臨界量の制約
「なあシンシア、倍々ってことは、ここから先は二倍で、四倍で、八倍でって、そういうことかい?」
「そうです御兄様」
「それって凄くない?」
「凄いです。それに怖いです。最初の頃は増え方が穏やかなので、投入した触媒の量に応じて直線的に連鎖反応が大きくなっていくだけに見えるんですけど、途中からグンッと増え始めます。恐らく、ある閾値を超えた瞬間に連鎖反応が劇的に進み始めて...そこから慌てても、もう止められません...」
なるほど・・・
それは確かに恐ろしいな。
「なんだか罠みたいだな!」
「ええ、ある種の罠と言えますね。軽く考えて迂闊な行いをすると、とんでもない災難が降りかかってくるという話です」
北の巨人族が滅亡したのも、初めはそういう些細な切っ掛けから始まったことなのかも・・・
伯父上がシンシアに向けてゆっくりと頷きながら、その意味を口にする。
「そうです。つまり、その閾値こそが『臨界量』なのですよ、シンシアさん」
「いまが三歩手前と言っても...」
「一歩進めると二倍になって、二歩先では四倍です。三歩先の八倍あたりから先はもう連鎖反応が連鎖反応を触発してどうにも停まらない、というワケですな」
伯父上の言葉を聞いているシンシアがちょっと俯き加減なのは、自分の想定が甘すぎたってコトを後悔してるんだろうな・・・
ずっと変化量を記録していたパジェス先生はとうの昔に気付いていたはずだけど、たぶんシンシア自身に気付かせるためか、伯父上の教え方を邪魔しないために黙っていたんだろう。
それに俺も、ハーグルンド氏に受けた説明とかシンシアとの会話から分かっていたつもりだったけど、専門家である伯父上の口から静かに告げられると想定以上に怖いシロモノだと思えてきたよ。
なにしろ『毒物』で『劇物』だ。
この魔力触媒が大量に保管されていることを知らずに、盛大に魔法を放ったりしたらどうなるんだろうね・・・
ただ、それだけ大きな力を、逆に『止める』ことには利用できないんだろうか?
「えーっと伯父上、ふと思ったんですけど...魔力障壁の魔道具も動かすためには魔力を使いますから、その魔力自体を触媒によって増幅させることで、触媒の連鎖反応の進み具合に併せて障壁の強度を上げていく...という仕掛けは実現出来ないですか?」
「ふぅむ...ライノ君のアイデアには難点が幾つかありますから、そこを解決しないと実現不可能でしょう」
「難点ですか」
「まず、魔力障壁は連鎖反応を起こし始めた触媒をぐるりと包み込む必要がありますが、その際に、障壁を生み出す魔道具自体を自分の障壁の内側に置くことは出来ません」
「ああ、自分自身を包んで魔力を無効化することになるから、そもそも障壁が起動しないワケですか!」
いつぞやパルミュナが言っていた『ウロボロスの蛇』みたいな、自分で自分を飲み込むとか吐き出すとか、そんな話になるワケだな。
「ええ。ですから外にある魔道具が触媒の力を借りようとすれば、魔力を無効化する障壁を通り抜けて、内と外で魔力をやり取りしなければならない。これは機能的な矛盾です」
「魔力を通さないための壁に魔力を通すって話ですよね。うーん、障壁に小さな穴を空ける...ってのはムリか...」
「仮にそんな方法があったとしても、内側の魔力が残らず噴き出してしまいそうですな」
「穴の空いた袋、ですね」
「その通り。現実の袋や壁も一カ所に小さな穴が空くと、そこを切っ掛けに大きく破れたりするものですからな。もし穴を空ける方法を見つけても、障壁を弱めるだけに終わってしまいかねませんぞ?」
どうやら俺のアイデアは素人の思いつきだったようだと納得した時、シンシアが小さく声を上げた。
「あの、伯父様...」
「なんでしょうシンシアさん?」
「いまの御兄様の話を聞いて私も思ったのですけれど、魔力触媒の鉱石に『臨界量』を超えさせるためには、その量全体を一カ所にまとめておかないと駄目なんですよね?」
「もちろんです。連鎖反応というのは結局のところ、魔力による触媒同士の相互作用ですからね。必要な量がお互いに影響し合える距離で固まっていないと、臨界点を超えることが出来ませんな」
