橋のたもとで考えた
三人で横一列に並んで橋の欄干に腰掛け、今日見聞きしたことと、そこから推測したことを頭の中でまとめてみる。
「なあレビリス、さっきのバイロンさんの話、ちょっと妙な所があるのに気づいたか?」
「御者の男が、馬が暴れたのは自分の手綱さばきが悪かったせいだって騒いだ話かい?」
「いや、それよりも俺としては、バイロンさんが現場に駆けつけた時には、もうスズメバチがいなくなってたってことの方が気になるんだ」
「ん? 馬が川に落ちたからスズメバチも相手がいなくなって引き上げた、とか思ったけど、そうじゃないってことか?」
「スズメバチってのは恐ろしく凶暴な虫なんだ。いったん暴れ出したら手が付けられないし、その時に周りで動いている動物にはなんにだって襲いかかる。馬がパニックになるほどだったら、一緒にいた人だって絶対に刺されてる人がいるはずだよ」
「まあ、それはそうだろうな」
「それが一匹や二匹ならともかく、大群に襲いかかられたって言うなら、近くに巣でもあったはずなんだ。普通は、スズメバチが一斉に襲いかかってくるのは巣を守るためだからな」
「じゃあそれこそ、この欄干の下に巣を作ってたとかかな?」
レビリスはそう言うと、欄干から川面に向かって身を乗り出して橋桁の下を覗き込んだ。
「それか川岸の土の中とかな。でも伯爵家の大行列に驚いて一斉に飛び出してきたんだとしたら、スズメバチはどっかに飛んでいったりはしないぞ? 巣の周りの敵が撤退していなくなるまで攻撃し続ける」
「つまり、周りで救援活動してたりする人がいる限り、見境なく攻撃し続けるってわけか?」
「そういうことだ。猛り狂ったスズメバチが、馬が川に落ちたから満足していなくなるなんて絶対にあるもんか。そのあと誰一人ここから立ち去ろうとはしてないんだぞ? 自分から巣に引っ込んでるはずがない」
「そうか!...あっ。と言うかさ、バイロンみたいな養魚場の人たちも大勢駆けつけてきたはずだもんな。それなのに、後から来た人たちは誰もスズメバチを実際に見てないと...」
「なあ、さすがにバイロンさんは嘘ついたりしてないよな?」
「ないと思うねー」
パルミュナもバイロンさんが嘘をついたとは感じてない。
だったら、やっぱり駆けつけた時には、もうスズメバチはこの橋の周辺から綺麗にいなくなってたってことだ。
「スズメバチの姿は幻惑魔法かなんかで実際にはなにもいなかったとかかな?」
「幻惑魔法ならあり得るだろうけど、数十人の隊列が相手だぞ? そこまで大がかりな幻惑魔法をまったく検知できなかったとしたら、さすがに問題じゃ無いか?」
「そうだなあ...襲撃時点では術を抑え込まれてて察知できなかったとしても、事故の後でも魔法の痕跡さえ検知できなかったんじゃ、伯爵家のお抱え魔道士としては、ちょっと心許なさ過ぎるか」
「いくら人族の魔道士じゃエルスカインの相手になれないと言っても、さすがになあ...」
「実はスズメバチみたいに見える魔物だったとかさ?」
「いないとは言い切れないけど、スズメバチみたいな魔物の話は聞いたこと無いなあ...」
「まあ、俺も自分で言っててなんだけどさ、聞いたことないよな。それとも、普通の虫のスズメバチを操る方法でもあったのかな...?」
「うーん、そりゃ魔獣使いと呼ばれてたくらいだから、生き物なら何でも操れるって可能性もないとは言えないけどな...そんな広範囲に広げた魔法の気配を誰も感じてないのはちょっと不思議だ」
不可解な状況だけれども、いま分かるのはそこまでだな。
「なあレビリス、正直あちらこちら調べても、この件で周りの人間を納得させるような証拠が出てくることはないと思う」
「まあなあ。暗殺計画だってことを証明するのは難しいだろうさ。それにもう二年も経ってるし、最初から証拠を見つけるなんて期待してなかったんだからさ」
「何かわかったとしても、当事者にとっては今さらって気持ちも強いだろうな。ただ、俺はここにきて、やっぱりエルスカインが絡んでるんじゃないかって思いは強くなった。仮にそうでないとしても、やっぱり暗殺事件だとは確信してる」
「うん、さっきのスズメバチの話からしてもさ、俺もそれは間違いないと思ってる」
「で、まあ俺自身としては納得できたから、やっぱり来て良かったとは思うけど、この件はとりあえずこれで保留かなって気がしてる」
「了解だよライノ... どうする? 一応は採掘場の方にも行ってから王都に向かうか?」
「ああ。個人的な興味だけど、岩塩の採掘場ってどんな場所なのか見てみたいからな...俺とパルミュナは採掘場を見学してから王都に向かおうと思うけど、それでいいか?」
「もちろんだ。ウェインスさんの出してくれた依頼状はただの通行手形みたいなもんさ。俺が適当に報告して体裁だけつけとけば問題ない」
