幼き日のシャルティア
「じゃあ、まさか魂魄霊の類いとか!?」
「いやいや、それは違いますぞ。実はその...あの子は見た目だけの存在...いえ、率直に言えば単なる写し絵の幻なのです。幼い頃にこの屋敷に遊びに来ていたあの子の...シャルティアの姿を写し取った記録に過ぎません」
「マジですか...」
またしても心底驚いた!
「あの子が屋根裏部屋にコッソリ忍び込んで私の蔵書を読み耽っている様子があまりにも愛らしかったもので、その姿をずっと留めておきたいと...それで、私の発明した魔道具で絵姿を写し取ったモノなのです。写し絵ですから実体はありません。しばらく眺め続けていれば、一定の様子が繰り返しているだけだと言うことに気が付くでしょうな」
「そういうことでしたか...」
「シャルティアがレスティーユ家の奸計で殺害された後...いえ、実際には亡くなっていなかったことを先ほど知りましたが...それから、どうにも寂しくなりましてなぁ。あの子の姿を屋根裏部屋に映し出して心の慰めにしていたのです。実にお恥ずかしい話ですが」
「恥ずかしくなんか無いですよ。むしろ当然の感情だと思います」
「有り難う」
「では、他にご家族はいらっしゃらないんですね?」
「左様です。色々と経緯がありまして私は独身のままですし、若い頃にレスティーユ家に嫁入りした妹はシャルティアがまだ幼いうちに病気で他界し、他に近い血縁者はおりません。いずれ養子でも取ってロワイエ家を継がせるかと考えていたのですが、あの件以降はそういう訳にも行かなくなりましたので」
そうだったのか・・・じゃあアベール卿は俺が認識している限りで『始めて会った肉親』であり、しかも安否が確認できているという意味では『たった一人の肉親かもしれない』ってことになるワケだ。
「なるほど。不躾なことを聞いてしまって、すみませんでした」
「どうかお気になさらず」
アベール卿はそこで微笑んだ。
最初に会った時の無害で温和そうな造られた表情や、たまに見せたニヤつきとは違って本当の微笑みだった。
「クライスさん、もしも気が向けば、という話ですが...屋根裏の幼い頃のシャルティアを一目ご覧になりませんか?」
「え?」
「貴方を産んだ頃のシャルティアは恐らく二十歳近かったでしょうから、七歳頃の姿から面影を連想するのは難しいかも知れません。ですが、実の母親を一目見たことさえ無いと仰るのなら、一度でも...例え異なる姿の幻であったとしても、見ておくのも悪くないと思えるのです」
「そ...そうですね...」
咄嗟に返答に詰まった。
正直、今さら見てどうするのかという気持ちもあるし、一度でも見てしまえば、これからは『母親の姿』を頭の中で想像するようになってしまうんじゃ無いかって、ふとそう思ったからだ。
俺にとって『母親』と言うのは、すなわち『母さん』と呼んでいたリリルア・クライス、ただ一人なのだし。
だけど・・・
拒否するのも違うよな。
それは間違いなく、俺を産んでくれた人の幼き日の姿なのだから。
「クライスさん、私が余計なことを言ってしまったのなら大変申し訳ない。ですが、私は貴方にもロワイエ家を身近に感じて欲しいと思ったのです」
「そのお気持ちが嬉しいですよ」
「では?」
「はい。彼女の姿を拝見させて下さい」
「ありがとうクライスさん」
二人で一緒に地下室を出て階段を上がる。
すでにサビーナさんは自室に引き上げているのか、廊下に顔を出すことも無かった。
アベール卿が屋根裏部屋のドアを開け、脇に避けてから俺を手招きする。
室内を覗き込むと、白い寝間着を来た少女がこちらに向いて床に座り、分厚い本を広げて一心不乱に読んでいる姿が目に飛び込んできた。
銀ジョッキ越しの後ろ姿だと分からなかったけど、近くで見ると全体の輪郭が少しボワッと光っていて、幻影だというのが分かる。
七歳くらいって言ってたっけ?
耳先は丸いし、この距離では目の奥の二重のリングも見えないけれど、顔立ちはエルフ族らしさを感じさせる。
幼さゆえの愛嬌もありながら、とても美しい少女だ。
改めて、自分がハーフエルフだということを意識するが・・・うん、きっと俺は父親似だな!
