<閑話:ヤニスとアスワン-3>
凄まじい咆哮と共に、俺の脇を灼熱の炎が掠めていく。
人の身体など一瞬で燃え尽きそうな高温。
何の防御も無く正面からドラゴンのブレスを浴びれば、炭を通り越して灰になってしまいかねない。
長い旅路の末にとうとう見つけたクレアの仇、『悪竜』と俺の戦いは長引いていた。
いや、むしろ長引いているのは良いことだな。
先日、峠で会った大精霊アスワン様から借りた勇者の力が無ければ、とうの昔にブレスで焼き尽くされていただろう。
正直に言って以前の俺では、悪竜に焼かれる前に一太刀入れられたかどうかすら怪しい。
しかし動き回ってブレスを避け、あるいは魔力の障壁で辛うじて防ぎ、隙を見て魔法剣で斬り付ける・・・それを何度も繰り返している内に、ドラゴンの隙も見えてきた気がする。
悪竜がブレスを吐く前には必ず動きを止めて、魔力を『溜める』ような素振りを見せるし、そのせいか、一度ブレスを吐き終わった後で次のブレスが放たれるまでの間に、そこそこの間合いがある。
恐らく、体内で魔力を炎の素へと変換する時に、少しばかりの時間が必要なのだろう。
だからドラゴンは走り回ったり飛び回ったりしながらブレスを吐くことは無く、地上だろうが空中だろうが、ブレスを吐く時には身体をその場に留めたまま首だけを振るようだ。
それが分かってくると、むしろブレスを吐く直前こそが勝機だと思えてきた。
幾らアスワン様にお借りした力で魔法障壁を張れると言っても、正面からブレスに耐え続けるのは難しい・・・いや無理だろう。
いまの俺にはブレスを出来る限り避け続け、避けきれなかった部分を障壁でいなすほか無いのだが、悪竜の方も中々ブレスを直撃させられないことに苛立ち始めているのが分かる。
悪竜は、最初は身体を動かすことも無く、さも目障りだと言わんばかりに近寄ってきた俺に無造作にブレスを吐きかけ、それを躱されると今度はシャンと首を起こして狙いを付けてきた。
それも躱され、次のブレスが吐きかけられるまでの間に走り寄った俺が前足に斬り付けると、驚いたように空中に飛び上がってその位置に留まったまま次のブレスを放ってきた。
俺の方も少々焦っていたので初太刀は深手を負わせることが出来なかったが、すっぱりとドラゴンの鱗を切り裂いた剣の切れ味で、自分にも勝ち目があることを確信できたのだ。
さすがは、滅多にお目に掛かれない伝説級の素材『オリカルクム』で鍛えた剣だけのことはある。
カシュバール王家の宝物庫にも、オリカルクムの剣はクレアが持ち出した魔剣ボルグの他に数振りしかない。
なにしろ貴重な素材なのだが、それを大精霊様が手ずから魔法で鍛えられたとあれば、『いかなるものも両断できる』というのも大袈裟では無いな・・・
更に、悪竜がどれほど空中からブレスを放っても、アスワン様にお借りした魔力で尋常ならざる素早さを身に着けた俺には命中させることが出来ない。
希にギリギリのところを掠めても、それは障壁に弾かれている。
忍耐強くブレスを躱し続けていると、とうとう苛立った悪竜は大地に舞い降りて、鋭い鉤爪で俺を屠ろうと接近戦を挑んできた。
このままでは、ひょっとしたら俺を殺すことを諦めてどこかへ飛び去ってしまうのではないかとも懸念したのだが、ドラゴン族としては『一度戦い始めた相手に背を向けて去ってしまう』という行為は負けを認めて逃げるのと同じで、耐え難かったらしい。
俺が眼下で悪竜を挑発し続けたことも功を奏したのだろう。
空も飛べなければ強い攻撃魔法も持たない俺としては、向こうから地面に降りてくれなければ攻撃の当てようが無いから有り難い。
こちらからも更に悪竜に近寄り、恐ろしいスピードとパワーで眼前を掠めていく悪竜の鉤爪を避け続けながら、その隙間を縫って剣を振るう。
長い鉤爪に邪魔をされて、なかなか手指に斬撃を当てられないが、それでも諦めずに剣を振るい続けていると、やがて悪竜の指先から血飛沫が飛び始めた。
最初、悪竜は自分が血を流し始めたことに気付かなかったらしい。
そして、俺の数回目の斬撃が太い血管を切ったらしく、これまで以上に勢いよく血が吹き出てくると、悪竜はようやく自分が傷を負っていることに気が付いて驚いたのか、ふいに動きを止めた。
興奮しすぎて痛みも感じていなかったのだろうが、これはチャンスだ。
俺は一気に距離を詰め、手首の腱の切断を狙って悪竜の右手の内側を斬り付ける。
明らかにこれまでとは違うザックリとした手応えがあった。
この剣に魔力を通すことに俺の身体が馴染んできたのだろう、刀身の長さよりも深く悪竜の手首を切り裂いたようだ。
機を逃さず、返す刀で同じ場所を逆側から切り裂くと、今度は確実に腱を切断したと感じ取れる。
もうこれで悪竜の右手は棒きれと同じだ。
骨まで断ち切った訳では無いから見た目はそれほど酷くないのだが、腱を切られては力を込められない・・・つまりは巨体を支えられなくなる。
地上にいる時は四足動物のように両手両足を地面に付けて、四つん這いで身体を支えているドラゴンの身体構造からすると、片手が使えなくなれば途端に機動力が落ちるはず。
後ろ足だけで立ち上がるような姿勢は取れても、俊敏に動くのは難しいだろう。
しかも掌を握ったり指を折り曲げる動作が自由に出来なくなって、恐ろしい鉤爪も今ではただぶら下がっているだけだ。
勝機だな!
