魚醤と揚げ物がうまい
バイロン氏の案内を受けながら、広大な養魚場を隅々までぐるりと見回り終えた時には、もう昼に近い時間になっていた。
もちろん、濁った魔力が澱んでいそうなところなど、ただの一カ所もなく、ここに来るまでの道程と変わらず、のどかな春の丘だ。
普通と違うのは、そこら中の空気に池の水の匂いが充満していて、かすかな生臭さのようなものを感じるぐらいかな?
「...とまあ、ざっと見て貰ったのがこの養魚場の中心部って訳だ」
ざっと?
朝からいままで、ぶっ通しで歩いて回ったのが『ざっと』とは・・・
確かに恐ろしく広かったが。
「ちょうど時間も昼飯前の頃合いだな。あんたらもここの食堂で食べていくといいさ。身びいきだって思うかも知れねえけど、川漁師直伝の魚料理だ。美味いぜ?」
「ああ、そうさせて貰うよ」
「俺は弁当を持ってきてるんでな。そいつを食わないとカカアに殺されちまう。レビリス、お二人を食堂に案内してやってくれるか?」
「おう」
「バイロンさんありがとうございました」
「おう。俺は詰め所の方にいるから、なんか分からないことでもあったら、いつでも聞いてくれ。じゃあ!」
「ありがとうございましたー」
「うん、パルミュナちゃんも、ここの魚を食べてってくれな。それと養魚場は燃やさないでくれな? 俺が失業しちまうから」
「はーい」
バイロン氏は最後にそう冗談を言うと、詰め所の方に歩き去って行った。
「荒っぽいけど、気持ちのいい男さ」
「そうだな。でも川漁師が養魚場の管理人に身代わりするなんて、意外すぎて驚いたよ」
「俺がバイロンに出会ったのはここに来てからだけど、色々あったみたいだ。川漁師の中でも将来を考えて規制を強くするべきだって人たちと、あんなデカい川で獲れるだけ獲ってなにが悪いって考えの人たちの間でさ、ずいぶん諍いがあったらしいよ」
「それで川漁師を続けるのが嫌になって辞めたとかか?」
「そんな感じっぽいな。何があったのかハッキリは言わないけどさ、かなり嫌な思いをしたんだろうなって気がするよ」
「なんか分かるよ。結局、そういう話って『現在と未来』のぶつかり合いみたいになっちゃうんだよな」
「現在と未来って?」
「いま、とにかく儲かればいい楽が出来ればいいって言うのと、子供たちの世代も含めて、将来にちゃんと生きていく道筋を残さなきゃダメだって考えと、どっちにも言い分があるわけだろ?」
「岩塩採掘の話と同じだな」
「ああ、俺が掘るだけ儲かるだろ?なんて言ったのは、商人や獲りたい漁師たちと同じ発想だな。毎年決めた量しか掘らないってリンスワルド家の考え方とはぶつかり合う。まあ俺も、地面の下の塩ならともかく、魚や獣や森の木なんかの生きてるものは、あるだけ獲ればいいなんて絶対に思わないけどな」
そんな話をしながら、レビリスに案内されて塩漬け加工場の向かって歩いて行くと、門番のヒギンズさんとばったり出くわした。
交代時間で昼食を食べに来たらしい。
「おお、あんたらずいぶん長いこと見て回ってたんだな。それとも何か、バイロンの長話にでも付き合わされてたか?」
そう言って笑う。
バイロン氏の話し好きは有名なようだ。
「養魚場を全部、端から端まで見て回りましたよ。まあ、バイロンの話も一緒に聞きながらですけどね!」
レビリスがそう返すと、ヒギンズさんはさらに大笑いした。
「これから昼飯かい? なら一緒にどうだ?」
レビリスがこっちをチラッとみたので頷く。
「うん、じゃあみんなで一緒に食べましょう。ヒギンズさんのお勧めでも教えてくださいよ」
「うんうん、何でも聞いとくれ」