でないと間尺が合わないぞ。
アスワンが大地の記憶を辿って知った話によれば、この少女こそが十数年後に俺の生みの母親となるのだ。
命を狙われ、レスティーユ領から逃げ出す最中に『ランス・ウィンガム』なる破邪と出会って命を助けられ、やがて夫婦となって俺が産まれた、と。
そして、俺はこの少女の血を引いていたからこそ、エドヴァルの村暮らしの時に、同じく純エルフ族だったはずの『父さん』、フルーモア・クライスに似てると村人達から言われることも有ったんだろうな・・・
「有り難うございますアベール卿。上手く言えないけど、なんだかスッキリした気分になりましたよ」
「そうですか。それは良かった」
自分でも不思議なことに、これは社交辞令じゃ無くて本音だった。
一目見るまではなんだかウジウジと考えていた気がするけど、実際に『幼き日のシャルティア・レスティーユの姿』を見た後では、そんなことはどうでも良くなったのだ。
俺にとって『母さん』の想い出が消える訳じゃなく、この少女が将来、俺の『生みの母』になった人で、いまの俺は、未来の彼女が俺を産んでくれたことに感謝している・・・そういう感じかな。
「ところでシャルティアさん...すみません、会ったことも無い人物を『母』とは呼びづらくて」
「それは無理もないですな」
「ともかく、シャルティアさんがいまだに存命している可能性はあると思います。答えはレスティーユ侯爵家が知っているかもしれませんけど」
「ありえますな...先ほど伺った話によれば、レスティーユ家はシャルティアに加えて、幼い頃のクライスさんの命も狙っていたようだ。公式には死んだと発表していますが相続の可能性は絶っておきたいのでしょうな」
「俺もそう思います」
「クライスさんもコルマーラに行くのは避けた方が良いかもしれません。オーラを見られたら私の身内だと露見する可能性がありますぞ?」
「コルマーラにはもう行きましたよ。それどころかレスティーユ城を調べるだけのつもりが、成り行きでコンスタン卿と謁見する羽目になりました」
「なんですと!」
「もっとも、特殊な『身隠しの魔法』を使っていたので正体はバレていません。勇者だということを隠すためにミルシュラントから来た骨董商のフリをしてたんですが、侯爵家に近づくためのエサとして持ち込んだ古代の魔道具に、想像以上に興味を示されちゃいましてね。正直ヒヤヒヤものでしたが」
「なんとも危ない橋を...」
「ええ、ですが渡らない訳にもいきません。エルスカインの計画は俺の命に替えても潰すつもりですから」
それに、もうあまり猶予は無いと言っていいだろうし・・・
「やはり、先ほど仰っていた『エルスカインの大結界』という話は実現しそうなのでしょうね?」
「状況からして、もう間近だと思えますよ」
「恐ろしい話ですな」
「古代の世界戦争で人々がやったことも引けを取らないですけどね。エルスカインのやっていることは有る意味では、『負けてしまった世界戦争の仕切り直し』とも言えるでしょうから」
「世界戦争から三千年が経って競合相手が消えたところで、改めて自分の理想国家を造るという訳ですか」
「です」
「人の心...欲望や傲慢というのは、どれほどの時が経っても変わらないモノなのでしょうかね...」
アベール卿が、ふと沈み込んだ表情を垣間見せた。
そうか・・・
多くの魔法や錬金術は、『人の欲望』で発展してきたものだ。
彼にとっては自分が生涯を掛けて研究してきたそれらの『行き着く先』を、不安に感じてしまったのかもしれない。
「まあ、たぶんエルスカインの正体は『人』では無いだろうと思いますけどね?」
「いや...それは同じ事ですなクライスさん」
「え?」
「なぜなら、その『エルスカインを生み出した』人々が三千年前にいたはずでしょう? 仮にエルスカインが人や魔獣では無くて『意志や知能を持つ魔導装置』だとしても、それは造り出した人々の心を反映しているに過ぎないと思いますぞ」
「あぁ...確かに!」
アベール卿の言う通りだな・・・
エルスカインが『人では無いらしい』という情報に囚われていたけど、結局それも生み出した人々の心根を反映しているだけに過ぎないとしたら、所業の根源は人の心にある訳だ。




