起動までの残り時間
「パジェス先生、もちろん、そうならないように俺の命に換えても全力を尽くしますよ。だけど俺も、為すべき事の優先順位って話ならパジェス先生の仰る通りだと思います」
「御兄様!」
「うん、それでいいよクライスさん。むしろ、そこに迷いがあっちゃいけないと思う。シンシア君もね?」
「は、はい...」
「そんなに心配しなくてもなんとかなるさシンシア。さっきのシンシアの推理を聞いて、俺もチョット思い浮かんだことがあるんだ」
「え? と、仰いますと?」
「大結界は菱形って言うか正方形だよな? 俺たちが知ってるポルミサリアの地図で北を頂点に見てるから正方形がちょうど斜めに傾いて菱形に見えるけどさ」
「そうですね。形状としては正方形で、このラファレリアがちょうど中心の交差点にあるはずです」
「ここで『魔力爆発』を起こせば、膨大な魔力が四方に向かって均等に流れ出す。さっきシンシアが言ったような仕掛けで方向を上手く制御できれば、一瞬で大きな流れを生み出せるって話だな」
「ええ、ちょうど正方形の四つの頂点にある『井戸』で流れてくる魔力を受け止めて、そこから右回りか左回りかは分かりませんけど、大結界の四辺に流し込むのだろうと思います」
「ってコトはだ。正方形の『四つ角』にある魔力井戸は特に重要なモノだろう?」
「もちろんです。そこが大結界の経路、奔流の流れを直角に曲げるための結節点ですから...まさか御兄様、これから各地の井戸を壊して廻るつもりですか?!」
「いやいや、そうじゃないけどさ。その結節点の一つで、ガルシリス城の地下にあった井戸は、以前にパルミュナが封印してるんだよ。あそこは正方形の西の角に相当する」
「そう言えば以前に、レビリスさんと一緒にガリシリス城で闘った話をされていましたね」
「ねぇねぇクライスさん、じゃあ、実は大結界の起動までは、まだ猶予があるってこと?」
「いえパジェス先生。それは無いと思います」
「う...そりゃぁ、そう美味い話があるワケないよね...」
パジェス先生は目に見えて肩を落とす。
ガッカリさせたのは本意じゃ無いけど、ここで希望的観測を持っても無駄になるだけだ。
「あの場にいたエルスカインの手下の魔法使いは『長年掛けた準備を無駄にされた!』って感じでブチ切れてたけどね。それでもエルスカインの活動止まってはいないし、停滞したって感じもしない」
「そうですね...」
「四つ角にある結節点の一つはパルミュナが封印したのに、大結界のたくらみは変わらずに進められている」
「すると?」
「つまり、あの井戸には予備があった。いや、全ての井戸を二重に用意しようとしてたんじゃないかな? 要はエルスカインもシンシアと同じタイプで、必ず『大事な物には予備を作る』って性格だと思うんだ」
「御兄様、言わんとする意味は分かりますけど、エルスカインと『同じタイプ』と言われるのは釈然としません!」
「あ、ごめ...」
「いいですけど!」
「悪かったって」
「御兄様に悪気が無いことは百も承知してます。慎重なタイプだって言いたかったのでしょうし...」
「うん。で、エルスカインはリンスワルド領を手中に収めようとしてたし、北方山脈のヒューン男爵領でも土木工事の段取りを進めてた。南部大森林のモルチエ男爵のところでも何かやってたはずだよ。だからエンジュの森と同じように魔獣達の動きが数年前から激変してたんだ」
「旧ルマント村ですね。あそこも大結界の南の角で、つまり結節点ですものね」
「な、おかしいだろ?」
「なにがです?」
「それが井戸の工事だったとして、どれも現在進行中だったはずだ。位置的にヒューン男爵領のレンツは『正方形の辺の一つ』の真ん中辺りだったから、まぁ只の中継点とかだろうけど、『四隅の角』に位置してるリンスワルド領や、旧ルマント村は重要な場所のはずだろ? あそこでアプレイスを奪取しようとしたのはあくまでもオマケというか、ドラゴンの存在を知ってから慌てて立てた計画だろうしな」
「それは確かに...」
「だけどリンスワルド領の乗っ取りには失敗、南部大森林でもアプレイスを手に入れ損なった挙げ句に、ドラ籠に仕込んだ精霊爆弾のおかげでエルダンの拠点まで失う羽目に陥ったワケだ」