塩漬け加工場は大きな建物で、その奥には、これまた大きな倉庫が立ち並んでいる。
ちょうど岩塩を運んできたらしい荷馬車が、俺たちの脇を抜けて倉庫の方へと向かっていった。
棚池の方もそうだが、この養魚場は話に聞いて想像していたよりもずっと大規模な施設だ。
その加工場にくっ付くような感じで建っている食堂に入っていくと、それなりに大勢の人でざわついていた。
ここで働いている人だけじゃなくて、行商人っぽい身なりの人もいるな。
「まあ基本はここで働いてるものに食わせる為の食堂だから、街の食堂のようには行かないがね。ただ、逆に言うと儂も含めて大抵の奴は毎日ここでなにかしら食べることになるからな。飽きて文句を言い出されないように、日ごとに料理の内容を少しずつ変えとるんだよ」
「へえー、なんだかリスワルド家のやってる事業って、どこも使用人への待遇がいいみたいですね?」
「違いない。伯爵家の経営してる事業で職を得られれば安泰っていうのは常識だな。まあ、だから雇われた連中はみんな頑張って真面目にやっとるよ。こんないい職場を絶対に追い出されたくないからな?」
「なるほど。そりゃいい雰囲気になる訳ですね...」
「よう! 今日の飯はなんだい?」
ヒギンズさんが、配膳のおばさんに声をかける。
「今日はブリームの揚げ物があるよ。もし魚がいやなら焼いた塩漬け肉に茹で野菜を添えて出してあげるさ」
「お、ブリームなんてあるのか?」
「今年からここでもブリームの養殖を始めるんだってさ、親魚になるのが持ち込まれてるけど、検分して弾かれたのを料理して出すことになったってわけ。大きさがバラバラだから、切り身に捌いて揚げ物で出すことにしたのよ」
「へー、そいつはいいな」
「まあ、だからブリームがでるのはしばらくの間だけさ。養殖が順調にいって次の子が育つまでは、また出なくなると思うさね」
「そう聞くと、いま食べとかない訳にはいかないな」
「あのー、ブリームってなんですか?」
珍しく、パルミュナが自分から聞いている。
「おや? アンタ、遠くから来たんだね。ブリームってのはここら辺には多い鯉の一種だよ。水のある所ならどこにでも住んでるっていうくらい多くてね。そりゃ食べれば美味しい魚だけど、そんなありきたりなもんをわざわざ育てるなんて、偉い人の考えることは良くわからないねえ」
「いやでも、揚げ物で出すなんて豪勢じゃないですか?」
ブリームはエドヴァルでもポピュラーな魚だったので、俺としては、そっちの方が気になるな。
「まあねえ。でもホラ、最近は商人さんたちの行き来が活発になって、外国からの品物とか、珍しい食材とかも色々入ってくるようになったでしょ? 安い菜種油もルースランドから沢山入ってくるようになってね。揚げ物なんかも、昔に較べりゃ気軽に出せるようになったのよ。まあ自分ちじゃあやらないけどさ!」
ルースランド製の菜種油か・・・
なんだか、あの城跡の焼け焦げを思い出してしまいそうだが、美味しい食べ物に罪はない。
「なるほど。じゃあ今後は街の食べ物屋でも揚げ物を出すことが増えそうですね」
「そう思うねえ。ちょうど昼前に揚げ始めた所だからさ、出来たてに塩をたっぷり振って食べると美味しいわよ? 他はいつも通りに、パーチの魚醤焼きか塩焼きさね」
「じゃあ儂はブリームの揚げ物だな」
「俺もそうします」
「俺は魚醤焼きにしとくか。パルミュナちゃんはどうする?」
「魚醤焼きって初めて聞いたけど、どんなモノか想像が出来なくて...」
ヒギンズさんがそれを引き継いだ。
