旧市街の一角
パジェス先生の驚愕が少し落ち着きを見せたところで、閲覧室に張らせて貰った転移門から俺とシンシアはいったんパジェス先生の屋敷の庭に戻り、そこからシエラに乗って旧市街の様子を見に行くことにした。
もちろんシンシアは最初の訪問時に、ちゃっかりパジェス先生の屋敷に転移門を置いてきているのだ。
そういうことに関してシンシアは、本当に抜け目がないよ。
シエラも小箱に収納されることにすっかり慣れたようで、シンシアの横に立っているのが、さっき降り立った時のパジェス先生から俺に代わっていても、別に驚く様子を見せない。
「じゃあ行くか、俺も一緒に乗せて貰っていいよな?」
「もちろんです!」
ここに戻って来てから気が付いたのだけど、俺はサラサスからラファレリア郊外までシンシアの開いておいた転移門で一気に連れてきて貰ったから、途中でシエラに乗って飛ぶ機会が無かった。
つまりコレは、俺にとっても『初ワイバーン飛行」ってワケだ。
先にシンシアに背中の鞍へと上がっておいて貰い、俺はちょっと飛翔気味に飛び上がってその後ろに座った。
前に手を伸ばせば、背中からシンシアを抱きしめられるポジションだし、今は邪魔をしてくるマリタンもいないけど、そんなことはしない。
しないったらしない。
それにシンシアは鞍の前方に手綱のような持ち手を取り付けているのだけど、シエラに飛び方を伝えるために手綱は必要無いので、これは単に騎乗者の『心理的安定感』を高めるための装備だと言っていいだろう。
それを後ろから掴ませて貰うと両手でシンシアを抱え込む状態になるので、なんだか気恥ずかしい感じだ。
「では行きますね! シエラちゃん御願いします!」
シンシアがそう言うと、シエラは大きく翼を羽ばたかせて飛び上がった。
言葉で指示出来るって、ホントに楽だな!
アプレイスの背から見ていた時と同じように、シエラが翼になっている腕を羽ばたかせると肩が大きく動く。
それで少しだけ鞍が持ち上げられるような感じもするけど、左右に揺れる訳じゃ無いのでほとんど気にならない。
シエラはアッと言う間に空高く舞い上がり、眼下にラファレリアの端正な街並みを見下ろせた。
明け方の薄明かりの中で見た時は今よりも赤みが濃く見えていたけれど、冬の陽射しを浴びている建物たちは『赤茶』系統よりも上品な『薄紅色』という印象が強く、繊細さを感じさせる造形が多いことも相まって美しい。
美しくしようと意識して構築したのでは無くて、長い年月に自然と蓄積されて美しく時を重ねてきたという雰囲気。
街が溌剌と・・・俺風に言わせて貰えば『ガヤガヤ』としている様子は薄いけれど、人も街もこんな風に静かに、綺麗に、歳月を重ねられるのなら悪くないと思ってしまう。
「とっても素敵ですね御兄様...」
「ああ、本当に綺麗な街だと思うよラファレリアは」
「いえ、そうではなく...」
「ん?」
「こうして御兄様と二人でシエラに乗って飛んでいることが、その...まるで二人きりで旅行してるみたいで素敵なんです!」
「ああ!」
いきなり不意打ちでそんなことを口にされると、チョット照れくさいけど、確かに俺も嬉しい。
これで、いまラファレリアの空を飛んでいる理由が『エルスカインの拠点を探す』って陰鬱な話じゃなかったら、もっと本当に幸せな気分になれるんだけどな!