「すまんな。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「そういや、リンスワルド伯の居城は、前の王国の城を改築したって話だっけ? ミルシュラントに併合されるまでは別の国だったってことだよな」
「ああ、前にも話したけどリンスワルド伯爵の領地はさ、大戦争の跡でガルシリス辺境伯の領地をずらして、そこに二つの小国だった土地を付け足して出来上がってるから、東西に細長いんだ」
「しかし、当時の大公軍は、そんな辺境の小国にまで手を出すほど領土拡大に燃えてたのか」
「いんや、先に手を出してきたのは、その二つの小国の連合軍の方なのさ。これも古い噂なんだけど、その二国連合はさ、ルースランドと組んで両側からガルシリス王国を叩くつもりだったって話だな」
またルースランドか・・・
本当にあそこはろくな噂が無いな。
「当時の版図で考えればさ、ガルシリス王国はミルシュラント公国の下側で東西南北をつなぐ大街道のど真ん中にあって、重要戦略拠点だ」
「ちょうど街道の交差点に位置してることになるもんな」
「そうそう。ルースランドにしてみれば、その二国と一緒にガルシリスを潰せば、アルファニアまでの東西の大街道をほとんど押さえる上に、南からの物資も止めることが出来るってね」
「あー、そりゃあ敵対関係にあったルースランド側にすれば、ぜひとも押さえたい場所だったろうな?」
「本当ならガルシリス家を懐柔すれば良かったんだろうけど、当時はルースランドとガルシリス王国の間に、実質的にルースランドの傀儡みたいなもんだったツベルナ王国っていう別の小国が挟まっててさ、そのツベルナとガルシリスは百年越しの犬猿の仲だったから、お互いに『こいつと組むなんてあり得ない』って感じで揉めてたそうだ」
つまり、当初はミルシュラント大公に対しての悪感情がなかった当時のガルシリス王家が、挟み撃ちにされる危機感から公国軍側に付いてルースランドの思惑は失敗したということか・・・
複雑だな。
「それでガルシリス家はツベルナの国土を貰って、領地がごそっと西にズレたんだな?」
「そういうことさ。いまじゃ想像も付かないけど、その当時、南北の本街道から東側の土地は、荒れ地と森と山っていう、まあ言っちゃえばアルファニアへ向かう街道以外はなーんにも無い僻地だったらしいな」
「そりゃガルシリス家の辺境伯って肩書きも伊達じゃ無いか」
「東の土地は、特に産物がある訳でも領民から税が取れる訳でもなし、ガルシリス家にとっては、譲っても痛くもかゆくも無かったのさ。代わりに、当時から大穀倉地帯だったツベルナ地域を貰った方が何倍も美味しいってことだったんだと思うね」
「そいつは分かるな...だけど、そうなるとリンスワルド伯爵がキャプラ橋を架けたのは、やっぱりガルシリス家にとってはムカつく出来事だったろうなあ」
「え、なんでさ? 二百年前でも東側はもう関係ないだろ?」
「いや、だってキャプラ橋が出来たことでラスティユ村のある山の東側が本街道になっただろ? つまり、それで南北の街道筋が完全にガルシリス辺境伯の領地から外れたってことじゃないか。これでエドヴァルから王都まで繋がってる南北の本街道が、ガルシリス辺境伯の領地内を通ることは一度も無い」
「あー、なるほどなあ...ミルシュラントの大動脈の一本から完全に外されたってことか!」
「だな。残るは東西の大街道だけど、西はかつての敵国ルースランドだし、東のアルファニアに行くには結局リンスワルド領を通らなきゃいけない。交易路としては孤立したようなもんだろ?」
「そっかー、そういう色々も重なって、ガルシリス家は公国への不満を強めていったのかねえ...」
「だったらいっそ旧敵のルースランドと組むか、とかな。間にいたツベルナが嫌いだっただけなら、そういう談合もなくはないかもよ?」
「逆にリンスワルド伯爵は、大公親衛隊の筆頭臣下みたいなもんだったっていうからね。何度も大公陛下の危機を救って活躍したんで信任が厚くてさ、戦後すぐに領地を貰ったってさ」
「へー...」
「面積だけはやたら広いけどさ、むしろ、この荒れ地をどうしろと?って言いたくなるような場所だったから話もすぐにまとまって、ガルシリス家も二つ返事でツベルナ領を受け取って、て感じだろうね」
「思うんだけどな...絶対に初代リンスワルド伯爵って、この地域がこういう豊かな領地になる計画を、もう、その時点で頭の中に描いてたと思うよ」
「あり得るなあ。俺もライノと色々話すまではあんまり考えたことなかったけどさ、言われてみると凄い先読み力だもんな...キャプラ川とリント川の水利を使って荒れ地を開墾してさ、移住者入れて百年掛かりで大農園に仕立てるなんて、並の領主じゃ出来ないと思うよ」
「だよなあ...」
なんか、リンスワルド家の一族って、俺のような凡人とは、見てる先が違う感じだよね。