残された時間
「死の街となったラファレリアで活動するために用意されているのが、実働隊であるマディアルグ王のホムンクルス達なのですよ。すでに、ヒュドラの毒に耐性を付けるための『血清』も製造の目処がついております」
「じゃあ、コイツらは兵力じゃ無いのか?」
俺はビッシリと並んでいるマディアルグのホムンクルスが入ったシリンダーを指差して聞いた。
「本来は兵力としても活用されるはずでしたが、マディアルグ陛下の失策でワイバーン達が失われたので、いまの彼等は単なる土木作業者ですな。もちろん陛下はそうは思っておられませんがね」
そう言えばさっきマディアルグと、『ホムンクルスを騎乗させる予定だったワイバーン軍団』と話していたな・・・
「彼は...マディアルグは、エルスカインが新しい国を作るって話を『自分のための国だ』くらいに思ってるんだろうさ」
「そうでしょうな」
「ちなみに、血清はどのくらい効くんだ?」
「効果の保つ日数は毒ガスに曝露される程度次第でございましょう。血清も、製造方法に目処がついたという話であって、なにぶんにも実験されたことが無いのでなんとも申せませんな」
「ラファレリアでの作業が済んだら、もうマディアルグのホムンクルス部隊は用済みか?」
「そうであろうと思えます。血清の効果が切れるまで作業をさせて、切れたらそのままでしょう。作業者が足りなくなれば、また数年掛けてホムンクルスの複製を作れば事は足ります」
身内に対しても酷いな。
さすがにそれは、マディアルグ王が言いなりになるとは思えないが・・・
老錬金術師は俺の表情から心の疑問を読んだのか、説明の言葉を続けた。
「皆様がお会いになったマディアルグ陛下はオリジナルの魂ですので、ある種の実験材料として大切にされております。ですが、これらのホムンクルスに移入される複製の魂には、魔法で一種の『頸木』が付いているのですよ。逆らうことなど出来ません」
マディアルグ王は不死軍団を率いる自分が、かつてのように民衆の上に君臨するのだと思い込んでいるみたいだけど、実際は特殊なエルスカインの奴隷に過ぎない訳だ。
きっと、この計画が完遂された時には、複製元として『オリジナルの魂をもつマディアルグ』も必要無くなるんじゃないか?
いまだって『実験材料』にマディアルグ王が選ばれているのは、四百年前の何らかの経緯に過ぎないんだろうし、もう一度、イチから準備し直すとしたら、マディアルグ王を使う必然性は無さそうに思える。
「納得だな...で、そのホムンクルス用の血清はいつから作り始めるんだ?」
「まだ分かりませぬ。エルスカインさまは、そのためにヒュドラの毒を追加で確保しようとしていたはずですので、ここにあるモノだけでは足りないのは確かでございましょう」
「ヒュドラの毒が追加で手に入らなければ計画はどうなる?」
「儂が推測するには、血清の製造を取りやめて、いまあるヒュドラの毒はラファレリアへの散布だけに使用するのでは無いかと」
「それじゃ作業が出来ないんだろ?」
「ヒュドラの毒が日光で完全に分解されるまで、二十年ほど待つことになりましょうな。そこから作業を始めても遅すぎはしないでしょうし、入ってこようとする人々を防ぐには十分でしょう」
「そりゃ二十年も死の大地だったら、まあ誰も踏み込みたくないだろうね」
エルスカインにとって『年』と言う単位は、普通の人族にとっての『月』ぐらいと大差ない感覚なんだろう。
ただ、ヴィオデボラ島のヒュドラが魔法使いの不注意で凍結容器から解放された結果、いまはあの島に誰も踏み込めない状態になっている。
そしてヒュドラを封印するために必要な『バシュラール家の魔法酒』の製法はシンシアとマリタンしか知らない。
となれば、現在のエルスカインの選択肢はこっちしか無いはずだ。
「そうなったらマディアルグ陛下はご不満かと思いますが、なに、二十年や三十年などアッと言う間でございます。それにソブリンのドラゴンシェルターに市民達を入らせるためには、なにか実際の脅威が必要です」
「またワイバーンを集め直させるのか?」
「そうかも知れませんが、ワイバーン達は散り散りになり、支配の魔法を操っていた魔法使い達と魔道具も海の藻屑と消えたはず...」
「ああ、そうだ」
「では、エルスカインさま流の考え方をなぞれば、再度ワイバーンやドラゴン殿を支配して利用する準備に手間を掛けるよりも、戦争でも起こさせた方が簡単、という結論に落ち着きそうな気も致しますな」
「戦争か...その推測は俺もしてたよ」
ただし戦争と言ったって、ルースランドは半島状の地形になっていて、国境を接している国は、半島の付け根側にあるミルシュラントとエドヴァルだけだ。
海から侵略させるなら北のエストフカや南のミレーナからも有り得るけど、ソブリン市はルースランドのど真ん中と言える立地だし、そっちの可能性は低いだろう。
「だけどミルシュラントもエドヴァルも、どう唆されたところで、今さらルースランドに攻め込んだりする理由もメリットも無いと思うよ?」
「いえ、内乱で十分でしょう」
「革命でも起こさせるかい?」
「ソブリンさえ戦火に包まれれば良い訳ですからな。ルースランド王家は傀儡ですし、議会など飾りに過ぎませぬ」
王家もエルスカインに逆らえないだろうし、適当な貴族に力を与えて唆すか、民衆を焚き付けるかってところか?
