利益の分配先
パジェス先生はシンシアに向けて噛んで含めるように言う。
「その辺りを踏まえて、もしもクライスさんとシンシア君がこのアイデアをアルファニアに渡すのは止めようと思うんだったら、残念だけど僕はそれを受け入れるよ? あるいは、アルファニアからクライスさんやミルシュラント公国にアイデア使用料を払うって手段もある。適正額を決めるのは凄く難しいけどね。今すぐ決めてくれとは言わないから、よく考えて欲しいんだ」
なるほどね。
探知魔法の経緯といい、方位魔法陣の件といい、シンシアがパジェス先生のことを慕っている理由が良く分かる。
この人は本当に真面目で誠実な人なのだ。
商売に疎い俺やシンシアを良いように使って、美味しいところを持っていこうなんて発想は、そもそも存在しない。
仮にそんな展開が転がってきたとしても、きっとパジェス先生は自分の矜持とか良心に照らして、それを否定するだろうな。
「えっとパジェス先生、俺のアイデア云々はさておき、問題は誰が利益を得るのかって事ですか?」
「平たく言えば、そういうことになるよね」
「じゃあ仮の話として、コレが生粋の俺のアイデアで、俺がそこから生まれる利益を受け取る権利があるとしましょう...仮にですけど。で、その場合にシンシアはミルシュラントの公女ですけど、俺は本来、エドヴァルの国民です。この際、母親がレスティーユ侯爵家の人かもなんて話は無視してですけど」
「うん、そうなるとエドヴァルに利益を還元すべきだって視点もあるね」
「まあ俺自身はそんなこと思いませんけどね。ただ、もっと手前に立ち返って考えれば、この断熱ってアイデアの元になった熱操作魔法は、勇者としての役目を果たすために大精霊から教わった精霊魔法なんです」
「つまり?」
「つまりこれは人の社会の枠組みの外からもたらされたものだと言っていい。それを俺が自分の利益に変えるってのは頂けないですよ?」
「えっと...じゃあ、この技術は封印になるのかい?」
「いや、そんな風にも思いません。要は、このアイデアから生まれる利益を特定の誰かが独占するって話にならなければ、大精霊だって眉をしかめないでくれるでしょうからね」
「つまり?」
「この断熱魔法のアイデアは国を限定せず全ての人に公開して、誰もお金を払ったりせずに自由に使えるようにした方がいいと思います」
「公開?」
「誰でも真似していいってことにするんです」
何処の国が利益を得るかが問題なら、国家の話じゃ無くしてしまえばいい。
そもそも大精霊も勇者も、どこか特定の国に肩入れしたりはしない・・・シンシアがミルシュラントの公女だって言う事も、俺にしてみれば成り行きの『偶然』に過ぎないし、もしもポリノー村の件で姫様やシンシアと出会うことが無かったとしたら、いま勇者の仲間として俺の横にいてくれるのは、パルミュナだけだったかも知れない。
だから、誰かとか、どこかとか、特定の存在の利益じゃ無くして、人族みんなにとって役に立つものに変えてしまえばいいのだ。
「もちろん、実際の術式を開発するパジェス先生には開発者としての利益が有っていいと思いますよ。でもアイデア自体は広く公開して誰でも気兼ねなく真似できるようにすれば、ミルシュラントだけとかアルファニアだけとかじゃなく、ポルミサリアの全ての人々の暮らしをよく出来るかも知れないでしょう? 俺はその方がいいと思うんです」
「そう来る訳かいクライスさん...」
そう言ってパジェス先生は少し思案する様子を見せた後、再び口を開いた。
「うん、さすが『勇者』なんだね! 正直、勇者ってのは悪い存在と闘う人だと思い込んでたよ。そうじゃなくて...それだけじゃなくて...人々の暮らしを良くすることが真の勇者の行いって訳だ!」
「いや、そんな大袈裟な...」
なんだかパジェス先生が勝手に俺の考えを拡大解釈してるように思える。
姫様もそうだったけど、『凄く頭の良い人』って言うのは、周りの人も自分と同じくらい頭が良いとか考えが深いとか思い込んでるんだろうか?
