エルスカインの都合とは
俺たちは大結界を阻止することや、その仕組みを解明することに気を取られていたけど、そもそも、なぜエルスカインは急いでいるのか?っていう話だな。
「確かにそうですね御兄様! 明らかに不自然です!」
「それにヒュドラの毒も俺たちに邪魔されて、ラファレリアに撒き散らす量にギリギリで血清を造るには足りないかもって話だし、『獅子の咆哮』をラファレリアまで飛ばすために必要な魔力も、エルスカインが持ってる全魔石に匹敵するかもしれないって事だったな」
「そのあたりを含めて考えると、今エルスカインのやってることは慎重な行動とはとても言えないですよね...」
「ああ。なんでエルスカインが急に慌てだしたのかってのは前にも話したけど、単に予定外の勇者が現れたからだとは思えないよ」
「御兄様を恐れてでは無いと?」
「きっと違うな。これほど心許ない状況なのに、なんで無理矢理にでも『いま』大結界を起動しようとしてるんだと思う? ヒュドラの毒は、二十年ほど待てば日光で分解されるという話だったろ。そうなったらまたヴィオデボラ島に踏み込んで、あの生きてるヒュドラだって利用できるかもしれない」
「わたしは地上に出る前のヒュドラの姿しか見ていませんけど、どうにも気味悪かったですよね。いまはもっと成長しているんでしょうし...出来れば見たくないです」
「気持ちは分かるけどね。ともかく数千年の時を超えてきたエルスカインなら、いま無理に勇者と闘わなくても、俺とシンシアが寿命で現世を去るのを待つことだって出来るんじゃ無いか? 二人とも勇者でハーフエルフだと言っても人の理は超えられないだろう。それからゆっくりと計画を進め直したっていいのに、なんでそうしない?」
「えっと...」
「以前に教えた師匠の言葉だよ。『やればいいと思うことを相手がしないのは、それが出来ないからだ』ってな?」
「つまりエルスカインはなんらかの理由で、いま大結界を起動するしかないのだと?」
「本当に『持ち時間が残り少ない』と言ってもいいかもしれない。でも残りの『時間』って言うよりも残りの『量』が少ないのかもな」
「あっ、高純度魔石っ!」
「そうだよシンシア。あの錬金術師はどんどん節約志向が高まってるって言ってただろ?」
「ええ、確かに言ってました!」
「その一番の理由が、さっきシンシアが推測した水路の触媒魔道具なんじゃ無いかな?」
「きっとそうですね! いったん大結界の井戸や水路に魔力触媒を配置して動かし始めたら、その魔道具は相当な魔力を消費し続けるんだと思います。日々、備蓄を削っているのでしょう」
「俺たちが現れたのは、こと魔石の消費に関してはダメ押しのようなモノかもな。去年までのエルスカインにとっては計算外の存在だし」
「ですよね!」
「エルスカインは俺たちを消し去ろうとした活動で、高純度魔石の備蓄をかなり消費しているはずだ。各地の『橋を架ける転移門』の維持だけでも大変だろうし、あの『ドラ籠』だって相当な魔力喰いだったと思うよ」
「だからエルスカインは、持っている高純度魔石を使い果たす前に、なんとしても大結界の起動を試みるしか無いんですね!」
「俺はそう思う」
「それに、摩耗した魔道具や枯渇した素材をどうやって補充するのかという問題もありますよね。あの老錬金術師も、古代の技術が失われたんのでは無くて、錬成する素材その物が枯渇してると言ってましたし、再現不可能なモノも多いかも知れません。ひょっとしたら、これが一度きりの機会なのかも...」
「かもしれない。とは言えエルスカインは、存在している限り諦めるって事はしないだろうけどね」
「私もそう思います。エルスカイン自身にも、今回失敗すれば次のチャンスは何十年後、何百年後になるか予測が付かないでしょう。高純度魔石を使わずに転移門を動かしたり、大結界を起動したりする魔導技術の開発からやり直す必要が出てくるかも知れません。もっとも、そんな事が出来るかどうかは分からないですけど」
「それでもエルスカインは俺たちの寿命が尽きて現世を去った後で、何百年かがかりで復活して、魔石に頼らない別の方法を編み出すかもしれないし、南部大森林にあった魔石サイロみたいな備蓄を新たに発見するかもしれない。なんにしてもヤツは人じゃない。絶対に諦めないし止まることも無い」