「シンシア、いつか色々なことが片付いたら二人であちこち旅をしてみような?」
「はい御兄様!」
シンシアが少し俺の方を振り向いて輝くような笑顔で返事をしてくれ、その美しい笑顔に改めてハッとさせられる。
二人でと言いつつも、シンシアの肩からマリタンが下がっていたり、俺の革袋の中でパルレアが寝てたりするのかも知れないけど、まぁ、そこは置いておこう。
「あっ、区画図で見たのはあの辺りだと思います。尖塔が二つ並んで立っていますから、たぶん間違いありません!」
感傷に浸る間もなくシンシアが目的地を発見してくれた。
と言うかラファレリアが幾ら大きな街でも、南端から西端へ行く程度はシエラの翼ならほんの一瞬だ。
「少し高度を落として近寄ってみようか」
「はい」
シンシアが返事をすると同時に、シエラがスッと高度を落とし始める。
どうやら俺の言葉もちゃんと理解してくれているようで有り難い。
うん? ・・・まさかとは思うけど、さっきの『シンシアと二人で旅行云々』って会話も理解してたりして・・・
ちょっと恥ずかしい気がするけど、まぁいいか。
「あの区画ですね御兄様。パッと見では周囲の街並みと変わった様子は見受けられませんが...」
貴族屋敷のあるような場所は別として、普通、街中の建物というのは周囲に余っている空間がほとんど無い。
隣の建物と壁を接しているか、明かり取りを兼ねた狭い路地を挟んでいるか・・・ここもまさに『ゴミゴミ』した一角であり、道に面した四辺にはそれぞれ何軒かずつの家屋が軒を接しているようだ。
ここからでは路地の存在までは分からないけど、単に家屋が密集しているように見える。
「通りに面しては普通に家が建ってる感じか。区画図に書いてあった通りだけど、真ん中の様子はだいぶ違わないか?」
「屋根...あれは屋根なんでしょうか? 随分密集していますけど」
普通の古い街区なら井戸や馬房なんかが置かれているはずの、中庭にあたる真ん中部分はビッシリと屋根瓦で埋め尽くされていた。
屋根瓦の素材自体は他の家々が使っているものと同じようだから、例えば尖塔の天辺から見下ろしても不自然には思わないだろうし、周囲の道からは内側の様子が分からないはずだ。
だけど真上からよく見ると、区画の内側全体がその屋根材で覆われている感じで、隙間が無い。
あれだと、例え大きな空間がその下にあるとしても、どこからも太陽光は差し込まないだろうから、内部の明かりは魔石ランプが頼りのはずだ。
「俺は地面に降りて様子を探ってみるから、シンシアはここでシエラと一緒に待っててくれ」
「はい御兄様。お気を付けて」
「周囲の様子を見るだけだよ。シンシアは絶対に降りてこないようにな?」
そのために、短距離とは言えシエラに乗せて貰ってきたんだから・・・
不可視のままシエラの背中から路上に跳躍して周囲を伺う。
人気は無く、何の変哲も無い街角だ。
問題の区画に沿って少し歩いてみるけれど、道沿いにビッシリと立ち並んでいる家々はごく普通の建物に見える。
数カ所、以前は路地だったんじゃ無いかと思える隙間があったけど、それらはどれも積み上げられたレンガで塞がれていて、奥へは入れない。
結局、ぐるりと一周してみた結果、街路から直接区画の内側へ入り込むルートは存在しないことが分かった。
要するに、いずれかの建物の内部を通り抜けなければ、あの密集した屋根に覆われた空間には入れないってことだ。
建物のいくつかには大きな馬車でも通り抜けられる門扉があったから、それが出入口の様に思えるけど、いずれの戸口もガッシリした木の扉で閉ざされていて、中の様子を窺うことは出来ない。
いやもう、清々しいほど想像通りの『秘密の隠れ家』だったなコレ・・・
さっきからなんとなく嫌な気配が纏わり付いているのも、人払いの結界みたいな魔法が周辺に掛けられてるからだろう。
それに周囲を回っていて気が付いたのだけど、この区画を挟んでいる道は、前後左右共にしばらく先で建物の壁に視界が遮られて、通じる先が見通せない。
まさか行き止まりってことは無いだろうけど、折れ曲がって通り抜けにくい道になっているとすれば、わざわざ通ろうとする人や荷馬車もいるはずない。
どうりで人通りがない訳だよね。
戦乱時代に敵の侵入を防ぐために造られた城下町や、無秩序に人や建物が増えてきた古い街では良くある、クネクネ・カクカクした街路の造りだけど、単にそれだけじゃあ無いだろう。
この区画だけで無く、その周辺もエルスカインの手が入っているように思える。
それも何百年も昔からだ・・・
確信が持てたので、少し離れた路地裏に転移門を張ってからシエラのところまで飛翔して戻った。
「どうでしたか御兄様?」
「当たりだな。完璧に怪しいと言うか、むしろ普通の街区のハズが無いってくらい?」
「そこまでの...いったん図書館に戻って作戦を練りましょう御兄様!」
人払いの結界っぽい雰囲気もあったし、重要拠点だったら、きっと中には色々と防衛の仕掛けが有るハズだ。
準備無しで踏み込むのは危険だろうし、まずは、この街区の『表向きの持ち主』がどうなっているかを調べる必要があるな・・・