絶対に俺はその範疇には入ってないぞ。
「クライスさんの気持ちは良く分かったよ。僕もこれに応えなきゃ、魔道士としての道義にもとるってものだね。うん、僕はこの術式を組み立てたら無償で全世界に公開しよう!」
「えっ?」
「先生、それは!...」
「暗号化とか難読化は行わずに、その術式を真似れば誰でも同じものが造れるようにする。そうすれば誰かが不当に利益を独占することも無く、凄いスピードで社会を良い方に変えられるはずだからね!」
今度は俺が驚かされた・・・まさか、そう来るとは!
自分の懐に入るはずの莫大な利益を『社会のため』という一言で易々と手放せる人なんてそうはいない。
むしろ、俺がもし勇者じゃなかったら自分にも出来ないだろうとすら思うよ。
「本当に良いのですか先生?」
「シンシア君、僕は今日、この歳になって本当に大切なことを教えて貰った気がするよ?...」
パジェス先生が何歳かは見当も付かないけど、そういう言い方をするからには結構なお年なのだろう。
そして、いくら何でも俺のことを買い被りすぎてるけど、どう否定すればいいのかが分からない。
謙遜とかに受け取られても困るしな・・・
「シンシア君、クライスさんは...君の婚約者は、『真の勇者』だね!」
「はい! 有り難うございます先生!」
パジェス先生に引っ張られたのか、シンシアまでテンションが高くなってしまったけど、コレ、どう解除すればいいんだろうな?
「あの...パジェス先生、俺のことをかって下さるのは嬉しいですけど、期待に応えられる気がしないので、ホドホドに御願いします」
「まったく謙虚だな、クライスさんは!」
「それがすでに買い被りですよ。それより、断熱魔法の件は一切合切をパジェス先生に委ねると言うことで良いですかね?」
「そうだね、まずは断熱魔法の組み立てと可能性について論文を書こうと思う。その著者としてクライスさんの名前を出すのは...?」
「絶対に避けて頂けると助かります。と言うか、もし出すとしたら大精霊名義になっちゃいます」
「だろうね。目立ちたくないという気持ちは分かるよ」
いや、そうじゃなくて・・・そもそも魔法に関する論文の著者に俺の名前を記載するとか、まるで自分が『詐欺』を働いているみたいな気分で、居たたまれないからですよ?
チョット褒められるくらいなら嬉しいものけど、分不相応というか現実よりも過剰に持ち上げられると逆に心が折れそうだ。
「じゃあクライスさんのことは伏せることにする。それにシンシア君やマリタンさんの名前を出す訳にも行かないだろうから、この論文は全体を匿名にしてしまおう。そこに術式の組み方や魔法陣の参考例なんかも全部載せておけば、誰でも自分で造れるようになるだろうからね」
「論文はパジェス先生のお名前で出した方が良いのではないですか?」
「いや。シンシア君の立場と同じさ」
「あぁ、パジェス先生が開発者ってことになったら、どうしてアルファニアで独占しないんだって話になる訳ですね?」
「そういうこと! クローヴィス陛下は『ポルミサリア全体で共有する意義』を分かって下さると思うけど、周囲には口うるさい連中もいるからね。逆に、これが陛下の求心力を下げることに繋がったりしたら目も当てられないよ」
「それはそうですね...」
「だから、『著者不明』の方が波風を立てなくて済むのさ。誰も儲けず、誰も傷つかず、ね?」
「論文はどうやって広めるんです?」
「方法は色々あるよ。市井の魔法使いには互助組合的なものもあるから、そこに論文を送りつけて広まるようにしたりとか、交易商人に渡して国外へ広まるようにしたりとかね?」
「なるほど。同時にアチコチばら撒いてしまえば、最初の出元がどこかは誰にも分からなくなるって事ですね?」
「ああ。たぶん南方大陸から持ち込まれたって結論にでもなるんじゃ無いかな? デラージュ宰相がどんなに調べても僕には辿り着けないさ!」
あー、やっぱりそう言う話になるんだろうなぁ・・・
「誤解の無いように言っておくけど、デラージュ宰相はいい奴だよ? ただ宰相である以上は、アルファニアの利益を最大化するために合理的な思考をするべきだからね」
「すいません...」
「まさか! クライスさんに謝られるようなことじゃないよ。むしろ、アルファニアとしては銅貨一枚も支払わずに断熱魔法のアイデアを使えるようになるんだからね。目に見えない利益の大きさは計り知れない」
その『銅貨一枚さえ支払われない』のは、パジェス先生も同様なんだが・・・まあ、本人が納得してくれているのだから、いいか。