「あー、調味料なんだけど、ちょっと癖が強くてな...若い娘さんは苦手な匂いかもしれんなあ...」
「そうねえー、確かにねえ。慣れると美味いんだけどねえ」
配膳のおばさんもそれに同意する。
「魚醤って、料理の味付けに使うすごく塩辛い汁ですよね? 海辺の方じゃ多いけど、この辺りでもあるんですね?」
少なくとも、フォーフェンでもパストでも、食堂で出てきた記憶はない。
「最近って言うか、ここに塩漬け加工場が出来たからなのよ。塩漬けを造る時に魚を捌いてはらわたを取るでしょう? それを身の方とは別の樽に大量の塩で漬け込んで、蓋をして一年以上も熟成させるの」
「へー、魚醤って、そうやって造ってるんですか?」
「土地によって作り方は違うらしいけどねえ。材料に使う魚も違うって。ここの魚醤は、王都の西にあるスラバス沿岸での作り方を伯爵家の人が教えて貰ってきてね。それで塩漬け加工を始めた時に一緒に作り始めたんだけど、街に出回りだしたのは、ようやく去年ぐらいからだわ」
「ああ、だからフォーフェンじゃあ見かけなかったのか」
「まだ扱ってる所も少ないし、街の飯屋で出すほど馴染まれてもないんじゃないかしら?」
「だから俺はここに顔を出すことがあったら必ず食べていくけどね」
レビリスは魚醤焼きが気に入っているようだ。
「塩漬けと同じで、魚醤も作る時に塩を沢山使うからねえ。海辺以外は岩塩が出ない土地じゃないと作れないわよ」
「なるほどね...」
もう、俺のことは『なるほど男』と呼んでくれていい。
結局、パルミュナはパーチの魚醤焼きを頼んだ。
レビリスの『もし匂いが苦手だったら代わりに俺が食べてあげるから』という台詞にも後押しされたのだろう。
塩の代わりに魚醤を塗って焼き上げた魚は、俺の感覚からすると、臭いどころか、食欲をそそる香ばしい匂いを漂わせていている。
まあ実際にダメだったら、間違いなく俺のブリームの揚げ物と交換する羽目になっていただろうとは思うが、周囲の心配を余所に、パルミュナはニコニコ顔で魚醤焼きにかぶりつく。
揚げ物の方も、たっぷりの塩をかけ、エールから造った酢を少し垂らしてかぶりつくと、これまた絶品で文句なしだ。
ブリームじゃなくて他の魚でも、出せば間違いなくここの人気メニューになるだろうな。
パルミュナの魚醤焼きも、俺の揚げ物と一切れずつ交換して味わってみた。
確かにクセはあるが、むしろ風味と味わいの深さがとてもいい。
俺も、次にここに来る時があったら魚醤焼きを頼むかも。
「パンも美味しいねー」
「そうだな。柔らかくて美味いパンだ。さすがは麦の名産地だな」
フォーフェンの宿屋でもパンは美味しい。
さすがに、あの『干しイチジク入りのケーキ』はパンと同類で考えちゃダメだと思うが、その前に、フォーフェンの市場で買い物して旧街道に持っていった堅パンだって、堅パンとしちゃあ美味いものだったと思う。
おかげで、イチゴのジャムをたっぷり保有していたパルミュナは、宿の食事の貧相さに文句を言うこともなく、ジャムを塗った堅パンを毎晩囓って旧街道での数日間をゴキゲンで過ごしてくれたからな。
「この食堂のパンは食べ放題だから遠慮はいらんぞ?」
「えっ?」
「配膳の奴に言えばパンはいくらでも出してくれる。持って帰るってのは禁止だが、ここで食べる分には幾ら食ってもいいんだ」
「なんか凄いですね、リンスワルド家って...」
「雇われとる人間の一員としてそれは否定せんな」
この驚きは、知れば知るほどってやつだな・・・
そうして予想外にゴキゲンな昼食を済ませた俺たちは、ヒギンズさんに別れを告げて、再び事故現場の橋まで戻ったのだった。