「逆に言うと、臨界量はそこにある触媒鉱石の『量』と、注ぎ込む『魔力』の掛け算で決まると?」
「ええ、そうなりますな」
「でしたら、仮に旧市街の地下に大量の魔力触媒鉱石が備蓄してあるとして、全部まとめて積み上げて置いたら、ちょっとした魔力が流れ込んでくるだけで連鎖反応が始まりかねません。きっと安全のために小分けして置いてあると思うんです」
「その通りでしょう。ただし、物理的に区切って仕舞い込んでいては、利用時に厄介です。誰かが毒性のある鉱石を箱から出して慎重にセッティングしていかなければならない。乱暴に扱って意図せず臨界量を超えさせてしまったら、そこでズドン! お終いです。しかも扱っていた者達は命の危険に晒される...いや、多分死ぬでしょうなぁ」
「だからエルスカインは、伯父様の開発した障壁を連鎖反応のコントロールに使いたかったと」
「ええ、恐らくはシンシアさんの言った通りだと思いますよ」
「ねぇねぇシンシア君、だとすればエルスカインはロワイエ卿の魔力障壁を手に入れるまで、大結界を起動しない可能性もあるのかい?」
「いえ先生、それは無いと思います」
「そうなんだ?」
「えっとパジェス先生、口を挟んですみません。伯父上の魔力障壁を大結界の制御に使いたいのは山々だと思いますけど、それは『有ればとても便利』っていう位置づけであって、『無いと立ち行かない』というモノじゃないでしょう。エルスカインは大胆だけど『イチかバチか』みたいな計画を立てるヤツじゃ有りません。実現の可能性を高めるために、何重にも安全策を仕込んでおくようなヤツなんですよ」
「と言うとクライスさん、具体的にはどうやって?」
「あー、実は作業者が死ぬってコトはエルスカインにとって織込み済みって言うか対策済みなんです」
「えっ!」
「もちろんエルスカイン自身じゃないですよ?」
「じゃあ連中はゴーレムか何かを使うつもりなのかい? うちの馬車のウマや御者みたいにさ?」
「いえホムンクルスですよ。エルスカインはいつも危険なコトには配下のホムンクルス達を使うんです。奴にとって、ホムンクルスと魔獣は基本的に『消耗品』ですからね」
「酷いなぁ...」
「ヒドイですね」
「でも、ホムンクルスを錬成することの倫理面はさておき、彼らも一応は人としての意識を持ってるんでしょ?」
「元になった肉体の破片から単に錬成しただけの『ニセモノ』のホムンクルスは、まぁゴーレムみたいな操り人形ですけど、魂を移し換えた『ホンモノ』のホムンクルスは元の人物の自我と魂をそのまま持っていますよ。だから自分で考えて行動できるし感情もある。ただ魂の容れ物になる身体が作り物ってだけです」
「僕も、その話は以前に王宮図書館にある本で読んだことがあるよ。大昔の錬金術師がホムンクルスの造り方を解説した本で、真偽の程は確かめようが無いって言われてたなぁ」
あ、ひょっとするとその本って、エルダンの地下に侵入した時、シンシアが『ホムンクルスについて書いた本を読んだことがある』と口にして、パルレアに怒られた件のヤツかな?
エルスカインの数々の所業はもちろんのこと、マディアルグ王やルリオンの地下に籠もっている老錬金術師なんかのことを知った今では、俺もあのパルレアの諌言に納得できるけど。
「だけど、それはエルスカインにとってどうでもいいことで、奴にとって魂の有無は、配下としての機能的な差でしか無いんです」
「ますます酷いねぇ...」
「奴は、その魂を持つホムンクルスを大結界の作業要員として大量に造ってるんですよ。きっとそいつらを使うんでしょうね」
「んんん? ちょっと待って。『魂を持つホムンクルス』を大量に造るって、それは素材というか、元にする人も沢山必要になるんじゃないの? だって人の魂を抜き取って移し換える訳でしょ? 大勢を殺して素材に出来るの!?」
鋭いな。
パジェス先生がなにを疑問に思ったかは分かる。
ホンモノのホムンクルスは自分の心を持っているから、ただ命令すれば人形のように動かせるって訳で無く、その命令を履行する『意志』を本人に持たせなければならないからな。
勝手に殺しておいて『自分のために働け』って命じるのはチョット無理がある。




