箱と革袋
「おい、なんでアスワンは、俺たちがこっちのルートを通るって知ってたんだ? 養魚場や採掘場を見ていくって話になったのは、ほんの数日前だろう?」
「アスワンだからねー。たぶん、アタシたちが通りそうなルート全部に箱を置いてると思うなー」
「やることがダイナミックだな...じゃあ、仮に俺たちが南北の本街道を歩いてても、今頃やっぱり箱を見つけてたってことか?」
「たぶんねー。アスワンだしー」
褒めてるのか投げやりなのか、微妙な口ぶりだな。
「パルミュナ、お前が箱を開けてくれ」
「ん? なんでー?」
「なんか、嫌な予感がする」
「なにそれー! 嫌な予感のする補給ってなによ。今回は金貨よ金貨。マジで。っていうかー、嫌な予感がするからアタシに開けさせるって、どーゆーことー?」
「いや、石つぶてを飛ばす練習でかなり魔力を消費してるんでな...まあ冗談はともかく、魔力的に俺が開けた方がいいのか? 逆にパルミュナなら箱から魔力を補給できるのかとも思ったけど...」
「世界を繋ぐ扉を開くとき、出し入れする中身に応じて魔力を使うのは人も精霊も同じだよー。ただ、確かにアタシたちなら、箱から精霊の世界にもどって力を取り戻せるけどねー」
「ああ、そういうことか。じゃあやっぱり俺が開けるよ」
「ううん、アタシはアスワンと違って親切な大精霊だからねー。お兄ちゃんの言うことはちゃんと聞く、心優しい妹なのさー」
そう言ってパルミュナはスキップするように箱に近寄り、縁に両手をかけてよいしょっという感じで持ち上げる。
「随分な言い草だな? パルミュナよ」
箱の蓋を開けたパルミュナの前には、最初に出会ったときと同じように、渋い中年の大賢者姿に戻ったアスワンが立っていた。
「アスワンっ!!! アンタなにしてくれてんのよー!!!」
アスワンはヘナヘナと崩れ落ちるパルミュナを軽々と掴みあげると、ひょいと箱の中に引き摺り込んだ。
「ちょょーーーーーーーー」
山彦のようなエコーを残しながら、パルミュナの声が遠ざかっていく。
「ほれ」
呆然として立っている俺に、アスワンは布袋を手渡してきた。
受け取ると、予想外にずっしりと重くて、思わず袋を取り落としそうになる。
見なくても分かるけど、これ結構な枚数の硬貨だな。
「なあ、これ、うっかり俺が蓋を開けてたら全魔力を吸い取られて死んでたんじゃないのか?」
「よく見てみい。足元に小さな魔法陣があるだろう。そこを踏んだのがパルミュナだったからな、開けるのもパルミュナだとわかる。もしお主が開けていたら、儂は普通に自分の力だけで出てきておったわい」
「どっちにしても出てきてたのかよ」
手の込んだことを・・・
なんでこう精霊ってのは悪ふざけっていうか、人を揶揄うのが好きなの?
やっぱり勇者ってのも、ただの壮大な悪戯の一環だったりするんじゃないだろうな?
それに慣れてきた気がする俺も大概だが・・・
「ほっほっほっほ、残っていたパルミュナの魔力もほとんど使い切ったが、その代わりに、ほれその通り金貨もザクザクだ」
賢者の割に意外とえげつないこと言うなアスワン。
「それにしても、なんでわざわざ出てきたんだ?」
「しばし精霊界にパルミュナを引き戻す必要があってな。あやつの場合、説明して納得させるよりもこうした方が早い」
あー、うん、まあ。
なんとなく分かると言うか・・・
「それに正直に言えば、お主が精霊の視点を手に入れるには、もっともっと時間が掛かるだろうと思っていたのだがな...思いのほかパルミュナの教え方は良かったようだし、これから他の魔法もどんどん身についていくだろうさ」
「是非、そうあって欲しいよ」
「心配はいらん。本当は、王都に着くまで数回は箱を出す必要があると思っておったのだがな。どうやら、その必要は無さそうだ」
「ん? と言っても、俺の魔力量じゃあ転移魔法や空間操作の魔法を使うのは厳しいんだろ? あの時からそんなにホイホイ魔力量が増えたとは自分でも思えないよ?」
「まだ自力で使うのは無理だな」
「じゃあ他力前提で」
「うむ」
「うむって...肯定なのか?」
「この箱と同じようなモノだ。お主は箱の中には入れぬが、すでにパルミュナを無事に引き出せるほどの魔力はある」
「あれは死ぬかと思ったぞ?」
「まあ、少し死にかけたかもしれんな」