「そう考えると、私たちも結構なダメージをエルスカインに与えてますよね!」
「だろ? なのに、あれから数ヶ月で大結界を起動する準備が出来たって言うのか? 代わりの井戸は不要なのか?」
「あれっ? だとすると御兄様、最初から代わりの井戸は用意されていたということですか?」
「逆だな。俺たちがぶっ壊したり邪魔したのが追加する予備の方だったんだと思うよ。時間と資金のたっぷりあるエルスカインは、いつも代替プランを準備してるからね」
「じゃあ、リンスワルド領にも南部大森林にも、すでに魔力井戸は昔から用意されていたって言うんですか?! 確かに旧ルマント村がアンスロープ族でも住めない村になりつつあったのは、エンジュの森と同じですけど。でもリンスワルド領には、どこにもそんな兆候は...」
「あったのさ」
「え?」
「俺たちが、そう認識してなかっただけだよ」
「どこにそんな?」
「リンスワルド家の岩塩採掘孔だ」
「え? えぇ...あっ!」
「山の上は岩塩採掘孔から吹き出てくる魔力の影響で、周囲の景色は『寒々しい』くらいだってパルミュナも言ってたよ。それに惹かれて沢山の魔獣が近づいてくるし、採掘孔の中には入りこもうとするヤツらもいる。レビリスみたいな腕利きの破邪が常に交代で常駐してなきゃいけないほどだったんだぞ?」
「それは確かに魔獣が多くて危険だと言う話も...ですがそれは、南の森全体の話かと...」
「元々が奔流に近い、天然の魔力の濃い場所で周囲にも広がってたからね。だからこそ姫様も不思議に思わなかったんだろう。パルミュナだって『そんな場所だ』としか認識できなかったんだから責められないよ」
「そうだったんですね...」
「これも証拠は無いけど、西角の井戸は岩塩採掘孔の真下の地下に有るんじゃ無いかな? 姫様の暗殺とリンスワルド家の乗っ取りに成功していれば、今頃は岩塩採掘孔でも派手な工事が始まってたかもしれない。でも、それには失敗したから、ワームの掘った地下トンネルの中でやりくりしたんだろう」
「燭台元暗しですね御兄様。ちょっとショックです」
「なんで?」
「その可能性を見落としていたことが」
「そりゃ考えすぎだシンシア。俺だって、さっきの会話でようやく思い至ったんだし、岩塩採掘孔そのものはエルスカインの手や息が掛かってる存在じゃ無い。あっちの方が奔流の溜まり場の存在に気が付くのが早かったってだけさ」
「そうですか?」
「うん、むしろ思うんだけど、エルスカインはそもそも奔流の流れや井戸になりうる場所をいくつも知っていて、そこを結節点にして『正方形』を描くことにした、って気もするんだよ」
「以前にアスワン様も、『魔力の奔流が太く絡み合っている場所に古い都や古王国の名残があるのは偶然では無い』と仰っていましたものね。『かつての人族は魔獣の一種として天然の魔力に敏感だった』からだと」
「話によれば東の角はメルス王国の王都『アンケーン』で、北の角はシュバリスマークの旧王朝が首都にしていた『サランディス』だったな。古い場所ならエルスカインは詳しいだろう」
「ラファレリアと同じですね。街の姿は変容していても、かつてそこに何があったのかは知っていると」
「ああ。でも今からアンケーンやサランディスに行って井戸を探すってのは現実的じゃ無いし、岩塩採掘孔だって、どこまで地下に掘り進めばワームのトンネルにぶち当たるのか想像も付かん」
「ええ、当てずっぽうに探している時間は無いと思います」
「それに不思議なのは、その状況でもエルスカインが大結界の起動を強行しようとしてるって事なんだ」
「どういうことでしょう御兄様? 私にはピンと来ないというか理由が見えてこないというか...」
「慎重なエルスカインは、色々なモノに予備を用意してる。ヒュドラの毒だって、予備だか追加だかを手に入れる為に、十年がかりでパーキンス船長にヴィオデボラ島を探させてたんだ。ワームの掘った水路にさえ予備があったとしても俺は驚かないよ?」
「まあ、それも有り得なくないですね!」
「だけど、それだけ慎重なはずのエルスカインが、四つの結節点のうち、西と南の二カ所の魔力井戸に予備が無い状態で大結界を起動しようとしてるんだ。不自然だろ?」
俺がそう言うと、シンシアがハッと表情を変えた。