「ええ」
「だからエルスカインが存在し続ける限り、ポルミサリアに住む人々は、これからもエルスカインの見えない手に苦しめられ続けるって事なんだよ。俺たちが生きているうちに、エルスカインその物を滅ぼすしか無いんだ」
とは言え・・・もちろん俺だって、それが『言うは易し、行うは難し』だってコトは承知している。
だけど俺たちにはエルスカイン以上に『後が無い』のだ。
もしも大結界の起動を許してしまったら、いま生きている人族に未来がない。
やり直す機会は来ない。
そして大結界を止めることが出来ても、ここでエルスカインを完全に滅ぼせなければ、またいつか生まれた別の勇者が、長い長い戦いを仕切り直すことになるだろう。
「で、シンシア。さっきの話に戻るけど、大結界は正方形だ。円じゃ無い」
「はい?」
「どうして円形じゃ無いんだろ? グルグル流すのなら円環そのものの形にした方が良さそうなのにな」
「えぇーっと、想像で喋ってしまいますけど、以前に御兄様が仰っていた測量技術の問題かも知れませんね」
「測量で?」
「ええ、北部ポルミサリアの大部分に跨がるほど大きな結界を、綺麗な真円で描くのはかなり難しそうに思えますから。正確に円を描くよりは、直線を四つ結んで正方形を作る方が簡単に思えます」
「なるほど...」
「もちろん円より簡単と言っても、それすら現代の人族に出来る事では無いでしょうけど」
「まあ、ルリオンの城壁とか石組みの地上絵とはレベルっていうか規模がケタ違いだよな。そもそも真円をウォームに辿らせるってのも難しそうだし」
「ですね。ウォームの動きは魔法で完全に制御してるでしょうけど、『真っ直ぐに進め』という命令は指示も確認も簡単でも、微妙な角度で曲がり続けることは、指示するのも確認するのも並大抵の事じゃあ無いと思います」
「だから円環じゃ無くて正方形になったと。それは納得がいく」
「全部、勝手な想像ですけどね?」
「それはどんな戦いでも同じだよシンシア。魔獣が何を考えているか、次にどう動くか、それをより正しく想像できた破邪が生き延びる。武芸が冴えてるだけじゃダメなんだ」
「分かります...それで御兄様は、大結界が正方形で有ることで何が出来ると考えているのですか?」
「最初にアスワンから絵図で過去の奔流の変化を見せて貰った時、正方形の『四辺』よりも、ラファレリアで交差している『対角線』の方が奔流が太くて強いように見えたんだ」
「私もそう思います。むしろ先に対角線が成立してから、頂点を結ぶ四辺が伸びたように見えました」
「つまり...って当然のことだから分かったように言うのもナンだけど、大結界の基点...いや起点は、対角線の中心であるこのラファレリアなワケだろ」
「ええ」
「いや俺も当然のことを口にしてるって自覚はあってだな...えーっと、何て言うか、思考の整理って言うか...交差点にあるラファレリアで魔力触媒の大規模な臨界反応を引き起こして、そこで生じた強大な魔力を一気に四方に流して大結界に注ぐ。で、四つ角の頂点にある井戸でその魔力を受け止めて、結界の四辺に沿って流していく...後は水路のトンネルに置かれてるだろう触媒の魔道具で魔力の流れをどんどん加速?していけば、周囲の奔流を引き込むほどの強い力になって、そこから先はもう止まらなくなる...って事でいいんだよな?」
「はい。いま御兄様が仰った通りだと思います」
「結界のカタチが円環じゃなくて正方形なのは測量の問題もあるとして...なあ、この場合『正方形』ってのは地面に描かれたカタチだよな?」
「はい?」
「いやさ、仮に大結界を空から見下ろしたら正方形に見えるって、そういう事だろう?」
「そうですね。どれほど高く上がれば大結界の全体像を一望することが出来るのか検討もつきませんけど、理屈としてはそうだと思います」
シンシアが怪訝な表情をする。
今までずっと当然の事というか、大前提として気にも留めなかった『大結界の形状』について俺が級に拘り始めたのが不思議でならないのだろう。
だけど、最初にアスワンと大結界の目的について話した時に、彼が『大陸規模の巨大な魔法陣』と口にしてから、ずっと頭の隅に引っ掛かっていたことがあるのだ。




