向かう先の海を眺めていた。
天気は良くて水平線まで見通せるが、その先にあるはずの陸地はまだ見えては来ない。
「そうなのですか? ランスさまは本当になんでもご存じなのですね!」
「バカなことを言わないでくれシャルティア。俺が知っているのは大したことでは無いし、単に以前のお前には縁が無かった事を知っていると言うだけだ。逆に俺は、高度な魔法や魔導技術のことはもちろん、貴族の世界やエルフの暮らしぶりについては何一つ知らないと言って良いのだからな?」
なにしろ俺が育ったのは人間中心の国であるエドヴァルの中でも、さらに田舎の方だったので、エルフ族は『見掛けたことは何度もある』という程度で、自分自身の知己には一人も居ない。
「それは確かに...しばしば『世界は広い』と言われるのは土地の広さのことではなくて、『まだ知らないことで満ちている』という意味なのでしょうね」
「さすがシャルティアの言い回しは深みがあるな!」
「お戯れを。それこそ今し方の会話と同じですわ。わたくしにとってはランスさまの言葉こそ思惟に満ちております」
「そうか?」
「世辞では無く、わたくしが心に刻んでいるランスさまの言葉がございます。『他の何を持っていても、心が折れた瞬間に全てが終わる』と」
「ああ、確か出会った時にそんなようなことを言った記憶があるな。あの時は勇気づけようとして口にしたが、いま改めて人の口から聞くと小恥ずかしい」
「そんなことはございませんわ。わたくしは...いえ、クライスもリリルアも、あの言葉で奮起できたのだと思いますから。生き延びるために何より大事なのは意志であると...生き延びようとする意志こそが命を繋ぐと...それに、あの言葉が無ければランスさまをお慕いするようになった気持ちさえも、自分の中で押し殺していたことでございましょう」
「そうだったか」
「意志こそが命を繋ぐと思ったからこそ、わたくしはランスさまの子を授かって未来へ命を繋ぎたいと欲したのですよ?」
「少々、気恥ずかしい思いもするが、それ以上に嬉しい。これから俺たちがどうなるにせよ、きっとフルーモアとリリルアは俺たち二人の命を未来へ繋いでくれるだろうからな」
「ええ、必ず...」
相談の末、我らが子のライノはエドヴァルの田舎、ロンザ侯爵領のとある地域でフルーモアとリリルア嬢に育てて貰うことになった。
俺自身の故郷というわけでは無いのだが、しばらく過ごしたことがあるし最近も立ち寄ったので、付近の様子はおおよそ分かっている。
それに、俺が破邪となった切っ掛けの師匠の居場所にも近い。
南部大森林に入って以来、シャルティアは身に着けていた『レスティーユ侯爵家の家門入りペンダント』・・・いわば貴族の身分証のようなものだ・・・を外して仕舞い込んでいたのだが、それを手紙と一緒に二人に渡してある。
もしも将来、二人がライノに出自の真実を教えた方が良いと思った時は、シャルティアが事情を綴った手紙とペンダントをライノに渡してくれと頼んだのだ。
ただし、もしも真実を教えない方が良いと二人が思った時は、そのまま何も教えなくて構わないとも伝えた。
仮に教えるとしても十歳までは黙っていて欲しいとも。
これは、幼子に理解できない負荷を掛けたくないと考えたからだが、もしもフルーモアが喋りたくなったらそれでも構わないと内心では思っている。
それに俺自身の破邪の証である『魔銀の印』を預けて、俺の師匠の伝手を教えておいた。
出自云々は関係なく、もしも困ったことが起きたら俺の『印』を持って尋ねていけば、師匠は必ず相談に乗ってくれるだろう。
俺の師匠筋は頼りがいのある連中ばかりだから、少々のことならなんとかなるはずだ・・・
「ところでランスさま。タブルークに着いたらまず服を買うのだと仰っていましたが、この服では何か不都合があるのでしょうか?」
シャルティアの服装は逃避行を始めた時の『寝間着とローブ』から始まって、途中で手に入れた村娘の服や街娘の服を経て、ロレンタで乗れそうな船を探す前に『商家の娘』風の衣装へと変遷している。
ただの街娘が南方大陸へ渡る交易船に乗ろうとするのは不自然だからな。
幸い、貴族家で育った彼女は魔法や学術全般において恐ろしいほど豊富な知識を蓄えていたので、大商人や魔法使いの類いと話してもなんら引けを取らない。
むしろ往々にして勝っている。
そこで俺たちは、『商家としての独り立ちに伴って、新しい魔法素材や魔道具を南方大陸に買い付けに行く』ということにしたのだ。
そんなわけで俺も着慣れた破邪の装束を捨て、商人風の装いにしている。
我ながら似合ってないというか、ぎこちない感じがするのだが素性を隠すためには致し方ない。
それに破邪の印はクライス夫妻に預けてしまったから、むしろ破邪の装いを続けていたらトラブルを呼び込んでしまうだろう。
「港に降りてすぐは問題ないだろうが、タブルークから更に先へと進むとなれば、外国人の服装は目立ちすぎるからな。出来るだけ現地の人々の服装に合わせた方がいいだろう」
「確かに仰る通りでございますね。郷に入れば郷に従うべきでございましょう」
海を見つめながらそう言ったシャルティアは、それから不意に振り向いて真っ直ぐに俺の目を見る。
「ランスさま、もしも、もしも、わたくしどもが安住できる地が見つかればの話ではございますが...」
「なんだ?」
「シャルティアは、是非とも二人目のお子が欲しゅうございます」
おぉぅ・・・
いや、気が早いとは言うまい。
もちろん、ライノの事を忘れるためでも無い。
これこそ彼女が先ほど口にした『自らの未来を繋ぐ意志』を保ち続けるという決心なのだから。