これを逃すと悪竜が空に逃げ出す可能性もある。
もし逃げられたら後を追うのは至難の業だし、魔力の塊のようなドラゴンなら、腱や手指を着られた程度の傷は、しばらくすれば治ってしまうかもしれない。
もう一度、一から仕切り直しで戦うとなったら、悪竜も今回のように油断してはくれないだろう。
なんとしても、ここで決着を付けなければ・・・
鉤爪を振り回せなくなったからにはブレスでの攻撃に戻るはずだが、それには俺の位置が悪い。
悪竜は傷ついた右手を庇うように、左手に体重を掛けて姿勢を変えようとしている。
俺にブレスを吐きかけようと無理な体勢になっている事をみて、俺は力の限りジャンプすると、巨木のような悪竜の右腕を一気に肩まで駆け上った。
こうなると悪竜もブレス攻撃は諦めて、激しく動くか、空に舞い上がって俺を振り落とそうとするだろうが、そうはさせない。
渾身の気合いと魔力を込めて振り抜いた俺の剣は、背中から伸びる翼の骨を一閃で断ち切った。
自分で自分のやったことに驚きだ!
戦いの中で、俺の魔力もどんどん成長してるって事か?
ともかく、これで右の翼は皮膜部分で繋がってぶら下がっているだけ・・・翼の付け根を切り裂かれて、再び悪竜が大きくバランスを崩す。
悪竜が体勢を立て直して俺を振り落とそうとする前に勝負に出るしかない。
どんなに大きな獣でも首の骨、頸椎は弱点だ。
特に頭蓋骨との境目は弱い。
まあ、だからこそ大型の獣や魔獣では、その辺りが分厚い筋肉と強靱な毛皮や鱗に守られている訳で有るが・・・もちろんドラゴンも例外では無く、普通なら人の力と鋼の剣ではとても歯が立たない強靱な鱗に覆われている。
しかし俺の手には、竜の鱗すら切り裂くオリカルクムの魔法剣があるのだ。
俺はドラゴンの肩から更に首元へと走り、後頭部めがけて駆け登った。
こんな大きな相手に剣を向けたことは一度も無いけれど、ドラゴンも生き物の形をとっている以上は、頸椎の中を神経の束が通っているはず・・・ここを穿たれたら、ほとんどの動物が即死する。
俺の動きに気付いたドラゴンが顔をこちらに向けようとするが、むしろチャンス到来だ。
俺は剣を真っ直ぐ前に構え、駆け上がってきたスピードをそのまま活かして頸椎と頭蓋の繋ぎ目とおぼしき辺りを全力で刺突した。
剣先は狙い通りに、鱗と鱗が重なる部分の隙間に吸い込まれるようにして深々と突き刺さっていく。
魔力を帯びて鈍く光る刀身が、ほとんど鍔の直前までドラゴンの首の中に入り込むと、それと同時に、こちらに横目を向けかけていた悪竜の全身にブルっと震えが走ったような感じがした。
俺は鱗と鱗の間から突き出ている剣の柄を両手で握りしめ、悪竜の次の動きに振り落とされないようにと力を込める。
しかし、悪竜の身体に次の動きは生じなかった。
まるで天空からドラゴンを吊り下げていた『見えない糸』がプツリと切れたかのように、その巨体が地面に崩れ落ちて轟音を立てる。
そして再び動き出すことは無かった。
とうとう俺はクレアの仇を取ったのだ。
「これで良かったのか、クレア・・・」
息を引き取ったドラゴンの首から剣を引き抜きながら、俺は全く意識すること無く、そう口に出していた。
もちろんどこからも答えは返ってこない。
王宮で訃報を聞かされたあの日から、頭の中は、ただクレアの仇討ちすることだけで一杯だったはずなのに、終わってみれば達成感は無く、快哉を叫ぶ気持ちにはなれない。
多くの人々を苦しめ、最愛の妹を亡き者にした悪竜を俺は討伐した。
しかしそれは、ただそれだけのことだった。
俺は悪竜を殺した。
それ以上でも、以下でも無かった。