もはやエルスカインなら『平常通り』だと思えるくらい酷い話だ。
今後、『エルスカインがどう動くか?』を推測する時には、『思い浮かんだ中で一番人々にとって酷いやり方』を選べばいいのかもしれない。
いや、そんな考え方を続けてたら、先にコッチの精神がやられてしまうな・・・
「本来なら、このホムンクルス達が乗ったワイバーン軍団がソブリンに攻め込んでいれば、それで用は足りたのでございますが...転移門で送り込むのでは地味に過ぎますからな」
「地味、ねぇ」
「ソブリンでは本当に殺戮を行う訳ではありませんので」
「ああ、そうか...」
「怖がらせて、一人残らずシェルターに逃げ込ませるのが目的です。見た目でも恐怖を撒き散らすことが重要かと思われますので、過剰に登場感がある方がよろしいでしょう」
「なら戦争や内乱の方でもいいわけだ」
「ええ、徐々に政情不安を演出するとか、意図的に飢饉を発生させて、市民が飢えを凌ぐために自主的にシェルターに入るようにすると言った手段でもなんとかなるでしょう。ただ、その場合はドラゴンやワイバーン軍団に襲われたという状況ほど、一気に全市民を確保することは出来ないと思われますが」
「市から逃げ出そうとする人も出てくるだろうからな。でもそれは市壁の封鎖とかで対応できるか...」
「仰る通りですな」
「それで、ラファレリアで虐殺が始まるのはいつ頃の予定だ?」
「それはなんとも...先ほどお話しした通り、ヒュドラの毒を追加で入手できるか、あるいは入手を諦めて手持ちだけで計画実行に移るか、どの時点でエルスカインさまが判断を下すか次第ですな」
正直、なんとも際どいタイミングだな。
「そうか...一つ確認したいんだが、ラファレリアでヒュドラの毒ガスをまくってことは、ここにある『獅子の咆哮』をアルファニアまで運ぶってことになるのか?」
「確証はございませんが、そのまま移動させるでしょう」
「どうやって?」
「古代には浮遊系の魔法や魔道具が多くあったようです。確かヴィオデボラには商船をまるごと持ち上げられる浮遊桟橋が有ったという情報も耳にしましたな」
「それで、『獅子の咆哮』をまるごと持ち上げて運ぶと?」
「いいえ」
俺の言葉を否定した老錬金術師は、ほんの少しだけ茶目っ気を感じるような微笑みを見せる。
この老錬金術師との会話を始めてから、初めて見る表情だ。
「勇者さまの仰る『獅子の咆哮』というのは、恐らく地表面に見えている小山と黒い壁のことでございましょう?」
「そうだよ」
「あれは、敵を検知して毒ガスを噴出するために必要な部分だけが見えているに過ぎませぬよ? その下には魔導装置の本体とも言える巨大な構造物が埋まっているのでございます。そして、それ自体が浮遊、いえ、飛翔する能力を持った巨大な飛翔艇なれば...」
「まさか、そのまま全体がラファレリアまで飛んで行くと?!」
「はい。魔力が十分にあればの話でございますが」
なんてこった・・・アプレイスの予想通り・・・いや、更に上回っていたな。
その気になれば、エルスカインはポルミサリアのどこでも、好きなようにヒュドラの毒をまき散らせるって訳か!