「おい?」
「ともあれ儂の予想より成長が早い。お主自身の魔力を術の駆動には消費せず、制御だけに使うならそれなりのことができるだろう。なので、これを使うと良い」
アスワンはそう言って俺に革袋を寄越した。
「これを渡したかったというのが、儂が出てきた理由の一つだ。平たく言えば箱の代わりだ」
「この革袋がか?」
「袋の口を開けて手を入れてみろ」
そこまで言われれば、次になにが起きるか想像は付く。
きっとこの軽い革袋の中には、実は金貨がザクザクと・・・入っていなかった。
「空っぽだな」
「そうだ、空っぽだ。というか、お主、すでに肘まで手を突っ込んで袋の中を探っておるぞ?」
言われてみれば、この袋の深さは俺の水筒と大差ない。
外見からすれば肘まで中に入るはずはなかった。
「おおうっ!」
「そういうことだ。察しは付いたであろう?」
「この袋自体が空間魔法のようなモノなのか...」
「それがあれば、儂らに頼らなくても自分の手で好きなモノを出し入れできる。いま、お前さんが背負っているような荷物はもちろん、武器でも金貨でも食料でも、好きなモノを好きなだけ入れて持ち歩くがいい」
「この袋の中が精霊たちの世界に繋がってるとか?」
「いや、その模倣というかミニチュアのようなモノだな。その袋の中の世界は、その袋だけで完結しておる。だから、この箱と違って位置を決めておく必要がないし、その袋に入れたとて、生き物が死んだりはせんから安心して良い。ただ入れた瞬間にすべての動きが停まるだけだ」
「ならまあ、安心か...でも停まるってどういうことだ?」
「ずっと入れた瞬間の状態のままだと言うことだ。他のものと触れ合うこともないし状態が変わることもない。濡れたものを入れたら出したときも濡れたままだし、逆もしかり。食い物を入れても腐ることなどないので心配無用だ」
「生肉を入れても大丈夫っていうなら、有り難い」
それだったら、おれの行動中の食生活は、飛躍的に改善されるって言うか、エドヴァルの家にいたときよりも豪華に出来る。
残る問題は・・・
俺の料理の腕前だけかな?・・・
アスワンは、俺の心の内を読んだかのように続けた。
「人にとって、美味いものを喰うというのは大切なことなのであろう? その袋があれば、旅空でも食べ物の持ち歩きに苦労することがなくなる。お前さんの旅もはかどろうというものだ」
「そうだな...正直ミルシュラントに入って以来、パルミュナに釣られてってのもあるけど贅沢三昧だしな。旅空でもフォーフェン並みの食べ物水準を保てるなら、それだけでも勇者になったかいがあるな!」
「ならば結構。何でもいいが、大きさと重さで使う魔力量が変わるだけだ。入れたいと思うモノを手に掴み、その袋の口に当てて中に入れようと思えばそれでいい」
「実際に袋に突っ込める大きさじゃ無くてもいいのか?」
「お前さんの魔力量さえ足りていれば、それで収まる」
「へえ、そいつはいいな」
「出す時は先ほどのように手を入れ、出したいものを心に浮かべればそれが手に触れるはずだから、ただ手を引き出せばよい。大きさは関係ない」
「ちょっと、いまやってみていいか?」
「無論だとも」
俺は背負い袋を背中から降ろして片手に持ち、その手を革袋に近づけつつ、革袋の中に吸い込まれるようなイメージを頭に浮かべた。
すると、背負い袋が革袋の口に触れるかどうかと言う寸前で、その姿がすっと消えて、手の中が空っぽになる。
そのまま空いた手を革袋の中に突っ込み、入れたはずの背負い袋を思い浮かべると、その背負い紐がしっかりと手に収まった。
袋の中は見えていないはずだが、手のひらに目が付いているかのように、それがそこにあることを認識できている。
そのまま手を引き出すと、ずっしりとした背負い袋の重みが再び手に戻ってきた。
同時に、わずかだが魔力を消費した感覚もあった。
「うむ、さすが一発で成功させたな。出し入れには若干の魔力を消費するが、これで旅はずいぶんと楽になるはずだ」
「ああ、わかった。これは恐ろしく便利そうだ。助かるよ」
「それには儂自身が魔法を組み込んで魔力を封じてある。なので、儂が自分で現世に持ち込む必要があったというわけだ...さて、当面の旅費と革袋を渡したところで本題に移ろうか」
アスワンは、そう言って少しだけ眉を寄せた。