<閑話:ヤニスとアスワン-4>
力なく眼前に横たわる悪竜の巨体を見上げていても、自分がそれを斃したという満足感が湧かない。
俺が何をしようとクレアは決して戻ってこないのだから。
あの時、何故もっとクレアに優しくしてやれなかったのか・・・その後悔は悪竜を倒した今も消えてはいなかった。
きっとこれからも、クレアの死によって心にぽっかりと空いた穴が塞がることは無いのだろう。
「殿下! ヤニス殿下! 無事でございますかっ?!」
不意に遠くから大声で呼びかけられて、放心状態だった俺は我に返った。
振り向くと、全速力でこちらに向かってくる騎馬の一団が目に入る。
こんなに近づくまで騎馬隊の接近に気が付いてすらいなかったとは、悪竜を倒した後の俺は本当に腑抜けて、いや、呆けていたらしい。
近づいてくるのはカシュバール王室直属の騎馬部隊。
先頭で叫んでいたのはその隊長であり、少年時代の俺にとっては剣の師匠でもあった人だ。
「ヤニス殿下、ご無事で何よりでございます! して...このドラゴンは殿下が斃されたので?」
「そうは見えぬか?」
「滅相もございません、御無礼をお許しください殿下」
騎兵達の表情を一言で言えば『驚愕』か・・・普通は人がドラゴンと戦って勝つなど有り得ないと考える。
それどころか真っ当な『戦い』が成立するかどうかさえ怪しいだろう。
「いや、我の口ぶりが悪かった。戦いの後で少しばかり気が荒んでいたようだな。許せ」
「それは普通のことにございます」
「もっとも我一人の力では到底、悪竜を斃すことなど出来なかったであろうよ。大精霊アスワン様に賜った、この剣と魔法の力があってこそだ」
「アスワン様と? あの伝説の大精霊アスワン様に会われたのでございますか?」
「そうだ。アスワン様は我が悪竜を討とうとしていることを知って、この魔法剣と、それを扱うに足る力を授けて下さったのだ。なんでも悪竜はドラゴン同士の戦いではなく人の力で斃さなければならないと、そういう話だったな」
「左様でございましたか...なんで有れ、殿下が悪竜を屠ったとなれば国中の民も喜びましょう。まこと殿下はライムールの誇る英雄にございます!」
「どうだかな...我は英雄などでは無かろう。なにしろ、民のため国のために闘ったと言うのではなく、クレアの仇を討ちたいという私怨でドラゴンに挑んだだけだからな」
「ご謙遜を」
「謙遜では無い。正直な心情だ」
「例え殿下のお気持ちがそうであったとしても、ドラゴンを斃されたという武勇にはいささかの曇りもございません」
「その誉れはアスワン様に捧げられるべきであろう? 我はアスワン様の手足となって、お借りした力で闘ったに過ぎぬからな...ともかく、お前たちはどうしてここへ?」
「はっ、陛下のご命令にて...」
「連れ戻せと言われたか?」
「大筋としては。恐らく殿下は悪竜の軌跡を追っているゆえ、我らもその後を辿れば殿下に会う事が出来るだろうと考えて悪竜出没の噂を辿って参ったのです」
「正解だったな」
「そして陛下からは、どうしても連れ戻せぬ場合は殿下と一緒に闘えとの命を受けておりました」
そういう事か・・・
父上は、俺が自分の私怨のために騎馬隊を道連れにして全滅させるくらいならば、いっそ悪竜への復讐を諦めるだろうと賭けたな?
しかも自分にとって恩のある剣の師匠を道連れにと言うのは、本当に頂けない話だからな。
「父上も無茶なことを。それは王室騎馬隊に『全滅しろ』と言っているのと同じであろうに」
「殿下、いかなる敵であろうと殿下と共に馬を並べて戦えるのであれば、その命を全うせぬものなど、我らの中に一人としておりませんぞ?」
「その気持ちは嬉しく思う」
「有り難き御言葉でございます。しかし我らの到着前に、こうして殿下が悪竜を倒されましたゆえ、後は一緒に城へ戻るだけとなってしまいましたが...これでは飯炊き部隊を連れた遠征帰りと変わりませんな!」
「いや、城へは戻らぬ」
「は?」
「我は城へは戻らぬ。父上...陛下にはそう伝えてくれ」
「な、なにゆえにございますか殿下っ?」
「先ほど言った通り、我は大精霊アスワン様より悪竜を倒すための力と剣を賜った。そして、無事に悪竜を倒すことが出来たならば、その後はアスワン様のために働くという約束をしているのだ」
「なんと...」
正直に言えば、今の俺には先のことなど何も考えられないし、クレアのいない王城に戻って、王位がどうの、妃がどうの、世継ぎがどうの、等という会話に晒されるのはまっぴらご免だった。
自分自身として、なにかやりたいことが有る訳でも無い。
こんな気持ちで国を治めても、民にとって良い事になりはしないだろう。
この先、現世におけるアスワン様の代理として人助けでも出来るなら、それだけでいい。
「故に、我はその盟約を果たさねばならぬ。アスワン様のお話しによれば、近年、このライムールを巡る魔力の流れが大きく乱れているのだという。そのせいで、あちらこちらで見掛けぬ魔獣が現れたり、畑が不作に陥ったりという事象が起きているのだそうだ」
「存じませんでした」
「普通の人は誰も知らぬだろう。無論、我も知らなかった。かつてライムールを襲った大飢饉...かのアスワン様が人々に救いの手を伸ばしてくださった時の事だが、あれも魔力の流れ『奔流』の乱れが引き金となっていたらしい」
「ならば、ただの人にはどうすることも出来ない話でございますな」
「アスワン様によれば、生まれつき魔力の流れを見ることが出来るごく一部の人...優秀な魔法使いとなれる素養を持って生まれたような者だけしか気がつけないそうだ」
「なるほど...それで、殿下の拝命した任とはいかような事柄にございましょうか?」
「あちらこちらで溢れている魔力を地道に刈り取っていくのが大切なのだそうだ。まあ、具体的には人に仇なす魔物や魔獣を退治しながら各地を回ると言うことになろうな」
「しかし殿下、国王陛下は殿下の帰還をお待ちになっております。殿下の手によって悪竜も討伐された今、殿下が城に戻らぬと仰るのは陛下も納得なさらぬかと...」
「ライムールの国王は、大精霊アスワン様に任ぜられたお役目を軽んずるだろうか? かつての大飢饉の折、アスワン様の叡智によって多くのライムール国民が飢餓から救われたその大恩を、はや忘れたと申されるかな?」
「まさか!」
「意地悪を言うつもりは無いのだ。だが、ここで我が城に戻れば、『ヤニス王子が悪竜を倒した』という話は国中に知れ渡ろう。父上は喜んでくれるであろうが、我としてはアスワン様より任ぜられたお役目が先々やりづらくなる」
「そうでございましょうか?」
「そうだ。先ほど其方も口にしたであろう? 我のことを『ライムールの英雄』だとな?」
「はい」
「アスワン様は我に『勇者になれ』と言った。勇者は富も名誉も求めぬ。ただ、普通の人には成せぬ事を肩代わりするための存在...そのために賜った、いや、お借りした力だからな」
「なるほど...」
「そこには英雄など必要無いのだ。民や国を率いる英雄は軍や騎馬隊に任せておけば良い。それに、そもそも戦など起きぬ方が良かろう?」
「...承知いたしました殿下。この老骨、殿下と大精霊アスワン様のお心を察せず赤面の至りにございます」
「大袈裟だな師匠よ」
「おやめください殿下。もはや剣の腕で殿下と姫に敵うものなど騎馬隊にもおりません...」
そこで隊長はハッとした顔になって口を噤んだ。
俺の前でクレアの話を出したことを『しまった!』と思ったのが分かる。
気にしなくても良いものを。
「今がどうあれ、我らの剣技が其方に育てられたことに変わりは無い。其方はいつまでも我らの師匠だ」
「まこと、もったいなき御言葉にございます殿下」
「それと...今は城に戻らぬが、このまま永久に戻らぬと言う訳でも無い。勇者のお役目を果たすことに、ある程度の目処が着いたら戻るか、少なくとも顔を出すこと位はあろう」
「左様で御座いますか!」
「ただ、いつとは言えぬゆえ、それを待たれても困る。陛下には、我の戻りを待つよりは養子でも取って王位を継がせる方が安泰だと伝えてくれ。そうなった時は、我も城に戻って悶着を起こしたりするつもりは無いから安心しろと」
「御意...」
「もはや我にとっては王位継承権など、正直どうでもいいのだ。では陛下への伝言頼んだぞ? それと、この悪竜の処分はお前たちに任せるゆえ、売るなり喰うなり好きにしてくれ」
そう言って俺は彼等に背を向けて歩き出した。
もちろん往く宛ても無ければ急ぎの用も無かったが、とにかく悪竜の側から離れたかっただけだ・・・
だが仇討ちが終わって、一つ分かったことがある。
家族を殺した相手がドラゴンだろうが盗賊や敵兵だろうが、仇を討ったからと言って死んだ人が生き返ってきたりはしない。
当然、そうではない。
仇討ちで生き返るのは自分自身だったのだ。
空っぽだった俺の中に、生きる意志が再び注がれ始めた。
これからはアスワン様と約束した『勇者の役目』を生きがいに、この大きな穴の空いた心を抱えて生きていこう。




